第三話
恋愛に特化した占いを行う第三支部だが、「恋愛」と一言に言っても相談内容は多岐にわたる。
近年増加の一途を辿るのは、いわゆる婚活に悩む人々の相談だ。
「結婚している妹や従姉妹たちにはこうした方がいい、ああした方がいいって上から目線でアドバイスされて、親や親戚のおじさんおばさんには慰めのようなダメ出しばっかりされて……結婚してないと人間じゃないんですか……!?」
張りのある声でマシンガンのようにまくし立てる相談者に、完全個室の相談ブースでも隣の相談者に聞こえてしまうのではないかと千早は冷や冷やさせられた。
今回の千早の相談者である相田里佳は、 溜めに溜め込んだ不満を一気に吐き出して机に突っ伏した。
現在彼女は婚活の真っ最中だそうで、どうにもうまくいかなくなってここへやって来たらしい。
千早は固まってしまった笑顔のまま里佳のつむじを眺めていたのだが、やがて里佳はむくりと起き上がって、今までとは正反対の消え入りそうな声でぽつりぽつりとつぶやき始めた。
「……多分、私はどうしても結婚したいわけじゃないと思うんです」
千早は彼女の言葉を一言一句聞き逃さないよう、息を詰めて神経を耳と目に集中させる。
「私がそう言っても、誰も信じてくれない。結婚できないから、したくないって負け惜しみを言ってるように聞こえるらしくって」
「そんなことはありません」
悲しそうに笑う里佳の目をまっすぐ見つめて、千早はゆるく頭を振る。
「まぁ結局世間の価値観に振り回されてこうやって婚活しているわけだから、説得力ないですよね」
里佳のような女性の相談は決して珍しくない。
結婚こそが女の幸せという絶対的な世間の価値観は二十一世紀を過ぎた今も大して揺らいでいない。女性の社会進出が推進されるようになって久しいが、結婚をしてこそ、女性としての価値を認められるような風潮も未だにある。
自由に生きられる時代だというのに、それまで形成された価値観に自分の感情が伴わなくて苦しむ人は後を絶たない。
みんなが求めるから、それを手に入れれば幸せになれるのではないかと錯覚を起こすのが日本人の悪しき習性だ。
「私も相田様と同じような思いをしたことがあります」
苦笑を浮かべながら自分の思いを吐露した千早に、里佳は目を瞬かせた。
「そうなんですか? 陰陽師って地位も名誉もある仕事だから、そういうのとは無縁なのかと……すみません、勝手なイメージですよね」
「いえ、大丈夫ですよ。いつどこの時代もどこの場所でもそういう偏見は消えないようでして。恋人はいないのか、なんで結婚しないのか、とかお節介極まりない事をよく言われます」
決して悪い感情だけで言っている人ばかりではないのは百も承知だが、考えを押し付けられる方の身にもなってほしいものだと千早がぼやくと、里佳はここへ来て初めて笑顔を浮かべた。
「こう言えば負け惜しみのように聞こえるかもしれませんが、私、別にどうしても結婚したいってわけじゃないんです……結婚していなかったら周りからまるで欠陥品のように言われることが嫌で、結婚しようとしているんだろうなって」
里佳の気持ちを、千早は痛いほどよく分かった。結婚していない、恋人がいないと言えば、なぜか妙な慰めを受けるのだ。別にそのことを嘆いているわけではないし、現状に不満があるわけでもないのに、勝手に不幸だと決めつけられる。
相手に悪意はないということは理解しているのだが、「頑張らないとね」と言われると、今の自分が間違っているような、怠けているような気持ちにさせられる。
どんな道もそれぞれ生きる人が選択した結果であって、決して間違っているわけではないのに、多くの人は勝手にそれを答え合わせしようとする。
自分の幸せを自分で決めることもできない。それが何よりの不幸であるというのに。
「自分の思いを貫く強さもなくて、周りに合わせる柔軟さもない。どちらの道も自分で選ぶことのできない中途半端な自分にも、人の幸せを妬んで、喜べない自分にも、嫌気が差す」
依頼者の現在の状況と心情を聞き出したところで、千早はこれからの具体的なプランを提示していかなければならない。
「相田様は、何か好きなものなどございますか」
