二度告白する勇気
「好きです」
少年のそのセリフに、少女は言葉を詰まらせた。
学校の屋上で、勢いのよい風が吹く。髪を揺らすこの風に心地よい何かを感じていた彼らはそれぞれの思いを胸に秘め、無言のまま数分の時間を過ごした。
私も、と言えたらどれだけよかっただろう。
何も考えずに、ただ純粋に、己の心だけを頼りにして、思いの内をさらけ出せれば、どれだけ楽だっただろう。
けれど。
だけれど。
「ごめん、この前も言ったけど私は人と付き合えないの。例え、私がアナタを好きだったとしても私はアナタと付き合えない」
だから、ごめん、と少女は頭を下げて少年にそう言った。
好きだと言いたかった。
大好きだと言いたかった。
嬉しいと屋上で叫びたかった。
抱きついて、力強く抱きしめて欲しかった。
初恋とは言わない。
長くから思い続けてきた想いとは言わない。
―――だけど、大切だった。
「それに……私はっ」
大切だからこそ、少女は、自分の気持ちを押し殺し少年を拒絶する。
「キミのことなんて……っ」
泣きそうになるのを堪え。
「友達ならともかくッ」
気丈な、いつもの先輩面をして。
「恋人だなんて……」
嘘をつく。
「だから………」
一緒に居られるだけで少女は幸せだったから。
「私には、」
この言葉で、もう一緒にいられることはできなくなってしまうかもしれないけれど。
「無理っ! だから……もうっ」
少女が幸せを諦めるだけで、少年の為になるというのなら。
「…諦めてよ」
少女は喜んで、自分の幸せを捨てようと思えた。
「………、」
その言葉を受けて、少年は顔を伏せた。
少女は、それを見ただけで泣きそうになる。
ごめんなさい、と。言いたくなる。
自分の好きな少年を、自分の都合で悲しませてしまうのはとてつもなく苦しいことなのだと改めて自覚した。
だからもう、関わるのはやめよう。
「キミが告白して私が断った時に『では、友達ってことで手を打ちましょう』って言ったよね? 『ずっと友達のままで』って言ったよね? だから、もうダメ。私はキミを許さない」
本当は、その『友達』っていう言葉がとても嬉しくて。
まだ、少年と繋がりがあることがこの上なく幸せで。
帰り道で鼻歌してしまうくらいに舞い上がったけれど。
少女は、その繋がりを自ら絶ち切ることを選んだ。
(いや、違うや。これも一つの幸せだよね)
少年の為に、好きな人の為に何かできると言う事は、それだけで幸せなのかもしれない。
これは誇るべきことだ。好きな人のために、自分はやれることをやっているのだから。
誰が何と言おうとも、このことは絶対に否定させない。
自分は幸せである、と少女は胸を張って言おう。
そう思ったのに。
そう思いたいのに、少女の中に溢れる感情はどれも悲しみしかありはしなかった。
(この後に及んで、私は何を望んでるんだろうなぁ……)
そう思いながら少女は少年に背を向けて、校内へと続く階段へと足を向けた。
顔を見たくなくなったわけではない。
これ以上、少年の顔を見ていると自分が泣きそうにだったから。
このままだと顔を見なくても泣いてしまいそうだったから。
そうして、少女の恋は終わる。
悲しみこそあるが、後悔はない。
これで良い。これで良いのだ。
少女も少年も悲しむ結果になってしまったけれど、二人が付き合うとそれ以上の悲しみがある。
それだけは絶対に嫌だった。そんなことになるくらいなら、死んだ方がマシだった。
だから、この恋はここで終わり。
元々、この恋は成就するものとは思っていなかったし、近くに居るだけで充分だったのだ。
一緒に居るだけで良い、という願いさえも神様は許してはくれなかったけれど、少年の幸せを願うくらいの我儘くらいなら神様も聞いてくれると思うから。
だから。
(さようなら……)
好きな人と一緒に居られた短い時間。
これで終わり。もう顔を合わせることもないだろう。
だからこそ、さようなら。
「さようなら………私の―――」
―――私の、最高に好きな人。
けれど、少女の願いに反し、少年の抵抗はまだ続く。
「もう、嘘なんてつかなくていいじゃないですか」
少年の言葉に、少女の肩がビクリと揺れた。
思わず立ち止り、肩越しに後ろを見る。
「な、ん……の話かな? 私は……ぜ、全然嘘なんてついてないよ」
我ながら引きつった笑みだと思う。
そう感じられるほどに少女は今、焦っていた。
「わ、けわからないよ。私が、いったいどんな……嘘をついたって―――」
