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第1話

 目抜き通りの脇に植えられたカエデの葉が色づき始め、朝晩の空気が少しピリッとした冷たさを含むようになると、王都の貴婦人たちは急に忙しくなる。秋が過ぎ、冬の到来とともに始まる社交シーズンに合わせて、何着もの衣装を新調しなければならないからだ。シーズン中ひっきりなしに開かれる夜会や舞踏会の主役になるためには、目まぐるしく変わる流行を俗っぽくならないギリギリのラインでさりげなく取り入れながら、どこまでも優雅に上品に、そして豪華に装わなければならない。だからこの時期になると、カフェでも公園でも劇場でも、女性たちが集まる場ではいつもその話題でもちきりになる。


 今日も一台の馬車が石畳の道をガラガラと音を立てて走り抜け、やがてある小さな工房の前に止まった。馬車のドアが開き、貴婦人と二人の令嬢が降りて来ると、門のところで待ち構えていた女性がスカートを摘まみながらお辞儀をして、一行を出迎えた。


「ごきげんよう、エレナ」


 声をかけられて、エレナは顔を上げた。少し赤みがかった金髪に、薄いブルーの瞳。年の頃は二人の令嬢よりも少し上、二十歳(はたち)を過ぎた頃だろうか。


「お待ちしておりました、カルデローニ伯爵夫人。お嬢様がたもお元気でいらっしゃいましたか」


 にこやかに挨拶を返すと、伯爵夫人が口を開くより前に二人の令嬢がいっせいにエレナに向かって矢継ぎ早に話しかけようとしたが、夫人はそれをさらりと遮ってエレナに言った。


「静かになさい、ファビオラもベアトリーチェも。ええ、二人ともこの通り、元気すぎるほど元気よ。それで早速だけどエレナ、今年もドレスを注文したいの。特に今年は……」

「聞いてエレナ! 今年はいよいよわたくしも社交界にデビューするのよ! だからどうしてもあなたに舞踏会のドレスを作ってほしいの!」

「ベアトリーチェ、人が話している時に口を挟むものではありません。全くあなたと来たら、どうしていつまでもそうお行儀が悪いのかしら。……っと、ごめんなさいエレナ、そういうことだから、まずはベアトリーチェのデビュタントのドレスをお願いするわ」

「まあ、光栄でございます。一昨年のファビオラ様に続いて今年もわたくしにデビュタントのドレスを作らせて頂けるなんて、こんなに嬉しいことはございませんわ。不肖ながら精一杯務めさせて頂きます。それにしてもベアトリーチェ様が舞踏会にお出になったら、さぞ数多(あまた)の貴族のご令息がその美しさの虜になることでしょう」


 エレナが礼儀正しく礼を述べると、侯爵夫人は満足そうに頷いた。


「こちらこそ、是が非でもお願いしたいわ、エレナ。王都に何人のドレスメイカーがいようと、あなたでなければダメよ。だってあなたのドレスを着た女性は、なぜか皆幸せになれると王都で評判なのだから。ファビオラが何よりの証拠だわ。あなたが仕立てたドレスでデビュタントの舞踏会に出たら、すぐにずっと煮え切らなかったウンベルト侯爵令息から熱烈にプロポーズされて、その場で婚約が整ったのですもの」

「そうよエレナ、だからベアトリーチェのドレスの次はわたくしの婚約式のドレスが待っていますから、覚悟しておいてね」

「そんな、ずるいわお姉様! お姉様はもうたくさんドレスを持ってらっしゃるじゃないの! ねえお母様、今年はお姉様よりわたくしのドレスのほうが先ですわよね? ようやくわたくしも淑女(レディ)の仲間入りを果たすのだから、ボールガウンの他に外出着もイヴニングドレスも必要だわ。ね?」


 きゃあきゃあと弾んだ声で口喧嘩を始めた姉妹の様子に、エレナと伯爵夫人は顔を見合わせて苦笑した。そのまま一行はエレナに先導されて工房に入った。ベアトリーチェのドレスの採寸と、こまごまとしたデザインの打ち合わせが終わって一段落つくと、伯爵夫人がお茶を飲みながら不思議そうに言った。


「それにしても本当に不思議ね。わたくしが聞き及んだだけでも、何人ものご令嬢があなたのドレスでデビュタントに出てまたとない良縁を引き寄せているし、結婚式であなたのウェディングドレスを着た花嫁は皆、夫婦円満で子宝に恵まれているわ。きっとあなたが作るドレスに、いいえ、あなた自身に精霊の加護がついているのでしょうね」

「さあ、どうでしょう……」


 伯爵夫人の言葉を、エレナは曖昧に笑って誤魔化した。その後、夫人と令嬢を見送って工房に戻り、再び仕事にとりかかった。


(ベアトリーチェ様のお顔立ちなら、淡いブルーのサテンに銀糸の入った白いレースを重ねて、ボディスのフロントには細いフリルを入れようかしら。デコルテはもっと下げてと言われそうだけど、きっとお母様がお許しにならないから控え目に……その代わり刺繍入りのトレーンを長くして、それから……)


 ふとデザイン画を描くエレナの手が止まった。伯爵夫人の言葉が不意によみがえってきたのだ。あなたには精霊の加護がついている、という一言が。


(精霊の加護、か。まさかね……)

 

 この王国を含む大陸の諸国には、魔法の力が普通に存在している。ここ数十年は鉄道やガス灯といった科学技術も急速に進歩しつつあるが、それでもまだ日常生活において、目に見えざるものの力は欠かせないし、何かしら精霊の加護と呼ばれる特殊な能力を持っている人間も少なくはない。


 だがエレナには、思い当たる節が何もなかった。それどころか、エレナは過去の記憶の一部を失くしていた。記憶を失くしたといっても言葉も話せるし読み書きもできるし、何よりドレスを作る技術は超一流の腕前なので、日常生活は特に困らない。だが自分のことだけ……生まれた場所や、家族はいるのかということはおろか、名前さえ思い出せないのだ。


 エレナは五年前、額に傷を負って戦場で目覚めた。軍馬のいななき、兵士たちの鬨の声、そして、石造りの宮殿が焼け落ちるバキバキという音。なぜ自分がこんな血みどろの戦場に一人でいるのか、何も分からず、ただ震えて涙を流していたエレナの前に黒い人影が現れて……。


 コンコン。


 工房のドアが控え目にノックされて、エレナははっと我に返った。今日は作業に集中したいので、もう表の看板は裏返して『Close』にしてあった。立ち上がろうか迷っていると、ドアの向こうから静かな低い声がした。


「エレナ、俺だ」


 その声を聴いたエレナはほっと小さな溜息をつくと、速足で玄関へ向かった。ドアが開くと、西日を背にして長身の男性が立っていた。その姿を認めたエレナの口元がふっと緩んだ。


「こんにちは、レジェ将軍」

「……ヴィクトワール、だろ。全く、毎回俺に訂正させて、君は面白がってるよな?」


 ぶっきらぼうな言い方ではあるが、その言葉の奥には何とも言えない親しみが込められている。エレナは微笑んで、ドレス工房にはいささか似合わない客を招き入れた。

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