第5話
それから数日後のこと。
市場で買い物をしている最中に、視界の端に黒いマントが翻るのを認めたエレナは、あわててその後を追いかけた。
「待ってよヴィクトワール、ねえ、ちょっと待ってってば!」
「な、何だ。俺は忙しいんだ」
速足でその場から離れようとしたものの、逃げられないようにがっちりと腕を掴まれてしまったヴィクトワールは、それでも無駄な抵抗を試みたが、エレナは今日という今日は諦めるつもりはなかった。そのままぐいぐいと大柄なヴィクトワールを引きずって歩道の端まで連れて行く。周りの商店のおかみさんやヴィクトワールの部下があっけにとられて見ているが、エレナは意に介さない。
「忙しいじゃないわよ。ねえ、何度も言ってるでしょう? ドレスのデザインを決めたいから工房に来てって。もう時間がないのよ」
「だから全部、君に任せるって言ってるじゃな……」
「だ め よ」
「なんでだ」
エレナは思わず声を張り上げた。ダメだ、わかってない。この人、何もわかってない。
「なんでって、ダメに決まってるでしょ、ヴィクトワール将軍。あっきれた……。いいから今すぐ工房に来て」
ついにヴィクトワールが白旗を揚げた。エレナは意図していなかったのだが、往来で、しかも部下の前でドレスのことを話題に出されて詮索されては困ると判断したのだろう。ヴィクトワールは絡みついたエレナの両手の指を一本づつゆっくりと腕から引き剝がしながら、声を潜めて言った。
「分かった、分かったから、腕を離してくれ、エレナ。見回りが終わった後で工房に寄る。約束する。それでいいだろ? 頼むよ」
「いいわ。もし今日来てくれなかったら、明日は軍司令部に乗り込むから。いいわね?」
ということがあって、それから二時間ほどしてから約束通りヴィクトワールがエレナの工房に現れたのだが、そこからがまた大変だった。エレナが少しでもドレスの参考になるような情報を引き出そうと件の令嬢についていくら質問しても、ヴィクトワールからは要領を得ない返事しか返って来ないのだ。
「で、一体どちらのご令嬢なの? いいかげん教えてくれたっていいじゃない」
「……」
「失礼だけどあなたと釣り合うお年頃だとしたら、十三歳とか十五歳、ではないわよね。そう思って二十歳ぐらいを想定してデザイン画を起こしてみたのだけど、どう?」
「……ああ」
ああ、って何ですか、ああ、って。答えになってませんけど。エレナはやれやれと溜息をつくが、ここで諦めるわけにはいかない。
「あ、あと、お二人で並んだ時のバランスも考えなきゃいけないんだけど、あなた当日は黒か白か、どちらの礼服を着るの?」
「……」
壁に向かって話しかけてるみたいね。普段から無口な人だけど、ここまでむっつり黙りこくってるヴィクトワールは初めてだ。だが何としても今日中に話を進めなければ。エレナは二枚のデザイン画をヴィクトワールの前に置いた。
「まあ、いいわ。ちょっとこれ見て頂戴。何とかこの二案までは絞ったの。でもどうしても決められなくて」
ヴィクトワールの目がちゃんとデザイン画を見ているかどうか甚だ疑問だが、エレナは無視して楽しそうに説明を始めた。ドレスのことになると、自然と饒舌になってしまう。
「こっちのマゼンタと黒は、あなたの礼装が黒だった時を想定してデザインしたものよ。で、こっちのターコイズブルーと白のは、白の第一礼装に合わせたら素敵じゃない? マゼンタのほうはアクセサリーは黒のベルベットのチョーカーがいいわね。細いリボンで首に密着するタイプで、結び目のところにドレスと同じ生地で作った薔薇の花を飾って、両端を長く垂らすといいと思うわ。そうなると手袋も当然、黒のベルベットね。あ、でもそれだとちょっと印象が強くなりすぎるかしら。婚約のお披露目の席なのだから、もう少し淑やか目にしたほうが…ってヴィクトワール、聞いてる?」
