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見習い天使は、地上の令嬢の元へ遊びに行く。彼女が死ぬまであと◯日。

作者: 有梨束
掲載日:2026/06/21

「神様っ、ボク、あの人を助けに行きたいです!」


ボクはお空から、地上に向かって指をさした。





「どの子だい?」

神様が目を眇めて、じーっと地上を見たので、ボクは大きな声で言った。


「ベッドで眠っている、ドリシタって女の子です!」

しっかり答えると、神様の顔が曇った。


だめですよ、神様。

そんな顔をしたら、地上のお空も曇っちゃいますよ。


「む〜、あの子はこの前階段から落ちて、今も目が覚めない子じゃないか」

「はいっ!だから、助けに行きたいんです!」

「あの子は目が覚めても、また何かしらで命を断とうとするだろうよ」

「どうしてですか?」

「もう疲れちまったんだろうなぁ」

「でも、お空に来るにはまだ早いです!」

ボクが元気にそう言うと、神様は目を細めて大きな手でボクの頭を撫でてくれた。


神様の手はいつもあたたかい。


「天使の輪っかがズレちゃいますよぉ〜」

「あの子はきっと近いうちにここに来るだろう。まあ、それまでお前が構ってやるのもいいかもしれないな」

「じゃあ、行ってもいいですか!」

ボクが、パッと神様を見上げるとゆっくり頷いた。

それから、ボクの頬をこしょこしょ撫でた。


あっ、こども扱いされてるっ!

それは、人間が猫を撫でる時にするものだって、ボク知っていますよ!


「ああ、行っておいで。ただし!」

神様はそこで言葉を区切ると、ボクの顔を真剣な顔で見つめた。


地上のお空に風がぴゅーっと吹いて、雲がみるみる動いていくのが、視界の端で見えた。


「3日だけだ。3日経ったら、帰っておいで」

「わかりました!」

両手をギュッと握って、大きく頷いた。


ああ〜、もうっ、ずっと撫でられたらくすぐったいです!


神様は「よし」と言うと、やっと撫でるのをやめて、地上のドリシタに向かって手をかざした。


ボクには何かわからなかったけれど、なにかのおまじないみたいなものをかけたみたいだった。


神様のやることは、いつもキラキラしていて綺麗だ。


「これであの子も目を覚ますだろう」

神様はそう言って、ボクの両頬を包んだ。


「お前はドリシタと友達になっておいで」

「おともだちですか?」

「そうだ、ここの天使たちと同じように接するんだよ。できるかい?」

「ドリシタを助けに行くんじゃないんですか?」

「遊び相手になってもらうといいよ」

「ボク、きっと何かできますよ?」

「お前ら天使の仕事は、亡くなった魂をここに連れてくることさ。それ以外は、まだ早いよ」

神様の高くも低くもないいつもの声が、優しく響いた。

お顔はいつもより優しかった。


「う〜ん、わかりました。おともだちになってきます!それで、いっぱい笑顔になってもらいます!」

「ああ、頑張っておいで」

神様はボクをひょいっと抱き抱えると、地上までの滑り台を出してくれた。


「今日から3日だからね、気をつけて行くんだよ」

「はーい!行ってきま〜す!」


地上なんてはじめて行けるぞっ!

たのしみだなぁ!

ドリシタと仲良くなるんだ〜!


