備前 奏の方程式7
戦闘学科寮のとある一室に、戦闘を終えた十夜が訪れていた。
「無事かクソ女?」
「女の部屋に入るなら常識をわきまえなさいよ」
事件が露呈するのを防ぐため入院を避けた戦闘学科居住区で、横になっていた美咲が不満げな声で応じるのに対し、侵入者の黒衣は肩をすくめるだけだ。
「それだけ言えりゃ充分だ。あ、これ置いとくぞ」
「彩りが荒い」
形だけの花束。しかし、断面は荒い。つまり、本職ではない人間がつんできたという事だ。包装紙に包まれているため気づかれることは無いが。
「知るか、花屋に言え」
それをあらゆる靴でまみれた靴入れの上に置き、黒衣がそっぽ向く。しかしも、言葉だけは続けた。
「その・・・大丈夫か?」
「み、見ればわかるでしょ?!」
肋骨は三本折れていた。とはいえ、魔法学科の治療もあり、数日の安静さえあれば完治すると言われていた。だが、生まれた言葉は反発であった。
「その・・・次は絶対に守る」
「と、十夜?」
一瞬だが、美咲の息が止まった。
「テ、テメェが傷つくとあいつ等が悲しむ。だから俺はお前を守る」
「バ、バカじゃない?! あんたなんかいなくても、あたしはあたしを守るわよ!」
叫んだ後で十夜が笑った。
邪気も無く、皮肉も無く純粋に。
「………そうだな」
だが、少しさびしそうに、
だから、美咲は言葉をつぐんだ。
「なら、不快の原因は去るさ」
いつの間にやら取り出した煙草を咥えて、十夜は後ろのノブを握る。
「テメェは寝てろ。くだらねぇことは俺が片付ける」
言わずとも奏達の件だ。
だから、美咲は声を上げた。
「私は好きよ!」
「なっ!」
十夜は思わず動きを止めた。だが、美咲の方も自身の言葉に驚きつつ、慌てて訂正する。
「も、もちろん奏のことよ?!」
思わぬ自身の言葉に動揺し、頬が赤く染まるのを自覚した。だから、不機嫌を装って低い声色で続ける。
「奏達のこと好きだから、ついでにあんただって助けてあげるわよ」
言ってから嫌がる十夜の姿を予想したところで、少年が肩越しに振り返った。そして、
「期待してる」
屈託無く笑った。
いつもの皮肉な笑みや苦笑ではなく、ただ純粋に彼は笑っていた。一瞬、美咲は思わず見詰めてしまった。
だが、その事実に気づくと頭から毛布をかぶり、上気した頬を隠す。
「わかったなら早く行きなさい! それ以上乙女の部屋にいるつもりなら訴えるわよ!」
「へいへい、俺は退散しますよ女王様」
言い返す間もなく扉が開く音が鳴り、閉じられることで静かになった。その時の十夜の表情が、見えずとも皮肉げに薄く笑っていた事を予想できる。
「ったく、あんな表情できるなら普段からしろってのよ」
少女は布団にもぐったまま、不機嫌を装って呟いた。
「梓 美咲の調子はどうだった?」
学生食堂の左隅、照明も届きづらく薄闇に包まれたテーブルの周りで、三人の少年少女が向かいあっている。
「聞かなくても公式とかいうので知ってんだろ?」
「機嫌やこれからの私達に対するスタンスという意味でだ」
先に来て陣取っていた奏の前には五段に重ねられたカレー皿が重ねられていた。隣の士郎はコップに水のみ。
「助けに来てくれるらしいぜ?」
美咲がこない事を予想した上で缶ビールを取り出すなりプルタブを開けて口をつける。
「僕達のしたことやしてる事を自覚しようよ。少しでもリスクを減らそうとする努力を心がけてよ」
言われた言葉が聞こえていないのか、取り出した煙草に火をともす。
「で、今日はどうするつもりなんだ? 今のうちに言っとくが、クソ女は手伝う気はあっても動けるような状態じゃねぇぞ」
「そういう君の『公式』を見る限り、生きているのが不思議なくらいだ」
「え、なんのこと?」
十夜は肩をすくめて、手に持つビールを一息で飲み干す。
「それでナイトクラスとやらの実力はどうだった?」
「俺は証拠隠滅して逃げただけだぜ?」
二つの視線を受けて十夜はとぼける。
「手袋で隠していても粉砕骨折した跡の残る拳と、接着はしていても全身に残る傷跡は隠せない」
「それじゃ、あの後一人で戦ったの?」
飲みきった缶を握り潰して脇にのけると、吸いかけの煙草を形態灰皿でもみ消す。その上で面倒そうな口調で言った。
「ナイト一体にポーンが二体。ナイトが前衛でポーンが支援要員という立場だ。実力は機械甲冑以上の無茶な動きで二本の剣を振り回しやがる。んでもって魔法も使えるらしい」
「ひ、ひとりでそれを倒したの?」
