1-9 災害時の水ラーメン
「これ、その、違くて! 私、ゾンビじゃないから……!」
消え入りそうな声で彼女はそう言うと、泣きそうな顔でこちらを見つめては時折目線をそらし、また見つめてを繰り返す。
「別にどうもしないさ。ピーコが人だろうと、ゾンビだろうと、それ以外の何かでも危害を加えるつもりはないし今まで通り接する。まずはどうしてこうなったかそれだけ教えてくれ」
そう……それだけは断言出来る。もし赤の他人なら危険を避けるために警戒し、場合によってはしかるべき処置をするがピーコは俺にとってただの幼馴染という関係ではない。咲桜先輩と同様、俺を救ってくれた恩人なのだ。それを殺す事など出来るだろうか。出来るはずがない。
「……………」
泣きそうな顔のピーコは少し落ち着いてくるが、言おうかどうか迷っているようだった。
そして、薄暗い部屋で歪な懐中電灯の光が俺たちを照らし続ける。しばらく待ったあと彼女はぽつりと言った。
「……目が覚めてゾンビがいっぱいいたから、こっちに逃げ込んで……お尻に違和感があって、しっぽがあることに気が付いて……頭にも耳が生えているのに気が付いて……」
「……そうか」
どうやらゾンビに噛まれてこうなったわけではなく俺は一安心する。ピーコは連中のようになる事はないのだ。
だが、彼女の話を聞いて俺はある推測が思いつく。これは確認せねばなるまい。
「ところでピーコはいつ目が覚めたんだ?」
「……4日前」
ピーコは弱々しくそう言葉にする。やはり彼女もほかの人間とは違うようだ。沢崎の言う事を信じれば大部分は1週間前に目が覚めたらしい。もしかすれば日にちの違いはピーコがこうなった理由の答えを導くヒントになるかもしれない。ひいてはこの世界に何が起こったのかという事にも。
「わかった。様子を見てここから脱出するぞ。この場所は物資が多いが籠城には向いていない。出入り口もゾンビも多すぎる」
「え、で、でも」
いつもと変わらない俺の様子にピーコは不安げにこちらを見上げ、泣きそうな声でこう言った。
「私、もしかしたら怪物になるかもしれないよ。私と一緒にいたらトオル君をその……それに、この姿を誰かに見られたら、怪物と間違えられて迷惑をかけちゃうかも……」
「そうか。それで今日の晩飯はどうする? カレーは米がないしさっき食ったばっかだな。インスタント麺にするか。俺は何でもいいから飯を食いたいんだ」
俺はピーコの話を適当に聞き流し段ボールの中を漁る。すでに前の避難民が食べたためなのか段ボールの大きさに対してスカスカで十数袋しか残っていない。大事に食べるとしよう。
だが最後の晩餐がカツカレーか。もっと美味いものにすればよかったかな、いや、それよりもあれが最後の砂焼きコーヒーだったか……飲んでる最中電話で遮られてしまったためもっと味わいたかったなあと、後悔をする。
「と、トオル君! 真面目に聞いてよ!」
そんな様子の俺にピーコは怒ったように叫ぶ。俺は袋の醤油ラーメンを両手に一つずつ掴むと彼女のほうを振り向いて言った。
「そんなん知らん、真面目に聞く必要がない。俺がどんくさいお前を何があっても護るのは当然だからな。いつものお前に耳としっぽが生えただけだ。する事は変わらん」
「トオル……君」
俺のその言葉に安心したようで、ピーコはようやくいつもの柔らかい笑顔になる。
「それにお前に何かあったら咲桜さんにあわせる顔がない」
「……うん、ありがとう」
だが、最後にそう言うとピーコのその笑顔は少しだけ寂しそうなものになった気がしたんだ。
「とにかく水をくれないか。さっきからのどが渇いて仕方がないんだ。懐中電灯の上に乗っかっている奴だけじゃないだろ」
そう、今何よりも優先すべき事は生存するために行動する事だ。まずは水。水がなければ生命の維持に支障が出ることはもちろん冷静な判断も出来ないのだ。
