1-2 ともちゃんとの進路相談。夢より金です。
生徒指導室は職員室の隣にある。だがノックしても返事がなく、生徒指導室の中をうかがうが先生はいなかった。
そこで職員室に戻り軽くノックし、失礼しますと言って中の様子を見る。
授業は終わったが先生はまだ仕事があるようで忙しく何かの作業をしているようだった。プリントの作成か授業の準備かは知らないが低賃金でご苦労なことだ。
ともちゃん先生は自分の机で何かの作業をしている途中だった。俺と目が合い気付いた先生がつかつかと歩いてくる。
「ようやく捕まったか……」
自分で呼んだくせに先生は面倒くさそうな表情をし、不満そうに頭の後ろをかいてため息をつく。
身長は小学生ほど、トレードマークの白衣を身にまとった先生が俺のクラスの担任の荒木智子先生だ。生徒は大体ともちゃん先生と呼び生徒との距離感は近い……というか若干舐められている節がある。
世の中のマンガとかには飛び級小学生からのロリ先生とかがいたりする。もちろんああいうのはフィクションだ。だが目の前にはそれを体現したかのような先生がいる。
もちろん既に成人しているし飛び級小学生ではない。しかし見た目も性格も子供な彼女が本当はそうなのではないかと生徒の間ではもっぱらの噂だ。ちなみに彼女は酒を飲むのが好きなのだが、購入の際にほぼ確実に店員と揉めるのが悩みだそうだ。
「どうせ進路指導ですよね。それとも授業態度ですか」
「わかっているなら改めて欲しいもんだ」
「どっちをです?」
「両方だ。まあいい、さっさと行くぞ」
そう言って俺は先生と職員室を出て隣の進路指導室に向かい部屋に入ってそれぞれの席に着く。狭い部屋で俺は先生と向き合いなんとなく苦笑した。
「なぜ笑う」
「ともちゃん先生、機嫌悪そうだなと」
「お前がその理由なんだがなあ。私はさっさと家に帰って缶チューハイ片手に世界を救うためにレア素材集めをしないといけないんだ。イベント今日までなんだよ」
「ネトゲの話ですか」
「ああ。金に物を言わせた重課金勢をのさばらせてなるものか!」
激高しながら高らかに言う先生は今日も平常運転だった。まあ、こんな感じの人だ。
「いい加減進路を決めてくれ。いや、せめていい加減まともな回答を紙に記載してくれ」
そう言って不満げな先生が出したのは俺がいつぞやかに提出した進路希望調査票だった。
「金持ち、社長、アラブの石油王……お前は本当に進学校の生徒か? 思いっきりアホな学生の回答じゃないか」
「考えに考え抜いた結果です」
「ともかく、アラブの石油王は無理だな。これはまず血筋が必要だ。お前が実はそういうやんごとなき身分で王位継承権があるなら別だが。今のところ王族が全員暗殺されてお前が王様になることになって、世継ぎを残すために若い女がたくさんやってきてハーレム展開、なのはないだろう?」
そんなハーレムものにありがちな設定を言ったあとともちゃん先生は第三希望を斜線で消す。こうして無慈悲にも俺の未来の可能性の一つが潰えたのだった。
「社長だが何かやりたい仕事はあるのか? これが比較的、実現可能性は高いが。いや比較的だがな」
「そうですね、適当に起業して絵画とか買いあさって女優と月に行きたいです」
「破局したがな。そのあとは動画配信でもするのか?」
ちなみに俺は社長にはならなかったが、近い未来動画配信に携わる事になるとはこの時は思いもよらなかった。
「……ともちゃん先生も薄々気付いていると思いますが適当に書きました。何なら異世界転生して世界を救うって書きましょうか。っていうか今更進路ですか。もう3学期ですよ。遅くないですか」
「あのなあー。お前が毎回毎回適当にあしらうから3学期になったんだ」
先生はもう相手をするのも面倒くさそうに、深い深いため息をついた。
「おい、お前。この前の全国模試。全国何位だった?」
「1位でした」
さらりと言った俺に先生は再び機嫌の悪そうな顔をする。
「ああ。その気になればどんな選択だって出来る。どんな大学だって行けるしその気になれば起業も出来るだろうさ。上手く行けば女優と月に行けるかもなぁ。そうだ、お前は学園始まって以来の天才だ。そして同時にサボりの目立つ問題児でもある」
