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新妻遊華と一月の関係は長く、記憶にないほどに幼かった頃からの仲だった。互いの父親同士が幼馴染の親友であったことから母親同士も仲良くなり、家族ぐるみの付き合いが二十年近く、彼らが生まれる前から続いていた。彼らの関係は、生まれる前から約束されていたとも言ってしまえるほどにカタイ。
彼らが“ユカリン”と呼ぶのは、アイドルグループ「L4me」のメンバー、前島ユカリのことだ。結成十年目を迎えようとする、総勢五十人にも及ぶ大所帯のアイドルグループ「L4me」の中でも、彼女は加入三年目にして人気上位三名の位置に食い込む程の今世間から注目される人物だった。
一月が彼女のことを知ったのは、三年前――彼女のグループ加入直後、某所で行われたライブイベントでのこと。友人の付き添いで行ったその小さなライブハウスで、いくつかのアイドルグループが入れ替わり立ち替わりにパフォーマンスをする中、L4meの当時の新メンバー五人は“舞台慣れの為”と言わんばかりに、軽いパフォーマンスをしにゲストとしてやって来ていたのだ。
その新メンバーの中に、ユカリンこと前島ユカリがいた。彼女にとっての、初舞台だった。
舞台の一番右端で歌い、踊る彼女に、目の前で見ていた一月は釘付けになった。動くたびに髪が跳ね、さらさらと流れた。フリルの付いたスカートはふわふわと、水中を漂う海月のように可愛らしく膨らむ。彼女を狙ったスポットライトの中で汗が弾けて輝いて、その光に彼の目は眩んだ。心を鷲掴みにされるとはこのことだ、と思った。一月はそれからというもの、彼女に夢中になった。
どんな仕事に対しても真摯に、全力で挑む態度。持って生まれた運命を刻まれた美貌。泣いたり笑ったり、ころころ変わる豊かな表情。……また、“両親がいない”という彼女自身の境遇も相まって、彼女の人気は破竹の勢いで増していった。それに伴って、一月がグッズや握手券付きCDにつぎ込む金額も比例して増した。彼だけでなく、彼女を応援する皆が彼女の為にと、喜び勇んで金と時間を費やした。
グループ内人気ランキング二位。ナンバー1まであと少しという所まで来て――昨日のことであった。
ネットを中心にして、彼女の恋愛スキャンダルが報じられたのである。
それは男性アイドルグループ「SAINT」のメンバー、沼田満との交際が発覚したとのことだった。沼田はそれまでも数々のアイドルや女優との恋愛スキャンダルが取り沙汰されていたので、彼のファンが騒ぐことはもうほぼ無かったのだが、前島ユカリのファン達は阿鼻叫喚の喧騒を起こしていた。
一月はせっかくの日曜をほとんどフテ寝で過ごした。鷲掴みにされていた心を、そのまま握り砕かれてしまったように感じ、怒りも悲しみもなく、ただ虚しさに支配されていたのだった。
彼にとって憂鬱だったのは次の日の月曜、登校日である。彼が熱烈なユカリンファンであることを知っているクラスメイト、友人たちがそれについてどう触れてくるのか。それについて思うと面倒臭く、どんな顔をして、どう返すのが正解なのか。それが結局わからぬまま、彼は重い脚を引きずるようにして、学校へと向かった。
友人たちのリアクションはそれぞれで、慰めるようなモノから触れないようにするモノもあったのだが、やはりからかってくるようなモノもあって、向こうにはそこまで悪気は無いのだろうと思いながらも、一月はやはり、傷付いた。
『……イツキぃ。ユカリン、沼田と付き合ってるんだってぇ?』
『お前、ユカリンにいくら貢いだんだよ?』
『アイドルにハマんのはコエェなぁ』
『やっぱ三次元はクソだぜ。アニメ見よう、アニメ』
一月は自分の前島ユカリに対する気持ちは純粋なものであると思っていたし、自分の「すきだ」という気持ちに素直になるということは、悪いことでもなんでもないと信じていた。
別に、彼女と付き合いたいと思っていたわけでは無かった。
彼女が誰と付き合おうが、いつかどこかの誰かと結婚しようが、それが彼女にとっての幸せであるなら、良いと思っていた。
――頭では。
でも、「恋愛禁止」のルールを掲げるL4meにおいては、所属中のその恋愛はやはりタブーであるし、
「みんなー! アリガトウ! ダイスキだよー!」
……あの言葉もやっぱり、全部、嘘だったんだ。
……欺かれてたんだ。
一月は、遊華の言うとおり、傷心だった。
『まぁ、落ち込むなって。お前には遊華ちゃんがいるだろ』
――彼と遊華は幼い頃からよく二人で遊んだし、家が近いこともあって学生時代もよく学校の行き帰りを一緒にしたものだった。そうなると「二人は付き合っている」と誤解されてしまうのは常で、「ただの幼馴染」と言い訳するのにも言い飽きて、面倒臭くなっていた。
それならば、と一月は彼女と距離を置いたこともあったのだが、彼女の方はというとそんなのはお構いなしで、
「いいじゃん、別に」
と、変わらぬ距離感で接してくるのだった。
彼自身、彼女のことは決してキライではなかったし、むしろ愛情深いものは感じていたのだが、それは家族間、兄妹間におけるものと同質で、今更恋人同士のように接し方を変えるのも気恥ずかしく、そんなのはアリエナイと思っていた。