神様が手を離して、ボクはあっという間に滑り台を降りていった。

風がびゅーびゅーで、他の音は全部かき消されていくのがおもしろかった。

ボクのはしゃいだ声も、聞き取れないほどだった。



「理には、神をも介入できないことを学んでおいで」


神様の独り言は、ボクには聞こえなかった。





滑り台はそのままドリシタの部屋の窓にまで繋がっていて、くるっと回って部屋の中へと入った。


むう、お空で見ていた時よりも、この部屋の空気が悪いかも。


ボクはベッドで寝ているドリシタに近づいて、顔を覗き込んだ。

すうすうとか細い息は聞こえるけど、息の音がしなかったら、生きているかわからないほどだった。


ボクたち天使よりも、顔が真っ白だ。


「それにしても綺麗なお顔だなぁ〜。神様みたいだ」

ボクがドリシタの寝顔を見ていると、その唇から声が漏れ始めた。


「うう…」

「ドリシタ、起きた?」

「…んっ」

「あれー?おかしいな、神様が『目を覚ます』って言っていたのに」

「……」

「ドリシタ起きて〜、もう朝だよー」

ドリシタの耳元に声をかけると、微かに瞼が動いていた。

それから、眩しそうにゆっくりと目が開いていった。


空色の瞳が、ぼんやりと世界を映していた。


「あっ、起きた!おはよう、ドリシタ!」

「……?」

「あれ?ボクのこと、見えない?」

「…見えて、います、よ」

すっごく掠れた声がドリシタからして、ボクはびっくりした。


「どうしたの、そのお声。風邪でも引いたの?」

「…うまく、出ない」

「ど、どうしたらいい!?あっ、お水あるよ!」

ボクはベッドのすぐそばにあった水差しを持ち上げて、ドリシタに見せた。


思ったよりも重たくて、ぐらぐらしてしまう。

人間界のものって、こんなに重たいんだ。

中身が溢れないように、一生懸命抱えた。

神様だったら、ひょいっと持ち上げられるだろうに、ボクってば弱いな。


「…コップ」

「えっ、両方は持てないよ!」

「……」

ドリシタは曖昧に笑って、起き上がろうとした。

それでも力が入らないみたいだった。


「大丈夫?」

ボクがきいても、小さく頷くだけ。


ドリシタって、こんなに元気がなかったの?

お空から見ていた時は、眠っている姿が綺麗だったのになぁ。


ドリシタは時間をかけて、たくさんあったクッションに背を預けて座った。

ふうと息をついたのが消えちゃいそうで、寝息の方がしっかりしていたと思った。


ドリシタは手を伸ばしてコップを取ると、ボクの方に傾けた。

何をされているかわからなくて、ボクは首を傾げた。

ドリシタは儚く微笑んだまま、水差しを指さして、それからコップを指さした。

話してはくれなかった。


「入れるってこと?」

ボクがきくと、ドリシタはゆっくり頷いた。

神様がゆっくり頷く時とは違う、よく見ていないと頷いているってわからなかった。


ボクは重たい水差しを一生懸命に傾けた。

どれくらい傾けたらいいかわからなくて、慎重に傾けると、ちょろっとだけコップに水が入った。


「やった、できたよ!」

ボクがそう言うと、ドリシタはやっぱり何も言わなかった。

顔がうまく動かないのか、カチコチに見えた。

ふう、と、息を吐いただけだった。

それから、ドリシタはコップに入った水を2口飲んだ。

それでコップは空っぽになった。


「どう?声、出る?」

「…あなたは、どなたですか?」

まだ掠れた声で、ドリシタはじっとボクを見た。

綺麗な空色の瞳なのに、お空みたいに晴れていなかった。


「ボクは、天使だよ!」

「…天使さま?」

「うん!ドリシタとおともだちになりに来たの!」

「…?」

「本当だよ!」

ドリシタが何も言わなくて、なんだか心がぎゅっとした。


本当に天使なのに、信じてもらえてない?


不思議に思って、水差しをなんとか元に戻してから、ボクは自分の頭を触った。


「あれー!?輪っかがない!あっ、羽も見えなくなってる!」

近くにあった姿見に映ったボクは、人間の男の子みたいだった。

ここに滑り降りてくる時に、見えなくなったのかな?


「嘘じゃないよ!さっきお空から降りてきたばかりなんだよっ!」

ドリシタの手を取って訴えると、ビクッとされた。

ボクはもっとギュッと手を握った。


「天使だから、嘘はつかないよ!」

「…天使さまは、迎えに、来てくださった、のですか?」

声を出しづらそうにしているドリシタは、絞るように声を出した。

ボクは勢いよく首を振った。


「ううん、おともだちになりに来たんだよ!いっぱい遊んでもらっておいでって、神様が送り出してくれたの!」

ボクがそう言っても、ドリシタは静かに首を傾けるだけだった。


ボクが何も言わないと、この部屋はすぐに静かになる。

なんだかそわそわして、ボクはもう一度水差しを持ち上げた。


「水、もっと飲む?」

そうきくと、今度はさっきよりも頷いてくれた。

ボクは心がキューッと明るくなって、急いで水差しを傾けた。


今度こそいっぱい喜んでもらうぞ!