「結論から言うと俺は何もしたくありません。働いたら負けだって思ってます」
俺の舐めた態度で先生はイライラのピークに達したようで机をバン、と勢いよく両手で叩いた。
「現代社会問題の鑑だな、お前は。今はやりの高学歴ニートという奴か。私もそんな生き方がしたいけどな! 学歴なんてクソくらえだ! クソの役にもたたん!」
「堂々と言わないでください。仮にも教師なら」
「ああそうだ働きたくないよ! ずっと家でぐーたらしてたいさ! 学校がこんなにブラックな職場だって思わなかった! お前も教師になれば労働基準法の抜け道が勉強できるぞ! あーもう、なぜ人は働かなければいけないのか! 私は働かない権利を主張する!」
「先生ー?」
「……は、私は何を」
何か鬱憤が溜まっていたようで滅茶苦茶社会人としても教師としてもどうかと思う発言をひとしきりしたあと我に返ったがここはスルーしておこう。俺もさっさと帰りたいし。
「ともかく俺は高学歴ニート、いえまだ高学歴ではないですが、それなりの大学に行けば遠からずそうなりますね。先生も学校も取りあえずいいところに行ったっていう実績を作れば文句ないでしょう。進学校ってそういうもんですよね。卒業後なんて学校に関与される筋合いはないでしょう? 進学校はいい大学に行かせるために存在するんですから」
屁理屈をまくしたてる俺に心底先生が呆れていくのが分かる。
「建前はあるが実際それが本音だから学校としては問題ない、私の立場的にもな。けどそうじゃないだろ。私の言いたい事はだなあ……大体お前のとこは母子家庭だろ。ニートだって金がかかるぞ? すねをかじるのか?」
「厳密には叔母ですけどね」
俺の家庭事情はちょっとややこしく叔母が保護者になっている。まあそれは後述しよう。
「あと、金なんですけど。当てはあります」
「ほー、言ってみろ。確か保護者さんはそれなりに財力があるみたいだが、そこからはダメだからな? わかるだろ言ってる意味」
さっきからイライラしっぱなしの先生に俺はスマホを取り出す。一瞬先生は不思議そうにしたが何かしらの意図がある事を理解し何も言わなかった。
「俺が高一の時です。株のシミュレーションをやりました。知識のない状態でチャレンジするのは心配だったので。ちなみに実際のお金を使わないこと以外は実際の株取引と条件は同じです。実際の株価の動向で取引出来るんです」
スマホの画面をスワイプして見せながら俺は先生に説明する。
「そしてある程度感覚がつかめたので高二からは実際のお金を使いました。それで今の資産がこんな感じです」
「なあ、この金。通貨単位はどこだ? ジンバブエドルか?」
ぱちくりと目を瞬きさせた先生は画面に表示された現実が受け入れきれず固まっているようだ。
「円です。見ての通りニート生活には問題ないと思います」
「久世」
「はい」
「学校を卒業したら先生と結婚しないか?」
先ほどまで俺の言動に不機嫌だった先生がどこへやら突然求婚をしてきた。そのつぶらな目を¥マークの形にして。
「私は前からお前のその人生省エネ主義なところが好きだったんだ! お前小さい女の子に興味はあるか!? ロリコンなんだよな、いやロリコンになれ! ランドセルを背負ってもリコーダーを吹いてても私なら合法だぞ! 18歳以上だからセーフだ! 私と結婚して養ってくれ!」
「教師としては最低の発言ですね。ちなみにこれを見てわかる通り進路希望の第一希望の金持ちはクリアしてますよ」
目をキラキラと輝かせる先生に俺は苦笑して言い放った。
「労働がお金のために必要な行為なら俺はそれをする必要はありません。この金で家族も養えます。何か問題でも?」
「う、むむむ……いや、違う、そうじゃない!」
先生は両手で頬を叩き再び我に返る。今度は先ほどまでの不機嫌な顔でも金に目がくらんだ目つきでもなく教師らしい真面目な表情だった。
「ニートになってお前は何をするんだ。何かする事はあるのか」
