第17話
エレナの華やいだ気持ちはいっぺんに吹っ飛んで、頭の先からさーっと血の気が引いていくのがはっきり分かった。
(国王ご夫妻とお話しするなんて無理よ……予想もしてなかったわ。どうしよう、どうすればいいの。……そうだわ、化粧室に行くふりを……)
だが、時すでに遅しだった。
「よく来てくれたな、レジェ将軍」
「恐れ入ります、国王陛下。ご機嫌うるわしゅう、王妃殿下」
「こんばんは、ヴィクトワール。あら、その方が噂の婚約者様?」
「ひっ……!」
何とか少しでも時間を稼いで落ち着こうと、エレナはこっそり回れ右をして大広間から出て行こうとしたのに、いつの間にかヴィクトワールに腕をがっちりと掴まれていて身動きが取れない。どうにも逃げられないことを悟ったエレナは、仕方なくスカートを摘まんで膝を曲げ、頭を下げた。こうしていれば、少なくともお二人に顔を見られないで済む。
「左様でございます、王妃殿下。エレナ、ご挨拶を」
「お、お、お初にお目にかかります。エレナ……と申します……」
「ははは、そう緊張されずとも良い。そうか、ついにヴィクトワールも身を固める気になったか。いやめでたい。してエレナ殿のお家はどちらかな? お父上の爵位は?」
「あ、あの……」
国王陛下に質問されて、エレナの額に冷汗が滲んだ。エレナは平民だから、姓など持っていない。おまけに記憶の一部を失ってしまっているせいで、両親の名前も自分がどこで育ったのかもさっぱり分からない。だから、国王陛下が満足されるような答えは返せない。だがやはりヴィクトワールは騎士爵とはいえれっきとした貴族で、おまけに常勝将軍の誉れ高い時の人だ。であれば、当然その結婚相手にもそれなりの家柄が求められるだろう。本当は皆、どこの誰とも分からぬ娘が彼と腕を組んで宮廷舞踏会に出てくることに眉を顰めているのではないだろうか。きっとそうに違いない。自分は誰に何を言われてもいいけれど、ヴィクトワールに迷惑をかけてしまうのだけは嫌だ。エレナはうつむいたまま、隣にいるヴィクトワールをそっと盗み見た。するとエレナの視線に気づいたヴィクトワールがかすかに笑って小さくうなずくと、国王陛下に向き直った。
「そのことですが国王陛下……」
「え? 待って、エレナ……さん? もしやエレナさんて、ドレスメイカーのエレナさん……?」
突然、普段と全く変わらない、落ち着いて静かなヴィクトワールの声を遮るかのように会話に割って入ってこられたのは、王妃殿下だった。エレナはまたしても虚を突かれて面食らった。なぜ王妃殿下がドレスのことをご存じなのかしら。
「はい? あ、確かに私は王都でドレスを仕立てておりますが、王妃殿下、なぜそれを……?」
エレナが困惑しながら少し顔を上げて答えると、王妃殿下の顔がぱあっと輝いた。
「まあ! あなたがエレナさんね! あの素敵なドレスを作っていらっしゃる! わたくし、一度お話ししてみたいと常々思っていたの。お会いできて嬉しいわ!」
「へっ? 王妃殿下が私のドレスを!?」
エレナの頭はもうパンク寸前だった。その時、視界の端に、笑って手を振っているカルデローニ伯爵夫人と二人の令嬢が映った。伯爵夫人が優雅な足取りで近づいてくると、王妃殿下に親し気に声をかけた。
「わたくしからご説明させて頂きますわ、王妃殿下」
「あら、アレッサンドラ。ちょうどいいところへ。改めてご紹介してくれる?」
「ええ、もちろん」
カルデローニ伯爵夫人はヴィクトワールの腕からエレナを引き剥がすと、王妃殿下の前に立たせた。そして、目にも鮮やかなマゼンタのドレスがよく見えるよう、後ろから両肩を掴むようにして、ぐっとエレナに胸を張らせた。




