1-1 ルート・世界崩壊エンド
――星鳥東高等学校2年2組の教室、久世透の視点から――
放課後、教室の左奥の隅で一人、窓から見える景色を眺めていた。
何があるわけでもない、市街地から離れ、敷地内の賑やかし程度の枯れ木の先、学校の塀の向こう側にはたまに車が通る道路と枯れた田んぼ、いつも通りの何もない風景だ。時期ももう3学期で冬というものも拍車をかけているのだろう。
もちろん春になれば桜の花が咲くし希望に満ちあふれた新入生も入学する。田んぼも種まきをしやがては金色の稲穂を実らせるだろう。しかしそんなものは俺には関係なかった。
世の中にはぼっちという人種が存在する。俺はその部類に入るのだろう。普通の人間に興味がない謎の少女に巻き込まれ超常的なものを調べる妙な部活を作るでもなく、スポーツの才能に開花するでもなく、トラックにはねられ異世界に転生するでもなく、何もないまま2年が過ぎた。
無慈悲に流れる日々の中、俺はただそこにいるだけの存在だった。
名は体を表すと言うが透という名前は空虚な俺にはぴったりだろう。無色透明、世界に認識されない、ただ生きているだけの人間だ。
得意の打算と計算を使い人付き合いを最小限に済ます事で俺は敵を作る事はなかった。その対価として心から信頼出来る味方も出来なかったが、俺はその事を後悔していない。
人間関係という複雑怪奇で理解出来ないものが煩わしい俺にとってはそのほうがよかったのだろう。だが少し虚しく思っていた。
さて、このままここにいても仕方がない。今日も意味なく部室に向かうとしよう。
教室を出てわずかに残って談笑する同級生には目もくれず廊下を歩いて行く。何度も何度も通った道だ。代わり映えのしない灰色の光景だった。
俺は無心で3階に上がり最奥にある映像研究会の部屋に向かった。
ドアを開けた先に広がる風景は部屋とは名ばかりの6畳ほどの倉庫まがいの部室だった。いつ見ても寂れている。
ただ一応、数少ない部員……幼馴染兼唯一の後輩部員のピーコこと柴咲一花がちょこんとパイプ椅子に腰かけ、粗末な机の上に数学のプリントを広げうんうんと考えこんでいた。
「あ、トオル君」
「ああ、先輩は……いないな」
わかりきった答えだった。部屋に彼女しかいないのは見ればすぐわかる。そしていつものように彼女は困った笑顔をした。
「今日も、バイトで、ね?」
「バイトか。なら仕方ないな」
それが嘘であることは俺もわかっている。そこまで偏差値が高くないとはいえ進学校のここで3年のこの時期にバイトをする奴はあまりいない。就職する奴もいるにはいるが大抵は受験戦争に備え血眼でラストスパートをかけている。
ピーコの姉で、元生徒会長にして部の先輩でもある咲桜先輩はいつもバイトで忙しい。正確にはバイトとカモフラージュした何かだ。だがそれをピーコが俺に教えてくれることはないしたぶん彼女自身も詳しく知らないだろう。
特にここ最近は学校にすら来ないことも多い。真面目な先輩ではあり得ない事だった。
すでに引退したとはいえもしかしたら部室に来ているのではないか。そんな期待を抱き、裏切られ続けもう3学期になった。
「先輩も大変だな」
「……うん、そうだね」
俺がぽつりとつぶやくとピーコは申し訳なさそうにそう言った。
先輩から話さないなら仕方ない。俺は所詮その程度の人間という事だ。それに先輩のバイトというのも察しがついていないわけではない。厳密にはバイトというのも嘘ではないかもしれない。俺の荒唐無稽な推測が当たっているのなら。
「まあいい。そんじゃ俺は帰るぞ。あとこんな埃臭いところじゃなくて家で勉強したほうがいいんじゃないか」
ピーコは誰もいない部室で何かしらの理由をつけいつも時間を潰している。俺と違い友達はちゃんといるというのに。
「う、うん、そうだね。それじゃあ気を付けてね」
彼女は俺の意見に対し、寂しそうな顔で当たり障りのない言葉を言った。
明日も誰もいない部室で彼女は俺を待ち続けるのだろう。彼女を顧みず自分の姉を探し続ける冷徹な幼馴染を。
「……勉強、手伝ってやるよ。どうせ暇だしな」
見るに堪えれず俺はそう言ってしまった。
「え、いいの?」
俺がそう言うとピーコの顔がぱあっと明るくなる。本当に昔から分かりやすい奴だ。
「答えだけ言うと、最初の問題から15、20、88だ。後は……」
「ちょ、ちょっと待って? 答えだけ教えてもらっても……式とかも書かないと」
最短で答えを提示したというのにまたしてもピーコは困り顔になる。プリントは1年間のおさらいらしく、2次関数から統計等幅広く出ているようだ。
