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2-89 ヒロインになりつつあるゴン

「ふー」


 選手の控室に戻り、着替え終わった俺は無骨なパイプ椅子に座りとびきり甘いカフェオレの缶コーヒーで一服していた。この鈍い痛みも、疲労も、無事に一仕事をやり遂げたかと思うと意外と心地よかった。


 そんな状況で飲むコーヒーは本当に美味い。疲労は味を格段に上げる最高のトッピングだ。


 俺はコーヒーを飲み終え長机に置くとテントから出る。日が暮れかけた会場では先ほどまでの熱気が嘘のように謎の黒子部隊や避難所の人間が後片付けをしている。


 いや、違う。片付けをしている人間は全員楽しそうだ。祭りは本番よりも準備の段階のほうが楽しいと言うが終わったあとも楽しいらしい。


 ちらりと周囲を見渡すと観客の避難民の男女と目が合った。どこかで見覚えがあるな、と思っていたがそれは最初に避難所に来た時に見た悲しみに暮れていた中年男性と若い女性だった。


 彼らは俺を見ると軽く会釈したあと、なにを思ったのかこちらに近づいてくる。そしてまず中年男性が声をかけてきた。


「さっき戦っていた人だね。いやあ、いい試合だったよ」

「はあ、どうも」


 二人の表情は最初に見た時とは異なり晴れやかなものだった。俺は素っ気なく返事をしたがまあまあ嬉しかったりする。


「俺は昔ボクシングをかじっていてね。本当に君、いい動きをしていたよ。君はどんな格闘技を経験してたんだい? コマンドサンボがベースみたいだけど」

「我流です。世界がこうなってから身を護るために動画で勉強しました」

「動画で!? すごいな、天性の才能があるらしい。前の世界なら世界を目指せただろうに」


 中年男性はひどく驚いていた。普通はそういう反応なのだろう。しかし動きを見ただけでベースの格闘技がわかるとはやはり経験者なんだな。


「ただなんにせよいいものを見せてもらったよ。最初はこんな状況でなにをやっているんだと思ったけど久しぶりにあのころを思い出したよ。これからはもうちょっと頑張ってみようかな」

「ええ、私からもお礼を言わせてね」


 二人は俺に感謝の気持ちを述べる。権蔵さんたちの思いが伝わったのならなによりだ。彼にもこの顔を見せてあげたい。


「けど格闘技経験のある彼はともかく、そちらは見ていて楽しかったんですか?」

「ええ。私の主人と息子がプロレスが大好きでよく見ていたの。これでも結構詳しいのよ?」


 女性が懐かしむように笑ったが俺はまたか、と少しげんなりしながら言った。


「つかぬ事をお聞きしますがまさか好きな選手はあのトオルじゃないですよね?」

「いえ? もちろんほかの日本人と同じく好きだけど二番目ね」

「いやもちろんってさも当然のように言ってますが大前提としてあのトオルはそんなに国民的な人気はないですが……まあいいです、一番目は誰なんです?」

「ええ、高〇裕二郎よ。最近は低迷してるけど家族みんな大好きだったわ」

「まさかのミスターR指定!? あれは子供に見せちゃダメな選手ですよ!? 常に卑猥なパフォーマンスをしてるキャラ付けに失敗したレスラー崩れですよ!?」


 俺はそうツッコんだが彼女の会話がすべて過去形である事には気が付いている。あの時彼女が泣いていたのはきっと……。


「……本当に楽しかったわ」


 女性はそう言って目元を拭う。彼女の悲しみが少しでも癒えたのなら俺たちのやった事に意味はあるのだろう。


 だが感傷に浸っていてもやはり無粋な奴はいるもので。


「よこせ」

「あっ」


 子供の声のしたほうを振り向くと避難所に初めて来た時の光景が再現されていた。小学校高学年くらいの男子が低学年の男子の持っていた乾パンを奪いもしゃもしゃと食べて去っていったのだ。


 さすがに今度は止めよう。そう思って動き出そうとすると中年男性に肩を掴まれる。


「待って。見てごらん」

「?」


 俺は彼のほうを振り向くが呼び止められたその理由はすぐにわかった。次に少年たちを見た時、低学年の少年が勢いよく背後から悪質タックルをかましたのだ。


 ズシャー! 高学年の男子が前方に倒れ服を引きずる音が静かな会場に響き渡る。周囲のスタッフは何事かと見ていたが直後、


「うわーん! 痛いよー!」


 先ほどまでの威勢はどこへやら高学年の男子はギャンギャン泣いていた。まあ弱い者虐めをしたし自業自得だな。


 無事低学年の少年は一矢報いる事に成功したらしい。俺がなにかをする前に二人は小走りで子供たちのところに向かって行った。


「無事、やり返したね」

「うん!」


 中年男性と低学年の少年はこうなる前になにかやり取りをしていたのか元気よくそう言った。そして若い女性は高学年の男子に姿勢を低くして目線を同じにして母親のような優しい口調で話しかける。


