6-13 魔界
爆睡していて三十分ほど遅れましたごめんなさいなんでもしますから許してください(何でもするとはいっていない)
血の沼の中に融けていた意識が、ぬるりと形を再構成する。
思い出したように重力が仕事を再開し、体を引き付けた。どうやら、移動は完了したらしい。
赤。転移した先は赤かった。
赤茶けた大地、夕方よりも黒ずんだ空。太陽は見当たらないが、所々にある岩がぼんやりと発光しているのか、遠くまで見渡せる。空気は乾燥していて、吹き付ける風は熱い。
邪悪な魔物や悪魔が闊歩していそうな光景に、ユートは魔界と言う文字を強く想起した。実際、ここはユミナさんが言っていた邪神との戦争により人間が住まなくなった土地なのだろう。
「ようこそ、邪神の地へ。ここがわたし達の本拠地だよ!」
ゼフィーが元気にそう言い、すぐ後ろを指さす。そこには魔界や邪神といったファンタジーな言葉とは無縁な、何の変哲も無い一軒の住宅があった。それは住宅と呼ぶにふさわしい、純和風とも洋風とも言えない、日本で一般的に見られる、至って普通の家だった。
もっとも、元日本人でないシューミルには異質な建物に見えるはずだろう。昔話程度でしか聞いたことがないのであろう邪神の地にある不思議な建物を警戒しているようだった。
「ここで立ち話というのもよろしくありませんわ。早く中に入りませんこと?」
ナツメが黒猫のキーホルダーがついたカギを取り出し、ドアを開ける。
中も、まるで日本からそのまま持ってきたかのように、おあつらえ向きな"ふつう"が待ち構えていた。
玄関口に揃えられたスリッパ、傘立て、靴箱の上に置かれたウサギの飾り。どれも、日本では"ふつう"にあるもので、ここにはなかったものだ。
「・・・・・ただいま」
思わず、口がそうつぶやいていた。
「それを言うなら、お邪魔します、ではないですか? ―――実は私たちも、初めてここを建てた時はそんな気持ちになってしまったんですけどね」
ナツメがそう言って、くすりと笑う。外にいた時の形式ばったお嬢様言葉は、何処かに消え去ってしまっていた。
ゼフィーも、乱雑に靴を脱ぎ捨てて奥のほうへとてとてと走っていく。
「お・・・お邪魔します」
「ええ。居間はゼフィーの行った方にあるわ。私は紅茶を準備してくるわね。猫耳ちゃん、手伝ってもらってもいい?」
「は、はい」
ナツメさんも生き生きとしている。最初に見た時の冷徹な表情とはうって変わって、楽しそうだ。
言われたとおりに居間のほうに行く。内装も、全て日本にあっても何の不思議も無いものだった。
「そこに座っていいよー。大体の物はあるけど、テレビがないのは許してねー」
奥のソファーに寝っ転がるように座っているゼフィーが足で指す。化学繊維でできたソファーはやわらかいクッションを以てユートを受け止めてくれた。
「お待たせ。ゼフィー、一応客人なわけだし、もう少ししゃんとしたらどう?」
「へーい」
ゼフィーがこっちに向き直り、姿勢を正したかと思うとすぐに欠伸をした。
「えっと、何から話そうかしら。まずは・・・」
と言いかけた途端、ズン、と何かが降ってくるような音と、地響きがする。一瞬ロイツェフがここまで追ってきたのかと思ったが、物理的に無理だろう。まさか本当に魔物・・・が出るような所に家を建てたりしないよな?
暫くして戸が開く音がして、足音がこっちにやってきた。
「ひぃ、置いてくなんざ聞いてねぇぜ・・・」
そう息を切らし悪態をつきながら入ってきたのは、中学生くらいの男の子だ。
「もっとおっさんを労われっての」
上着を脱ぎ捨て、椅子にどかっと腰かける。スプリングがぎしりと音を立てた。
「あぁ、名刺交換とかはナシな。幾らなんでもそこまではやりたかねーからな」
「は、はぁ・・・・・・」
「ん、どうした? まだ話していなかったのか?」
「ちょうどあなたが帰ってきたら話すつもりだったわ。まずは自己紹介から始めましょうか。ああ、その前に、猫耳ちゃんのことなんだけど」
ナツメさんが咳払いし、話を始める。
「あの子はこの世界の子でしょう? 今は部屋に荷物を運ばせて席を外させてるけど、今後どうするつもりなのかしら?」
どうするつもり、とは、別の世界の人間だということを明かすのか、ということだろう。その答えはもう、ここに来た時から決まっていた。
「全て話すつもりでいます」
「―――そう。それならまとめて話をしたほうがいいわね。少し待っているから、呼んで来て、転移のことくらいは話して来てくれないかしら?」
「はい、わかりました」
「今は二階にいるはずよ。勘違いさせないように、ゆっくり話すこと」
「気を付けます」
居間を出て、階段を上る。シューミルは布団を運んでいたようだった。慣れない空間だからだろう、おそるおそるといった様子だ。
「あっ、ご主人様。どうされましたか?」
「ちょっと大事な話なんだ。その布団を運んだら、いいかな?」
シューミルと一緒に手近な部屋に入る。窓からは、赤い空がのぞいていた。




