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新花粉症という伝染病が流行した世界

手洗い運動と啓蒙活動

作者: ウォーカー

 この物語は、独立した話になっていますが、

以前に書いた、恐慌買い(パニック・バイ)の先にあるもの

という話と共通の世界での出来事です。

今回の話の方が、少し後の出来事になります。


 日本では、もうすぐ桜の季節になろうとしていたある日。

世界中を新しい病気が襲った。

それは、花粉症の一種で、新花粉症と呼ばれた。

新花粉症の症状は、花粉症に似ていた。

原因になったウイルスに、

花粉症の症状を悪化させる作用があったのが、その理由。

それは、既存の花粉症よりもさらに激しく鼻水や涙などが出て、

全身に倦怠感などがあらわれて、立っているのも辛くなるような病気だった。

何より問題だったのは、新花粉症は人から人へと簡単に伝染することだった。

日本政府の対応も虚しく、その年の夏季オリンピックは延期となり、

国内の感染者も、じわじわと増えていった。

さらなる感染拡大を防ぐために、

日本政府は国民に、不要不急の外出を控えるように要請した。

それからしばらく。

外出自粛要請は続き、国民は物資の不足に喘いでいた。


そんな事態を打開するために、有志たちが立ち上がる。

それが、手洗い運動と啓蒙活動だった。



 よく晴れた春の日の朝。

町中に設置された防災無線のスピーカーから、

不安を誘うサイレンと、のんびりした声が響き渡った。

「市役所からお知らせです。

 現在、新花粉症という伝染病が流行しています。

 市民のみなさんは、不要不急の外出は控えましょう。

 繰り返し、お伝えします・・」

布団の中で気持ちよく眠っていたその若い男は、

防災無線から流れる聞き慣れない声で目覚めさせられた。

「・・・ううーん、何なんだ、この放送は。」

その若い男は布団から上半身を起こすと、

街中に響き渡る防災無線の声に文句を言った。

「緊急事態が今発生したわけでもないのに、

 余計な放送で起こさないで欲しいもんだ。

 その伝染病のせいで、バイトもしばらく無くなったんだから。」

その若い男は、文句を言い終わると大きく伸びをした。

そうしている間も、防災無線からは不要不急の放送が続いていた。


 その若い男は、時計代わりにテレビを点けて時間を確認した。

時間は、朝食には遅く、昼食には早い時間帯だった。

適当にテレビのチャンネルを変える。

どのチャンネルも伝染病の話題で持ち切りだった。

テレビに映ったアナウンサーが、視聴者に対して呼びかける。

「伝染病が流行しています。みなさん、手を洗いましょう。

 手を洗ったら、次はあなたが他の人に手の洗い方を教えてあげましょう。

 手洗い運動は、誰が欠けても成り立ちません。

 手の洗い方を教えてあげることが、社会貢献になります。

 わたしたちは、それを啓蒙することで、社会貢献をしています。」

テレビのチャンネルはどれも、同じようなことを繰り返し言っていた。

その若い男は、仕方なく布団から起き上がると、冷蔵庫の中を覗く。

伝染病が流行りだしてから、

スーパーマーケットなどはいつも混雑していて、食料品は品切れが相次いでいた。

そのせいで、冷蔵庫の中は空っぽだった。