「痛かったね。けどもうこれに懲りたらこんな事はしちゃダメよ!」

「だって、だって! お腹減ったんだもん! いっつも母ちゃんがたくさんご飯作ってくれるのに母ちゃんいないもん!」


 俺はそれを聞いてなんともいたたまれない気持ちになった。やはりこの少年もまたゾンビハザードで家族を……。


 避難所の物資は不足しているそうだし食糧も十分に行き渡っていないのだろう。物理的にも精神的にも余裕がない状況で平和な時代に声高に叫ばれていたみんな仲良くというのは無理な話だ。大人だってそうであるのだから頼れる家族をなくした子供はなおの事なのだろう。


 だが低学年の少年はなにを思ったのかポケットから個包装のクッキーを取り出し高学年の少年に渡した。


「あげる」

「え……?」

「僕にはお父さんがいるから」


 少年はそう言ったあと中年男性に笑顔を向けると、彼は照れたように笑った。


「親子だったんですか」

「ああ。ちょっと前に親子になったよ。口約束だけどね。彼に勝つために喧嘩の仕方を教えてたら成り行きでね」


 つまりゾンビハザードで家族を失ったもの同士が傷をなめ合ったという事なのだろう。今の時代ならこういう家族の形もありなのだろうな。


 そしてそんな家族を見ていて、ブスっとしていた高学年の男子に若い女性が微笑んでこう言った。


「ならあなたは私の子供にならないかしら?」

「え……?」


 突然の申し出に呆気にとられた高学年の男子に彼女は言葉を続ける。


「強がってずっと泣いてたのを知ってるんだから。お互い、頑張りましょう?」

「……うわあああん!」


 少年は泣きじゃくりながら女性に抱き着き彼女はそれを優しく抱きしめた。


 ふと、俺は真理恵さんの事を思い出す。


 ちょうど事故のあとの時と同じだな。彼女もまたこの女性のような気持ちだったのだろうか。


「物好きですね、自分も人の事は言えませんが」


 男が笑いながらそう言うと女性も笑みを返して言った。


「そっちこそ。悲しみはまだ癒えませんがお互い、頑張っていきましょうね。この子たちのためにも」

「ええ。この世界を生き抜いてやりましょう!」


 そして二人は新たな家族と生きていく事を誓う。このあとの展開次第では上手くいけば引っ付きそうだしこれ以上はお邪魔虫だろう。


「それじゃ、このへんで俺は野暮用があるので」

「あ、うん、どうもね。本当にありがとう」


 適当な別れの言葉を告げると中年男性はあはは、と照れ笑いをした。俺は見ていて恥ずかしくなり、逃げるようにこの場を去って先ほどから幸せそうにこちらの様子を見ていたピーコとゴンのもとに向かう。


「お疲れ様、トオル君」

「トオル、いつになく嬉しそうじゃん」

「うるせー。さっさと帰ってがんめんちゃんをもふもふして体力を回復するぞ」

「うん、みんな待ってるよ。早くモンキに帰ろう?」


 俺は会場をあとにしてマイクロバスを停車させている駐車場へと向かう。そして移動中、ゴンがポツリと言った。


「ありがとね、トオル。あたしのためにさ。どうしてこんなに頑張ってくれたの?」

「そりゃ、」


 俺は、その先に言葉が思いつかなかった。俺は脳味噌をフル稼働させて答えを導き出そうとする。だがその理由が一切思いつかなかった。


「なんでだろうな」

「トオル君でもわかんないのかあ」


 ピーコは俺の答えにくすくすと笑いつつも、少し寂しそうだった。


「ま、いいや。トオルはあたしの最高のマブダチだよ」


 そんな彼女を見てゴンは慌ててそう言った。その言葉とは裏腹に、少し儚げな笑顔に俺は多少もやもやするものがあったが、


「そうか。俺も顔見知りぐらいにはしてやる」


 と言っておいた。


「これだけやって!? 好感度上げるの激ムズだね!?」

「そもそもテメェはメインヒロインじゃない。自分の立場をわきまえろ」


 俺はフフ、と銀二のようにからかう笑みをして夕日の中を歩いて行った。

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