「知ってるんですよ。先輩の病気の話」
「―――っ!!??」
一気に少女の顔が青ざめた。悪戯を教師に見つかった、みたいな青ざめ方ではない。
世界の絶望を知ってしまったかのような、世界に絶望してしまったかのような、そんな表情だった。
「いったい……誰に聞いたの」
―――ダメだ。これはダメだ。
「アナタを想う人です。世界で一番アナタを愛している、とその人は言っていましたよ」
―――ダメなんだよ。キミはこれ以上私に近づいたらいけないんだ。
「そんな人……私は知らない」
「知っているはずです。アナタの一番そばに居てくれた、アナタにとっても最愛の人。知らないわけがないんですよ」
―――そんな人知らない。キミ以外に私を想ってくれた人なんて想像もつかない。
「わ、わからないよ。私の病気のことを知っている人はこの学校に先生くらいしかいないし……っ!!」
しかし、本能的な部分で少女は理解していたのかもしれない。
少女のことを一番気にかけ、一番愛している人物を。
少女のためなら、命を差し出すとまで明言する人物を。
少女にとってとても大切な人物のことを。
―――『母さんは、アナタのことを世界で一番愛しているわ』―――
「っ……」
涙が出そうになった。
声が出そうになった。
弱音を吐きそうになった。
力が抜けそうになった。
けれど。
それら全部を抑えつけ、少女は誰にも本当の顔を見せない『仮面』をつける。
本音を隠す『仮面』をつける。
「キミには関係ないでしょ」
決めたのだ。
もうこの少年のことは諦めると。
三年間だけしか生きられない私が、少年を幸せになど出来るはずがない。
今更、少年の好意に甘えてその少年を不幸にすることは、少女にとってやってはいけないことだ。
絶対に、やってはいけないことなのだ。
「そうだよ、私は確かにあと三年で死ぬ。色々な病院を回ったけど『もうダメだ』『助からない』って言葉以外聞いたことない」
けどね、と少女は言葉を区切る。
「それが何だっていうの? ”キミには”何の関係もない。私の事情に勝手に首を突っ込まないで」
拒絶の言葉はどれほどの辛さだろうか。
自分の思い描く『展開』を自ら破壊することは、どれほどの辛さだろうか。
他人の幸せを思い、自分を犠牲にするのはどれほどの辛さだろうか。
少年を想うがために、今この瞬間の少年の幸せを壊すことがどれほどの辛さなのだろうか。
それらを踏まえて。
ふざけるな、と少年は奥歯を噛みしめる。
「関係ならあります」
「ぇ……」
直後。
少女は今この瞬間、少年が何をしているかを理解するのに数秒の時間を要した。
身体が痛い。
腰に回された腕がぎゅうと身体を抱きしめる。
「は、離してっ。いきなり抱きついてくるなんて何考えてるのっ!!」
「僕は、頼まれたんです」
急なことに身体が追いつかない。好きな人に抱きつかれる、なんていう予想外の出来事に少女は身をよじるような小さな抵抗しかできなかった。
「アナタのことを『よろしくお願いします』って、僕は頼まれたんですよ!!」
「は、離して……」
「もういいじゃないですか! アナタだけが辛い思いをしなくても、アナタだけが背負う必要はないんですよ!!」
「離してっ」
「いい加減、自分に嘘をつくのはやめてくださいよ!!」
「離してッ!!!!!」
ドン!! と少年の胸を手で押し、少女は離れた。胸の前に手をおき、赤面する顔のままで、少女は続ける。
「私には―――
「ごちゃごちゃ細かいことは聞いてない!! 僕が好きだと言ってるんだ!!!!!!」
ピキリ、と自分の『仮面』にヒビが入ったような気がした。
「もう一度言います」
―――やめて。
「僕はアナタのことが好きです」
―――もうやめて。
「あと三年で死のうが、どうであろうがそれこそ関係ありません。だから、もう一度聞きます」
―――これ以上、私にとっての幸せを願わないで!!
「あなたが、あなた自身が―――
―――”僕のことを好き”だと思っているのか、
―――”僕のことを嫌い”だと思っているのか
―――答えてください」
そう言ってこちらに手を差し伸べる少年を前にして少女は数歩後ろに下がった。
ここで言うべきことは『嫌い』という言葉だ。
少年のことを真に考えるのなら、自分の本音を言う事は絶対にいけないことなのだから。
拒絶しろ。『仮面』をかぶれ。本当に少年のことを想うのならば、自らの身を引け!!
