1-3 咲桜先輩の秘密のバイト
学校の最寄りのバス停から、帰宅時にもかかわらず人が6名しかいないバスに乗り俺は駅に向かう。
俺は最後部の窓際の座席で、ただぼんやりと外を眺めていた。
相変わらず星鳥市は県庁所在地だというのにこの街は人がいない。消滅可能性都市の問題というのが叫ばれているが当然この街もそれに該当する。何も対策を講じなければ遠からずこの街は廃れてしまうだろう。
県も市も頑張ってはいるものの所詮それは小手先のもので結局は人は都市部に流れていく。そうこうしているうちに鳥取県は人口最小県になったのだ。
俺はバスに揺られながら咲桜先輩の事を考えていた。
……………。
柴咲咲桜。抜け殻のようになっていた俺を救ってくれた恩人で、俺とは対照的に光の中で生きている人間だった。誰からも愛され、友人も多くいつも誰かを気遣っている優しい人だった。
そして俺の初恋の人でもある。初恋は実らないとのジンクス通りそれは実る事はなかったがそれでも俺にとって大切な人には変わらない。
先輩の太陽のように明るい笑顔が脳裏をよぎる。そしてここ最近の疲れ果て無理して笑ういびつな笑顔も。
なにも知らない誰かが面白半分に言う先輩が不良と付き合っているという噂。それはあながち間違いでもないだろう。
ちょうど今から一年くらい前。
その日の深夜、俺は無性にコンビニでコーヒーを飲みたくなり店内のイートインスペースで熱いカフェオレを飲んだ。その帰りに暗い街を出歩く先輩を見たのだ。
今は深夜、女子高生は本来出歩いてはいけない時間だ。なのになぜ……最初は見間違いかと思ったが、幾度となく見てきた先輩の後姿を見間違えるはずはなかった。
俺は噂を信じていない。あんなの嘘だ。だが火のない所に煙は立たないとも言う。
俺は悪い気はしたが、心配だったので様子をうかがいあとをつけたのだ。
この街の夜は暗い。街灯もほとんどない暗闇の中を歩く。歩く。歩く。
住宅街の狭い路地に入り、無計画に増築したトタン屋根の家が目に付く。用事がなければまず足を踏み入れる事はない古い木造家屋や建築基準法を無視したトタンの家以外は何もない場所だ。
時折大通りから車が走る音が聞こえる。音はそれだけだ。自分の足音で気付かれるかもしれないと思い息を殺して後をつける。
なにもなければストーカーと勘違いされそうだ。俺は思わず苦笑する。
だがその時――先輩は突如、駆け足で走り出す。
尾行が気付かれたか――!?
見なかった事にして自宅に帰るべきか、真相を知るため追うべきか、一瞬迷ったがすぐに追いかける事を決断した。
だが入り組んだ道ではすぐに見失ってしまう。まるで迷路だ。
空から俯瞰してみるとこの地域の面積はそれほど広くないが諸々の法律が改正される前に建てられた家がそのまま残っているのだ。昭和の無計画な街づくりに怒りを覚えながら俺は先輩を探す。
(……先輩、どこに)
息を切らして走る。しかし先輩どころか動くものを一つも見つけられない。
ドゥゥゥン……。
「……………?」
そんな時、夜の静寂の中聞き覚えの無い音が響く。頭の中に直接響く地鳴りのような鈍い音だ。先輩に関係があるかどうかはわからなかったがほかに手がかりもないので取りあえずその音のする場所に向かった。
そして音のする場所に向かうと空き家であろうボロ小屋の民家の、大量のゴミが捨てられているがおそらく庭であった場所に不良と対峙する先輩を見かけた。
いや、俺は今不良と形容したがおそらく多くの人が抱くイメージとは違う。リーゼントでもモヒカンでもないグラサンに派手なスーツを着た筋モンでもない。
そうだ、確かに人相は悪い。豚のような顔をした男だった。いや緑色の肌をした豚そのものの顔だった。
違う。暗くて顔がよく見えないだけだ。無理やりそうして納得させる。
