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「まぁ、飲めよ」
遊華は男性ライクにペットボトルを差し出す。
一月は一息吐いて受け取ると、昔のように、と自分自身に言い聞かせるようにして、何気無くを装って一口飲んだ。
「ま、女なんて星の数ほどいるってぇ」と、遊華はありきたりな言葉を一月に投げかけた。
彼女も彼がユカリンのファンであったことを、もちろんよく知っている。
「慰めよう、っての?」
「マァ。わたしったら優しい」
彼女は自らの両手を頬に添え、おどけてみせた。
「後輩のくせに。偉そうに」
「はい、出ましたー」
「いつものー」。一月は一月生まれ。遊華は同じ年の四月生まれで、三ヶ月の違いでも学年は違い、彼女は彼の後輩に当たるのだ。
遊華は自らの意思で、一月と同じ高校に行くことを決めた。
本当なら、彼女の偏差値であればもう少し上の高校にも行けたはずだった。彼はそのことを母親から聞き、知っているのだが、そのことを彼女は知らない。
「……お前に何がわかんのさ」
一月は言った。
「だって正直、すっげぇすきだったんだぜ。一生懸命バイトしてさぁ。CD買って、グッズ買って。……何万使ったんだろう。あの娘の為にさぁ」
遊華はあからさまに、ムッとした。
「お為ごかし」
「ン? なんて?」
「“お為ごかし”、って言ったの」
遊華は不機嫌に言った。
「……なんだよ、それ」
「言葉を知らないねー」
一月も釣られるように、機嫌を悪くする。
「“誰かの為”、って言っても、結局それは“自分自身の為”なんだよ。イツキのそれはさぁ」
「何が言いたいんだよ」
「白鳥さんにフラれたの、まだ引きずってんでしょ」
一月の心臓が、バクンと跳ね上がった。
……なんでおめぇーがそれ知ってんだよ!
彼の想定では、それを知っているのは何人かの特に仲の良い友人と、当の白鳥嬢だけのはずであった。
白鳥梢は一月の中学時代、一学年下の後輩で、中学卒業間際――まだ前島ユカリのことを知る前に、彼が告白していた相手だった。
彼女は遊華と同じ学年だったが、クラスは違う。
「白鳥さんにフラれて、すぐでしょ。ユカリンすきになったの」
一月は、彼女が言わんとしていることがなんとなく掴めた。
「……俺が、現実がダメだったからアイドルに逃げたって?」
「そうじゃない?」
誰かを愛したくて。愛されたくて。さみしくて。
だからアイドルを応援することで、必要とされることで自分自身の欲求を満たしていたのだと。遊華はつまりそういうことが言いたいのだと、一月は悟った。
「……ざけんな」
「イツキの為に言ってあげたの。私くらいしか言ってあげれる人、いないでしょ?」
「何様だよ」。「遊華様」。
「タメになったでしょぅ?」。そう言って、彼女は意地悪く笑った。
「……お前だってそうじゃん」
彼は言おうか言うまいか迷いながらも、感情に言葉は押し出された。
「なにが?」
「オタメゴカシ」
一月は子どもみたいに、さっき学んだ言葉をすぐ使った。
「私が? どういうこと?」
「“俺の為”とか言って、結局“お前の為”なんだよ」
彼は向こうの道路のその向こう、遠くを見ながら言った。
「お前、俺のことすきだろ」
――。
水色の空は橙から、紫を経て、また青に戻ろうとしていた。
紺色の空の下で、遊華の目がみずみずしく光った。
「……はぁ?」
ようやく絞り出すようにして言った言葉は、かすれていた。
「アイドルとか白鳥さんとかじゃなくって、わたしを見て、ってことなんじゃねーの?」
太陽が落ちると、急に辺りは冷え冷えとした。
車の走る音も、カラスの鳴き声もどこかよそよそしい。
一月は寒気を感じて二の腕をさすると、鳥肌が立っていて、遊華の方を見ると、彼女は静かに泣いていた。
公園内にある、さびしく一本立つ街燈が白く灯っていて、彼女の頬の粒を光らせた。
彼がドキリとしていると、彼女は遊具を飛び降りて、ひとり、歩いて公園を出た。
来る時と同じ、遅くもなく、急いでもいない一定のスピードで。
――ジャリッ、ジャリッ……。
一月はしばらく、空が完全に黒くなるまで、そこで動けずにいた。