「あ、うん、あるよ! はい!」
ピーコはいそいそと彼女のすぐそばにある段ボールの箱を漁り、災害用の日持ちをする500ミリリットルのペットボトルに入った水を渡してくれた。
「助かる」
俺はいったん袋麺を床に置き彼女から水を受け取ると、すぐにキャップをひねり口をつけてのどに流し込む。貴重なものとなった水は恵みの雨が荒れ果てた荒野を降り注ぐように俺の乾いたのどを潤していく。
よく見るとピーコが漁った段ボールにはアオンが従業員のために用意していたであろう非常用持出袋やレトルト食品が保管されている。この店の災害に対する意識の高さに感謝しながら俺は水を味わった。
ペットボトルの水はあっという間に飲みほしてしまう。今は緊急事態だから仕方ないが貴重な食糧なのだ、賞味期限の早いものから飲み食いし計画的に消費しないといけないだろう。もっともそうなる前にここを出て行く事になるだろうが。
「あとで店に行って適当に漁ってくる。何かいるものはあるか」
俺は先ほど置いた袋麺を拾いもう片方をピーコに投げて渡す。彼女は慌てて受け取ると、俺の問いに遠慮がちに言った。
「あ、だ、大丈夫だよ……まだ」
「余裕があるうちに行動すべきだ。ただでさえ少ない食糧がこれからは2倍のスピードで消費されるからな。籠城に向かないここを離れる準備も今すぐにでもしたほうがいいだろう。どちらにしてもこの扉の向こうのスーパーには山ほど水も食糧も物資もある。ゾンビと戦う必要はあるが」
「そうかもだけど……」
だがピーコはそれ以上何も言わずうつむいてしまう。彼女にもわかっている。いつ来るか助けが来るかわからない状況の今、このままここでじっとしていても物資が尽きるまで何もしないというのはリスクが高すぎるのだ。
今、恐怖に震えるピーコを護れる人間は俺以外にはいない。喧嘩は専門分野ではないがやるしかないだろう。
「でも、もうすぐ夜だから止めたほうがいいと思う」
「昼だろうと夜だろうとほとんど窓に面していないからどのみちスーパーに外からの光は入らないんじゃないか。飯を食ったら行くが懐中電灯はこれ以外にあるか」
早い話、光の当たる外ならともかくどの時間でもリスクはあまり変わらない。ならさっさと行動すべきだろう。
「そ、そうじゃなくて! 夜は危ないんだよ! 暗いとかそういうのじゃなくて! ニュースにも書いてたし、実際見たし……」
だがそれでもピーコは必死で食い下がる。しかし彼女の発言に聞き逃せない気になる部分があった。
「どういう事だ?」
「夜は……ゾンビが狂暴化するから。だから危ないよ。その、せめて……朝になってから……したほうがいいいと思う」
彼女は言いにくそうに、だがハッキリと俺の目を見て言った。
俺とピーコの間には上下関係があるわけではないが、基本的に俺はあらゆる可能性から最良かつ最適な選択をするので彼女が意見することはあまりない。俺はその事に少し驚くが、
「そうか。わかった。なら明日にしよう」
と、それだけ言う。今ピーコが言ったことは非常に重要な情報だ。俺の判断を容易く覆すほどに。もし今出て行けばいらないリスクを負っていただろう。彼女が勇気を出して意見をしなければ場合によっては死んでいたかもしれない。もちろん食料の調達はしなければいけないのでそれを明日に延期する事で妥協する。
今、俺たちが生存に必要なものの一つは情報だ。さっき目覚めたばかりの俺にはそれが圧倒的に足りない。ならここはピーコの意見を聞いたほうがいいだろう。
「うん、ありがとう。さ、ご飯にしよ!」
「そうだな」
ピーコは気を取り直してどうにかして笑顔を作る。俺は袋麺を破ると素手で乾燥した麺を掴む。が、その時ピーコが慌てて言った。
「え? そのまま食べるの?」
「そのまま食べるつもりだが。ガスコンロはあるのか?」