その豚男――ファンタジーでよく見るオークのような姿をした人間はオートバイを軽々と振り回し先輩を攻撃するが、先輩は避ける事もなくそのオーク男の前に手をかざすと――男の頭のあたりにバランスボールサイズの黒い球体が現れオートバイもオーク男も飲み込む。
そしてクッキーをかじったようにえぐられパーツがむき出しになったオートバイが落下し、金属が地面にぶつかる音を静寂の夜に響かせた。
俺はその音に驚き気を取られてしまったが男を見ると上半身を失って、下半身は力なく緑の血を噴き出して倒れた。
「……………」
突然の事に理解が追い付かなかったが緑の血は彼だけのものではない。ところどころに飛び散っていた。先輩はほかにも戦っていたのだろうか。
彼女はオークの死骸に手をかざすと黒い球体が再び現れ、死体は跡形もなく消滅した。
呆気に取られている俺だが先輩はこちらのほうを向く。いつもの笑顔だったが少し困っているようだった。
「さて。高校生がこんな時間に歩いちゃだめだよ」
「先輩」
俺の尾行には気付いていたらしい。俺は先輩と呼ぶ事だけで精いっぱいだった。だがどうにか状況を理解しようとあるがままの事実を受け入れる事にする。まずはそこからだ。
そう、先輩は得体のしれないなにかと戦って得体のしれない力を使った。情報はそれだけだが俺の疑問……先輩が時折姿を消す理由はこの超常的な光景を見てなんとなく理解出来た。
「聞きたい事はありますけど聞いたらダメなんですよね、こういうのって」
「うん、ごめんね。あ、もうすぐ……えと、すぐにバイト先の人が来るから面倒事に巻き込まれる前に帰ったほうがいいよ」
先輩のバイト先と言った場所。それが普通高校生がするようなバイトではない事は容易に想像がつく。バイトの内容というのが今のような怪物退治だというのならその団体は関わったら厄介な何かであるのだろう。それは誰かに語れば妄想と笑われる荒唐無稽な団体なはずだ。
「わかりましたよ。俺は何も見ませんでした。ただ学校の連中の誤解は解けそうにありません。今見た事を言うわけにもいきませんし」
「そうだね。トオルは賢いからわざわざ忠告しなくてもわかると思うけど、今見た事言っちゃダメなのだからね。それと」
おそらくこれは関係のない人間に見られたら駄目な奴だ。もし先輩のバイト先の同僚が居合わせていたのなら俺の身も無事ではなかっただろう。どうなるのかは知らないが。変な機械で記憶でも消されるのだろうか。
「一花には言わないでね。心配させたくないから。こんな事してるの知られるのはね」
先輩は大事な妹の名前を呼ぶ。ピーコの事だ、こんな物騒な事をしている肉親の心配をしないわけがない。
「言いませんけど多分薄々何かに気が付いているとは思いますよ。ちなみに危険だから心配させたくないんですか。それとも生き物を殺しているからですか」
あれが人か怪物かはわからないが俺は生き物と呼ぶ事にする。その時月明かりが先輩を照らし緑の返り血を浴びた彼女の姿が浮かんだ。
「両方、かな」
その手を血で汚した先輩のその姿に俺は不思議と恐怖を感じる事はなかった。むしろ美しいとすら感じてしまった。
いや、妙な感想を言っている場合ではない。どうしても確認したい事がまだ残っている。
「先輩はなんでこんなバイトを」
「生きるって大変だからね。お金は必要だから。それに怪物退治はこの世界を少しだけど平和にする事も出来る。私の異質な力を誰かのために使える。私はこの仕事に誇りを持ってるんだ。けど一花にだけは知られたくないんだ。私のバイトを」
先輩は寂しそうに笑いそれ以上俺は何も言えなかった。
「それじゃあね。気を付けて帰ってね、トオル」
「ええ。先輩も」
先輩は帰りにそう言って目の前の空間に手をかざし、四角い虹色に輝くシャボン玉の膜のような扉を作り出した。そのまま彼女は前に進むとその空間の向こう側に行き、扉は縮むと先輩の姿も消えていった。
「……帰るか」
俺はもう一度コンビニに向かうことにした。とびきり苦い、冷たいエスプレッソを飲みたくなったのだ。