第3話
「え、ちょ、ちょっと待ってヴィクトワール。その、ドレス……舞踏会のドレスって、あなたまさか……?」
「……」
どもりながら繰り返すエレナに、ヴィクトワールは顔を赤くして横を向いた。その普段の姿とは正反対な困惑して落ち着かない様子に、エレナはヴィクトワールの意図をはっきりと感じ取った。
(ヴィクトワールが舞踏会のドレスを女性に贈るなんて……本気なんだわ、彼……)
エレナが驚愕するのも無理はなかった。
この王国で、男性が女性に舞踏会のドレスを贈るということは、極めて大きな意味を持つ。それは単なる贈り物ではなく、男性からの愛の告白と婚約の申し込みを意味するからだ。そして今、目の前にいるヴィクトワールがそのドレスの仕立てをエレナに依頼してきた。ということは……ヴィクトワールには想い人がいて、今度の舞踏会でその女性にプロポーズをするつもりなのだ。エレナにはまさに青天の霹靂だった。
ヴィクトワールはエレナより九歳年上で、今年三十になる。確かに年齢だけみれば、もうとっくに結婚していてもおかしくはない。けれどエレナが見る限り、彼は軍務一筋の無口で無骨な男で、着飾った令嬢と浮名を流す姿などとうてい想像できなかった。そんなヴィクトワールが人知れず恋をして、一世一代の大勝負に出ようとしている……。確かにさっきは飛び上がるほど驚いたけれど、落ち着くにつれてエレナの胸には嬉しいような誇らしいような、なんとも表現し難い感情が湧き上がってきた。命の恩人で、大切な友人でもあるヴィクトワールが、人生の大事な局面を左右するであろうドレスの仕立てを自分に託してくれた、その想いを全力で応援したい。エレナはにっこり笑って、ヴィクトワールにまっすぐ向き直った。
「それは、すばらしく嬉しい注文だわ。ありがとうヴィクトワール。でもそんな大事なドレスの仕立てを私なんかに任せてしまって大丈夫なの? あなただったら王室御用達のメゾンにも顔が利くのではなくて?」
「……いや、俺はエレナに頼みたいんだ」
「そう、分かったわ。では謹んでお受けいたします。大切な友人のあなたの晴れの日に相応しいドレスを全力で仕立てますから、楽しみにしていらして。それで早速だけれど、お相手のご令嬢はどこのどなた? 採寸してデザインを相談させて頂く必要があるから、ご連絡を差し上げなくては」
それはドレスメイカーとして当然の要望だった。ドレスを贈って愛を告白するというのは確かに大変ロマンチックな風習ではあるが、実際のところ、だいたいはサプライズではなく、それまでに当人同士で十分に気持ちを確かめ合ったうえで形式的に行われるイベントの一つだ。そもそも貴族や上流階級の令嬢が着るドレスはオーダーメイドが当たり前で、サイズもデザインも、何度も何度も打ち合わせや仮縫いを繰り返して作り上げていく唯一無二のものなのだから、まずはそのご令嬢に会わせてもらえなければ話が始まらない。舞踏会までそれほど日があるわけでもないし、カルデローニ伯爵家からの依頼も抱えているから、悠長に構えてはいられなかった。
だが、そんなエレナの申し出に対するヴィクトワールの返答に、思わずエレナは首をかしげた。
ヴィクトワールはこう言ったのだ。
「それが実は……彼女……は身体が弱くて、長時間の外出が難しい。だからその……ここに連れてくることはできないんだ」
「ええ!? そんな、困るわ。お会いしたこともない令嬢のドレスを作るなんて、いくらなんでも無理よ。どういうことなの、ヴィクトワール? ちゃんと説明して頂戴」
エレナは困り果ててしまった。一口にドレスといってもその種類は様々だ。デイドレスのような普段着ならまだ何とかなるが、舞踏会で着るボールガウンや夜会の時のイヴニングドレスといった、社交界での装いには厳然たるドレスコードがあって、デザインもサイズも着る人にぴったりと合っていなければならなかった。それなのに、一番重要な採寸もできないなんて……。それにご令嬢の顔立ちや、髪や瞳の色も分からないまま、どうやってデザインしろと言うの? いったい、ヴィクトワールは何を考えているのかしら?
だがヴィクトワールは、なおも食い下がるエレナに向かって、有無を言わさない口調で答えた。
「無理を言っているのは分かっている。だが今は、どうしても無理なんだ。幸い、彼女……は君と同じ金色の髪に薄いブルーの瞳で、背格好もほとんど同じだから、まずはその……君をモデルにして進めてもらえないだろうか。いや大丈夫だ、彼女も君の作るドレスが素晴らしいことは良く知っていて、任せると言ってくれている。だから君が作りたいと思うように作ってくれればいい」
「でも……」
「とにかく、そうしてくれ。責任は全部俺が取る。君以外にこんなこと頼めない。費用はいくらかかってもいいから、とにかく君自身のセンスで最高のものを作ってほしい。……駄目だろうか?」
その口調があまりにも真剣で、熱に浮かされたような目で訴えかけるヴィクトワールの様子に圧倒されて、エレナは頷くしかなかった。
「……分かったわ。色々ありえないことだらけだけど、あなたの友情に免じて、言われた通りに注文をお受けします。でも仮縫いが終わったあたりで、必ずご本人に会わせて頂戴。気に入って頂けないドレスを納品するなんて、私のドレスメイカーとしての誇りが許さないもの。いいわね?」
「ああ、約束する。……ありがとう」
ヴィクトワールがほっとしたのを認めて、エレナはやれやれ、と肩をすくめるしかなかった。そのまま少し世間話をしてから帰ろうとしたヴィクトワールが、門のところでさりげなくエレナに尋ねた。
「ところで、記憶のほうはどうだ? その……まだ戻らないのか?」
「ええ、何も思い出せないままよ。もう五年も経つのにね」
「……そうか」
そう短く答えたヴィクトワールの顔には一瞬だが、不思議な表情が浮かんでいた。だがその時、エレナは額の右側にある小さな傷がズキリと痛んだのに気を取られて、ヴィクトワールの意味ありげな様子には気がつかなかった。




