混合
「あなた、手を引きなさい」
「あっ?」
場所は昨日と同じ学生食堂。煙草を咥えながら缶ビールをあおっていたところで正面からの声。
十夜は目の前にあった白磁の美貌に目を奪われるわけでもなく、その姿勢のままで固まっていた。
「?」
「いや、物足んねぇと思っただけだ」
「そう、よくわからないけど残念ね」
言いながら十夜の正面に腰掛けたプラチナブロンドの少女、白雪 咲は伊達めがねを通したその双眸を向けてくる。
「もう一度言うわ、あなたはこの件から手を引きなさい」
「悪い、今トラブルをダース単位で抱えてんだ。もしかして不法改造銃器に関してか? それとも動物保護管理地区での狩猟の件か? いや、アレはばれてねぇから暗殺業の………」
ろくでもないことを自白していく十夜を手で制して咲は言う。
「どれでもないわ。私が言っているのはこの前から起こっている通り魔事件について」
「ああ、狼男の件か」
得心が行ったように頷く十夜に、咲は視線を細める。
「会ったの?」
「遭ったんだ」
意味深に笑って指に挟んだ煙草をもみ消す。
「そういうテメェはどちら側だ?」
「どちらの意味で?」
冷気を帯びた双眸にひるみもせずに十夜はビールを飲み干し握り潰す。
「敵か」
「味方か・・・ね」
二つの視線がぶつかり合い、周囲の温度が下がっていく。
「私は、どちらでもないわ」
「なら、テメェは俺の敵だ」
一方的な宣戦布告。冷静を常とする咲でさえ息を飲む。
「白にも黒にも染まらねぇ奴は、いつ逆側に染まるかわかったもんじゃねぇ。ならこの件に関して、俺の前に現れる限りテメェは敵だ」
口元の皮肉な笑みは虚構であり、黒瞳の奥にあるのは方向性のない苛立ちと怒りだ。それを悟った咲は冷笑。
「いいわ。いっそこの方がらしい(・・・)もの」
「せいぜい俺の前に立ちはだからないことを祈るぜ?」
言うなり、昨日と同じように席を立つ。そして、その背が遠くなりつつあるところで、彼がいつもの黒衣を着ていないことに気づく。
とはいえ、どうでもいいことだと思い、頬杖をついて一言。
「………お腹空いたわね」
「おっ、うまそう。俺にも分けてくんない?」
「嫌よ」
あっさりと断言、取り付く島もない。
「今から購買部に行きなさい」
「昨日の買占めのせいで、購買部が抗議のために販売中止してるんだよ」
「じゃあ飢えなさい。それと視界に入らないで、鬱陶しいから」
みんなの憩いの時、昼休みの昼食中に声をかけられたから思えば、それは『嘘つき』で有名なクラスメイト、アレフ・マステマが、美咲の昼食用サンドイッチを物欲しそうな顔で覗いていた。
「ほんとに分けてくんないのか?」
「あたしは昨日がんばってカロリーが必要なのよ。あんたに恵むほど人間できてないわ」
言うなり、最後の一つをほおばって一言、
「ご馳走様」
「ひ、ひでぇよ梓! 愛する俺の為にパンの耳を残すような優しさはないのか?!」
「サンドイッチにパンの耳はないんだけど」
「比喩だ比喩!」
「大体愛するってなに? 昨日似たようなこと咲に言ってなかった?」
紙の包みを握り潰して教室の隅にあるゴミ箱に投擲。的中。つまり当たって落ちた。
「愛は無限でどこまでも広がっているのさ」
「つまり、気が多いだけの話しなわけよね」
「それは誤解さ。俺はいつだって梓の事を見てるぜ?」
「それってストーカーよ」
なびくことなく席を立てば、アレフはそのまま苦笑する。
そして、漏らした言葉は、
「冗談はここまでとして、昨日はワイルドな彼と逢瀬していたって本当?」
「あんた・・・」
下卑た口調に眉根を寄せたわけではない。その言葉の裏に隠れる意味に気づいたからこそ、進めようとしていた歩を止め眉を寄せたのだ。
「あのメールはあんたの仕業?」
「心当たりはないけど心当たりはいる」
矛盾した言葉に向き直り、その胸倉を掴む。
「言いなさいよ、昨日も一人被害にあったわ。一生残る傷を負ってベットの中でうなされてるのよ?」
何事かと注目が集まるのも構わず美咲は問い詰める。一方アレフはへらへら笑ったまま降参とばかりに両手を挙げた。
「俺達が確認してる限り人狼は二匹。共に解剖と墓の中」
「おめでとう三匹目よ。あたしがぶった斬って殺したけど、死体はなくなってたわ。十夜に話しを聞こうと思ってたけど、あんたの方が色々と知ってるみたいね」
「そうでもない」
軽薄に笑う少年は教室の隅、姿のない机を指差す。
