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恋占い陰陽師  作者: 新島馨
秋・女神の恋煩い
10/21

第十話

 そしてXデー当日。

「深緒様のデートって夕方からでしたっけ?」

 タブレットを操作して依頼者の情報を確認していた千早に、花代子が問いかける。

 光る画面から顔を上げて、千早は小さく息をついた。

「そうよ。今日が最高潮で修羅場、といったところでしょうね」

 デート(他人のだが)前とは思えない、表情の抜け落ちた顔で不吉な予言をする千早。

 そんな千早の様子に花代子は首を傾げた。

「それより先輩、頼まれていた服持ってきましたよ。来たら後で写真撮らせてくださいね!」

「はいはい」

 深緒のデートには千早と上野も同行する。だがもちろん斎藤に存在がバレてしまう訳にはいかないので、偽装する必要がある。男女二人なので手っ取り早いのがカップル偽装である。

 いわゆるデート服という華やかな部類の服を全く持っていない千早。デートにスーツ、しかもリクルートに毛が生えた地味なもので行くのも周りから浮くと思われ、花代子から服を借りることにした。

 花代子が選んだのはグレーのシンプルな形のワンピース。ワンピースがシンプルな代わりに大粒のパールを使ったリボンパールネックレで華やかさを加え、足元は象牙色のパンプス。

「なんか色々と心もとないわね」

「千早先輩!」

 いざという時の為に足や腕を上げたり動きを確認していると、花代子から鋭い叱責が飛んで来て千早は反射的に気をつけの姿勢を取る。

「きちんとした格好をしてるんですから、振る舞いにも気をつけて下さい! その格好でストレッチなんてしたら目立って仕方ないですよ!」

 いや、人前ではしないから……という言い訳は通用しなさそうである。

 里佳の事件の時に橘に自分の装備くらい確認しておけと言われたので、可動範囲を確認していたのだが、花代子的にはアウトらしい。世の中の正解は時と場合によってコロコロ変わるので難しい。