いっぱい飲めば、いっぱい潤うのかもしれない!


水差しはグッとドリシタの方を向いて、勢いよく水が流れた。


「あっ!」

ボクが声を上げた時には遅くて、ドリシタにもベッドにも水が溢れてしまった。


「うわあああ、ごめんなさいっ!」

慌てて水差しをまっすぐに戻したけれど、水は元には戻らない。

濡れたままのドリシタが消えそうに微笑んでいるだけだった。

ボクはやっぱり心がキューッとなった。


その時、部屋のドアが開いて、女の人がズカズカとは入ってきた。


「えっ、お嬢様、目を覚ましたのですか!?…って、何、水浸しにしているんですか!ああ、もう、仕事を増やさないでくださいよっ!起きて早々迷惑な人ですね」

黒と白の服を着た大人の女の人は、眉毛をキッとあげて怒鳴った。


人の怒鳴り声をこんなに近くで聞いたのははじめてで、ボクはたまらずに耳を塞いだ。


それなのに、ドリシタは微笑んでいるだけだった。




そのあとのドリシタの部屋は、賑やかになった。

大人の人間が何人も入ったり出たりして、途中でお医者さまっていう人も来ていた。

その人だけは、ドリシタに優しく話していた。


「何日も眠ったままだったから、声が出づらいですね。その他は打撲だけでしたので、ゆっくり元気になっていきましょうね」と言っていた。

ドリシタはそう言われて、どうしてだか目を伏せていた。

体は元気なのに、元気じゃないみたいだった。


他にもいろんな人が来た。

ゴテゴテに着飾った重そうな服の人は、すんごいツンとした匂いがした。

その人も、ドリシタに怒鳴り散らして帰っていった。

ビシッとした服を着た人は、ため息だけついて部屋を出ていった。

ドリシタの顔を派手にしたみたいなドリシタと同じくらいの女の子は、ドリシタの髪の毛を引っ張ってゲラゲラ笑っていた。

ボクは止めようとしたのに、全然びくともしなかった。

というか、触れなかった。


ボクが触れる人は、ドリシタだけみたいだった。


そうやってたくさんの人が部屋へドカドカやってきて、気がついたらもう夜になっていた。

その間、ドリシタはずっとベッドの上だった。

ボクにしてくれた笑顔よりも、ずっと変な笑顔で時間を過ごしていた。


ようやく2人に戻ってから、ボクはドリシタに駆け寄った。


「ドリシタ、すごい人気者なんだね。人がいっぱい来てた!」

そう言って、ドリシタの手を握ると、今度は触れてホッとした。

ドリシタの手は、さっきより冷たくなっていた。


「…あなた、のことは、誰も気づいて、いませんでしたね」

「ほんとだね!ボク、ドリシタにしか見えてないみたいっ!」


そう言われると、たしかに誰もボクのことを見ていなかった。

まあ、天使の姿は人間には見えないものだしね。

ボクからしたらフツウだったから、気づいていなかった。

ドリシタって、頭もいいんだ!


「…本当に、天使さまなのですね」

ドリシタは、ほんのり指先を握り返してくれた。

その空色の瞳に、ちゃんとボクが映っていてニコニコしちゃう。


「そうだよ!信じてくれたっ?」

「みなさんに見えないようで、驚きました」

「ふふっ、ドリシタには見えているんだね!」

「ええ、見えていますよ」

ドリシタの口の端っこが少しだけ上がった。


「ねえねえ、ドリシタ!何して遊ぶっ?ボクね、今は飛べないけど、本当は羽で飛べるんだよっ!」

「今日は、もう夜になってしまった、から、眠る時間、ですよ」

「ええええ〜〜〜!!つまらないよっ!遊ぼうよ!」

「…ごめんなさい、もう、疲れてしまったの」

「そっか、人間って体力があるんだったね。じゃあ、ボクと一緒に寝よう〜!」

ボクは足を持ち上げて、なんとかベッドに上がった。

いつもだったら雲の上に飛び込めばいいけど、人間はベッドに眠るらしいからね。

そのままドリシタの横に行こうとしたら、ベッドがボクの重みで沈んだ。


「すごい!人間のベッドもふかふかなんだねっ!?」

ボクはきゃっきゃと拍手した。

その度に、体の動きと一緒にベッドが少し揺れる。


「すごーい、雲と同じくらい寝やすそう!」


ドリシタを見ると、何も言わずに目が開いていた。

ボクはすぐそばに行って、ドリシタの隣に横になった。

それにもびっくりしているようだった。

どうしたんだろう?

