第十三話
樋山は次回の予約を入れて帰って行った。
開けっ放しにしていた部屋の扉から、すいーっと獣姿の若宮が飛んできて、机の上に降り立った。
「で? 安倍晴明はどうだった」
若宮の問いに、千早は苦笑を浮かべた。
「好きな人との相性を知りたいんだって」
羽の手入れをしていた若宮が、動きを止めて首を傾げた。
「は? 中学生か?」
「今時純情だよねぇ」
千早は深々とため息をついた。
「でも、彼とのやりとりはなかなか刺激的だったわ」
演技をしていない樋山耕作はおどおどしている青年だが、物事の本質を見極めようとする確かな目と思考力を持っていた。
樋山は臆病な性格で、周囲の人間の反応を常に気にしているからこそ、周囲の人間に望まれる自分を理解して演じてきたのだろう。その臆病さと観察眼が、彼を一流俳優にまで押し上げた。
「元々の性格もあって恋愛に奥手なんだろうけど、そこへ更に芸能人っていう枷が付いてくるからなぁ。前途多難なことには変わりないか」
樋山耕作の一挙手一投足で、世の中のものが大きく動いていく。そしてそれほど大きな影響力を持っているということは、当たり前だが大きな責任も伴う。
「有名人が恋愛したり結婚したりすると、相手如何んよって好感度が上がったり下がったりして今後の活動にも影響を及ぼすこともある。そうなることを恐れた所属事務所が結婚に反対したりすることもザラにあるそうだ」
「あんたそういう情報どこで拾ってくるの」
「女性週刊誌」
どこで読んで来ているのか非常に気になった。
千早は眉間にシワを寄せながら頬杖を付く。
「何を迷っている?」
的確な若宮の問いに千早は苦笑を浮かべ、机の上の若宮と目を合わせる。
「恋愛をしたことのない私がこれ以上偉そうなこと言ってて良いのかなって」
経験のない者がどんなに正論を吐いたところで、容易には受け入れてもらえない。
千早は何一つ嘘は言っていないが、自分にとって都合の悪いことも話していない。
「誰でもまともに恋愛したことない奴に偉そうなこと言われたくないわよね」
もしも自分が彼らの立場ならそう思う。
「両思いの経験はなくても片思いはしてるだろ」
「…………」
何度かゆっくりと瞬きをして、首をかしげる千早。
「そうなの?」
「…………」
千早は再び眉間に深いシワを刻んで考え込んだ。そして数秒後、千早はハッと真剣な表情になった。
「もしかして……上野君……!?」
「おいやめてやれ。無駄な死人が出るぞ」
そして、時は平等に流れるもので、千早と光政が食事に行く日がやって来た。
家を出る前、若宮には「あんまり犠牲者は増やすなよ」とよく分からない忠告を受けた。
この日の為に休日返上で頼子と花代子が選んだ勝負服は、オフホワイトのプリーツのワンピースだった。足元を飾るのは紺のベルベットのパンプス。
マンションの入り口を出ると、目の前の道路には黒塗りの車が停まっており、後部座席のドアの横には工藤が寒空の下、姿勢良く立っている。待ち合わせの五分前に出て来たのだが、甘かった。
「すみません、お待たせしてしまって」
慣れないヒールの所為でひょこひょこと妙な歩き方の千早に完璧な笑顔を浮かべる工藤。
「いえ、今着いたばかりですので」
とはいえ冬真っ盛りの一月。日も沈みかけており、吐く息も真っ白だ。肌を刺すような寒さの中に、自分の所為で居させてしまったことを申し訳なく思う。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
工藤が車のドアを開け、暖かそうな車内に千早を誘う。足捌きに注意を払いながら、千早はそろりと後部座席に乗り込んだ。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりだ」
車内には当たり前だが光政がいた。柔和な笑みを浮かべて千早を迎えてくれる。
「はい。おかげさまで」
なんとか上手に座席に収まることができて、千早はほっ、と胸を撫で下ろした。
「今日は一段とお綺麗だ」
「あまり言われたことがない言葉なので照れますね」
社交辞令と分かっていてもどう返せば良いのか分からず、とりあえず笑って誤魔化しておく千早。
たわいのない話をしているうちに目的の場所に到着した。
工藤は先に光政の方のドアを開け、続いて千早の方のドアを開けに来る。千早が両足を外に出すと同時に、光政が千早に右手を差し出す。
千早はキョトンとした表情で光政を見上げた。
「お手をどうぞ、お嬢様」
芝居掛かった台詞も光政に掛かればきっちり型に嵌り、たちまち絵になってしまう。
千早は小さく吹き出し、まるで悪巧みに賛同するようにニヤリと笑って、光政の右手に自分の左手を重ねた。
光政はしっかりと手を握って千早の体を支える。体の支えができたことで、千早は先ほどよりも軽い身のこなしで立ち上がる。
店までの短い距離を並んで歩いて行く。
今日の千早のリクエストは和食だった。千早の為に光政が選んだのは、老舗料亭が新しく展開した創作和食の店。老舗の枠に嵌らない新しい表現方法を追求し、間口を広げようと立ち上げられた新進気鋭の店だ。
「いらっしゃいませ美門様。お連れ様もようこそお越し下さいました」
玄関で袴姿の女性店員が出迎えてくれた。黒に店の家紋である梅鉢の染め抜きをされた着物に、海老茶の袴。
框を上がって店員の後をついて行く。
廊下の照明は等間隔に吊り灯籠が吊るされ、柔らかなオレンジ色の明かりを灯していた。左右の襖には雪持ち笹が絶え間なく描かれている。
「こちらのお部屋になります」
店員がふと立ち止まり、音もなく襖を引く。
部屋の向こう側の壁は一面硝子張りで、外には見事な日本庭園が広がっている。窓の上の方には御簾が巻き上げられており、庭園の風景を美しく切り取る役目を果たしていた。
天井からは様々な形の吊り灯籠が下げられており、机の真ん中と部屋の四隅には丸く小さい行灯が置かれている。
「お気に召していただけましたか?」
「凄いですね。物語の中に入り込んだみたい」
部屋の雰囲気に気圧され、千早はぽかんと呟いた。
光政は千早の手を引きながら部屋の中へ入る。
調伏課にいた頃は護衛の為に高級料亭に行ったことは何度もある。もちろん豪奢な雰囲気で別世界だったが、ここまで想像を超えることはなかった。
「もうここに来られただけで満足です」
「それは困りましたね。さすがにもう若くないので、私1人ではとても食べきれない」
光政の言葉に、千早はふと疑問が浮かんだ。
「そういえば美門さん、おいくつなんですか?」
「今年で36になりました」
「36歳に見るような見えないような……。いっそ年齢不詳と言われた方が納得できますね」
二十代にしては落ち着きすぎているし、四十代にしては老いを感じさせない。年齢不詳の方が受け入れられる気がするのだから、つくづく不思議な人である。
料理が運ばれてきた後も話題は尽きることなく、お酒も料理も次々と進んで行く。
専門学校時代に、呪詛を阻止しようとして丑三つ時にクラスメイトと鬼女に追いかけ回された話や、警護対象者が襲われた際、姿勢を低くさせる為に頭を押さえ込んだ時に桂が取れてしまい、緊急事態にも関わらず、現場の空気が凍った話、要人警護と銃器の特別研修を受ける為にアメリカへ行った際、地元のフードファイトで優勝した話などの持ちネタを披露した。
メイン料理を食べ終えてから、千早は真剣な表情で話を切り出した。
「美門さんにちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
千早の言葉に、光政は飲んでいたワイングラスを静かに置いて柔らかな視線を向けて話を促してくれる。
「美門さんは恋愛をすることが怖いと感じることはありますか」
今までも甘やかな雰囲気は皆無だったが、普通なら誰もが色めいきたつ恋愛の話になったというのに、雰囲気の鋭さが増す。恋愛の話は千早にとって仕事以外の何物でもないからだ。
光政は顎に手を添えて少し考え込んでいた。
「そうですね、歳を重ねると否が応でも守らなければならないものが増えますから、慎重にはなってしまいますね」
向かうところ敵なしに見える光政の意外な答えに、千早は目を丸くさせた。
「でも、なんだかんだ理由をつけますが、結局は好きな女性を失いたくなくて臆病になっているだけなんですよ」
失うことを恐れて手に入れることを躊躇うのは、喜びを知らなければ、失った時の喪失感を知らずに済むからだろう。
「男は女性より女々しいですからね」
「男性は古来より女性や家族を守る立場ですし、最悪の事態を想定して動くことが本能として働くのでしょうね。大切なものを守る為に」
幾千の言葉の中から、最適な言葉を紡ぐ。
千早の言葉に虚をつかれたのか、光政は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべていた。
「女性が家をしっかり守っていてくれることで、男がきちんと務めを果たせると言うことはよく聞きますが、逆のことをおっしゃる方は初めてだ」
「女性は男性に守ってもらっている安心感から、大胆な選択をできる方が多いのだと私は思います。男性が決断する場合も、女性が家庭を守っていてくれるから決断できることと同じですね」
守ってくれる人がいるから、強くなれる。守りたい人がいるから、強くなれる。
「……高遠さんにはそんなお相手はいらっしゃるんですか?」
一歩踏み込んだ光政の問いに、千早は穏やかな笑みを浮かべて答える
「私には誰か1人の人生をいただくことなどこの身に余ります。今でさえ周りの方々に支えていただいているのに、これ以上の幸福を望んでしまったら罰が当たってしまいます」
生まれた時から自分のそばにいてくれる良き理解者の若宮に始まり、自分を見捨てずにいてくれた会社に上司。才能に溢れ、今後の将来が楽しみな後輩たち。
「それに、こうして美門さんのような方とのご縁もありましたし」
千早は満面の笑みを光政に向けたが、光政はどこか曖昧な笑みだった。