「そういえば昨日も、食べ物は何も買えなかったんだっけ。

 仕方がない、食べ物を調達してこよう。

 食べ物を買いに外に出るのは、不要不急ってのにはならないだろう。」

その若い男は、上着を手に取ると、外へ買い出しに出かけた。


 その若い男が、食べ物を買いに外に出てすぐ。

アパートの外に出て5分も経たないうちに、スーツ姿の男に呼び止められた。

スーツ姿の男は、腕章を見せながら話し始める。

「おはようございます。市役所の者です。

 現在、伝染病蔓延防止のために、不要不急の外出は自粛してもらっています。

 失礼ですが、どちらにおでかけですか?」

その若い男は、緊張からドギマギして応える。

「えっと、家に食べ物が無くなってしまって。

 食べ物の買い出しです。」

スーツ姿の男は、無表情のままで話す。

「そうですか。

 では、こちらの消毒薬で手を洗ってください。

 それから、こちらの手洗い名簿に記帳をお願いします。」

その若い男は、差し出された消毒薬を手で受けて手を洗い、

それから、ペンを受け取って名簿に住所氏名などを記帳した。

その名簿には、他にもたくさんの人が記帳してあった。

スーツ姿の男は、ペンと名簿を受け取ると、事務的に話す。

「はい、結構です。

 買い出しが済んだら、速やかに帰宅して下さい。」

スーツ姿の男は、その若い男に手を洗わせ終わると、

遠くに人影を見つけて、すぐに移動していった。

その背中を見ながら、その若い男は呟く。

「市役所の人が、手を洗わせて名簿までつけるなんて。

 こうすることが社会貢献になるならいいんだけど。

 でも、外出自粛と手洗い以外は何も言われなかったな。

 手洗いだけしてれば安全なんだろうか。」

その若い男は、首をかしげながら、近所のスーパーマーケットに向かった。


 それから、その若い男が再び歩き出して5分も経たないうちに、

今度は作業着の男に呼び止められた。

「こんにちは。市役所から委託を受けた業者の者です。

 現在、手洗い運動を行っています。

 こちらの消毒薬で手を洗って下さい。」

その若い男は、洗いたての手を見せて応える。

「俺、ついさっき手洗いしましたよ。

 市役所の人の指示で。」

それを聞いて、作業着の男は苦笑いする。

「そうですか。

 でも、手洗いは何度でも有効ですので。

 こちらで、もう一度手を洗ってもらえますか?

 そうしたら、こちらの手洗い名簿に記帳をお願いします。

 市役所からそう指示されているので、逆らえないんですよ。」

そうまで言われては仕方がない。

その若い男は、消毒薬を受け取ってまた手を洗う。

そして、同じ様に手洗い名簿に住所氏名などを記帳した。

「ご協力、ありがとうございました。」

作業着の男は、頭を下げて去っていった。


 それから、その若い男が歩き出そうとして、またすぐに呼び止められる。

今度は、緑色の帽子を被った若い女だった。

緑の帽子の女は、顔に薄笑いを浮かべて話す。

「現在、外出自粛要請が出ていますよ。家に戻って下さい。」

その若い男は、うんざりした顔で話す。

「食料の買い出しですよ。

 そういうあなたは、どちら様ですか?」

緑の帽子の女は、目だけ真顔になって応える。

「私は、社会貢献団体の者です。

 手洗い運動に賛同して、その啓蒙活動を行っています。」

「団体って、公的機関じゃなくて私的団体ですか?