他の天使とはみんなくっついて眠るのに。

その方があったかいって、神様が教えてくれたんだよ?


「こうしたら、あったかいって神様が言ってたよ!」

ボクがバッと手を広げて、ドリシタをぎゅーっと抱きしめた。


「…男性と、ベッドを共にするものでは、ないのですが。でも、そうですね、…温かいですね」

「にひひ〜、そうでしょーっ?」

「はい、誰かと眠るのは、子どもの時以来です」

「ええ〜、それは寂しいね!今日からは、ボクが一緒にいてあげるね!」

ボクがそう言うと、ドリシタはふふっと笑ってくれた。

神様みたいに綺麗だった。


「ああ〜っ!ドリシタは笑うと、虹みたいだね!」

「…虹、ですか?」

ドリシタは、目をぱちくりしていた。

それは、雲の隙間からちょこっとだけ出る太陽の光に似ていた。


「うんっ!虹はね、ボクたちも地上をいつも見てても、たまにしか見られないんだよ。でもね、すっごく優しい色で光っているの!」

「そう、なのですか」

「そうなの!虹が見られると、ボクたち天使は歌うんだよ」

「歌う…?」

「そう、心がねうきうきするから歌っちゃうの!」

そこまで言って、ボクはドリシタにぴったりくっついた。

ドリシタとくっついても、あったかかった。

手のひらと違って、体はちゃんとポカポカみたいだ。


「さあ、寝るんでしょ?ドリシタ」

ボクが見上げると、ドリシタは瞬きをした。

それを見て、まつげから星がこぼれ落ちちゃうんじゃないかと思った。


「…そう、ですね。寝ましょうか」

ドリシタは座っていた体を、ゆっくり布団の中へと滑り込ませた。

ぎこちない動きが、まだ元気いっぱいになっていないみたいだった。

横になったドリシタの太ももくらいにしか、ボクの足は届かなかった。

ボクはドリシタの胸の中に飛び込んだ。


「おやすみなさい、ドリシタ」

「…はい、おやすみ、なさい、天使さま」

ドリシタから返事をもらったから、ボクは目を閉じた。


ドリシタの寝息が聞こえる前に、ボクは眠りについていた。

人間のトクトクっていう音が心地よくて、ずっと聞いていたい気持ちだった。





次に目を開けたのは、昨日ドリシタが目を覚ましたのと同じくらい太陽が昇った時だった。


「よく寝たぁ」

ボクはうーんと伸びをして、隣のドリシタを見た。

眠そうに目を擦っているのに、ちょっとだけ安心した。

心がキュッとなってほわっとなったけど、どうしてそうなったのかボクにもよくわからなかった。


「ドリシタ、今日は何して遊ぶっ?」

「天使さまは、お元気ですね」

昨日よりもずっと声が出ているドリシタに、ボクはにっこりした。


「そうだよ!だってドリシタといっぱい遊ぶんだもん!」

ボクが両手を広げると、ドリシタは神様みたいに微笑んでいた。

その顔が悲しく見えたのが、嫌だった。


「どうしたの?」

「私は、1週間近く、眠っていたそうなので、今日も起き上がれるのか、わからないんです」

「そんなあ!」

ボクの叫びに、ドリシタの眉毛が垂れるだけだった。


「ボク、ここには3日しかいられないの!3日ってあと何日!?」

ドリシタの肩を揺らして、ボクは大声できいた。

そしたら、ドリシタはびっくりした顔をしていた。

昨日より、顔のカチコチがとれていた。


「3日ですか…、昨日も合わせるなら、明日、でしょうか?」

「明日!?明日って、いつ?太陽がもう一回昇ったら、明日?」

「はい、そうです」

「まずいよっ!いますぐいっぱい遊ばなきゃっ!」

ボクはベッドを飛び降りて、カーテンを開けた。

窓も開けて、部屋の中においしい空気を取り込んだ。

下を見ると、綺麗なお花がいっぱい咲いていた。


「ドリシタ、ドリシタっ!下にお花がいっぱいだよっ!」

ボクが振り返ると、ドリシタはゆっくりと体を起こしていた。


「そういえば、薔薇の見頃でしたね」

「薔薇ってなんのお花っ?」

「えっ、そうですね…。誰かにプレゼントしたり、眺めたりするお花でしょうか…?」