「2次方程式くらい頭の中で解けるだろ」
「トオル君はそうかもだけど式も書かないとダメだから」
「何でわざわざ向こうのルールに合わせないとダメなもんかねぇ」
「そういうものなの。それにそもそも答えだけを教えるのは勉強を手伝うって言わないよ」
俺は不満をつぶやいたがそれが点数を上げるためなら仕方ないだろう。ピーコの抗議を受け入れ普通の人間に沿ったやり方で勉強を教えるとするか。
ちなみに俺は授業はほとんど聞いていない。にもかかわらず勉強はそれなりに出来るほうでそのために先生からは嫌われていたりする。
ともかく、しぶしぶ俺はピーコの隣にパイプ椅子を置き点数を取れる形式での勉強を教えることにした。どの式にどのような方程式を使えばいいのかはすぐにわかるので適切なヒントを提示する。
……………。
「ふー、ありがとう! おかげですぐに終わったよ!」
最初の寂しそうな顔がどこへやら、宿題を終えたピーコの表情は明るいものだった。ここ最近つき合いの悪い俺のせいで悲しませた分を多少なりとも埋め合わせ出来たのだから良しとしよう。
「ああ。途中式を書かなきゃ2分で終わったけどな」
「だからそういうものなんだって」
「そうなんだろうがまったく非効率だ。削減できる所は削減したほうがいいだろうに。じゃさっさと帰るぞ」
「うん!」
もう学校に用事はない。ちなみに何も言っていないがいつの間にか一緒に帰る空気になった様だ。だが特に拒否する理由もないので俺は彼女の前に向かい歩き出す。
俺たちは部室を出るとピーコが鍵をかけ一緒に昇降口に向かう。
「ああ、そうだ。俺は帰りにすなばっかによるつもりだが。無性にあの店のコーヒーが飲みたくてな。お前はどうする?」
「うん、それじゃあ私もそうするよ」
それが、さも当然のようにピーコは二つ返事で俺についていくことを選択する。俺はそうかと短く言ってそのまま歩き続け彼女は子犬の様についてくる。
そして廊下を歩き、階段を降りる途中悪友の同級生に会った。
「やあ、トオル。相変わらず死んだ目をしているね。とても青春を謳歌している高校生には見えないよ。今にもワイドショーを賑わせる事件を起こしそうだ」
と、出会って早々失礼な発言をする彼は俺の数少ない友人の澄州銀二だ。いたずら好きな小悪魔のように微笑む彼は一見すると美少女でごく一部には彼に恋心を抱く男子生徒もいるそうだが俺は違うぞ?
そう、言葉通り一部だ。彼に好意を寄せている人間はほんの一部なのだ。
「お前は毒を吐かないと生きていけない人種なのか。で、何か用なのか」
「トオルだからだよ。それに用がなければ話しかけちゃダメなのかい? まあ用はあるんだけどね。ああ、一花さんもこんにちは。すぐにさようならだけど」
「あ、こんにちは、です」
ピーコはほかの生徒が彼にそうするように銀二に対して距離を置いている。最低限の礼儀を払い俺の後ろに隠れてしまった。
銀二は一年の時から生徒会で書記を務めている。つまり銀二と咲桜さんは生徒会の先輩後輩でもあったのだ。
もちろん咲桜さんの妹のピーコとも面識は多少なりともある。なお柴咲姉妹は苗字が同じなので同級生であろうと俺以外のほとんどの相手を余所余所しく名字で呼ぶ彼も下の名前で呼んでいる。
地元の旧家の次男坊でルックスもそれなり、品行方正で文武両道と彼を上辺だけで見れば友人にするのには申し分のない人間だ。
だが彼の笑顔は一部のマゾの男性には好評だが何かしらの嫌悪感――早い話、恐怖を感じさせる何かがある。その何かは具体的に説明出来るものではない。仮面の下に隠された何か悍ましいものが本能的に理解出来るのだ。
もっとも俺はそんな人ならざる彼に惹かれるものがあった。同じ社会に適応出来ないはみ出してしまった存在として。だから友人を続けられるのだ。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。別に取って食おうってわけじゃないし」
「あ、いえ、そんなつもりじゃ、すみません」
ピーコはすぐに非礼を詫びるが銀二は彼女に対する興味を失った様で俺に話しかけてくる。
「君は今日も振られた先輩を探しているのかな。あまりやりすぎるとストーカーになるよ」
「振られたわけじゃない。それにまともに連絡も取れないんだ。学校にもここ最近来ていないし……心配なのは当たり前だろ」
「どうせもうすぐ先輩は卒業さ。どうでもいいんじゃないかな」
銀二の今俺に向けられている笑みをカテゴリ分けするなら嘲笑だろうな。この醜悪な笑みを見て彼と仲良くしようとする人間は去っていくのだ。