二本目の缶ビールをコートの中から取り出しながら頷く。
「もう一度やれと言われたら無理だけどな」
その言葉に対して奏は訝しがるように顔をしかめる。
「大部分の傷は治療ではなく自然治癒の形跡がある。人間の細胞は分裂できる回数と期間というものがあるのにも関わらず」
「テメェ、それセクハラ入ってるぞ」
声の調子は軽いが眼光は普段以上の鋭さを秘めていた。それに気づいた奏はあえて追求せずに話題を移す。
「しかし、これでわかった。守護者とはいえ無敵ではないし、壁は頑健であっても無限ではない。ならば今日も実験の続きをする必要がある」
「僕としては優雅な日曜の陽気を楽しみたいんだけど」
当然その声が届くはずも無く、不意に立ち上がった彼女の後に続くしかなかった。
『知っている者と知れぬ者』
とある事件により半壊しかけていた戦闘学科 情報学部校舎は突如訪れた大規模な砲撃らしき何かによって、ほぼ全壊していた。
黒焦げになった鉄筋コンクリートが、何故か無数に列断され転がっている。もし、校舎に誰かがいたならばその命は無いだろう。
しかし、幸いといっていいのかわからないが、事前に退去命令が出ていたため夜の警備員もおらず、その校舎は完全な無人になっていたのだ。
だが、一つだけ例外があった。
『確かに大地の校舎は全壊しましたが、情報学部の中枢は地下にあるということです』
人ならば凍えてしまうような冷気の中で巨大なコンピューターが低い稼動音を立てて、教室の黒板ほどのスクリーンに数字の羅列をスクロールさせては停止する。
それを中空に浮かびながら見詰める少年の姿があった。
『地下千メートル。さすがの『公式』のお嬢さんでもここには気づけませんでしたか』
痩身中背、髪は透けるような銀髪。全てが計算された目鼻立ちは、男物の学生服を着ていても妖精のように可憐で美しい。
そんな少年が、床から一メートルほどの位置で浮かびながら辺りを見回す。
見渡す限りどこまでも続く広大な空間の中で無数の機械群が、少年の見ているボードと同じ物で別の数字を羅列させては消えていく。
『わかっているのでしょうか? 見逃したわけではなく、見逃されている事を』
この広大な世界で記録され続けているもの。それは、戦闘学科内で起こっているすべてにおいての情報である。
無論、壁の一件は最初の邂逅の時点で、彼女の素性・能力・遺伝情報まで記録されていた。守護者が向けられただけで警報がならなかったのは、この少年によるものであった。
『しかし、あのクラスは本当に粒揃いばかりですね。壁を越える、または壊そうという発想は皆無に等しいというのに』
くっくっと短く笑って、再び数字の羅列に見入っていく。
『あらゆる能力者が集い、常識の全てを無視する者達揃ったところで、僕の願いは叶いますし、彼女等の願いも叶うでしょう。だから、今だけは見逃していて上げるんですよ?』
妖精のような容貌が子鬼のように笑って、その声は広大でありながら閉鎖的な世界に木霊していった。
響 士郎は歩きながら思う。
なぜ、前で歩く長身の少女が常に自身と共にいるのはなぜだろうと。
「士郎、どうした?」
肩越しに振り返る美貌に、何でもないと言って首を振る。そして、改めて思う。
『僕は奏ちゃんが好きだとしても、奏ちゃんが僕を好きになる理由なんて無いのに』
士郎は己自身の持つ全ての要素において自信というものがない。近接戦闘学部という人を超えた戦闘技術を学んでいるが、そんなのは自信になりえない。
自分の後ろに続く金髪黒づくめの生徒は、奏に言わせるなら実力的には皆無でも、彼が持つのは必殺という概念。
『僕は奏ちゃんを守るといった。でも、この前は奏ちゃんが僕を守ってくれた。そんな僕が奏ちゃんに好かれるはずが無い』
吹雪 十夜のように『本気』ならなければならないのかもしれない。士郎はそう思った。
「………で、俺達はどこに向かってんだ? こっちは誰かさんが全壊させた情報学部校舎の方向じゃねぇか」
「半壊させたのは君と聞いているが?」
「俺にそんな破壊力を持つ武器はねぇよ」
武器ね……と意味深な呟きに十夜はまなじりを上げるが、奏は構わず区画整理のされた道路を進んでいく。
そして、何気なく見上げた看板には「ここから先、情報学部校舎」と記してあった。
「奏ちゃん、情報学部校舎は立ち入り禁止になってて、近づく人は問答無用で捕まえられるって話しなんだけど」
「士郎、ようは捕まらなければいいだけの話しだ」