「へえ〜!じゃあ、見に行こうよ!」

「…今日は、やめておきます」

「どうして?」

ボクは赤や黄色の花を見たあとに、もう少し見ていたいなぁと思いながら、ドリシタのところに戻った。

ドリシタは、また変な顔で笑っていた。


「どうして?」

もう一度きくと、ドリシタの小さい口が動いた。


「きっと、家族と、鉢合わせになるので」

「はちあわせって、なあに?」

「出会うということ、です」

「会っちゃいけないの?ボクは、神様には毎日会うよ?」


そういえば、神様と会わない日は今日がはじめてだと気づく。

神様、元気かなあ?

ボクのこと、ちゃんと見ていてくれているかなあ?

会いたいなぁ。


「会いたくないと、思うので」

そう言って、ドリシタは顔を伏せてしまった。

しょんぼりさせてしまったんだとわかって、ボクは慌てて手を振った。


「じゃあ、じゃあ!お部屋で遊ぼう!ボク、ここで遊ぶのも楽しみだよっ!」

再びベッドによじ登って、ドリシタの顔を覗き込んだ。

涙は零れていなかった。

ボクと目が合って、空色の目が少しだけつやつやだった。


「…本くらいしか、ありませんが」

ドリシタは下を向くのをやめて、近くの引き出しから大きめの本を取り出した。


「私の好きな童話なのですが、一緒に、読みますか?」

ドリシタの言葉に、ボクは思いっきり頷いた。

だって、わくわくしたんだもん!


「うん!ドリシタ、読んで読んでっ!」

「はい」

「ボクね、今日はここね!」

手をつきながらベッドを移動して、ドリシタの足の間に収まった。

背中をぺったりドリシタに預けてくっついた。

見上げると、すぐ近くにドリシタの顔があって、ボクはたまらずににこーっと笑った。


「近くだと、うれしいね!」

「…そう、ですね」

「ドリシタのトクトクって音が聞こえるの、ボクすっごく好き!」

「心臓の、音、ですかね」

「人間って、みんなトクトク言うの、かわいいよね!」

「そうなの、ですね」

「うん!ドリシタ、早く読んで!」

「はい、今読みますね」


それからドリシタは鳥みたいな声で、その本を読んでくれた。

すっごくおもしろくて、ボクは読み終わってすぐにまた読んでとお願いした。

ドリシタは、わかりましたとはにかんで、もう一回読んでくれた。

結局、その日は何度もその本をドリシタと一緒に読んだ。


夕方になるまで、何回も読んでいると、今日はじめて人がやってきた。

コンコンってドアを叩く音を、ボクはこの部屋ではじめて聞いた。

ドリシタが「…はい」と弱々しく返事をすると、入ってきたのは男の人だった。

昨日はいなかった人だ。


ドリシタはボクをぎゅっと抱きしめてくれた。

ボクもドリシタに背中をつけたまま、ドリシタの手に自分の手を重ねた。

ドリシタの指先は、ひんやりしていた。

その男の人には、やっぱりボクは見えていないようだった。


「生きていたのだな」

「…ええ、ご心配をおかけしました」

「心配なんかしてないさ。ただ迷惑だなってだけで」

「…申し訳、ございません」

難しい言葉が続いて、ボクはちんぷんかんぷんだった。

ただ、ドリシタの顔がぐんぐん曇っていくのだけはわかった。

そんな顔をしたら、お空から雨が降ってしまうと思った。


神様が泣く時、地上には雨が降る。

もしドリシタが泣いたら、何が起こるのだろう。


ボクは体を捻って、ドリシタの頬に触れた。

空色の目に、ドリシタを見るボクが映った。


「君さえいなければ、僕は愛する人と一緒になれるというのにね」

「…ええ、私もそう思います」

「なんだい、今更同情を誘おうっていうのか?」

「いいえ、本心からの言葉です。ここには、私の居場所など、ありませんから」

ドリシタの顔は曇ったままだったのに、声はしゃきっと通っていった。

きいたことのないドリシタのまっすぐな声に、ボクは心が弾んだ。


このドリシタは、かっこいいだと思う!

