1-30 ほかの地域に住んだ事のある作者からすれば、鳥取のちくわ売り場は……異常です
「そういえばここは電気が通っているんだな」
俺はキャシーのほうをちらりと見て言った。店内には明かりがあるし、ちらっと目視したがスタッフルームの隣の別の部屋には動画を編集するための機材やパソコン、ゲーム機器も置かれていた。
「ええ。快適な環境でしょう? 一部は自分の作った機械もあります」
自慢げにキャシーはドヤ顔をする。最近は女性でも機械に強い奴は多いが工業系の高校にでも通っていたのだろうか。だがサバイバルには有益な情報なので脳内メモにしっかり太字で記しておこう。
「荒木の一族はほとんど理科系なんすよ。高校で理系の教師をしてたりとかどこぞの研究所に勤めてたりとか、あとは軍事メーカーとか。そんな感じなんでみんな家電量販店のしょぼいものを買うよりも趣味で家電を作ってたりするんすよ」
「しゅ、趣味で家電って作れるものなの?」
棚を動かしていたピーコは驚いた様子で尋ねた。
「ええ、意外と作れますよ。ちなみにこのパソコンは自分が作ったっす」
「いや、それよりも」
荒木の一族のチートなスキルも気にはなったがそれ以上に気になる事があった。
「教師と言っていたが、それはもしかして星鳥東高校の荒木智子や荒木希典って名前か?」
俺はずっと気になっていた事を聞いたのだが、キャシーは少し驚いた顔をした。
「おや、ご存知でしたか。もしかするとトオルちゃんたちは」
「ああ、そこの生徒だ」
「なーるほど。これも運命っすかねぇ」
「?」
「運命って?」
キャシーは感慨深そうな顔をしていたが俺はその真意を測れないでいた。
「やっぱりともちゃん先生や希典先生はお前の親か姉かなんかなのか?」
「希典さんって学校の七不思議になってるよね」
俺は正直先生たちのことをほとんど知らない。ともちゃん先生は未婚で20代後半ということは知っているが希典先生に関してはほとんど知らない。あの変態的な性格だから多分妻子はいないとみんなが思っていたが、年齢も含めて彼の詳しい情報を生徒や職員は誰も知らないのだ。ピーコが言ったように俺もちらりと学校の七不思議で希典先生が語られているという話を聞いたことがある。それほどまでに荒木家は謎めいているのだ。
「ちょっと複雑な家庭環境なので説明しづらいっすねぇ」
キャシーは困った笑顔で言葉を濁して言った。触れられたくない話なのだろうか。
「なんか、すまん」
「えと、ごめん」
俺は取りあえず謝っておいた。ピーコもすぐに謝罪するがキャシーは慌ててフォローする。
「いや、別に深刻な家庭の問題とかはないっすよ。この間もDVD借りて映画の鑑賞会をしましたし。火星でゴキブリと戦うやつとか腹からラーメンをぶちまけて死ぬやつとか」
「あの監督の作品は家族で見るものでもないと思うが」
「うちの一族はみんなあの監督の作品を好きっすよ。特にアニメの実写×SF×あの監督は最強の方程式っす」
「イカれてやがるな」
「マイノリティの自覚はあるっすよ」
映画の趣味はともあれ楽しそうに語っていたので家族仲はいいらしい。地雷というわけでもなさそうだった。
「ところで私と親睦を深めるのもいいっすけど、トオルちゃんは先ほどからマルちゃんを気にしているようで。気になるのなら行ってみてはいかがです?」
「どうしてそう思う」
俺は一言もそんなことを言っていないのに先ほどから思っていることをキャシーに見透かされ思わずドキッとした。まさか心の内を読む異能があるわけでもないだろうが。
「それだけレジのほうをチラチラ見ていたら、ねぇ」
「そうか。まああんな事をしたからな。なんとかしたいつもりだ。いや、なんとかするつもりだ。しこりを残すと面倒だからな」
「確かにそうっすねぇ。こっちとしても早く仲直りしてほしいので行ってきていいっすよ。ところでどうでした? マルちゃんの胸は」
「ど、どうだったの?」
セクハラ親父のように嫌らしい笑みを浮かべるキャシーと、少し非難するようなピーコに俺はため息をついて回答する。
「ノーコメントで。だがお言葉に甘えて行ってくる。悪いな」
「いえいえ~」
いたずらっ子のような笑みでキャシーは軽く手を振り、俺は背中を向けて歩き出した。しかしキャシーはこの不和を案じているように見えるがどこか楽しんでいるように思えるのは気のせいだろうか。ある意味ではマルクスよりもずっと謎めいた人物なのかもしれない。
俺はさっそく入り口付近に向かうがそこにマルクスはいなかった。破損したレジは既に当初あった場所にはなく、適当に棚や段ボールを置いた程度のバリケードの貧弱な部分を補強するように窓際に置かれて再利用されていた。
彼女はどこに行ったのだろう。脳内マップで確認すると店の隅のほうにいるらしい。どうしてそんなところにいるかはわからないが俺はそこに向かう事にする。
レジ周辺からそこへの道のりは一本道で両サイドには飲料やお菓子が置かれている。アオン同様商品はいくらか物色されていた形跡があるが4人が消費するには十分すぎるだろう。むしろ食べきれないほどの量だ。
キャシーは俺たちを受け入れてくれたがこの潤沢な食料に先行きを楽観視したのだろうか。多いといっても決して物資は無限にあるわけでもないし在庫が補充される事はもうない。正直マルクスのほうが正しい反応だと俺は思っている。