「そこなんですよね。世のニートは何をしているんでしょうね。音楽活動やネトゲとか色々あるんでしょうけど俺は本当に何もないんですよね。趣味はコーヒーを飲むくらいでしょうか」
「そこが本質なんだよな。コーヒーが好きならバリスタとかか? 適当な会社に就職してコーヒーの製造や販売にかかわるのもありだしそれだけの金があるなら道楽での喫茶店の経営もできるだろうさ。喫茶店の経営は難易度が高くて大体はすぐ潰れるがその資金力があれば赤字でも何の問題もないだろう」
「俺のはそういうのじゃないです。自分で飲むのが好きなだけです」
「そうなんだろうなぁ。わかってるさ。お前はそうなんだよな……はぁ」
ああ、やっぱりそうだ。今先生はため息をついたがそれは才能を腐らせていることで嫌味を言われる彼女自身の立場を憂いたのではない。死んだ目の俺の事を憂いてため息をついたのだ。
そう思った根拠はその言葉を言ったときの先生がどこか優し気な……昔亡くなった俺の母親のような目をしていたからだった。
「お前は何もない。働きたくないんじゃなくてやりたい事がないだけだろ。本当に生きてるって感じがしないんだよな、お前からは」
「そうなんでしょうね。よく言われます。透って名前の通り透明でしょう、俺の魂の色は」
「名は体を表す、か。私にはその魂の色とやらは見えないがそうなんだろうな。ああ、この際ニートでもいいさ。道楽の喫茶店のマスターでもネトゲ廃人でもいい。死にながら生きているよりはいいさ」
死にながら生きている。
先生のその言葉は俺の胸にズシン、と重くのしかかった。
わかっている。わかっていたさ。俺が何もない空っぽな人間だって。
名門大学に行こうがそれなりの会社に就職しようが何も変わらない。それらの肩書は見栄えはいいが上辺だけしか飾る事が出来ない。自分には何もないんだ。
「先生は」
「ん?」
「先生は生物の先生ですよね」
「そうだが。化学や物理の教員免許も持ってるがこの学校では生物教師をしている」
先生は何を当然のことを聞く、と不思議そうな顔をする。俺は答えが欲しくてぽつりとつぶやいた。
「人の心ってどこにあると思いますか?」
「何だ突然。哲学は専門外だぞ」
俺の言った言葉に先生は怪訝そうな顔で返事をする。
「科学的に、で構いません」
「夢のない言い方をすれば脳だな。詳しく話すと長くなるが聞きたいか? 金が貰えるレベルの講義をしてやろうか?」
ともちゃん先生は教師としては問題があるが名門大学を首席で卒業し、その頭脳は学校の教員に収まるものではない。提案に応じればおそらく第一線の大学教授の講義とそん色のないものが受けられるだろう。
「いいえ、俺も大体知ってます。前に本で見ました」
「ならどうしてこんな質問をした。無駄な事が嫌いなお前が」
「……いえ、やっぱりいいです。もう帰っていいですか?」
「質問に答えてないぞ」
「俺が叔母に育てられてる理由、把握してますよね。そこから推測してください。ぶっちゃけお悩み相談をするには俺と先生はそこまで仲良くなかったって今気付きました」
「……そうか。ああ、もう帰っていいぞ」
俺とした事がしゃべりすぎた。人と関わる事が何よりも嫌いな俺が。
だがそんな俺でもともちゃん先生に関しては本心を見せそうになる。他の教師は生活態度や生徒との距離感に文句を言うものがいるが俺にとっては、今まで出会った教師では比較的、いやおそらく一番信頼しているんだと思う。
椅子から立ち上がり俺はそのまま生徒指導室を出ようとする。しかしドアに手をかけた時――背後から声がした。
「また、進路指導するからな」
「答えは変わりませんよ」
先生はぶっきらぼうだが優しさの混じった声を出す。俺は後ろを振り向かなかったが少しだけ足を止め思わず微笑んでしまった。
多分次の進路指導でも答えは変わらない。俺の心が何もないままならば。こればかりは先生にも、いや誰にだってどうする事も出来ないのだろう。
俺は扉を閉めて部屋を後にする。学校での日常の終わりを告げる夕日の光が誰もいない廊下を染めていた。