そういう奏に対し、十夜は黙々と紫煙をふかすだけ。禁忌を犯そうとしていることに対しての不安はないらしい。
「おい、建物が減っていってる。こっから先は全ての行動が監視されてると思った方がいいぜ?」
士郎は言われて周囲を見回せば、建造物が減ってくる変わりに、辺りの閉塞間が少なくなってきている事に気づいた。
「でも、公園みたいで気分的には楽だね」
「つってもゲートキーパーが大量に来たら押さえられねぇけどな」
そう言う十夜に奏が頷く。
「その時は私が蹴散らそう」
「それはやめて」「それはやめろ」
語尾だけが違う言葉が重なり奏は微笑する。
「君達は仲がいいな」
石畳の上を足音一つ立てずに歩きながら進むに連れて、邪魔にならない程度の木々の合間から灰色の壁が見え出したことに気づいた。
「もうそろそろだ。吹雪、君は付き合わなくてもいいのにも関わらず、ここまで来るのはどうしてだ?」
「………明日テメェ等の机に花が供えられてたら寝覚めが悪いからだよ」
縁起でもない事をと言いそうになった士郎だが、こういう言い方でしか心配できないのだと思い至ると苦笑してしまう。
「ふむ、確かにあり得ない話しではないな」
間違った納得の仕方をしているうちに、陽気を感じさせる世界の中に、校舎をおおう高さ十メートル程の塀が見えてきた。だが、こんな塀の奥にあるのは瓦礫の山であり、先日までの情報学部校舎だった。
「校舎は損壊しても監視装置が生きている。だからこそ、私はここにきた」
本来の出入り口であるはずの校門には立ち入り禁止と記した黄色のテープが張られ、来る物達を拒んでいる。
「他の学科の情報学部が兼任して調べてんじゃねぇのか?」
校門の幅は三メートル。そして、その高さは塀に合わせて十メートル。しかも、その一番上まで立ち入り禁止のテープを張っているのだから徹底している。
「触れないほうがいい。見た目はただのビニールテープだが、強度が鉄以上で警報も仕掛けられている」
「なら、無理って事でしょ? 退散しない?」
二重の問いかけに奏は頷く。だからと言って安心できないのが奏である。
「確かにこのテープに触れれば警報が鳴り、ありとあらゆる守護者が駆けつけるだろう。しかし、感知機能がついているのはテープの方であって塀ではない」
言うなり、一瞬だけ目を閉じる。そして、開いた次の瞬間、すぐ横にそびえ立つそれに手を添えて、
「ならば塀を壊して入ればいい」
ボッと、音らしい音もなく、塀の一部が灰と化して崩れ落ちた。
「頷きに意味が感じられないんだけど」
やはり無意味に頷く奏に対し、十夜が怪訝そうに尋ねる。
「今のは誰のコピーだ?」
「イデア理論というものを知っているか? 理解しているならば、情報強化されていない物質など容易に解体できる」
「量子力学には興味ねぇよ」
だが、それだけに理解する。
さっぱりわからないという事実を。
「さて、入るとしよう」
切り抜かれたというよりは、削り取られたような荒い断面を見せる穴に奏を先頭にくぐっていく。
ヴンッ
くぐり終えた瞬間に、目の前の風景が一瞬歪み、耳の奥で言葉にならない耳鳴りが襲い掛かる。そして、そんな奏に構わず残る二人が後に続き「それら」を目にして絶句した。
「ふむ、なかなかの歓迎ぶりだ」
見渡す限り目に付くのは、どこまでも広がる校舎の瓦礫とコンクリートの砕片。木製の何かが混じっているようにも見えるが灰色の砂漠は遠くに見える同色の塀までどこまでも広がっていた。
「つーか、穴あけた時点でわかってただろ?」
だが、そんな瓦礫など構わず立ち並ぶ純白の集団。その数はゆうに百を越えるだろう。
「君達は気づかなかったのか? 私には入った瞬間に違和感に襲われ、気づいた時には彼等が立ち並んでいた」
それらが持つ名は守護者。
その守護者が横一列に並び、揃って奏達を見詰めていた。
「おそらく、この塀の内側に限って位相をずらし、元の世界をベースにした擬似空間を作ったのだろう」
「うんちくはいいから逃げようよ!」
「無駄だ」
短い言葉に背後を見れば、くぐって入ってきたはずの穴がものの見事に消えていた。それどころか脇にあったはずの校門と立ち入り禁止のテープすら消え去り、どこまでも灰色の塀が広がっていた。
「擬似空間から逃げ道を奪われた。この空間を創り出しているものを破壊しない限り脱出は不可能だ」
「で、でも、この数を何とかするなんて……」
尻ごむ士郎に対して奏は一歩前に進み出た。
「安心しろ。君は私が守る」
