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第8話

「ああ、最悪だわ。どうしてこんな時になって……」


 エレナはきらきら光るボタンやビーズやレースの山に埋もれそうになりながら、ほとほと困り果てた様子で呟いた。工房の壁に作りつけられた引き出しを全部ひっくり返して中身をぶちまけてみたけど、どうにも見つからない。


 舞踏会まであと十日。例年なら既にすべての注文されたドレスを滞りなく完成させて、残っているのは当日の微調整だけ。ようやくこの数か月間の激闘で散らかり放題の工房を片付けて、やれやれと頑張った自分へのご褒美に、郊外にある温泉への日帰り旅行の計画を立てているところなのに、今年はそうはいかないらしい。


 原因は言うまでもない。()()、つまりヴィクトワールから依頼されたドレスだ。


 当初ヴィクトワールからは、仮縫いが終わった時点でお相手のご令嬢を工房に連れて来て、諸々調整できるようにするから大丈夫だと言われていた。それならということでこの突拍子もない依頼を引き受けたのだけれど、この前口論して気まずくなってしまってからというもの、ヴィクトワールは工房にも顔を出さないし、連絡もない。エレナも日々やきもきしてはいるのだが、どうにも自分から動こうとすると尻込みしてしまう。理由は分かっている。


(だって、会いたくないんだもの……そのご令嬢に……)


 困ったことに、エレナは自分の気持ちに気づいてしまった。だからもう、今までのような顔でヴィクトワールには会えない。ましてや彼がプロポーズしようとしている女性をここで出迎えて、ドレスのあれこれをアドバイスするなんて、絶対に無理だ。実直で嘘のつけないヴィクトワールのことだから、きっとエレナの前でも、その女性に対して溢れ出るほどの愛情を隠そうとしないだろう。今まで見たことのないようなヴィクトワールの熱いまなざしが、自分以外の人に向けられてるのを目の当たりにするなんて、耐えられる……?


 だがそうは言っても、仕事は仕事。悩んでも迷っても、納期は待ってくれない。エレナは数日間、涙で枕を濡らした後で、ありったけの勇気を振り絞って自分を奮い立たせて、誓いを立てた。


 絶対にこのドレスは完成させよう、と。


 ヴィクトワールが誰かと婚約して、手の届かないところへ行ってしまうのは確かに辛い。でも、彼がいてくれたおかげでここへ来てから五年間、どうにかやってこられたのも事実。そのことについては、どれだけ感謝してもし切れない。結果だけ見れば、彼に女性として意識してもらうことはできなかったけれど、その代わり、友人として揺るがぬ信頼関係を築くことはできた(と、エレナは思っている)。ならばその友情は最後まで友情のまま、綺麗な形で終わらせたい。それが自分にできるたった一つのヴィクトワールへの恩返しだと、エレナは考えた。


 エレナは今回の舞踏会のドレスを完成させたら、王都を離れようと決めていた。このドレスを気に入ってくれたら、もしかしたらヴィクトワールはウェディングドレスもエレナに注文したいと言うかもしれない。それに、きっと結婚式にも参列してくれと言うだろう、大切な友人として。


 でも、それはできない。陸軍の正礼装に白手袋をはめたヴィクトワールが、エレナの作った純白のドレスに身を包んだ花嫁の手を取り、祭壇の前で永遠の愛を誓って、それから……キスをする。その一部始終を教会の片隅で一人座って見届けるなんて、到底耐えられない。


 だから、黙ってここを出て行こう、だけどその前に、今までのありったけの感謝を込めて、このドレスだけは完璧に作り上げる。そう固く心に誓って、この数日間、寝る間も惜しんで頑張ってきたのに、ここへ来てやらかした。


 ……レースとリボンが、どう頑張っても足りない。


 どうしてもっと早くに在庫をチェックしておかなかったんだろうと、エレナは頭を抱えたが、後悔先に立たず。


 さて、どうしよう。


 足りない、というのは正確ではないかもしれない。レースもリボンも、どちらも引き出しの中にたっぷり揃っている。


 でも、どれもしっくり来ない。エレナの頭の中には、このレースとリボンでなければダメ! という絶対的なイメージが固まっている。その二つ()()が狙いすましたように足りないのだ。ずっと忙しかったのとヴィクトワールのことで悩んでいて、注文するのを忘れていた自分が一番悪いのだけど、ここへ来てこんなことになるなんて、あまりにも間が悪すぎる。


 しかも更に悪いことに、今は舞踏会前。めぼしい生地やレースやボタンなどの装飾パーツは、数か月前から王都にいくつかあるメゾンに買い占められてしまっている。でないと、わがままな貴婦人やご令嬢のご要望にお応えできないからだ。それもあって、今、生地問屋は在庫が極端に少ない。エレナが探しているレースもリボンも、もう完売になっている可能性は十分にある。


 どうしよう、今から街に行っても無駄足かもしれないし……と、エレナは迷った。生地問屋は街の中心部の、人も馬車も馬も多い市場の隅にある。エレナは街が、その中でも市場が何よりも苦手だった。あの喧騒の中にいると、酷いめまいと頭痛に襲われて、立っていられなくなる。だから一人で街中に行ったことはほとんどなかった。エレナが街に行きたい時には……ほとんどいつも、ヴィクトワールが何かしら理由をつけて連れてきてくれていた。そのことに今更ながら気がついて、エレナはまたしても心に冷たい風が吹くのを感じて泣きたくなった。


(私、ずっとヴィクトワールに守られてたのに、それを当たり前だと思ってきちんとお礼も言ってなかったわね。もっと早く気がつけば良かった)


 エレナは頭の中に一瞬よぎった、手持ちのもので代用しようか……という考えを振り払った。


「ダメよ、ヴィクトワールのために最高のドレスを作るって決めたんだもの、ここで妥協したら今までの苦労が全て水の泡だわ。そんなの絶対にダメ。……大丈夫、なんとかなるわ」


 今はまだ昼過ぎだから、何軒か店を廻って買い物をしても、暗くなる前に帰ってこられる。いつまでもヴィクトワールに頼っていないで、欲しいものは自力で手に入れよう。エレナは心を決めると、急いで戸締りをして、街に向かった。


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