3-3 因幡の白兎との邂逅
そして俺は二階に踏み入れる。そこにはゾンビはいない。
だがテラスの方面からその反応があった。俺がその事に気が付いた途端おぞましい視線を感じる。
それは獲物を狙う捕食者の視線だ。奴は俺たちがここに来た時からずっと監視していたのだ!
ドクン、ドクン……!
心臓が破裂しそうなほど鼓動する。それは久しく味わっていなかった恐怖の感情だ。この先に恐ろしいなにかがいる。
「どうしたの、トオル君?」
「来るなッ!」
「ピッ!?」
背後からピーコの声が聞こえ俺は振り向くことなく叫ぶ。目線をそらしてはいけない、その瞬間奴が襲い掛かってくる。
けれどもここにピーコがいる以上殺されるとわかっていても退く事は出来ない。俺は意を決して脳の警告を無視してテラスに走る!
そして、今か今かと罠にかかる獲物を待ち構えているかのようにそこに奴がいたんだ。
「わー、怖がらずに来たんだ、えらいねえらいねー!」
そいつは露出の多い地下アイドルのような衣装にウサギの被り物をした奇妙な出で立ちだった。彼女は被り物の下で無邪気に笑っているようだがそれはどれほど恐ろしい笑みをしているのだろうか。
「なんの騒ぎだ、って」
ナビ子がほかの機体を通して余計な警告をしたのかだらずチャンネルのメンバーも集まってくる。この声はともちゃんか。だが彼女はこいつの恐ろしさに気が付いていないようだった。
「お前は……何者だ?」
俺は慎重に目の前の異形の存在に尋ねた。少しでも選択肢を間違えれば殺されてしまうかもしれないのだから。
「私? 私はね、終末アイドルの因幡の白兎だピョン! 頑張ってるトオル君たちの事が気になって、様子を見に来たんだ!」
因幡の白兎。彼女はそう名乗った。
簡単に説明すると因幡の白兎とは沖にある島に渡ろうとしてサメを騙し仕返しに毛皮をひん剥かれ、その後、大国主に助けられ、お礼に八上姫との仲を取り持ったという鳥取県民なら誰もが知っている神話に出てくる神の使いのうさぎの事だ。鳥取はそれを推しているので神話をモチーフにした銘菓も存在している。
白兎神社はそのウサギを祀る神社であるがそいつとこいつの関係性は不明だ。まさか同一の存在ではないだろうが。
「ナニコレ。またサイコパス? 終末の世界は変な人が多いなあ」
「ああいう路線に迷って変な事になった地下アイドル、たまにいるんですよねえ」
ゴンもキャシーも好き放題に言っている。彼女の恐ろしさが理解出来ていないようだ。彼女はウサギなどではないどう猛な肉食獣であるというのに。俺は刺激するなと強く願ったがその想いは届かなかった。
「あの……先ほどからなにを言っているのデス? ナビ子にはなにも見えないデス。そこに誰かいるのデス?」
どうやらナビ子は彼女が見えておらず混乱していた。ともちゃんはすぐに、
「は? いやそんなわけないだろ……?」
と、ちょっと怯えたような声を出す。
「まさか幽霊とでも言うのか? だとすれば随分と奇妙な幽霊であるな。いや、昔やったホラーゲームであんなウサギがいたが」
「ええ、チェーンソーとか斧とか銃を持って追いかけてきて。頭がデカいから対処はしやすいんすけどね」
「ピィ!? ナビ子ちゃん本当はちゃんと見えてるよね!? 幽霊じゃないよねあれ!?」
「いえ、本当に見えないデス!」
このコミカルでありながら得体のしれない存在に恐怖しているのは俺とピーコだけだ。だがナビ子に関しては熱暴走しているようなので彼女も含めるとしよう。
「因幡の白兎さん? 君は何者なんだい? 幽霊だとして刀で斬れるのかな?」
「うぅ~。まだ喧嘩はしたくないなあ。うさたんは楽しい事が大好きなんだ! 今日は挨拶だけだよ」
「なんか腹立つな、そのぶりっ子。そんなんだから売れないアイドルなんだよ。陰でウザ子とか言われるんだろうね」
「むーッ! ひどいピョン!」
ゴンがそう言って因幡の白兎は不愉快そうにわざとらしく両腕を上げてプンスカと怒る仕草をした。
「まあいいピョン、本当はこっそり顔だけ見て帰るつもりだったんだけど、トオル君が気づいちゃったから。お土産はなにも準備してないんだよね~」
「……なんでお前は俺の名前を知っているんだ。あといい加減その殺気をどうにかしてくれ」
そう。彼女は確かにトオル君と呼んだ。名前を呼ばれてこれほどまでに恐怖を感じた事は後にも先にもない。
「あ、そう? ごめんね? 今消すよ」
彼女が手を合わせて謝罪するようなポーズをすると即座に深海のような圧力は消え俺の心臓の動きは安定する。少しは呼吸が楽になったが俺は警戒を緩めない。
「怖がらせてごめんねー? すぐ帰るから。あ、白兎神社を参拝して出来ればお供え物とかもしてね! 美味しいお菓子とかね! そうすれば好きな人とせくすぃー出来るように縁結びをしてあげるよ! というか絶対お供えしてね! しないとお仕置きするからね! ばぁーい!」
「ピピッ!?」
因幡の白兎はそう言って、場の空気を引っ掻き回すだけ引っ掻き回してテラスから飛び降り、文字どおり脱兎の如く猛スピードで去っていった。
「だってさ、トオル。このあと神社に行ってみるかい?」
俺はようやく安心して振り向く事が出来る。ピーコが赤い顔をして銀二がニタニタとしている。いつもの光景に俺はふう、と安どのため息をした。
「しかしあいつは何者だ? 変異したゾンビであるのか? 害はなさそうだったが、まさか本物の因幡の白兎ではあるまい。我の知る限りあのような珍妙な格好ではないからな」
「参拝客を集めるためテコ入れに萌え系にしたかもしれないっすよ?」
「白兎神社はそこまで落ちぶれていないさ」
ともちゃんは苦笑してモノクルで去っていった先を見つめる。しかし俺と同じであとを追う事は出来なかったらしい。
「反応は無し……逃げ足の速い奴だな。さて、もうここには用はないが出発するか?」
「……いえ、折角ですから白兎神社に参拝していきましょう」
俺は正直気乗りせず一刻も早くここから逃げたかったがあの因幡の白兎とかいうバケモノの機嫌を損ねたくなかった。わずかな手間とお菓子程度で命拾いするならそれに越した事はないだろう。