あまりにも一方的だった。
奏がレールガンとやらで多数の守護者を破壊しても、目を離した空間から倒した以上の守護者が出現し続けたのだ。
士郎は基本的に一対多数の戦闘に不向きであるし、十夜は十夜で牽制程度の攻撃力しか持たなかった。
そうした結果、三人揃って背中あわせに腰をつき、数え切れない守護者に包囲されるという絶望的な状況に陥っていた。
「済まない士郎、私は君を守りきれなかった」
薄汚れた横顔、袖から覗く白い細腕は無数の傷跡で汚されていた。
「ごめん、僕が奏ちゃんを守らなければいけなかったのに」
抜き放たれた刃。しかし、半ばから折れて砕けていた。
「謝る必要はない。私の見通しが甘かったからこその結果だ。だからこそ、詫び代わりに君達を救おう」
「意味がわかんねぇよ」
憔悴した横顔を覗かせる黒衣。足元に転がるのは弾丸を撃ち尽くした拳銃。
「この空間の公式を部分的に解除し、君達二人を本来の空間に戻すと言っているのだ」
「二人………ってなんで? 奏ちゃんは?!」
「君達が向こう側にたどり着いたと気づけば、守護者達は君達二人を追うだろう。私はその足止めをする」
思いがけない言葉に、士郎は慌てて自分がその役目をといいかける。しかし、黒衣が口を挟む。
「テメェじゃその役目は無理だ。武器だって壊れてる。だったら備前か俺が最適だ」
「君には現実空間に戻った後の時間稼ぎをしてもらう」
「だったらこっちに残せ、その方が本気を出せる。……つーか俺は使い捨て決定かよ」
よれよれになった煙草を唇に挟みジッポライターで火をともす。
「私なら、捕らえられたとしても隙を見て擬似空間を脱出できるが君では無理だ。そして、君は使い捨てではない、尊い犠牲だ」
守護者に囲まれ、切っ先を突きつけられていても普段の調子で語る奏に士郎は何も言うことが出来ない。
「さぁ、今から行くぞ?」
言って奏は目を閉じる。
「か、奏ちゃん!」
振り向き、彼女の起こそうとする行動を止めようとするが、伸ばした腕が届く直前で間に合わなかった事を知る。
ヴンッ
今度は士郎に理解できた。
世界の輪郭が一瞬歪んだかと思えば、耳の奥で痛くなるほどの耳鳴りがこだまする。
そして、伸ばしたはずの腕と、奏の距離が見る見るうちに離れ始めた。
「達者でな」
「奏ちゃん!」
守護者のことなど知ったことかと跳ね起きて、そのまま遠ざかっていく奏に向かって駆ける。だが、その距離は縮まるどころか遠のいていくばかり。
「無駄だ。空間の位相がずれてるから、いくら走っても追いつかねぇ」
声の主に苛立ちの視線を向けたところ、満身創痍の少年が煙草をくわえながら、全力で駆ける士郎の横に立っていた。
「俺とすら距離が離れねぇ。そんな無駄なことするよりも備前に何か言ってやれ」
言われたからではない。だが、士郎は走り続けたまま人形ほどのサイズになってしまった奏へ叫ぶ。
「助ける! 必ず助けに行くから待っていて!」
そして、奏の方も叫び返した。
「来るな! 私は私だけで充分だ。君が無理に危険を犯す必要はない。必ず戻るから待っていろ!」
「必ず行くから!」
「来るな!」
相反した言葉。それだけに互いの考えていることが手に取るようにわかった。
そして、二人の距離は声が届かなくなるほど引き離されて、
ヴンッ
何の前触れもなく少年達は帰還していた。その二人の少年が少女の空けた穴の前で立ち尽くしている。
「………奏ちゃん?」
握られたままだった剣の柄が乾いた音を立てて地面に落ちる。
「呆けてねぇでいけ。ここを死守している間にテメェは逃げて、備前の救出の準備をしろ。クソ女も回復したら手伝うはずだ」
「死守って………」
「クソ、もうきやがった。備前の奴ホントに時間稼ぎしてんのか?」
十夜が見詰める先で、空間の一部が歪んだかと思えば数体の守護者が姿を現していた。
「二人で逃げてもすぐに追いつかれる。なら俺が残ってテメェは行け」
「で、でも、そしたら吹雪が」
「クソ女に伝言頼む。心配するなって伝えろ」
言うなり十夜は士郎を突き飛ばした。そして、勢いのまま塀の外へと押し出されてしまう。
「吹雪!」
「走れ! 絶対に振り返るな!」
同時に肉の砕ける粘着音と金属の砕ける破砕が鳴り響く。
そして、士郎は弾かれたように走り出した。
内心で謝罪の言葉を叫び続けながら。
「クソッ、クソォォーーー!」
涙が溢れる。そして、それは枯れることなくこみ上げ続けた。走りぬき、どこかにたどり着くまで流され続けた。




