マンイーター
全てが死滅していた。
黒衣と震える少女以外の全ての存在が、切り裂かれ、引き裂かれ、砕かれ、例外なく死滅していた。
ガラスと肉片の満ちた広い室内。生きているのはたったの二人。そして、その二人は見詰め合っている。一人は瞳に死を称え、もう一人は怯えを浮かべて。
「さあ、テメェで最後だ」
見下ろす十夜に対して少女は賢石を胸に抱いて見上げるだけ。逃げようとかそんなことを考えることが出来ないのだ。何もかもが無駄ということを思い知らされたから。
「どんな死に方が希望だ?」
「し、死にたくない」
震える声を嘲るように笑い、両手を広げて周囲を見回す。
「こんな大勢の命を弄んだテメェがそれを言うのか?」
元人間の残骸。殺したのは十夜だが、生み出したのはひだりだ。
「だ、だって、私は兄さんを助けるまで………助けるまで死ねないから」
「白雪がとっくに殺してるだろうよ」
左手を鉤爪状に構えて、その行為に殺意を乗せて振り上げる。
「テメェの罪は償いきれねぇ、兄貴と揃って地獄に堕ちろ」
「い、嫌! 私死にたく………」
「死ね」
全てを蝕む病を宿した指先が、ひだりの体を破壊するために振り下ろされ、
轟音。
「っ!」
ひだりが見上げていた黒衣の死神が、前触れもなく横へ吹っ飛んだ。そして、為す術もなく弾き飛ばされながら床に落ちる。
「な、なに?」
呆然と呟きを漏らしていると、黒い円形の何かが硬い音を立てて落ちる。それは、白い煙をまといゆっくりとひだりに向かって転がってきた。
「これ、ゴム?」
手にとったそれはゴムと呼ぶには柔らかすぎて液状と呼ぶには硬く、熱いほどの温かみを持っており、鼻をつくのは硝煙の臭い。
「ったく、あたしの友達に何するつもりよバカ十夜」
硬い音を鳴り響かせる重い足音。そして、聞き覚えのあるハスキーボイス。
耳を疑う。ひだりの知っている彼女が、自分の事をもう友人呼んでくれることはありえないはずなのに。そして、こんな場所に自ら戻ってくることなどわざわざ死にに来るようなものなのに。
「ひだり、大丈夫だった?」
巨大な影が気軽い口調で背後に立つ。
信じられない気持ちで振り返り、見上げた先には、紅の装甲を身にまとった巨大な騎士が自身を見下ろしていた。
「梓・・・さん?」
紅に染めた機械甲冑。手に持つのは硝煙を伸ばしながらも、刀身を持つ長大な片刃の大剣だった。
「十夜のバカのことだから容赦なんか知らないと思ってね。あのノッポのお兄さんに白衣もらってから、大急ぎで機械甲冑取りに行ったわ」
変わらぬ口調にひだりは恐る恐るといった口調で問い掛ける。
「私が何をしようとしていたか聞いてないの?」
「聞いたわよ。お兄さん助けるために私達を材料にしようとしたんでしょ?」
「う、うん」
大剣を肩に担いで軽い口調。本当に自覚しているのかと不安になったくらいだ。
「大したことじゃないわ。だってあたしはまだ生きてるもの」
「それはそうだけど、他の関係ない人達をさらってあんな怪物にしたりして………」
「あっ、そのことね。多分、そこも情報学部に記憶操作されているんだろうけど、ノッポのお兄さんと、さっき会ったルガーの話しじゃ情報学部のバカがひだりのお兄さんを理由に無理矢理やらせたらしいわ」
「え?」
「記憶が封じられていたんでしょ? だったら操作されてる可能性だってあるじゃない。確かにひだりが錬金術によって残酷な命を作ったかもしれないけど最終的に悪いのは、そんなことをさせた情報学部の奴じゃない。なら、あたしはひだりの事を悪いなんて思ったりしないわ」
彼女らしい好き勝手の入り混じったセリフに、ひだりは口をあけたまま見上げるだけだ。
「そういうわけよ。だから十夜、あんたも落ち着きなさい」
「クソ女、テメェ………」
美咲の言葉に、左肩を抑えたまま立ち上がったのは十夜だ。いつの間にやら、全身を蝕んでいた、あの黒い帯が消えている。
「そんな理屈が通ると思ってんのか? ルガーとかの情報が正しいとは限んねぇ。それに、この場を見逃したら同じことを繰り返すかも知れねぇんだぞ!」
「次はあたしが止めるわ。友達だもの」
美咲は言って担いでいた大剣の銃口を十夜に合わせて照準する。
「もう一発いっとく?」
「冗談じゃすまねぇぞクソ女」
騎士と黒衣が睨み合い、ひだりがおずおずと口を開く。
「わたしは、兄さんさえ助けられれば殺されたって良い」
「まだ言ってんのかそんなこと」
呆れたように口を開き、懐に手を入れる。