そう思うのに。
そうしないと皆が幸せになれないのに。
”少女にはどうしても、その少年の差しのべられた手を振りほどくことは出来なかったのである。”
できるわけがなかった。理由なんてわからなかった。こんなにも感情を素直にぶつけられたのは初めてだった。こんなにも自分が幸せだと思えたのは初めてだった。
だって、こんなにも身勝手な自分を神様は見捨てはしなかったから。
これを幸せと言わずになんと言う。
『仮面』が―――壊れる。
「ふ……ぇ」
少女の『絶対に少年の前では泣かない』と誓い、封印していたはずの涙腺に熱く込み上げるものを感じた。
頬に伝わるのは、いつもの冷たく嫌なものでなく、温かく幸せなものだった。
そして――
―『仮面』の奥から溢れる涙が、『仮面』を形作るものを洗い流した。
「ふっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!!!」
どん、と。
少女のタックルにも似た一撃に、少年は少しだけ苦笑する。
少女の背中に手を回し、お互いを強く抱きしめた。
「わ、わだ、じ……ざん゛ね゛ん゛ごにじん゛じゃうん゛だよ?」
ぞれでもい゛い゛の? と、自分の胸で泣く愛しの少女は先輩とは思えないほどに小さく、そして儚げなものだった。
その少女を力強く抱きしめ、少年は心の内にある本心を包み隠さず、打ち明ける。
「だからなんです。その三年間、他の人より幸せになればすむ話じゃないですか」
いつまでも他人の幸せを願った少女は、ついに自分の幸せを手に入れ。
いつまでもその少女の幸せを願った少年は、ついにその少女の幸せを掴む。
どちらかが欠けていてはダメだった。二人揃ってこそ、二人の幸せを手に入れた。
そして少年は言う。―――誰かを想うために自分を犠牲にしてもいいなんてことはないのだと。
そして少女が言う。―――私はアナタのことが心の底から前から好きだったと。
そして二人は言う。―――ありがとう。
三年後、誰をも驚かせるニュースが世界中を飛び回っていた。
絶対に治らない不治の病と呼ばれた病気の治療が世界で初めて成功したのだ。
治療したのは医者になって間もない一人の青年。そして、その治療対象である人物はその男の妻だった。
一度だけニュースのインタビューに答えてくれたこの夫妻は口を揃えてこう言ったらしい。
―――諦めなければ、絶対に素晴らしい未来がある―――
―――FIN―――
後書きですね
今回の小説はある意味で書いていて楽しい小説でしたね
今回の『まったくもって恥ずかしい普通の短編恋愛小説』を書くにあたって一つの課題をつくってみたんですよ
この頃、自己犠牲で幸せになれるといったことをよく耳にするので
ちょっと、反論したくなりまして
だってそうじゃないと嫌じゃないですか
誰かの幸せのために、他の誰かが不幸になるってのは嫌じゃないですか
そりゃ、好きな人が他の人を好きになっていたら諦めるのが筋ですよ
好かれるように努力するのもいたってアリです
しかし、両想いなのに、何かしらの理由で手を引くってのはダメな気がするんですよ
あと、話が飛躍しますが、誰かが傷つくなら自分が傷つく
なんて自己犠牲が私は大嫌いです
でも、やっぱり自己犠牲ってやつを私はやっちゃうんですよね
だから、私は自分のことも大嫌いなんだと思います
自分がやってる程度のことを『自己犠牲』だと言っていることも
嫌いなくせにやってしまう自分のことも
やはり、大嫌いなんだと思います
そんなのがいやだから、この小説だけは皆が笑えるハッピーエンドを書きたかったんです
だから、今回の課題は『誰も傷つかず、誰も泣かない、誰もが認めるハッピーエンド』
しかし、《エンド》というからには話の過程が必要となってくるわけですが
今回はその過程をすべて排除してみました
書くのが面倒だったってのも理由の一つですがね
というか、過程どころか冒頭部分すらありませんからね
これじゃ感情移入どころか、キャラの境遇までわからなくなるので、ところどころにキャラの今の境遇をわかるような描写をちりばめてみました
読み進めていくごとに、そのキャラの行動の理由がわかるわけです
といっても、今回の主人公は一人の『少女』でしたが
少年の方は、最初からやることは決まってましたしね
多分、今回削除した《過程》が素晴らしいものが、世で売れているものになるのでしょう
過程が最高であればあるほど、最後のエンディングで涙を流しやすくなりますから
だから、今回の一回終了短編で恋愛ものを選んだのはミステイクだと言っても過言ではないでしょう
だって、必要な過程がないんですから
泣けるものの泣けませんよ(笑)
最後に
今回の小説の裏の主人公は『少女の母』です
おそらく、『過程』を書いているのなら、母の描写こそが、一番泣けた部分かもしれませんね
あえて、色々とわからないことを混ぜることで、『過程』に何があったかを不明瞭にし、想像を膨らませられるようにしてみたのも、成功したのでないかと自負しております
でも、こういうのは書いてて楽しいです
自分が『最高』だと思えるストーリーを、誰かに提示することは一種の訴えでもありますから
自分の書いているキャラに憧れることだって、多く俺にはありますからね
では、ここらへんで後書きは終了
言いたいことは言いましたので、あとは思い残すことはありません
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました