1章 異世界で魔法使いになった男 -1-
ああ、あんな馬鹿共に付き合わなければ良かった。
背中に迫ってくる獣の気配を感じながら山道を全力で走りながら俺は人生最大の後悔をしていた。
家で大人しくいつも通りに読書して、風呂に入ってから眠れば良かったのである。そうすればいつも通りの朝を迎えることができたはずだ。
しかし、もう俺にそんな明日は来ないのかもしれない。こんなことになったのも、大学に入って無理矢理入らされたサークルでできた友人達が、俺が車を持っているという理由で肝試しなどというクソ以下のイベントに誘い出してくれたことが原因である。
そんな彼らは、たどり着いた山道の途中にある心霊スポットに着いてから俺たちを晩飯にしてやろうと追いかけてくるあの獣を見たとたん、この肝試しに乗り気でなかったせいで一番後ろにいた俺を囮にして逃げてしまった。
あまりの暗がりで、先ほどから人様の背中に殺気をぶつけてくる畜生の正確な姿は分からない。少なくとも小さくはないことは分かっているが、その正確な姿が確認できる距離にまで接近されてしまったらまず命はないだろう。
ずっと走っていたせいで今にも破裂するのではないかというほどポンプしている心臓を落ち着けながら次の動きを考える。
人を獲物にできるほどのサイズを持つ獣を相手に鬼ごっこしながら暗い山道から下山するのはどう考えても現実的ではない。
まずは車だ。ここにやってくるまで足にした車まで戻らなくてはならない。ここには4人でやってきた。車の持ち主は俺でキーは俺が持っている。
他の3人は俺を囮にして逃げてしまった屑どもだ。気にする必要はない。俺は自分が助かることを考えて走るのだ。
獣が車の方角からやってきてくれたせいで、逃げ出し始めた時は車に戻ることはできなかったが今は可能だ。上から見れば俺が車を頂点にして三角形に移動してきたことが確認できるはずである。
後は、車まで戻り乗り込んでエンジンをかけ、走り出す。大丈夫だ、簡単なことだ。
覚悟を決めて車に向けて最後の疾走を始める。奴との距離は開いている。心臓も呼吸も落ち着いている。後ろから再びやつが動き出す気配がしたが、十分逃げ切れる距離だ。問題ない。
足を少しだけもつれさせながら車まで走りきる。扉のハンドル部に触れるとロックが解除された。キーレスエントリーで本当に良かった。ブレーキを踏んでプッシュスタートボタンを押し込む。
エンジンがかかりようやくトルコンレバーをドライブの位置に動かしたところでトランクの方からガリガリという音が聞こえた。
バックミラーに移ったその姿は余りにおぞましい。こんな生き物が何故この日本に存在していたのだろうか。
大きさは成長した熊ほどはある。体毛はなく、むき出しになっている皮膚からは木の枝や岩で切ってしまったであろう小さな傷や他の動物とやりあったのであろう大きな傷がハッキリと確認できる。
大きな唸り声がお前を必ず食ってやるぞと言っているように聞こえたのが幻聴とは思えない。
体毛がない、皮膚がむき出しになっている顔に寄った獰猛な皺は醜すぎる。こいつは獣ではない。世にも恐ろしい怪物だ。
「うっ…おおッ」
初めて見た小一時間も鬼ごっこをした相手の姿に思わず呻き声を上げ、慌ててアクセルを踏み込み急発進すると怪物は慌てて車から手を離した。
曲がりくねった山道を大急ぎで走る。緊張であっという間だったのか、長いこと走ったのか分からなくなってしまったが、とにかくこの心霊スポットの入り口のトンネルが見えてきた。
直線のトンネルに入ったことで更にアクセルを踏み込み、加速する。
トンネルを抜けた先に…道は続いていなかった。