「クソ女の言いたい事だってわかる。だがな、テメェ等二人はやりすぎたんだ。罰を受けなきゃ気の納まらない奴だっている。そこのクソ女のダチだって大怪我を負ったし俺等で助けた女は一生残る傷を負わされた。ましてや人外に作り変えられた奴等になんていうつもりだ!」
「・・・それは」
そして、引き抜かれた右手には黒塗りの拳銃が握られていた。
「十夜あんた!」
美咲が叫び引き金を引くより十夜が銃口を向ける方が早かった。黒い双眸がひだりの瞳を射抜く。
「恨むなら俺だけを恨め」
銃声。
まっすぐ走った銃弾がひだりの胸を貫いた。
「あっ」
轟音。
なぜか傾いていく視界の中で、黒衣が凄まじい勢いで吹っ飛ばされて行くのが見え、
『痛そうだな』
言葉に出そうとして、口に熱い液体がこみ上げてきたため声を出すことは出来なかった。
「ひだり!」
怒りと焦りを織り交ぜたハスキーボイスも、だんだん遠くからかすれて聞こえるようになっていく。視界も滲む端から黒く染まっていき、ここで『ああ死ぬんだ』と心の中で呟いた。
『ごめんね兄さん。私、兄さんを助けられなかった。私一杯悪いことしちゃった。でもね、友達だって出来たんだよ。あぁ、兄さんにも紹介したかったな………』
そうして、一人の少年の願いは叶わず、一人の少女の願いは叶うことなく、共に闇へと落ちていった。
それは生きていた。
そして、思考する知識を持っていた。
ただし、単体では無力に近く、何かと混じり合う事によって力を発揮する。
今回の件ではまるで関係のなかったとある生徒の能力をコピーして作られたそれは、作り出されるなり禁忌として札を押され封印された。ただし、それは昨夜までのこと。今では一時的に宿主を失いながらも、外の世界に解放されている。
仮想情報制御体と呼ばれるケイ素生物、ようはデータ生命と呼ばれるソレは、神無月 右の身体を人外へと変化させて行ったモノの正体だ。もっとも、右の記憶情報は自身の知識として保存してあるし、敗北しながらも破壊は免れた。身体を失ったのは災いだが、幸い絶好の素体がすぐ近くに倒れているのだ。美しく、そして、強く。孤高で怜悧な声を持つ少女。
右という素体は自身をナノマシンの情報構造を制御するためのものだと勘違いさせられていたが、違う。
データ生命の持たされた役割は、体の中心から無数の根を広げ、ナノマシン化した肉体を例外なく取り込み従わせることにある。簡単に言うなら素体の意識と体の一切合切を乗っ取るのだ。結果、素体の技術と記憶情報をコピーし記録する。そうした後に出来るだけの情報を自身に取り込み搾取するだけ搾取したら、肉体を破棄し、次の肉体へ渡り歩く。それが、持たされた役割。
だから、マンイーター(人喰い)と呼ばれるデータ生命は、虫ほどの身体で倒れた少女に向かって這いずって進む。
『何とでも融合する病』
とある存在からコピーされた能力の名の下、次の肉体を求めずるずると。
「ありゃりゃ、サキは一人でやっちまったか」
プラチナブロンドの透き通る髪色が見えたところで、何者かが立ち塞がった。
「とはいえ、ピンチに変わらなかったわけだ。あー、間に合ってよかった」
立ち塞がったのは男だった。両手をポケットの中に突っ込み、軽薄な笑みで見下ろしている。
「しっかし、こんな虫もどきみたいなのをよく使う気になれたよ」
この声情報には覚えがあった。照合して確かめてみれば、先日自身を助け出してくれた男のものだった。そして、最初の宿主のところまで連れて行ってくれた協力者代理。
「バーニィはお前さんの回収を望んでたみたいだけど、俺はそんなつもりはなくてね。だってさ、いつ寄生虫に取り憑かれるのかもわからないんだ。そんな危険物の回収なんかしたくねーもん」
言うなり足を大きく振る上げ笑いかける。
「大体、自分の力で強くなろうともせずに、俺のホワイトスノーを利用しようとするところが許せねーのよ」
行為の意図を理解し、待て! と言おうとした所で、自身単体では、声を出すことも出来ない無力な存在であることを思い出す。
「それに、バーニィの奴が言ったんだって?」
逃げ出そうにもはいずることしか出来ないような身体では、この場を離れて再起を図ることも出来ない。無力、あまりにも無力。
「形こそ違うけど、ろくでなしに殺されるってね」
嘘つきのろくでなしが軽いウインク。
「ほんじゃさいなら」
振り下ろされる靴裏。
そして、残された刹那の時に思い浮かんだ言葉は、なぜかまったく関係ないものだった。
『ひだり』
そこでマンイーターと呼ばれる無力な寄生虫の存在情報はブラックアウト。