1章 異世界で魔法使いになった男 -2-
トンネルを抜けた先に道は続いていなかった。訳が分からない状況に理解を拒んでいる脳味噌を無理やり動かして現状を整理する。
まず、さっき車に乗り込んでトンネルを抜けたときにはまだ夜だったはずだ。今は周囲が明るく、昼間になっているように見える。慌てて後ろを確認してみればトンネルの向こう側が見えた。
その先にも道はない。
呆然としながら車をバックで走らせトンネルを戻ってみればやはり、そこにあの怪物から逃げてきたはずの道は存在しない。
ただただ静かな自然の中でドッドッと響くエンジンのアイドリング音が現実味を失わせ、シュールでさえある。
俺はただ一人、スカイブルーの愛車と共に知らない世界へと放り出されてしまったらしい。
アイドリングによって車のガソリンを無駄遣いしないためにエンジンを止め、車の外に出て呆然と周囲を眺める。
森だ。ただただ、広さかも分からない森が広がっている。様々な、それぞれ深さの違う緑色は美しく、木々に囲まれたこの環境では気温も丁度いい。
こんな状況でさえなければさぞ楽しい行楽日和だったはずだ。
「ふぅー」
大きく深呼吸しどうすべきかをもうずっと考えているが上手く考えが纏まる、などということがあるはずはない。
当然だろう。一体なにをどうしたらこんな状況になる。ここまでの人生、読書が趣味で様々な本を読み漁ってきたが困ったことに、獣に襲われ逃げてみれば異世界にいました、等という状況に対応できるような知識を授けてくれるものはなかった。
こんなことならば実家にいる妹がよく読んでいるファンタジー小説も読んでおけばこの状況に対応することもできたのだろうか。
大声で叫びたい気持ちをぐっとこらえて車のトランクについた傷を見てみればそこにはあの怪物から逃げ出した際の傷がある。
もし叫んだりして、あの怪物やあるいは他の獣を寄せ付けたりでもしようものならもう俺にそれをどうにかできる手段はない。
トンネルの周囲には、大きく開いた平地となっているがその先は獣道だ。車で走り抜けられる道はない。もう車で大きな獣から逃れることはできないのだ。
しかし、このままここで留まっていてもどうしようもない。携帯の電波は圏外で外部への連絡は取れない。
睡眠は車の中で取ればいい。食料と水も一食分だけならば肝試しの前にコンビニで買っておいたものがある。
それだけだ。今の俺の手元にあるのはたったそれだけである。
もし、今日中にここから家帰ることができないのであれば森で食料と水を確保して拠点であるこの車の位置まで戻ってこなくてはならない。
綺麗好きで整理整頓が癖になっていることが仇になるとは思わなかった。車やバックに余計なものを残さない主義だったので、本当にコンビニで買った食料と家から持ち出してきたバックの中身である携帯電話と大学のノートとペンしか持っていないのである。
とにかく、明るいうちに動かなくてはならない。万が一食料が確保できなかった時のために持っている食料と水をギリギリまで口にしないことを決め、眼前の緑を睨んだ。
「…行こう」
今、明るいうちに動かなくては。行かなくては死んでしまうから。そんな後ろ向きな感情と本能的な機器に突き動かされ、俺はふらふらと深い森に足を踏み入れた。