 千早の服装に以前から物申したかった頼子も、今日の服装には満足しているようで、気持ち悪いくらいニコニコと微笑んでいる。

「うわ、びっくりした」

 席を外していた上野は千早の姿を見て慄いた。

 千早とは違って普段からファッションにこだわっている上野は、あまり外見上の違いはあまりない。

「着る物だけでかなり印象変わるんっスね」

 果たして褒めているのか落としているのか、判断に迷う発言である。

「はいはい。あんたはいつもイケメンで羨ましいわ」

 適当に相槌を打つと、上野は調子に乗ってペラペラと喋り出す。

「いやでもね、イケメンっていうのも辛いものがあるんっスよー。日に日に期待値が上がってその期待を裏切らないのも俺の義務っていうか……って千早先輩聞いてます!?」

 上野が話してい間に千早は私物を鞄にまとめて出かける準備をしており、それに気づいた上野は怒れるポメラニアンのごとく噛み付く。

「聞いてる聞いてる。超聞いてる。マジ心に響くわー」

「聞いてない! 絶対聞いてなかったでしょ!」

「はいはい、後でよく聞かせてねー。では、いって来ます」

「いってらっしゃい。くれぐれも気をつけてね」

 ワンピースと合わせて花代子に借りたキャラメル色のコートを手にとって、千早は上野を伴って現地を目指した。


 店は斎藤の方から提案してくれた。創作和食の店で、席の全てを暖簾で仕切った半個室。

 千早たちは彼らより早く入店した。若宮は外で待機だ。

 深緒には断った上で、携帯をハンズフリーで通話した状態にして会話を聞けるようにしているので、物理的にあまり近くにいる必要はない。

「とりあえず生中」

 反射で注文を口にしてしまった千早に、上野は思いっきり口元を引きつらせた。

「その格好で生中とか頼まないで下さい。しかも仕事中ですよ」

「ごめん。つい反射で。すみません、やっぱり烏龍茶で」

 他にもサラダや揚げ物などを適当に注文して、二人がやってくるのを待つ。

「来たわ」

 運ばれて来た烏龍茶に口をつけながら千早がつぶやく。店員に案内されながら深緒と斎藤がやって来て、案内された席に着いた。

『深緒ちゃんは何か嫌いなものとかある?』

『かっ、辛いものはあまり得意じゃありませんっ』

『そうなんだ! 俺も辛いの苦手なんだ。この間取引先との食事の席で出たか辛いものだって知らなくってさ、辛くて咽せて大変だったー』

 千早と上野の耳につけた小型の通信機から二人の会話が聞こえてくる。深緒の緊張した声音を聞いているうちにこちらまで緊張でおかしくなりそうだ。

『そういえばお酒は大丈夫? 最初に会った時すごい酔っ払ってたけど』

『あ、あの時は調子に乗って飲みすぎただけで……』

『じゃあ今日も飲みすぎないように気をつけないとね』

 くすくすと笑う斎藤に、深緒は顔を真っ赤にさせて俯いた。

 とりとめのない世間話をしていると、注文した飲み物と突き出しが運ばれてきた。

『乾杯』

『かっ、かんぱいっ』

 聞こえてくる会話は和やかなもので、話題は主に斎藤から振られていた。上手に深緒から話を引き出したりしている。緊張でたどたどしくなる深緒の話にも丁寧に相槌や質問を挟んだりしている。

