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第11話

 ヴィクトワールに抱きかかえられるような体勢で鞍に横向きに座り、馬に揺られながら、エレナは目を閉じて遠い記憶を頭の中でたぐっていた。


 初めてヴィクトワールの馬に乗ったのは、戦場だった。血まみれで意識を失って倒れていたエレナを見つけたヴィクトワールは、部下の制止を振り切って瓦礫(がれき)の間からエレナを引っ張り出すと肩に担ぎ上げ、野戦病院へ運び込んでくれたのだという。エレナ自身はその時のことをほとんど覚えていないのだが、ただヴィクトワールにぐったりと身体を預けながら夢うつつで馬に揺られていた時に感じた、何ともいえない安心感だけは今でも思い出すことができた。


(ああ、あの時もこうして、ヴィクトワールが私を運んでくれたんだったわね……)


 やがて街を抜け、エレナの工房兼自宅に辿り着くとヴィクトワールは馬を止めて、エレナにそっと声をかけた。


「エレナ、着いたぞ。歩けるか?」

「う……ん、大丈夫……」


 エレナがけだるそうに目を開けて、馬から降りようとしたので、ヴィクトワールは手を貸し、片手でエレナの肩を抱いて支えながら、もう片方の手で器用に馬を柵に繋いだ。それからゆっくりと小道を歩いてエレナと一緒に工房に入っていった。工房の中央にある大きな作業テーブルの前にエレナを座らせると、ヴィクトワールも隣に腰かけた。


「ヴィクトワール」

「どうした?」

「お水がほしいんだけど……」


 その言葉を聞いたヴィクトワールは少し笑うと、上着のポケットに手を突っ込んだ。


「だったら、いいものがある。イチゴ水だ。さっき買ったばかりだから、まだいい感じに冷えてるぞ」


 そう言って、(あか)いイチゴ水の入った小瓶を二本取り出し、片手でコルクの栓を抜いて、片方をエレナに渡す。受け取ったエレナはぼうっとした頭で周りを見渡して言った。


「ありがと……えーと、グラスがいるわね……」

「こんな時にお行儀なんて気にするな。そのまま飲めばいいだろ、ほら」

「それもそうね……じゃあ、いただきます」


 エレナはヴィクトワールの言葉に素直に従った。二本の瓶をカチンと軽く合わせてから口に運ぶと、そのひんやりした冷たさと果実の甘酸っぱさが喉を通って、エレナの全身に行き渡っていった。イチゴ水を飲み終わる頃には、エレナはかなり正気を取り戻していた。


「美味しかったわ、ご馳走様」


 ヴィクトワールに礼を言ってから、エレナは空になった瓶をテーブルに置き、右手でこめかみを押さえながらフーッと大きな溜息をついた。その様子を見ていたヴィクトワールがまた心配そうな表情になった。


「傷が痛むのか、エレナ? もしかして……何か思い出した……のか?」

「いいえ、違うわ、ヴィクトワール。ただの頭痛。しばらく休めば治るから、心配しないで。それはそうと、あなたがイチゴ水を買うなんて珍しいわね。これ、どこかへお土産にするつもりだったんじゃなくて?」


 すると突然ヴィクトワールの顔がさっと赤くなった。


「それは……」

「?」

「実は、君を訪ねようとしていたところだったんだ……その、この前あんなことになって気まずくて……何か口実が……」

「え」


 あの日の自分の態度にきっと腹を立てているだろうと思っていたのに、ヴィクトワールのほうから歩み寄ろうとしてくれていたのだと、エレナは胸がどきりと鳴るのを抑えられなかった。そんなエレナの心中を知ってか知らずか、ヴィクトワールは困ったような表情で顔を横に向けると、ぼそぼそと呟くように続けた。


「い、いや、俺が気にしてただけなんだが……それで君がイチゴ水が好きなことを思いだしたものだから……」

「そうだったの……あの日は私も言い過ぎたと思って、反省してたところよ」

「そうか、だったら……いや、あ、そうだ、そんなことより、どうして君はあんな往来のど真ん中にいたんだ? 馬車の音が嫌いなのに、何があった? っと……痛っ」


 身体の向きを変えようとテーブルに右手をついたヴィクトワールが顔を歪めた。それを見たエレナははっと気がついた。


「ヴィクトワール、さっき私を助けてくれた時にどこか痛めたのね?」

「んー、ああ、ちょっと受け身に失敗して手首をひねったらしい。大丈夫、これくらい日常茶飯事だ。大したことないから心配しないでく……」

「そんな、心配しないなんて無理よ! 私のせいで……ああ、ごめんなさい、ヴィクトワール、私があんな無茶しなければ……」


 軍人のヴィクトワールにとって、身体は資本だ。そりゃあ職務上、ちょっとした怪我には慣れているだろうけれど、しなくて済むならそれに越したことはない。エレナは今さらながら、自分がどれだけ危険なことをしていたのかを思い知って、全身の血の気がさーっと引いていくような感覚に襲われた。同時にそんな危険も顧みず、我が身を盾にして助けてくれたヴィクトワールへの想いが胸いっぱいにこみ上げて、エレナはどうしようもなく切なくなった。ヴィクトワールは沈んだ顔で俯いてしまったエレナに気がつくと、心配させまいと普段通りの口調で言った。


「本当に大した怪我じゃないし、明日、医局で回復魔法をかけてもらえばすぐ治る。だから気にしないでくれ。いいね?」

「でも……」

「いいから。もうこの話は終わり。それでエレナ、なぜ一人であんなところにいたんだ?」


 ヴィクトワールに申し訳なくて、エレナはなおも食い下がろうとしたが、ヴィクトワールは強引に怪我の話を終わらせた。


「これを取りに行ったの」

「この包みをか?」

「そう。ちょっと色々あって、これが通りの真ん中に飛んで行っちゃったのよ」

「だからって、あんな何台もの馬車が走る大通りの真ん中に歩いて出て行くなんて、危険すぎだ。もう少しで死ぬところだったんだぞ」

「ごめんなさい……でもとても大事なものだから、どうしても取り返さないといけなかったの。だから無我夢中で」


 エレナは普段からおっとりと穏やかで、どちらかというと感情の起伏に乏しいと言ってもいい。そんなエレナがそこまで固執したものが何なのか、ヴィクトワールはそこまで根掘り葉掘り知りたがるのもどうかと少し迷ったが、どうにも気になったので思い切って訊いてみた。


「そうか。そんなに大事なものって、いったい何なんだ?」


 するとエレナが顔を上げて、まっすぐにヴィクトワールを見つめた。その青い瞳はどこか悲しそうだった。


「これは、レースとリボンよ。ドレスの飾りの」

「ドレスの飾り……って、まさかエレナ」

「そう。あなたが注文したドレスのためのレース。どうしてもこれを使いたかったから買いに行って、帰るところだったの」

「!!」


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