「俺よりもサキの方が知ってるかもよ」
「確かにあんたよりは信じられるけど、いなければ話しもできないわ」
「探す努力は?」
「あたしが目の前のヒントを見逃すと思うわけ?」
女神のような美貌でも怒りがこもれば夜叉もかくや。しかしアレフは構わず服から手を振り解く。
「嘘つきは誰なんだろうな?」
嘘つきの少年が嘘つきは誰かと言って笑う。
「嘘つきは狼に食べられるのよ?」
「食べられるのは赤頭巾ちゃんさ」
はぐらかそうとするアレフに思わずカッとなって拳に力がこもる。そして、その右腕を叩きつけようとする寸前に、背中から声が投げかけられる。
「猟師は狼の居所を探っているし、腹を開くためのハサミを探しているのだけれどね」
美咲は動きを止めて振り返る。
「どういうことルガー?」
先にいるのは学級委員の少年。手に持つのは学級日誌だが、今日の担当は別の人物だったはずだ。
「ここで益にならない問答をするよりも、するべきことは別にある。例えば吹雪が自分に質問し、自ら危険に向かった過程などにね」
「あいつが嘘つきとでも言うわけ?」
「違うよ。彼はどんな時だって己自身だけのためには動かない。過去と照らし合わせても、その例はない」
第三者の少年にアレフが頷いて応じる。
「どーする? 質問タイムは終わりかい?」
「・・・・・っ」
答えず美咲は背を向ける。
「………全てが終わったら覚悟なさい」
紛れもなく、怒りの上で成り立つ真実の呟きだった。
「一つ聞いておきたい。とはいえ質問の前にワンクッションは必要と思ってよ」
場所は学園都市・傷病者収容施設。簡単に言うなら病院であるその一室。
いつもの黒衣を失った少年が、黒衣を与えた少女の前で腕を組んで座っている。
「土産だ。気が向いたら食え」
近くの机に置かれたのはフルーツバスケット。種類は豊富で、飾られたウサギ形のりんごが愛らしい。
「あなた……私を助けてくれた人?」
部屋は個室。ベッドに身を横たわすのは全身を包帯で被われた年若い少女。
「違うがそうとも言える」
「名前は?」
自嘲と共に答える。
「歩く法律違反」
「そう」
少女はあえて問わない。だから、元黒衣は尋ねる。
「殺してやる。だから、心当たりを言え」
言葉の裏に潜む激情を悟ったのだろう。だからこそ、少女は口を開く。
「何で、そんな事までしてくれるの?」
「テメェは悔しく、辛くはねぇのか?」
元黒衣は言った。
「俺は理不尽な暴力と力を滅ぼす死神だ。最弱の力で最強を滅ぼす死の鎌を振るう最凶」
少女は嗅覚だけで、突如昇った紫煙を知る。
だから、少女は呟いた。決定的であり、瑣末ごとの一言を、
「私、あの日告白したいから来て欲しいって呼び出されて、それであんな目にあうなんて思ってもなかった………」
思わず漏れてしまう嗚咽。そして、数瞬の時の後、元黒衣が言った。
「テメェは忘れろ。そして、再生師にまかせて傷を直せ」
近くにかけられたままだった、黒のロングコートを手にとって出口に向かう。
そして、ろくに見えずとも、それをまとった彼を彼女はらしいと思った。
まとった黒衣に少年は笑う。
「安心しろ。次の被害者はねぇし、テメェが襲われることはねぇ。根こそぎ俺が踏み潰す」
黒衣は言う。
「あいつらは俺の獲物だ」
「バーニィ?」
質問の答えは無い。
とはいえ聞こえているの事実だ。エリスは構わず質問を続ける。
「答えないとメインバンク壊滅させるわよ」
だから、というわけではないが、オラトリオの研究室に、麗姿の少年の姿が浮かび上がる。
『何ですかエリス?』
「お姉様が調べている事を知りたいのよ」
『嫌われるとしても?』
「いい? 裏が取れなくてもあたしは行動するわ」
お姉様のためにと付け加えて、
そして、その背から響く足音、
『裏切り者は、いつだって期待と理想を裏切るものです』
神様なんていない、悪魔しかいないことを知っているからこそ。
交わった後で少年達は交じり合う。
「聞いておきたい?」
「テメェが話す気さえあるなら」
邂逅は数瞬、だが、背中あわせのまま黒衣が続ける。
「正直言うなら言って欲しい。俺の方は手詰まりだ」
「お前にしては珍しいじゃないの」
「言え、言わなければテメェを殺す」
「本当に殺せるか? お前はいつでも口だけだ」
「殺す。それは事実。何ならやりあうか?」
「最弱と嘘つきがやりあうのか? 勘弁して欲しいね」
嘘つきが笑って最弱が睨む。
「良いだろう。今回見逃す」