部屋を見渡すがパッと見てそれらしきものはない。今は腹が減っているので贅沢は言えないし、別に乾燥した状態でも食べても問題はないので俺は構わないのだが。
「ないけど水ラーメンはつくれるよ。水を入れて15分くらい待てば」
「水ラーメン? 話には聞いたことがあるが」
ピーコがどこか嬉しそうに言った聞きなれない言葉に俺は思わず聞き返す。確か災害時に食べれるラーメンだ。災害に関しては色々な意味で彼女のほうが先輩なので、ここは従っておく。
「で、作り方は?」
「ラーメンの袋に水と粉末スープを入れて15分待つだけだよ。固さはお好みで調節してね!」
「そうか。ならそうするか」
とても簡単な作り方だった。断る理由もないし俺も水ラーメンを作るとしよう。
……………。
さて、粉末スープを袋に入れた後ピーコが渡してくれた水を入れて、スマホのタイマーをセットしてしばらく待っていたのだが。
「まだか」
「まだだよー?」
ピーコはふふふ、とどこかいらずらっぽく微笑む。とにかく腹が減っていたので失敗してもいいからさっさと食いたかった。
「まだか」
「慌てない慌てなーい」
完成が待ちきれない俺を彼女は微笑ましそうに見る。スマホのタイマーを確認するがまだ5分経ったところだ。
「私も経験あるからね。長いよね、15分。でもその長さが美味しさを引き立てるんだよ!」
「味はともかくとにかく栄養が補給したいんだが、俺は」
俺が不満を漏らすとピーコは目を見開いてこう言った。
「そんなんじゃダメダメ! 人生の半分損してるよ!」
「お、おう」
彼女は自己啓発書の名言を言うカリスマのようなテンションで発言し、その勢いに俺は思わず気おされてしまう。
「災害のときでも美味しいものは食べないとね! 食べるって生きる事なんだから。食べる事はただの栄養補給じゃないよ」
「そ、そうか」
経験者の言う事だ、ここは従っておこう。口論して体力を消耗するのも嫌だし。
さあ、なんやかんやで時間が経過しようやく待ちわびていたスマホのアラームが鳴り、俺は割り箸を手に取った。
「さあ、いただきます!」
ピーコは相変わらず妙なテンションだった。このどうしようもない絶望的な状況でここまで希望に満ちあふれた顔はどうすれば出来るのだろう。
「いただきます」
俺もそう言ってともかく飯を食う事にする。腹はさっきからずっとぐーぐーと号泣している。もう考えるのも嫌だ、さっさと飯を食いたい。
俺は冷たいしょうゆ味の水ラーメンをかき込む。まだ硬さは残るものの空腹という唯一無二の至高の調味料が、この5袋で358円のチープなラーメンをどのような三ツ星レストランの料理よりも旨いものにしてくれたのだ。
「どう、美味しいよね?」
ピーコもうまうま、と幸せそうにラーメンをすする。それ以上言葉を発さず黙々とラーメンを食べ続けた。
そしてお互いすぐに完食し、スープを飲み干しぷはぁ、と息を吐いた。途中から息をするのも忘れて貪っていたようだ。
「ごちそうさまでしたー。ねぇ、どうだった?」
ピーコも完食しニマニマとしながら俺に感想を求める。俺は苦笑し、
「ああ、腹が減っているのもあったが悔しいけど美味かった」
と言った。どうやらピーコの言った事は正しかったようだ。
「だよね? 私も震災の時に食べた炊き出しの豚汁が美味しかったよ……」
「豚汁か……」
ピーコがしみじみと過去を回想し、俺もともに豚汁に想いを馳せる。
今は寒い季節だ、その寒さも含めて最高だろう。豚肉とその旨味が染み出した油と日本人の原点たるみそがたっぷりとしみ込んだ野菜は全身の活力となり身体に生きるための熱をもたらす。さぞ旨い事に違いない。
無性に俺も食いたくなったな。余裕が出来たらスーパーで豚汁も探してみるか。もちろんその前にお湯を入手する必要があるので食べられるのはもう少しあとになるだろうが。