 そして男女での食事の場となれば、会話が温まって来たら恋愛話になることは古来よりの鉄板事項である。

『深緒ちゃんは今彼氏いるの?』

 斎藤からのこの問いかけに、緊張が走った。

『いいいいいいいません!!』

 千早はソファ側に座っているので、視界の隅田が二人の様子を捉えることができた。深緒はブンブンと頭を振っている。

『そっか。じゃあ今好きな人はいるの?』

 息もつかせぬ連続攻撃。ただの話の種にしか思っていないのかもしれないが、深緒の側からすれば、好きな人から恋愛の話を振られるのは緊張でおかしくなりそうだろう。

 何も事情を知らない人から見れば甘酸っぱい一場面に過ぎないだろうが、全ての事情を知っている千早としては気が気ではなかった。

 いつ、深緒が真実を知ることになるのだろうかと。

 そして真実を知ったその瞬間に自体は急転する。おそらく悪い方向へ。

 まるでリボルバーに弾丸を一発だけ詰めた銃を頭に突きつけられて、引き金を引かれているような気分だ。

『い、ます……』

 小さな声で深緒が答えた。

 好きな相手に向かって好きな人がいると告げることは、ある意味告白にも近い。

『若いから恋愛もまだまだこれからだよね。良い人捕まえなくちゃ』

『っ、』

 この場で言ってしまうか。好きな人はあなたです、と。しかしこのまま流れで言ってしまっって良いのだろうかと、葛藤が深緒の中でせめぎ合っているのだろう。

 数秒の沈黙の後、深緒はゆっくりと口を開いた。

『さ、いとうさんは、好きな人、いないんですか……?』

 千早の脳内でついに撃鉄が引き起こされた。

『俺は婚約者いるからさ』

 斎藤は料理を取り分けながらなんてことのない世間話のようにさらりと残酷な現実を告げた。千早はより一層神経を尖らせ、上野は思ってもいない展開に目を見開いている。

 当の本人の深緒は呆然として言葉を失っている。

『もう昔みたいな焦がれるような熱さはないけれど、一緒にいて落ち着けることが大事だなぁって思ってさ』

 斎藤から紡がれる言葉の数々が、見えない刃となって深緒の恋心をズタズタに切り裂いていく。 

 衝撃のあまり声が出せない深緒に、斎藤は悪気なく追い討ちを掛ける。

『深緒ちゃん、俺の妹とよく似てるんだ。だから、たくさん良い恋愛をして、良い結婚をして欲しいんだ』

 出会った時から斎藤は深緒を女性としてではなく、自分の妹重ね合わせていた。元から恋愛対象になりえなかった。だから、食事に応じることもできたのだろう。

『そう、ですか……そう言っていただけるなんて嬉しいです』

 彼女の高いプライドがなんとか本能を押さえ込んだ。

 その声音が揺れていたことを知るのは、千早と上野だけだった。



 食事は何事もなく終了した。

『本当に大丈夫? 途中で寝たりしたらダメだよ?』

『はい。大丈夫です。今日は本当にありがとうございました』

 斎藤は近くまで送っていくと申し出たのだが、深緒は頑なにそれを拒んで駅で別れることになった。

『俺も今日は楽しかった。またご飯行こうね』

 駅の雑踏に消えていく斎藤の背を。深緒は力無い笑顔を浮かべて見つめていた。千早と上野は耳にはめていた小型通信機を外して、足早に深緒の元へ向かう。

「……深緒様」

「なぜ」

 深緒は斎藤の姿が消えていった駅の構内を見つめたままだ。

 空気が瞬く間に凍てつくような冷気を纏い、えも言われぬ恐怖が足元から這い上がってくる。

「なぜこの私が人間ごときに蔑ろにされなければならぬ……!!」

 部わりとヘドロのようなおぞましい何かが、深緒の足元から溢れ出してくる。深緒の感情に反応して瘴気が現世へ流れ込んで来ているのだ。

 一般人にも視認できるほどの瘴気は毒性も非常に強い。周囲の人間は悲鳴を上げて逃げ惑ったり、瘴気に当てられて身動きが取れなくなって呻いている。

「上野君、一般人の避難誘導と近くの調伏課に応援要請を」

 血の気が引いた真っ青な顔で上野が千早を見つめる。

「ここは私が抑えるから、早く行きなさい」

 有無を言わせぬ千早の指示に、上野はまろびながらも走り出した。

 千早はかばんから霊符を取り出し、深緒の方へ向かう。霊符を宙に放つと、深緒から半径数メートルほどを不可視の障壁が多い、瘴気を遮断する。

「人間如きが私の邪魔をするなど身の程を知れ!」

 深緒が声を張り上げ、その勢いが衝撃波となって周囲を襲う。

「っ!」

 千早はなんとかギリギリのところで踏みとどまったが、衝撃波で飛ばされた物が、駅のガラスに当たって

粉々に砕け散り、辺り一帯は逃げ惑う人々の悲鳴でいっぱいになった。

 吹き飛ばされそうになる体を必死に空間にねじ込みながら、じりじりと深緒の元へ近づいていく。

「っ、みお、さまっ!」

 瘴気と風圧で言葉を発するどころか、息をすることさえ儘ならない。

「千早!」

 その刹那、瘴気の断層を切り裂くように若宮が飛来した。若宮が千早のいる範囲の空間を翼で裂き、瘴気と隔てる風の防壁を築く。

 暴風がまるで無風地帯のように凪ぎ、一気に息がしやすくなった。

「これまた派手にやらかしたな」

 旋回して戻ってきた若宮が千早の肩に着陸する。千早は咳き込みながら体勢を立て直す。

「多少暴れるのは想定内だったけど、些か派手すぎね」

 息を整えると千早は苦笑を浮かべ、静かに目を閉じる。