タダより高い物はないとはよく言ったものだ。襲撃者の俺たちをつまみ出さず、ピーコの姿を見ても動揺しなかったし話した感じでは悪い奴ではなさそうだったが正直俺はまだ疑っていた。たとえいい人間だとしても結局は他人なのだ。命の危機に瀕したときに助けてはくれないだろうし俺もリスク次第では助けるつもりはない。
そんな事を考えていると店の隅にたどり着く。このあたりのコーナーはモンキでは少ないながらも生鮮食品を扱っているスペースで近付いてすぐに生臭い匂いが漂う。冷蔵設備が稼働していないため放置された魚や溶けた冷凍肉から鼻を引きちぎるような悪臭がしたので、さっさとこんなところからは離れたかった。
マルクスはどうやら練り物コーナーの前にいるらしい。手元に何かを持ってじっと立っているようだ。
「何しているんだ、マルクス」
「ッ!」
完全に手元に持っていた何かに気を取られていたらしく彼女はひどく驚いた様子でこちらを振り向く。驚いた表情はすぐに警戒したものに変わり、彼女はいつでも背中に背負った得物を抜けるよう視線をちらりと持ち手に向けた。
「我が何かを為そうとしてそれが貴様に関係あるのか」
「関係は、ないっちゃないが」
元々コミュニケーションが苦手な俺で、彼女も多分そうなのだろう。コミュ障2人を対面させて、しかも相手は敵意を向けていて友好を深めれるわけがない。こんな時ピーコなりキャシーなりがいれば違っていたのだろうが今からでも連れてくるべきだろうか。
ただどんな話題を切り出そうかと悩んでいると、俺はマルクスが手元に持っていたものに理解が出来ず思わず顔をしかめた。
「ところでマルクスは何でちくわなんぞを持っているんだ?」
マルクスが持っていたのは一袋5本入りの100円もしない安いちくわだ。消費期限間近で半額と書かれた黄色いシールが貼られていた。もっと言えばこのシールが貼られたのはゾンビハザードの前なのでとっくに消費期限は過ぎているだろう。
「やらんぞ」
マルクスは奪われてたまるかといった表情でちくわの袋を背中に隠す。獲物をしとめた時のヒグマのようにかなり収穫物に執着しているようだった。
「いや別にいらんけど」
なぜ彼女は俺がちくわが欲しいと思ったのだろうか。なぜその結論に至ったのだろうか。俺は混乱しながらも彼女に至極当然の疑問をぶつける。
「まさか食うのか? 確実に消費期限切れだぞ。しかも冷蔵設備が停まってる中で」
「ギリいける……と思う」
予想通りちくわを食べようとしていたようだった。
俺はなぜかデジャヴを感じていたが、呆れながら彼女を説得する。
「マルクス、こんな世界だ、変異した強力なゾンビや、正気を失って暴徒になった人間に襲われて死ぬ事もあるだろう。場合によっては自然災害や病気もあるかもな。しかしゾンビものの映画でちくわを食って食中毒で死んだなんて聞いた事がないぞ」
「ああそうだ、我は魔族だ、食中毒になどにならん」
「冷静になれ。もっと食い物はほかにある。ちくわなんて命懸けで食べるものでもないだろ。ちくわだぞ」
「ちくわは命を懸けてでも食べる価値があるものだ」
どうやら魔族の思考回路は恐ろしく人間と乖離したものらしい。少なくとも俺はちくわに特別な感情は抱いていない。
いや、確かに鳥取県民は毎年のようにちくわの消費量が全都道府県で1位になっているが……彼女は生粋の鳥取県民らしい。
「ま、冬だし確かにギリいけるかもしれないが。袋の上から触ってどんな感じだ?」
「なんかぬるってしてるな」
少ししょんぼりした様子で、マルクスは目の前に袋を持ってきてぷにぷにと触って言った。
「ならやめとけ。けど日持ちがしないって言っても意外と早いな。一応冬なのに」
「ああ、店頭にあったやつは既に平らげた。これは廃棄されたものが集められているダンボール箱の中から漁ったものだ。外に放り出せば臭いでゾンビが集まるかもしれんという事で生ものは全部一時的にここに捨て……いや、集めていたのだが」
魔族はちくわを食べるためならゴミ漁りもするらしい。恐るべき執念だ。ゾンビが果たして腐った生ものに反応するかはわからないが、少なくともカラスやネズミと言った害獣は寄ってくるかもしれないので、すぐ近くに捨てるのも好ましくないし一時的なら妥当な判断だろう。
「なおさらやめろ。確実にもう傷んでる」
「むう」
俺の説得でようやく諦めたようだが、大好物を目の前にシュンとした彼女に魔族の威厳は全くなくどこか愛らしさすら感じた。
「おかえりっす。どうでした?」
「どう?」
まだ棚を戻す作業をしていたキャシーとピーコが結果を気にしていたらしく、戻ってきた俺にすぐに声をかけてくる。
「ん? あ、そうか」
ちくわのインパクトが強くて俺は当初の目的を忘れてしまっていた。だがどの道あれでは親睦は深められなかっただろう。
「前途多難、かな」
俺は適当にそう言っておいた。
「そっかあ、トオル君もマルクスちゃんと仲良く出来るといいんだけど……」
既にある程度親しくなっているピーコはそこまで深刻には考えていないようだった。大方放っておけばなんとかなると思っているのだろう。