「あー、ああ」
「嘘。聞いてないでしょあたしの話。もう、お願いだからちゃんと相談に乗ってくれない? 会ったことも見たこともないご令嬢のドレスを作るのがどれだけ大変だと思ってるの。あなたの意見だけが頼りなのよ? 分かってる?」
「そんなこと言われたって、俺に女性のドレスのことなんて分かるわけがないだろうが」
「分からなくていいの、端から期待してませんから。ただあなたの目で見て、どちらがあなたの想い人に似合うか、どちらを着てほしいかを決めてくれればいいだけ」
あなたの想い人、という言葉に、ヴィクトワールの眉がぴくりと動いたのを、エレナは見逃さなかった。照れてるのかしら、もう五年もの付き合いなのに、この前からヴィクトワールの知らない一面ばかりを見せられているような気がする。そして、そのたびに胸の奥がざわざわするのはなぜなんだろう。
エレナの視線に根負けしたのか、ヴィクトワールはしぶしぶ二枚のデザイン画を手に取った。だが二つのドレスを頭の中で比較するのではなく、なぜかデザイン画とエレナの顔を交互にじっと見つめている。今度はエレナが困惑する番だった。
「ちょっと、ヴィクトワール。どうしてあたしの顔とドレスを見比べてるの。それじゃまるであたしがこのドレスを着るみたいじゃない。いくら髪と目と体つきが同じだからといっても、顔立ちは全然違うでしょう? ちゃんと、ご本人に似合うかどうかを基準に考えてくれないと困るわ」
だがエレナの言葉がまるで聞こえていないかというように、相変わらずヴィクトワールは二枚のデザイン画に視線を落としてはエレナの顔を見上げ、首を捻るのを止めようとしない。その姿を見ているうちに、次第にエレナの胸に苛立ちが募ってきた。
「ヴィクトワール」
「んー?」
「真面目にやって?」
「は? やってるよ。これ以上ないぐらい真面目に考えてる。ちょっと静かにしててくれないか」
「……」
ああそうですか、と、エレナは黙った。だが、しばらくして返って来たヴィクトワールの返答に耳を疑った。
「……分からん」
「……は?」
「俺には決められん。エレナがいいと思うほうでいい」
エレナが思うほう「で」いい、その言葉に、ついに堪忍袋の緒が切れた。エレナは思わず両手でテーブルをバン! と叩いて立ち上がり、ヴィクトワールにずいと顔を近づけてドスのきいた声で詰め寄った。
「ヴィクトワール、あなた、あたしのこと馬鹿にしてるのね?」
「は? なんでそうなる?」
エレナの剣幕に、思わずヴィクトワールがたじろいでのけぞった。エレナはテーブルの上に投げ出された二枚のデザイン画をヴィクトワールの目の前に突き付けて、一気にまくし立てた。
「は? じゃないわよ。あたしはいつも真剣にお客様に向き合ってるの。全身全霊で、着る人が一番綺麗になれる唯一無二のドレスを作ってるのよ。だからお客様の外見やお立場はもちろん、何がお好きなのか、どんな時にお召しになるドレスなのか、そういうバックボーンまで深く知ってからじゃないと製作にとりかかれないんです。それを何、あたしのいいと思うほうでいい、って。失礼にもほどがあるわ。それにあなた、あたしのことだけじゃない、あなたの大切な人のことも馬鹿にしてるわよね。あなた、あたしが作ったドレスを贈って何をするつもりなんでしたっけ? ただプレゼントするだけだなんて言わせないわよ。その方の一生を左右する大事なことなのに、何から何まで人任せにして、あなたの気持ちってその程度なのね? 分かりました。悪いけど、ドレスメイカーの誇りにかけて、そんな適当な仕事はできません。がっかりだわ、ヴィクトワール・レジェ将軍。あなたがそんな無責任な人だったなんてね!」
「違う!!」
黙ってエレナのお説教を食らっているとばかり思っていたヴィクトワールが、突然、大声を上げた。