ドリシタかっこいい!

ボクは太陽に負けないくらい目を輝かせて、ドリシタを見た。


「ここにも、の間違いだろ」

「そうかもしれませんね」

「見舞いには来たからな、二度とその面を見ずに済むことを願うよ」

その男の人はそれだけ言うと、部屋を出て行こうとした。

ドリシタのそばにまでくることはなかった。

その背中を見ながら、ドリシタは一瞬何か考えていたけれど、小さく笑ってもう一回口を開いた。


「私も」

ドリシタが男の人の背中に向かって言った。

その人はドアを開けたまま、こちらを見た。

ドリシタの顔は、もう曇っていなかった。


「私も、もう二度とあなたに会わないでいられることを、望みます」

静かなのに、お空の上みたいに爽やかな声がした。

空色の瞳が、快晴みたいにピカピカだった。

なのに、男の人の方が雷が落ちたみたいに、怖い顔をしていた。


「余計なこと言う元気があるようで残念だよっ…!」

吐き捨てるように怒鳴って、怒鳴り声ぐらい強くドアを閉めた。

バタンという嫌な音に、ボクは耳を塞いだ。


また部屋が静かになって、ボクはおそるおそる耳から手を離した。


「うるさい人だったね」

「そうですね」

「神様に好き嫌いはしちゃダメって言われるけど、ボク今の人嫌いかも」

「…私も、好きではありませんでした、ね」

「ドリシタも?じゃあ、お揃いだねっ!」

ドリシタの顔を見上げると、瞬きしたあとに目を細めていた。


「そうですね、お揃いです」

一回だけだけど、ボクの頭をさらりと撫でてくれた。

それでボクの心がピカピカピカーって一気に光った。

顔が溶けちゃうところだった。


「…もっと年の離れた兄弟がいたら、こんな感じだったのかも、しれません」

「んー?」

「いいえ、なんでもありませんよ」


ドリシタの部屋に入ってきたのはその人だけだったので、眠るまでまたドリシタに同じ本を読んでもらった。

朝よりも昼よりも、ずっと出るようになった声は、川みたいにさらさらだった。

ボクはなんとなくドリシタの本物の声は、これだなと思った。


そうして、またドリシタの腕の中で眠ったのだった。





「おはようございます、天使さま」

「…おはよう」

「もうお昼みたいです」

「あれぇ、いっぱい寝ちゃったね」

「そうですね」

ドリシタはもう体を起こしていて、僕を覗き込んでいた。

空色の目も、ドリシタの向こうの空も、よく晴れていた。

最高の1日になるとボクは思って、起き上がった。


「ドリシタ、今日は何して遊ぶぅ?」

ボクがそうきくと、ドリシタは優雅に微笑んだ。

変な笑顔じゃなかった。


「よかったら、庭に出ませんか?」

「庭ぁ?」

「はい、薔薇を見に行こうかなって」

「薔薇!薔薇って昨日の綺麗なのだね!?行く!行く行く、今すぐっ!」

「ええ、行きましょう」

ドリシタはずっと着ていた服を着替えて、ボクの服に似た柔らかいヒラヒラの服に変えた。


「その服、ドリシタによく似合っているね!」

「ありがとうございます」

着替え終わったドリシタを見て、ボクはドアノブを回した。

駆け出すと、「走ったら危ないですよ」という優しい声が追いかけてきた。

ボクの心が飛んでいっちゃいそうになったのは、当然のことだった。




「うわあぁ、綺麗だねえ〜!」

「そうですねぇ」

ボクはドリシタと庭に出て、本物の薔薇を見た。

ほんわりいい匂いがして、心がうずうずした。

パタパタ走っていって、バラの前でくるくる回った。


「おいしそうだねっ!」

「天使さまは、薔薇を食べるんですか?」

「ううん、食べたことないよ!」

赤い薔薇、黄色い薔薇、白い薔薇。

地上はこんなにも色とりどりだったんだ!