 そして大きく呼吸すると、凪いだ水面のような静かな目を深緒に向け、足を踏み出した。

 口に中でぶつぶつと真言を唱えながら手で九字を切り、刀印を結ぶ。千早が言葉を紡ぎ、インを結ぶ度に不可視の糸が深緒に絡みついていく。

「……マカロシャダ・ソハタヤ・ウン・タラタ・カン・マン!」

 千早が術を完成させると、深緒は音を立てて固まった。

「お鎮まりくださいませ、深緒様」

 キリキリと張り詰めたピアノ線を、幾千も巡らせたような鋭い緊張感が空間を満たす。

 千早の術で動きを封じられた深緒は、射殺さんばかりの眼光で睨みつける。

「ほざくな小娘!」

 華奢なその体から出ているとは思えないほど、低い獣じみた声。あまりの恐怖に悪寒が全身を駆ける。

「ここで全てを壊してしまえば、あなたが今までしてきたことは意味がなくなってしまいます」

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!」

「あなたは望めば彼を手に入れることができた。それでも、茨の道だと分かっていても、あなたは恋がしたいとおっしゃいました」

 千早は術で捩じ伏せることはせず、ただひたすらに言葉を紡いだ。

「人は愚かです。たとえ己の思いが報われなくとも、人を思わずにはいられない。そしてかの人の幸福を願わずにはいられない」

 矛盾だらけで完璧な形とは程遠い人間の感情。完全な存在の神からすれば理解不能だろう。だが、不完全なものに人は惹かれる。

 理屈も常識も平気でひっくり返す恋愛など最たるものだ。

「相手の幸せを願うことができないのなら、それは恋と呼べません」

 深緒は恋がしたいと言った。それならばその思いを全うさせるべきだ。ここで千早が折れてしまえば、誰一人として報われない結果を迎えることとなる。

 たとえ神の不興を買ったとしても、一度交わした約束は違えてはならない。違えばそれは新たな歪みを生むだけなのだから。

「ここで全てを壊してしまえば、彼に恋したあなたを否定することになります、今回の結果はあなたにとって不本意な結末だったかも知れません。ですが、抱いた気持ちすら意味がなかったと壊してしまうおつもりですか」

 滔々と語られる千早の言葉に、深緒はぎり、と唇を噛み締める。

「恋をしている時のあなたは何よりも美しいかった」

 偽りのない千早の言葉に深緒の瞳が揺らぐ。それと同時に瘴気の渦がほんの僅かだが和らいだ気がした。

「美しかったものを切り捨てて、壊して、それで残るものはたかが知れているでしょう。悲しいのも辛いのも、何もかもを内包するからこそ、恋は、恋する人を美しくさせる」

 渦巻いていた瘴気は潮が引くように収まっていく。

 そして深緒はほろりと宝石のような涙を零した。

 千早が深緒に掛けていた縛術を解き、深緒は糸が切れたように崩れ落ちる。一粒零れた次へと次へと零れて、やがて深緒はその場で声を上げて泣き始めた。

 物陰に隠れて嵐が過ぎるのを息を潜めていた人達が、恐る恐る物陰から出てくる。互いに声を掛け合って負傷者の手当や救急車の手配に奔走し始めた。

「千早先輩! 大丈夫ですか!」

 顔を真っ青にさせた上野が躓きながらも、千早の元へと駆け寄ってくる。

 先ほどの暴風ぬさらされ、いつも完璧にセットされている髪はボサボサに乱れてしまっていた。 

 「まぁ、なんとか……」

 上野の方へ歩み寄ろうとしていた千早は、なぜかピタリと足を止めてしまっていた。

「先輩?」

 不審に思った上野が眉間にシワを寄せたその瞬間、千早が突然血を吐いてその場に崩れ落ちた。「かはっ、」

「千早!」

「先輩!?」

 千早の肩に止まっていた若宮は瞬きのうちに人型に姿を変え、上野は血相を変えて千早の元へ駆け寄った。

 千早は口元を手で抑えているが、指の隙間から零れた血が地面に滴り落ちていく。

「上野! アルカナの救護班を呼べ!」

「は、はい!」

 若宮が蹲っている千早の背を擦りながら上野に指示を飛ばし、上野は自分の携帯から本社の電話番号を呼び出す。

 深緒は呆然とその様子を見つめていた。

「しっかりしろ千早!」

 大量の霊力消費によって押さえ込んでいた呪詛が発動している。早く専門の医者にかからなければ死ぬだろう。ああ、でもまた怒られるのは嫌だなぁと千早は頭の隅でぼんやりと考えた。

 すると、急に頭上に影が差す。


「失礼」


 影を作っていた人物がすっとしゃがみこんだ。

「どうされました」

 若宮に声を掛けてきたのは、相変わらず一部の隙もないスーツを着こなした今様源氏こと美門光政だった。

 混沌としたこの場でもその美貌はかけらも崩れることなく健在で、不変の表情が周囲の心を落ち着かせる。

「呪詛の影響だ。普通の医者にかかっても手遅れになる」

「それならうちの系列の病院に搬送しましょう。陰陽道専門の医者がいます。今なら道が混む前に抜けられる筈です。工藤」

「承知いたしました」

 霞みがかった意識の中で立ち上がらなければと足に力を入れようとした時、ふわりと浮遊感が襲う。

「あとはお任せください」

 にこりと完璧な笑顔を向けられる。光政が抱え上げてくれたのだと理解し、これで歩かなくて済むと思って気が抜けた瞬間、意識はどこかへ吹き飛んだ。

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