第12話
「俺が注文したドレスって、エレナ、あの注文、まだ受けてくれてたのか?」
「え? もちろんよ、当たり前じゃないの、ちゃんとデザイン画も見せたでしょう? あなたは上の空だったけど」
「そ、それは、その……でもあの時、君にひどく叱られて……だからもう君はあんな馬鹿げた注文なんて投げ出したとばかり」
「まっ、何てこと言うの、ヴィクトワール! そんなはずないでしょう、私はプロよ? 一度お客様から受けた注文を途中で投げ出すことなんて、絶対にしないわ!」
「あ、そ、そうか、そうだよな」
ヴィクトワールに悪気がないのは分かっていたけれど、それでもやっぱりドレスメイカーとしてのプライドを傷つけられたような気がして、エレナは思わずむっとした。だいたい、あんな無茶な注文を言い出したのはそっちでしょ、それなのに投げ出したと思っていたなんて失礼な。見くびらないで、とでも言うように腰に両手を当て、フンと鼻を鳴らしたエレナの前で、ヴィクトワールは一層小さくなった。
「もちろん、真剣に考えてくれないあなたに腹が立ったのも事実よ。だからもうあなたに相談しないで、私の独断でやらせてもらってたの。でも、肝心なところがまだ手付かずなのよ。一番大事なボディスとウエストのサイズ合わせができていないし、デコルテの開きも調整してないから、完成させられなくて困ってるの。だからヴィクトワール、その……ご本人……を早くここに連れてきてフィッティングをさせてちょうだい。でないと、もう舞踏会まで日にち……が……」
エレナは焦りながら、ヴィクトワールにことの経緯を説明しようとした。だが、ドレスを完成させるためにはどうしてもヴィクトワールの想い人にここに来てもらって、顔を合わせなければならない。そのことを思い出すと不意に悲しみがこみあげてきて、胸がぎゅっと締め付けられた。エレナは、ドレスが出来上がった後のことをすっかり忘れていた。というか、考えないようにしていたというのが近いかもしれない。
でもエレナがどれだけ泣こうが喚こうが、宮廷舞踏会はもう十日後に迫っている。その時、ヴィクトワールは想い人に出来立てほやほやのドレスを……エレナが想いのたけを込めて一針、一針縫いあげたドレスを贈って、結婚を申し込むはずだ。そして、今度こそ本当に手の届かない人になってしまって、自分は一人取り残される……。自分に待っているのは孤独で残酷な未来だけだということを思い出した途端、エレナは急に何も言えなくなってしまい、唇を噛んで俯いた。
「エレナ? どうした?」
心配そうなヴィクトワールの声が聞こえてきて、エレナは我に返った。
ヴィクトワールに別れを告げるのは、身を切られるように辛い。でも、言わなければならない。もう時間がない。
エレナは覚悟を決めた。
「な、何でもないわ。だからとにかく、早くドレスを仕上げさせてほしいの。私、この五年間のあなたの友情に感謝を込めて作ったのよ。だからドレスメイカーの誇りに賭けてあのドレスはきちんと完成させたいし、あなたには愛する人と幸せになってもらいたいの。私、それぐらいしかできないから……。全てを見届けたら、私は満足してここを出て行けるわ。きっと、笑ってお別れができ……」
「待ってくれエレナ、今なんて言った!?」
突然、ヴィクトワールが大声で割って入った。そのままヴィクトワールはありえないと言った表情で首をブンブン左右に振ってから、エレナの肩に手を置いて、真剣な顔で問いかけた。
「エレナ、まさか本気で言ってるんじゃないよな? ここを出て行くって、どういうことだ? 俺の聞き違いだよな?」
「どういうこと……って、そういうことよ。あなたのドレスが完成したら、私、王都を出て行こうと思ってるの。どこか他の土地で……」
「はあ!? 何を言ってるんだ、エレナ? どこか他の土地、だって? 冗談だろ? いや、そんなことがあってたまるか……エレナがここからいなくなるなんて、絶対に許さない!」
「ちょ、ちょっと、落ち着いてヴィクトワール! だけど、私、このままここにいるなんて無理なんだもの! あ、あ、あなたが……だって、だって私……」
ああ、最後はもっと冷静に穏やかに、にっこり笑って別れを告げて、綺麗にかっこよく去って行こうと思っていたのに、どうして世の中は思った通りにならないんだろう。気がつくとエレナはいつの間にかぼろぼろ涙をこぼし、駄々っ子のように仁王立ちになって両手の拳をギリギリと握り締めながら、大声で叫んでいた。
「あなたのことが好きなんだもの!」
「えっ!? エ、エレナが俺を……好き……? エレナ、それ本当か……?」
「そうよ! だから辛いのよ! だってあなた、プロポーズしたい人がいるのよね? だから私にドレスを注文したんでしょう? その人に贈るために……」
「えっあの、エレ」
「いいの、何も言わないで。私、ちゃんと分かってるから。私なんてあなたに相応しくないことも、あなたにとって私はただの友達でしかないことも……でも、嫌なの、そんなの見たくないの。あなたが誰かと結婚してしまう未来なんて見たくないのよ。だからここを出て……ってヴィクトワール? 聞いてる?」
それまでずっと抑えていたぶん、一度あふれ出てしまった想いはもう止められない。エレナは勢いに任せて一方的にまくし立てた。だが、ふと目の前のヴィクトワールの様子に気づくと、急に冷静になって首をかしげた。ヴィクトワールは真っ赤な顔で額には汗をかいている。そして、まるで魂が頭のてっぺんから空へ抜けてしまったような呆けた顔で、独り言のようにぶつぶつ呟いていた。
「エレナが、俺のことを好き……エレナが俺を……好き……いやそんな馬鹿な……」
「ちょ、しっかりしてヴィクトワール! ねえ、大丈夫? って、え? え? ええっ!?」
「すまん、エレナ!」
エレナは飛び上がって、一歩後ずさった。突然ヴィクトワールが床にひざまずくと、額が床にこすれるほど頭を深々と下げたのだ。
「な、何? どうしたのよヴィクトワール? ねえ、ねえってば!」
一体何が起こったというのだろう。ここにいるのは、王国の誰もが守護神と認める、勇猛果敢にして冷静沈着な常勝将軍、ヴィクトワール・レジェ。そのヴィクトワールが、目の前で床に這いつくばって、ぺちゃんこになりそうな勢いで頭を下げている。その姿は、どう見てもエレナが知っている普段のヴィクトワールからは程遠いものだった。エレナはヴィクトワールに近寄って、その大きな肩に遠慮がちに触れた。ヴィクトワールは頭を下げたまま、今にも泣きそうな情けない声で、エレナが思ってもみなかったことを白状した。
「あれは嘘なんだ」
「は?」
「病弱な令嬢なんて、初めからいない。お、俺がドレスを贈りたいのは、君なんだ、エレナ。騙してごめん。許してくれ」
「嘘……嘘って……ええっ!? どういうこと!?」
二人を取り巻く全てが唐突に動きを止めて、あたりは静寂に包まれた。驚きのあまり、エレナの涙は完全に引っ込んでいた。そして、ヴィクトワールの言葉が一体何を意味するのか全く理解が追い付かないまま、ただ頭の中でぐるぐると回っていた。
『俺がドレスを贈りたいのは、君なんだ、エレナ』




