第14話
あっという間に十日が過ぎ、ついに王都はその日を迎えた。十二月一日、社交シーズンの幕開けとなる宮廷舞踏会の日である。
その二日前に初雪が降り、王都はすっかり冬になった。今は午後八時、もうとうに日は暮れて、夜の帳が降りている。だが王都の中心にある王宮は、何百本もの蠟燭がきらめくシャンデリアに照らされて、遠目にもきらきらと光を放っていた。
既に馬車寄せには何台もの煌びやかな馬車が停まり、着飾った人々が降りては互いに挨拶を交わして、広大な玄関ホールに吸い込まれていく。貴婦人や令嬢の囁き声とひそやかな衣擦れの音が、オーケストラの奏でるヴァイオリンの繊細な音と交じり合って、いっそう華やいだ雰囲気を醸し出していた。
やがて一台の馬車がやって来た。貴族達が使っている四頭立ての大型馬車に比べるとかなり小ぶりで、あっさりとした装飾の、一頭立ての二輪馬車。普段は後ろに寄せて開けている黒い幌が、今日は夜の社交に合わせて閉じられて、有蓋馬車の仕様にしてある。その幌を少し上げて、背の高い男性が降りて来ると、白い手袋を嵌めた左手を差し出した。
「足元に気をつけて、エレナ」
「ありがと、ヴィクトワール。わぁ、凄い……」
ヴィクトワールにエスコートされて馬車から降りたエレナは、目の前に広がる光景に思わず声を上げた。その様子を見ていたヴィクトワールもふふっと小さく笑って、二人は並んでしばしその華やいだ空気に身を委ねた。
「宮廷舞踏会の豪華さも、今年は全く違って見えるな。いつもは嫌々顔だけ出していたんだが」
「あら、こういう場所は好きじゃないのかと思っていたけど、ちゃんと出席していたのね」
「付き合いで仕方なくね。ただ、この舞踏会のビュッフェで出されるケーキは素晴らしく美味いんだ。だから毎年、それだけを目当てに来ていた」
「えっ、ケーキ? 嬉しい、それは楽しみだわ!」
目を輝かせて喜ぶエレナを、ヴィクトワールは眩しそうに見つめた。それから二人は腕を組んでホールに入り、大きな吹き抜けの突き当りにある階段を昇って、二階の控室へ向かった。廊下を少し進んだところで、ヴィクトワールが声をかけた。
「この先にご婦人の控室があって、コートを預かってくれる。俺はここで待っているから、身支度を整えておいで。急がなくていい」
「ええ、ありがとう」
壁際に並べられた椅子に腰かけたヴィクトワールと分かれて、エレナは控室に入った。豪華な彫刻の施されたドアの向こうは、様々な色彩と光の波で溢れていた。広い室内は着飾った女性達でごった返している。エレナは人混みを縫うようにして奥へ進み、クロークのところで真っ白な毛皮のマントを脱いでメイドに渡した。外は真冬の寒さだが、この部屋は暖炉の火や蝋燭の灯り、それから人の熱気で暑いぐらいだ。そばを通りかかった給仕から冷たいイチゴ水のグラスを受け取って、ほっと一息ついたエレナの耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「エレナ! こっちよ!」
「まあ、カルデローニ伯爵夫人にお嬢様方」
にこやかに膝を屈めてお辞儀をしたエレナを、二人の令嬢が左右から取り囲んで一斉に話しかけた。
「エレナ、見て、わたくしのドレス。どう、似合ってる?」
「そんなことよりエレナ、あなたとっても綺麗よ! 素晴らしいドレスね、もちろんあなたの作品でしょ?」
「もう、ちょっとお姉様、静かになさって。エレナはわたくしと話してるのよ」
「お黙り、ベアトリーチェ。あなたときたら、いつでも自分の話ばかり。だいたいエレナが作ってくれたドレスなんだから、似合ってるに決まってるじゃないの。わざわざ訊くなんて失礼よ?」
今日はいつもにも増して賑やかだ。エレナは笑いながら二人に答えた。
「ベアトリーチェ様、お綺麗ですわ。よく似合ってらっしゃいます。やっぱりお母様の仰る通り、デコルテを控えめにしてようございましたわ。ベアトリーチェ様の上品さが際立っておりますね。改めて、社交界デビューおめでとうございます。ファビオラ様、恐縮です。こういうドレスはいつも作るばかりで着慣れていないものですから、おかしくないか心配で」
「本当に似合ってる? 嬉しいわ、エレナ。あなたのお蔭で素晴らしいデビュタントになりそうよ!」
「まあエレナ、自信を持って? ドレスもあなたも本当に綺麗よ。ねえ、お母様もそうお思いになるでしょう?」
ファビオラ伯爵令嬢が振り向いて尋ねると、後ろで若い三人の会話を静かに聞いていた伯爵夫人も笑って答えた。
「ええ、エレナ。とても美しいわ。やっぱりあなたのドレスはどれも素敵ね。その色は、ヴィクトワール将軍の好みなのかしら?」
「えっ、いえ、その」
ヴィクトワールの好み、という言葉に頬を染めたエレナを見て、二人の令嬢が再びきゃあっと声を上げた。
「いやーんエレナったら。もう、仲が良くて羨ましいわ。あなたとレジェ将軍、お似合いだもの」
「そ、そんな、お似合いだなんて」
「あら、照れなくてもいいじゃない。わたくし達、あなたとレジェ将軍が上手くいってくれて、とても嬉しいのよ。だってもうずっと、いつになったら両想いになるのか、ハラハラしっぱなしだったんだから!」
「ファビオラ様……どうかもうそれぐらいで」
エレナはヴィクトワールとのことを話題にされて、顔から火が出るほど恥ずかしかったが、同時に伯爵夫人と令嬢の心遣いがしみじみとありがたかった。
宮廷舞踏会に出席することを決めたエレナは、伯爵家を訪ねて夫人にヴィクトワールとのことを報告すると同時に、舞踏会でどう振舞えばいいのか教えを請うた。ことの顛末を聞き終えた伯爵夫人は、任せなさいと即答して下さった。当日はわたくしと娘達であなたの面倒を見るから、心配しなくていいと。恐縮して頭を下げるエレナに、夫人はにっこり笑ってこう言った。
「あなたは娘みたいなものですもの。それにしても良かったわね、ヴィクトワール将軍なら間違いないわ。幸せになるのよ、エレナ」
ふと気が付くと、控室にいた貴婦人たちはボールルームへ移動を始めていた。エレナも慌てて身支度を整えると、伯爵家の女性たちと一緒に廊下に出た。廊下の隅に座っているヴィクトワールの姿を見つけると、エレナは夫人達と別れ、そっと近づいて声をかけた。
「お待たせ、ヴィクトワール」
その声に顔を上げたヴィクトワールは、エレナを見ると息を呑んだ。
「エレナ……綺麗だ」
「あなたも素敵よ、ヴィクトワール」