そう思ってお空を見上げると、厚い雲がグレー色に広がっていて、今にも泣いちゃいそうだった。

太陽と一緒だったらもっと薔薇が綺麗に見えそうなのに、残念だなぁ。


「ドリシタは、どの色が好き?」

隣に立つドリシタを見上げると、ボクと同じ背になるくらいに屈んだ。


「そうですねぇ…、白が好きかもしれません」

「ボクの色だ!ボクも一緒だねっ!」

「天使さまも白色ですものね」

「うん!神様はね、白いピカピカなんだよ!」

「では、天使さまはほわほわの白ですね」

「ほわほわ…!いいねっ、ボク、ほわほわ気に入った!」

ドリシタも今はほわほわの白の服だ。

またお揃いだ!

ボクはニコニコしながら、一本の薔薇に折った。

真っ白のうるうるの薔薇を、ドリシタに渡した。

たくましく育った薔薇は、強そうだった。


「はいっ、ドリシタ」

「ありがとうございます、天使さま」

「ドリシタは、薔薇も似合うんだね!」

「そう、なのですね…」

「うん!綺麗なドリシタには、綺麗な薔薇が似合うよ!」

ボクの声が鐘のように響いた時、頬にぽつりと水滴が落ちてきた。

ぽたりぽたりと、雨粒が降ってきた。


「雨が降ってきてしまいましたね」

ドリシタと一緒にお空を見上げた。

ボクは片方の手で、ドリシタの手を握った。

すぐにドリシタがボクを見た。


「神様、また泣いているのかなぁ?」

「神様は、泣くのですか…?」

「うん、よく泣くよ。楽しくてもおもしろくても泣くの」

「そうなのですね」

「ドリシタは雨も似合うね」

「…お部屋に戻りましょうか、ここは濡れてしまいます」

「うん!」

ボクは手を繋いだまま、ドリシタと家の中へ戻っていった。

ぶんぶん手を振ると、ドリシタがくすぐったそうにしていた。

それに心がるんるんして、ボクはもっと振った。

ボクの後ろで、風が鳴いて、雨音に紛れて、誰かの優しい声がした。

ボクはドリシタと一緒に帰ることに夢中だったから聞こえなかった。


「もうすぐ、お迎えの時間だよ」






部屋に戻って、ドリシタはタオルでボクの頭を拭いてくれた。

だからボクもお返しに、ドリシタの頬をタオルで拭いた。


「ありがとうございます、天使さま」

「ボクこそありがとう!」

「この薔薇、花瓶に入れましょうか」

そう言って、ドリシタは窓に近づいた。

その近くにある花瓶に花を入れようとしていた。

戻ってきたばかりの部屋の窓は開いていて、強くなってきた雨風が入ってきている。

お空が暗い。


小さな花瓶に入った白い薔薇は、庭にあった時よりも綺麗だった。


部屋の向こうが賑やかになったあと、すぐに扉が開いた。

最初にここに来た時に見た、ドリシタの顔を派手にした女の人だった。


「お姉様、何勝手に屋敷の中を歩き回っているのですか?」

「…今日くらいは、好きにしようかと思ったの」

「はああ!?目障りだから、視界に入らないでくださいって言いましたよね?」

「ええ、そうね」

「なんですか、その態度。死に損ないのくせに」

ドリシタに似ているのに、似ていない。

気味の悪い顔だった。

そのドリシタじゃない人は、ドリシタに近づいていった。

ドリシタは何も言わなかった。


向かい合って、ドリシタを睨んでいた。

ドリシタの顔は、なんて言っていいのかわからない何にもない顔だった。

風がびゅーびゅー入ってきていて、窓のすぐそばにいるドリシタの髪が煽られている。

世界の怒りを、ドリシタが小さな背中に背負っているみたいだった。


「…もう、終わりにしましょう?」

「それはこちらのセリフですけど」

「もう、疲れたわ。あなたたちとも、この家ともお別れしたいの」

「まあ、嬉しいっ!お姉様さえいなければ、私はすべて手に入るもの。この家も、愛する人もね」

「最後くらい静かに過ごしたいから、あなたも出ていってちょうだい」

「最後にその無様な顔を焼き付けてあげてもよろしくてよ?」

「…もう終わりにするのだから、好きにさせてよ」

