プロローグ バッドエンドのあとのある日
世界は存外、理不尽に出来ている。
多くの人が明日世界が終わるだなんて思っていないだろう。だが例えばそうだ――それは凄惨な事故であったり、地震や水害というような災害であったり、ある日突然病気で死んだり、はたまたは通り魔に刺されて死ぬということもあるかもしれない。
もちろんそれで自分が死んでも世界は続いていく。だが自分の世界は消滅する。よく自分の人生の主役は自分だなんていう格言があるがそれは言い換えれば自分が死ねば自分の物語はそこで終わるということだ。
ただ残念ながら世界から言い渡されるその唐突な打ち切りの連絡は、多くの場合人は何も抗えない場合が多い。
この世界で生きていた多くの人は明日世界が終わるだなんて思っていなかった。
もっと言えば死んでしまった人間はそのあまりにも理不尽な現実を知ることすらなく、自分が死んだことにも気付かずに何が起こったのかわからないまま物語を終えたのだろう。
かつての世界の住人は意識を持たない亡者となって生命の息吹が消え廃墟となった街を徘徊し、ただその身が朽ち果てるのを待っている。
そしてどういう因果か神様の嫌がらせでこの世界に残された俺たちはそれぞれの理由を胸に生きる事を選んだのだ。
このどうしようもなく残酷な世界で、俺たちは生き続けていた。
カチ、カチ、カチ。
真夜中の静寂の中、時折隣の部屋から聞こえるゾンビに蹂躙されていく人々の悲鳴をBGMにしながら、店のスタッフルームで俺が操作するパソコンのマウスの音が響く。
人気のディスカウントストアとしての役目が終わり、この街にいるわずかな生き残りのための仮の拠点となったこの場所で俺は一人素人丸出しの三流動画を編集していた。
隣の部屋にあるのは生命維持に必要なものは後回しにしたゲームをするためのテレビやDVDプレイヤーといったものであり、こんなものをサバイバルの達人が見たらブチ切れそうだ。
そんな明らかに優先順位を間違えたものが雑多に配置された部屋で、俺の連れの女3人が先ほどの悲鳴の原因……ゾンビ映画を見てくつろいでいた。
向こうの部屋からは吹き替えらしい妙なテンションの男女の声が聞こえる。声から察するに何やらいちゃついているようだ。ゾンビ映画によくある流れを無視した無理やりなラブシーンなのだろう。
『ジェシカ! 愛してるよ!』
『ええ、ゴンザレス! 私もよ! さあ、情熱的なキッスを頂戴!』
そしてキュバーッ!! と、通販番組によくあるサイクロン式の掃除機のような異様な音が聞こえた。今のはキスの効果音なのか? 顔面の皮膚でも吸い取りそうな勢いだったがどういうシチュエーションなんだ。
台詞から察するにキスをしているのだろうがその光景が全く想像出来ない……ゴンザレスは顔面にどうやって付けたのかわからないような傷がある、とても高校生に見えない筋肉の塊のヤクザなのか?
『ジェシカ、このハンバーガーでお前をランランルーしてやるぜ……!』
『ああ、ダメよゴンザレス! ハンバーガーをそんな使い方したら駄目よ! ああ、ランランルーしちゃうわ! ああ、ランランルーしちゃうううっ!!』
ジェシカは艶めかしい声で喘いでいるがハンバーガーをどう使っているんだ?
そして本当に何をしているんだ……ランランルーってなんだ? あとあんまりやると偉い人に怒られるぞ?
『あはは、ジェシカ、ハンバーガーはまだ食べちゃダメだよ、せっかちさんだな!』
『もう我慢できないわ! もぐもぐ……え……ぐ……ああ……ッ! モォスバーッ!!』
『ジェシカ!? しまった、これはモフバーガーだ!! ゾンビになってしまう!!』
ゴンザレスの後に聞こえたジェシカのうめき声と謎の雄たけび。どうやら有名チェーンのモフバーガーのハンバーガーを食べてゾンビになったらしい。
もしかしてピエロみたいなやつの会社がこの映画のスポンサーでライバルのモフバーガーをけなすために、ネガティブキャンペーンを目的にこの映画を作ったのだろうか。
『僕を食べないでくれ! 正気に戻ってくれ、ジェシカ! ぎゃあああバーグラァァァッ!!』
耳をつんざくような男の謎の断末魔の声が聞こえる。ゴンザレスさんはやはり死んだらしい。
ちなみに断っておくがバーグラァァァ!! は断末魔の叫び声だ。あのハンバーガーチェーンに昔いた白黒の強盗ではないからな。
そういえばあの強盗もフランスの絵本のキャラに酷似した紫のやつやチアリーダーのポンポンみたいなやつらは最近見ないがどこいったんだろう。昨今の不景気でリストラされたのだろうか。
「あ、やっぱり死んだ」
隣の部屋のテレビの前で感想を言ううちのギャグ担当の女子、通称ゴンは煎餅をかじりながら見ているらしくバリボリという音が時折聞こえてきた。
「どうしていちゃつくバカップルが真っ先に死ぬんすかねー」
「私がゾンビならそうするな。妬みじゃないぞ」
のんびりと評価する喪女系動画主のキャシーとその身内のロリ教師のともちゃん先生も時折感想を漏らす。バカップルが妬みで殺されることに関してはその通りだと思う。ゾンビは世の非リア充の代弁者なのだ。
「何か見てたら無性にハンバーガーが食いたくなったなぁ」
これはゴンの声だ。人が食われているときによくそんな感想が出るものだ。だが俺もあの店のコーヒーが飲みたくなってきたな……多くの人はランランルーの店のコーヒーは不味いと評価を下すが不味いコーヒーには不味いコーヒーなりの良さがあるのさ。
しかしこんな作品タイトルの後ろにオブザデッドが付きそうなこのご時世にこの手のジャンルの映画を見るとはなかなか肝が据わっている。だが今の世界ではそのくらい図太いほうが生きるためにはちょうどいいかもしれない。
今も店の外でうろつく人の姿をしたあれが何なのか正直俺たちにはよくわからない。まあ習性は映画とかでよく見るゾンビに似ているし多分そんな感じの何かだろう。
取りあえずこの店の中にいる限りは安心だ。入り口には棚や家電でバリケードを作ったのでロケットランチャーとガトリングを装備した生物兵器でも来ない限り問題ないはずだ。
ともあれ今は動画の編集作業だ。もう受験戦争に挑まなくてもよくなったためほかにすることもないのだ。いや、元々俺は何もしなくても成績はよかったので勉強はしていなかったが。
これが前の世界ならコンビニで晩飯を買いに行くところだが近頃は夜中にふらっとコンビニに寄ることもできない。そんな事をしたら小腹がすいた連中の夜食になってしまう。
「しかし、俺も何してるんだかな……」
俺が今編集している動画はよくあるゲーム実況だ。スーパームリゲメーカーという自分でステージを作れるアクションゲームで、動画主が作ったステージを演者にクリアさせるという企画なのだが……。
『おぅい? なんかすぐテテッテテテッテテしちゃったんだけど』
さっそくゲームをプレイしているゴンを理不尽なゲームオーバーが襲い戸惑っているようだ。ムリオ……ああ、このゲームの主人公のラテン系のヒゲ親父がゲーム文化の黎明期のレトロな画面で、正面を向き両手を挙げて飛び跳ねそのまま画面の下に消えていく。
『ああ、敵の攻撃が背景と同じ色なんすよ。本当はオープニングのパカパカも再現したかったんすけど。あ、コンティニューは雑誌の付録のパスワードがないと無理っすよ』
動画主のキャシーは自慢の仕掛けにゴンが上手く引っかかってくれたことが嬉しいらしくニマニマと笑っていた。
『うぉい! あの伝説のクソゲーのネタをッ!! わかってるねぇッ!!』
ゴンが嬉しそうに吠え、気を取り直して敵の攻撃を回避して先に進むが今度は坂道をジャンプしてまた死亡する。
『坂道からジャンプしたら死ぬ。もう説明不要っすね?』
ククク、とキャシーは実に楽しそうに笑った。この流れで行けば一時間画面をほったらかしにしたらヒントが出るやつもあるのだろうか。
しかしゴンは悔しそうな表情をせず彼女の背後からオーラが放たれる。そしてコントローラを握りしめ高らかに宣言した。