「普通に不良と付き合ってるとかそんなんじゃないかな。真面目な様で今までも結構学校をサボってるし。品行方正な生徒って思っているのは君だけかもよ」
銀二にとっては咲桜さんは親しい先輩のはずだがそんな事を言う。流石に怒りを覚え何か言い返そうとすると、
「……私も、ですよ。お姉ちゃんは悪い事とかはしてません」
先ほどまで怯えていたピーコは勇気を出して抗議の声をあげた。
「ああ、ごめんごめん。ちょっとトオルをからかいたかっただけなんだ。好きな子ほど虐めたくなるっていうでしょ?」
「え、ええ!?」
クスリと笑う銀二に彼女は驚愕した。こういう少し怪しい発言、いわゆるあちら側な部分だけは俺も未だに慣れない。
「と、トオル君……どうなの? 男の子に興味ってあるの……? だ、ダメじゃないからね? 私はどんなトオル君でも受け入れるよ……」
ピーコ、困惑しながら優しく微笑むな。そういう優しさはいらない、誤解だからな。
「俺はノンケだ。そういう話はほかの奴にしてくれ。お前もこのアホの冗談を真に受けるな」
「ああ、まだ怒ってる? ごめんね、僕だって咲桜さんを信じているよ。同じ生徒会の人間だったから、多少なりとも人となりを知っているし。それに大体の事情は推測出来るよ。君たちがそう思っているように」
そこでようやく銀二は普段のまだマシな笑顔に戻る。微妙に信じられないが話が進まないのでそういう事にしておこう。
だが大体の事情を推測していたのか。俺の思っている事と同じかはわからないがともあれ先輩を信じているならそれでいい。
「けど、咲桜さんルートはもう無理じゃないかな。この手のものはエンカウントが大事だから。フラグを回収し損ねたね」
「何の話だ?」
わけの分からない事を言って……いや何となく意味はわかるが、銀二が浮かべた笑みは既にいつも通りの友人に向けられるものだ。
確かに彼の心の中に黒いものはあるかもしれないがそれだけだ。ストレス社会の日本じゃ心に闇を抱く人間なんてありふれた存在だろう。彼はそれがほかの人間よりも少し濃い色なだけで。
「何でもないよ。もうこの際だから一花さんルートに軌道修正をすればどうかな。最初から好感度マックスだよ」
「え、えと、私とトオル君はそういうのじゃないです」
ピーコはおずおずと恥ずかしそうに言う。恋人関係ではないというのは俺も同意見だがはっきりと否定されるのはそれはそれで少し寂しいものがある。
「幼馴染なんだっけ。人と距離を置くトオルがピーコなんてあだ名で呼んでるし、そっちも先輩なのにトオル君って呼んで。TPOによって呼び方は変わるみたいだけど。というか何でピーコってあだ名なんだい? ずっと不思議に思っていたけど」
「本名が克昭だからだ」
「私女の子だよ!?」
すかさずピーコはツッコミを入れる。もっと試してやるか。
「いつもピンクの衣装でカメラを持ち歩いているからだ」
「それはパ〇子さんだからね!? ハッハーしないよ!?」
「サッカーのワールドカップで日本代表を初の決勝進出に導いたからだ」
「ジ〇コさんでもないよ!? ペ〇さんの認めた一番の天才じゃないからね!?」
「不正解、ト〇シエだ」
「むー……って、サッカーの事よくわからないし」
「にしてはなぜペ〇のくだりを知っている」
ぶーぶーと不満そうなピーコを温かい目で見ると銀二に説明する。
「こんなふうにピーピー騒ぐからだ。つまりは克昭の芸名の由来と同じだな」
「とりあえず仲がいい事はよくわかったよ」
ふふ、と銀二は笑うと当初の目的を思い出したようで、あ、と短く声を出す。
「そうだ、トオルいじりに夢中になって忘れてた。智子先生が探してたよ。生徒指導室に来いって。何かしたのかい?」
「ともちゃん先生が? ああ、多分進路か。授業態度かもしれないが」
荒木智子先生は俺たちのクラスの担任の化学教師だ。この学校にはもう一人荒木という名前の男性の先生がいるので下の名前で呼ばれることが多い。もっとも例え荒木姓が一人でもどちらも下の名前で呼ばれるだろう。親しみやすいと言えば聞こえはいいが威厳がまるでないからな。
「まあそういうわけだ。コーヒーはまた今度な。長引くかもしれないから」
「うん、しょうがないよね。じゃあ、先に帰るよ」
残念そうに言うピーコに少し罪悪感を覚えるがこればかりは仕方ない。ぶっちする事も出来なくはないが先生が呼んでいるなら行ったほうがいいだろう。
俺はピーコたちを残して生徒指導室のある1階に向かうことにした。
「また明日、トオル君」
「ああ」
ピーコはちょっと寂しそうな笑顔で俺に手を振った。俺は軽く返事をして身を翻し、階段に向かうのだった。