脈絡のない話題に、里佳は訝しげな表情を浮かべたものの、千早の問いに答える。
「えっと……実は、私ピアノが好きで……」
里佳の答えに、千早はにっこりと笑顔を浮かべた。
「今教室などには通ってらっしゃいますか」
「いえ、数年前まで習っていた先生が高齢で教室を閉めてしまったので、最近はずっと家で弾くだけですが……」
一向に着地地点の見えない千早の問いに、里佳は千早を伺うような目で見つめてくる。
「これを機に新しい教室に通ってみませんか。人は人と関わることで、多彩な色を持つことができます。それはいずれあなた自身の魅力となり、武器となる」
環境を変えることは里佳も考えただろうが、自分一人では踏ん切りもつきにくい。
俯いて考え込んでいた里佳は、やがてゆっくりと顔を上げて、千早を見据えた。
「分かりました」
なんの根拠も脈絡もないのに、里佳が千早の提案を受け入れたのは、千早が陰陽師だからだ。
陰陽師は常人には視えぬものを捉える。
千早は寄せられた信頼に応えなければならない。陰陽師の名にかけて。
「はー……婚活って大変なのね……」
千早は婚活というものをよく知らなかったので、昼休みにパソコンで情報収集をしていた。千早の肩に乗っていた若宮も一緒に画面を覗き込んでいる。
「いつの時代も楽な色恋などないもんだ」
「私がこっちのフィールドで戦うことになったら瞬殺だわ」
「だろうな」
戦闘力は天井知らずでも女子力は皆無である。
「千早先輩婚活するんですか?」
隣の席の花代子がおやつのドーナッツを頬張りながら、千早のパソコンの画面を覗き込む。
「しないしない。というかできないから」
「ですよねー」
「ちょっとくらいは否定しようか」
乾いた笑みを浮かべながら、千早は画面をスクロールしていく。現在の婚活事情は千早の想像以上に厳しいものだった。
恋愛や結婚は戦いの一種である。婚活ともなればその一面は際立つ。
何十人という異性を比較して、意中の相手に見えないよう他者を蹴落としていく。
「私も婚活パーティーに参加したことありますけど、あれ本当にしんどくて。なんか既視感があるなぁって思ったんですけど、就活ですね、あれは」
「なるほどねー……ていうか花代子ちゃん、晴明様はどうしたの。浮気じゃないのそれ」
千早のツッコミに、花代子は大きな目をパチパチと瞬いた。
「晴明様は心の師ですけど、私の心の安寧ですけど、実際には養ってもらえないじゃないですか。晴明様への思いと、現実の恋愛は別次元ですよ」
「そ、そうなんだ……」
普段は甘さを帯びた声が突然すぅっと温度を失くした。
千早の予想以上に花代子は地に足がついた考えをしていた。
「ていうか千早先輩、お客様にいつもどうやってアプローチを提案してるんですか? 恋愛遍歴ゼロどころかマイナス値なのに、どうしてるのかめっちゃ謎なんですけど」
千早の席の向かい側の席で携帯を操作していた上野が会話に参戦してくる。どいつもこいつも歯に衣着せぬ言い方しかできないらしい。陰陽師ならもう少し言葉選びを考えてほしいものである。
千早は相変わらずパソコンの画面をスクロールしながら口を開いた。
「基本的な考えは戦術と変わらない。大体兵法に置き換えると私には分かりやすい」
徹底的な情報収集と分析、フィールドとその時の相手に適した戦術の選択などなど。
千早の話を聞いていた花代子と上野は引きつった笑みを浮かべていた。
「先輩……もう干物どころじゃなくて化石じゃないですか」
「自覚はある」
上野の言葉に怒るでもなく、素直に頷いてしまう千早に脱力する二人。
「千早ちゃん。男の人と最近出かけたのはいつ?」
会話を聞いていたらしい頼子まで、少し眉根を寄せた難しい顔をして参戦してくる。
花代子と上野はじぃっと千早を見つめ、千早は記憶を掘り起こして答えを探した。
「えっと、多分……」
「ちなみに調伏課の連中はノーカンだからね」
条件が追加され、一気に答えが絞られた。
「記憶にある限りだと学生の頃以来かと」
学生の頃はまだ合コンやなんかに数合わせだが参加していた。主に食事と酒狙いだったが。
頼子たちは呆然と、千早をまるで異次元の生き物を見るかのように見つめていた。