『やりがいしかねぇ、上等だオラァ!! あたしはこんなクソゲーを求めていたッ!! ここ最近の何度もゲームオーバーになったらすっとばしていけるとか、ぶつかっても死なないとか、そんなはき違えた配慮にイライラしてたんだよッ!!』
『楽しんでいただけて何よりっす』
キャシーはそう言うとゴンのまぶたの奥に古き良き理不尽なレトロゲーへの愛を感じ、どこか潤んだ瞳で画面を見つめていた。
どいつもこいつもアホである。
画面の向こう側は賑やかでどこまでも平和だ。だがそんな楽しそうな風景が俺にはどこか遠い世界の光景のように思えたんだ。
「……おっと」
編集作業中、パソコンの右斜め後ろに置いたカップが目に入り俺はコーヒーを淹れた事を思い出す。カップに手を伸ばすが熱いコーヒーはすっかり冷めてしまい、わずかに口をつけるが既に冷たく飲めたものではなかった。
編集作業に夢中になってしまったようだった。コーヒーも、水も、それを沸かす電力も今となっては有限だ。無駄にしてしまったかと少し後悔する。
しかしアイスコーヒーと思えばいいか。眠気覚ましのために作った苦いだけのコーヒーを一気に飲み干すと俺は作業を続けた。
「フッ……」
動画から聞こえる決して途絶える事のない笑い声……怒声のほうが多い気もするが、見ていてどうしようもなくくだらないなと思いつつも時々笑みをこぼす自分に気付く。
だが楽しい時間も終わる。動画編集の作業も終盤に差し掛かりキャシーはシメのセリフを言った。
『何か知らないうちにこの世界はバッドエンドを迎えましたけど、こんなグダグダな感じで次回も配信するっす。始めたばかりでしょぼい動画っすけどキャシーの終末だらずチャンネル、名前だけでも覚えてください!』
彼女は絶望を知り、その上で希望のある未来を見ていたのだ。この残りカスの世界を少しでも楽しくしようして、顔の見えない孤独な人と喜びを分かち合おうとしていたのだ。
ただ、最初から最後まで相変わらず見れたものではない、勢いだけの低クオリティな動画だな、と俺は感じていた。人口が激減した終末補正がなければこんな動画は有象無象の動画に埋もれてしまうだろう。
ちなみにチャンネル名にあるだらずとはこちらの方言でバカとかアホとか、そんな意味の言葉だ。鳥取県民なら誰でもその意味を知っている。
終末の世界でもっとほかにやる事もあるだろうに無意味な動画作成をしている彼女たちはまさしくだらず、なのだろう。付け加えるとそんな彼女たちに付き合っている俺もまた同類なのだろう。
だが俺はまた冷めたコーヒーを飲む事になるなと苦笑し、もう一度コーヒーを淹れるためポットに向かった。
作業の手を止め部屋を移動し、ポットから熱湯をドボドボとコップに注ぐと、
「トオル君、お疲れ様、ようかん食べる?」
と、幼馴染のピーコに声をかけられた。彼女はゾンビ映画を見ていないらしい。
ホラーが苦手な彼女の事だ、ポットのある部屋は薄暗く彼女の表情はよく見えないが帽子を両手で耳元まで引っ張りテレビの音が聞こえないようにしていた。ちょっと怯えているようで悲鳴の聞こえる部屋から避難がしたくてこっちに来たのだろう。
「……ん、ああ。サンキュ。部屋の中だし、帽子取れよ」
「うん、まだちょっと恥ずかしくて」
彼女は困ったように笑うと宇宙食にも使われる保存のきく便利なスイーツ、サバイバルの頼れる相棒のようかんを俺に手渡してくれた。
続いて暗闇からぬっと、怪しげな影が現れる。
「しかし、相変わらず賑やかなことだ」
次に姿を見せたのは黒いフード付きのコートと黒い不織布マスクで顔を隠したマルクスだ。背中には巨大な模造刀を背負い、彼女はやれやれと肩をすくめる。
ちなみに顔はほとんど見えないが性別は女性だ。俺は最初彼女を男と勘違いし少し面倒な事になったが、その事はまた別の機会に話そう。
「ピーコはともかくお前は見ないのか。ああいうB級映画好きだろうに」
「我は前に見た事があるし結末も知っている。モフバーガーにゾンビ化する添加物が使われていたと思ったら実際はそれまでの添加物だらけの食事で、人間が自然由来のものを異質なものと認識し拒絶反応を起こすようになっていてゾンビになり、最後は農薬や化学肥料に頼らない食材を使ったモフバーガーを食べ続け人は正常な身体に戻りゾンビハザードを克服するというものだ。大量消費と食の安全に警鐘を鳴らす作品だぞ」
「そういうテーマの作品だったのか、意外と深いんだな。だとするなら監督は色々と間違えている気もするが」
俺はそう言いながらようかんのビニールを破り、口に運んだ。
脳が疲れ切った今は何よりも糖分が欲しい。このコーヒーには微妙に合わないが俺は獣のようにようかんをむさぼるとマルクスが少し恥ずかしそうに言った。
「それに、我はあの映画を大勢では見たくない。恋人がハンバーガーでまぐわうシーンが……破廉恥すぎる。アレのせいでR15になったのだ」
「うん……確かにちょっと見たけど、あれはね……ハンバーガーって、食べ物じゃなくて卑猥なものだったんだね」
ピーコがなかなかに常識を覆す発言をし恥ずかしそうに顔をポッと赤らめる。本当にどんなシーンだったんだ。逆に見てみたくなったぞ。
「ハンバーガーは社会通念に照らし合わせても食べ物だという認識で間違っていないぞ。あれの正しい使用方法は食べることだ。本来それ以外の使い道はない。しかしハンバーガーか。最近食べてないな……お前も食いたくなったりするのか?」
俺がそんな事を言うと、
「と、トオル君! ハンバーガーを食べたいだなんてセクハラだよ! 女の子にそんな事言ったらだめだよ! そのあとランランルーしちゃうんだよ!」
ピーコが赤面しながらものすごい剣幕で怒り、次いでマルクスも、
「この痴れ者が! やはり貴様は色欲の罪を背負いしインキュバスなのだなッ!」
と俺を罵倒する。俺は呆れながらに肩をすくめて言った。だからランランルーってなんなんだよ。
「女性にハンバーガーを食べたいかと聞くのはセクハラに該当するのか、昔とは違うんだな。そんな事男性の俺は今まで考えもしなかったが今後は気をつけよう。これからは男女共同参画社会を構築する必要があるからな……ああ、そういえば銀二はどこ行った?」
俺はこの面倒くさい話題を変えるために聞いてみる。あと一人俺の友人の銀二と出会えばチーム全員を紹介できるのだが姿が見えない。スタッフルームは狭いし見失う事はまずないのだが。そう思っているとマルクスが答えた。
「あやつならゾンビ狩りに使えそうなものを探しに店に行ったぞ。こんな夜更けにご苦労なことだ」
「そうか。お前も行かないのか?」
「我々には動画に上げる映画を確認するという崇高な使命がある。今は休憩中だ」
つまりは事前の準備が面倒なのでB級映画の鑑賞会のほうが楽しいという事だった。
「やたらDVDを調達したと思ったらそういう事だったのか。前の世界だったらエンケンさんにシバかれるがな」
エンケンさんとは違法アップロードをする不届き者に裁きを加える神様でその罪を犯した者に10年以下の懲役、または1000万円以下の罰金、もしくは両方を科す神様だ。
うちの仲間がしている違法アップロードは終末の世界だから許されるのであってみんなは絶対に真似するなよ? それ、違法だからな。
「俺も作業がもう少しで終わるし、映画でも見るかね」
俺が腕を上に伸ばして軽くストレッチをしながら言うとピーコが優しく声をかけてくれる。
「のんびりやってもいいんだよ? そんなに急いでないし」
「今日出来ることは今日する主義でね。明日には死ぬかもしれないしな」
「……そっかあ」
俺がさらりと突き付けた現実にピーコは困ったような顔で笑った。
この世界は既にバッドエンドを迎えた。これから何をしてもその事実は覆らない。俺たちの世界はやがて滅ぶだろう。ましてやそんな世界で娯楽以外に用途の無い三流動画の配信なんて何の意味もないのだろう。
だが、それでも。俺たちは、俺たちの物語をバッドエンドのまま終わらせたくなかったんだ。つまりはただの意地だ。
放置していたパソコンの画面からキャシーの締めの言葉が聞こえてくる。
『それではみなさん、よい終末を!』
俺たちのしている事に意味はないかもしれない。だけどたった一人でもその言葉が届けばいいんだ。たった一人でも、この過酷な世界で生きる希望を与えればいいんだと、キャシーと俺の仲間は願ったんだ。
そしてここに一人。クリエイターの目論見通りこの三流動画に感化された『だらず』がいる。
俺はコーヒーで一服すると、以前ピーコの言った言葉を思い出し心の中でつぶやく。
その言葉は俺自身の決意表明でもあり、ゾンビのように死にながらただ生きていただけの俺に投げかけ俺に再び生きる意志を取り戻させた言葉だった。
『――バッドエンドのままじゃ終われないから。もう一度、歩き出そう』
そうさ、まだ終わるわけにはいかない。せいぜいこの世界で生きるとするかね。
さて、終末の退屈しのぎに俺たちの世界がどうしてこんな事になったのか俺が軽く説明しておこうか。
今から話すからコーヒーでも飲んで待っていてくれ。この話に合いそうなのはそうだな……俺のおすすめはとびきり甘いカフェラテだ。こんな胸糞悪い話をまろやかにするにはそれがぴったりだと思うぞ。
それじゃあ、このどうしようもなくクソったれな世界で醜く悪あがきをしてる馬鹿な俺たちの物語を始めるとしよう。どうか最後まで聞いていてくれ。