絞り出すようなドリシタの声に、ボクは心がキュッとした。

見ている場合じゃない、ドリシタの隣に行かなきゃ。

そう思って、一歩近づいた時、ドリシタを不気味にした人が大声を出した。


「お姉様の婚約者は、私が大事にしますのでご心配なく!」

そう言いながら、ドリシタの肩をドンと押した。

ドリシタは天使のように体が軽いのか、そのまま窓にぶつかって、体が後ろへと傾いた。

ぐらりと音がしそうなほどに、あっけなくドリシタの体が窓の向こうに行った。

すごくゆっくりに見えた。

押されただけで、窓の外に出てしまうなんて、ボクはびっくりした。

ドリシタに似てない人も、「え」と声を漏らしていた。


「ドリシタっ…!」

ボクは手を伸ばしたけれど、ドリシタは地面へと落ちていく。

天使と違って飛べないのに、こんな高さから落ちたら危ないのに!


それなのに、ドリシタはボクの大好きな虹の笑顔を浮かべていて、美しかった。





ドリシタが次に目を開けた時には、ドリシタは自分の体からは出ていた。

向こう側が見える透けた体で、ドリシタの肉体の方をじっと眺めていた。


「ドリシタ…」

「まあ、天使さま。本当に天使さまだったのですね」

「え?」

「輪っかと羽が見えます」

「うん…、ボク天使だよ。嘘はつかないって言ったよ」

「ええ、そうでしたね」

ドリシタは薔薇の前に落ちているボロボロのドリシタの肉体を、もう一度見た。

空色の瞳がどんな表情をしていたのか、ボクは知らない。

ボクは落ち着かなくて、ドリシタの手を握った。

こっちのドリシタにも触れて、心がそよそよした。


ドリシタも握り返してくれた。


「天使さま…、泣かないでくださいませ」

「ボク、何もできなくてごめんね…」

「そんなことありません。お友達になってくださいましたよ」

「…うんっ、ボク、ドリシタのともだちだよ!」

目をゴシゴシして、先に立ち上がった。

お空から、ボクの仲間の天使たちが何人も降りてくるのが見えた。


「ボク、天使なの。天使のお仕事は、死んだ人をお空に連れてくことなの。ボクが、ドリシタを連れていってあげるからねっ…!」

ボクが精一杯そう言うと、ドリシタはいらないものがなくなったみたいに微笑んだ。

虹の笑顔というより、晴れ間みたいな笑顔だった。

ボクの心は、ぐわっとなって、ふわっとなった。


他の天使がドリシタの周りをくるくるし始めたので、ボクは手を繋いだまま地面から飛んだ。

ドリシタも一緒に浮かんでいく。

ゆらゆらと体を揺らしながら、ちょっとずつお空へと近づいていく。

ドリシタは地上を眺めていた。


「ここから見たら、地上は綺麗だったのですね」

「お空の上から見たら、もっと綺麗だよ!」

「それは楽しみですね」

ドリシタは微笑みながら、自分がいた場所を見ていた。

それから、とぷんと雲に入っていって、地上は見えなくなった。



お空の上に着くと、神様が入り口で待っていてくれた。


「…ただいま、戻りました。神様」

「ああ、おかえり」

大きな手がボクをふわりと抱きしめてくれた。

あったかくて、雨が降りそうだった。

神様はボクを抱えたまま、ドリシタを引き寄せて、ボクとまとめて抱きしめた。


「ドリシタも、おかえり。お前たち、よく頑張ったね」

神様の高くも低くもないいつもの声が、お空中によく響くようで、ボクの心もドリシタの表情も溶かしてしまいそうだった。


ボクはお空の上が一番好きだと思った。

神様のそばが、一番安心するのも知った。

ドリシタは泣いていなかった。


ボクはドリシタと一緒になって、神様に抱きついたのだった。





──享年16歳 ドリシタ・カカタール子爵令嬢 医師による診断書、病死。







お読みくださりありがとうございました!!

毎日投稿172日目。

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