 ということは、あなたも外出してることになるのでは・・。」

その若い男は、思ったことをつい口にしてしまった。

緑の帽子の女は、真顔になって応える。

「手洗い運動の啓蒙のためです。

 あなたのような無理解な人に、手洗い運動の大切さを教えて、

 人々の意識改革を行っているんです。ご理解下さい。」

その若い男は、真顔になった相手が怖くなって、それ以上の反論を引っ込めた。

観念して、大人しく従う。

「それで、俺は何をしたらいいんですか?」

「こちらの消毒薬で、手を洗って下さい。

 そうしたら、こちらの手洗い名簿に、記帳してください。

 手洗い名簿の記帳の数だけ、我々は社会貢献をしたことになりますので。」

その若い男は、言われたとおりに手を洗って、手洗い名簿に記帳する。

「はい、結構です。」

緑の帽子の女は、名簿に記帳されているのを確認すると、

記帳が終わった人間には興味が無いとでも言うように、すぐに離れていった。

遠くに離れるのを待って、その若い男はため息をついた。

「まったく、何回手を洗わせるつもりなんだ。

 しかも、わざわざ名簿で確認までするなんて。

 あれじゃまるで、名簿の記帳の数を集めるのが目的みたいだ。」

それからその若い男が目的地のスーパーマーケットに到着するまでに、

さらに何回も手洗いと記帳をさせられたのだった。


 スーパーマーケットの入り口では、入店待ちの買い物客が行列を作っていた。

それを見て、その若い男はうんざりしたように口にする。

「やっぱり今日も混んでるなぁ。

 伝染病が流行っているんだから、

 こうして人が集まるのはよくないと思うけど。

 でも仕方がない。今日は食料を手に入れなければ。」

覚悟を決めて、その若い男も行列に並ぶ。

しばらくして行列が進み、行列の先頭の方が見えてくる。

行列の先頭の人々が、すぐに入店せずに何かをしているのが見えた。

「・・・あれ?この行列、入店待ちの列じゃないのか?」

よく見ると、行列している理由は入店待ちでは無かった。

スーパーマーケットの店の中は、さほど混雑していない。

行列の理由は、入店前に行われている、手洗い運動のためだった。

スーパーマーケットの店員らしき中年の男が、案内をしている。

「ご来店、ありがとうございます。

 現在、伝染病が流行しているため、手洗い運動の啓蒙活動を行っています。

 入店前に、こちらで手を洗って、手洗い名簿に記帳をお願いします。」

なんのことはない。

スーパーマーケットの店内が混雑しているのではなく、

その前にやらされている手洗い運動で混雑しているだけのことだった。

行列させられている人たちが、不平を口にする。

「買い物に来ただけなのに、どうして何度も手を洗わなきゃいけないんだ。」

「手洗い運動の啓蒙活動の一環です。ご協力をお願いします。」

「名簿に記帳するペンが足りないわ。記帳なんて省略させてくれないかしら。」

「手洗い名簿の記帳数にノルマが設定されていまして、

 達成できないと営業できなくなるかもしれません。ご協力をお願いします。」

その若い男は、反論する気も無くなって、黙って行列に並び続けた。

今日何度目かも分からない手洗いをして、手洗い名簿に記帳する。

そうまでして入店したスーパーマーケットだったが、

たいした食べ物は残っていなかった。

その若い男は、わずか数日分の食料を買うために、店を何件もまわることになり、

その何倍も手洗いと名簿に記帳をさせられたのだった。


 そうしてその若い男が、

言われたとおりに、不要不急の外出を控えた生活をしてしばらく。

それでも、日本の感染者数は増える一方だった。

そんな中、その日もその若い男は、

何度も手洗いと記帳をさせられながら、スーパーマーケットにたどり着いた。

店の前では今日も、入店前の手洗いのために、たくさんの人が並んでいた。

うんざりしながら、その若い男も行列の後ろに並ぶ。

すると、少し離れたところで、ざわざわと騒ぎが起こった。

どうやら、並んでいる人が誰か倒れたようだ。

近くにいる人たちから悲鳴が上がる。

「人が倒れたわ!」

「きっと感染者だ。みんな離れろ!」

倒れた人の近くから、人がサーっと引いていく。

感染するおそれから、誰も近づくことが出来ない。

近くにいたスーパーマーケットの店員が、

仕方がないという風に様子を見に来て、さも迷惑そうに言う。

「こんなところで倒れられると、困るんですよね。

 うちの店の責任じゃないですからね。

 それよりみなさん、列を崩さないようにお願いします。

 手洗い運動のノルマが、まだ達成できていないんです。」

店員に言われて、買い物に来た人たちが、改めて並び直す。

それを見て、その若い男はハッとした。

「俺、何のために何をしてたんだっけ・・・?」

しばらく考え込むと、何かに気がついた様子で、静かに行列を抜けた。

そして、ポケットからスマートフォンを取り出すと、何やら操作する。

「そうだよ、無理にここに来る必要は無かったんだ。」

その若い男がスマートフォンで見ているのは、生活用品の通信販売サイトだった。

そこでは、レトルト食品などの保存食だけではなく、

生ものなども取り扱いされていた。

しかし。

「・・・やっぱり、こっちも品切れ続出か。」

通信販売サイトでも、スーパーマーケットと同じ様に、

生ものなどの食料品は品切れが相次いでいた。

「でも、通信販売だったら、こうして人がたくさんいる場所に来る必要もないし、

 手洗い運動だの啓蒙だのに巻き込まれずに済むじゃないか。

 確かに、手洗いは大事だろうけど、啓蒙をすれば安全になるわけじゃない。

 気をつけなきゃいけないのは、伝染病だけじゃなかったんだ。」

そうして、その若い男は、

通信販売でありあわせの食料を注文すると、

スーパーマーケットには行かず、すぐに帰宅したのだった。


 町では相変わらず、手洗い運動と啓蒙活動が行われている。

その横を、通信販売のトラックが、忙しそうに駆け抜けていく。

その台数は、少しずつ、だが確実に増えているのだった。



終わり。



 啓蒙活動のようなことをしても、それは自分が何かをしたことにはならない。

というようなことをテーマに、

人に啓蒙することが目的になってしまった人々と、

そこから脱出しようとする人を書きました。


病気を治す薬は作れるかも知れませんが、

薬が効かない類の困難もたくさんあります。

確かに、伝染病はとても恐ろしい。

しかし、伝染病に対抗するためとはいえ、

その類の困難を育てると、後に大きな問題になってしまいます。


このようなことが、現実には起こらないように願っています。



お読み頂きありがとうございました。


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