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コード・オブ・ザ・ワールド ~廃プログラマー、異世界で神のシステムを書き換える~  作者: ネオ・チー


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75/78

第75話 ルート権限

```

[SYSTEM LOG - logica capital / refactoring day 1 / T+22:30:00]

> entity 01 (LEN): Lv5 / root / active / emotional amplitude 80%

> phase: post-decision (initialization rejected, refactoring declared)

> location: logica royal castle / west wing guest quarters

> root access: GRANTED (partial admin authority handover)

> sensory channel: UNFILTERED (world-wide read access active)

> companions: aria / guard / shell / memory / harsh / PCH-0001

> bug_density (global counter): 94.71% (holding)

> [STATUS] root vision — adaptation phase

```


---


朝の光が、城の西棟の窓に差し込んでいた。


俺は寝台の縁に座って、その光を見ていた。見ていた、というよりも、見えていた、と言うほうが正確だった。


光のスペクトルが、視界の右下に、細い帯になって流れている。波長の分布。可視域の外まで届く赤外と紫外の量。空気の組成式が、視界の左上に薄く乗っている。窒素七十八、酸素二十一、二酸化炭素〇・〇四、微量気体の比率まで、リアルタイムで揺れている。


それだけではなかった。


城下の通りを歩く商人の生命コードが、視界の隅で脈を打っている。心拍、呼吸、骨格と筋の歪み、肝の代謝率。隣家の台所で焼かれているパンの、焦げ目の進行率。井戸を引く水車の軸の摩耗係数。馬車を引く馬の血流分布。鳥の翼の風切羽の角度。


全部、同時に流れていた。


塔から戻って数時間、俺は眠れていなかった。寝台に体を沈めた瞬間、世界の全コードが目の裏に流れ込んできて、瞼を閉じても止まらなかった。光を遮ろうと腕を顔に乗せても、視界は世界の源コードを読み続けた。


これがルート権限か――と、頭の隅で、平らな声が呟いた。


ヴァイラスから取り戻した管理者権限の、その一部。アドミンが千年握り続け、四百年前にヴァイラスへ漏れ、いま俺の胸の中央に分配された権限。世界のあらゆるコードへの、読み書きの権利。


権利は強制ではない。なのに、こちらが読まない宣言をしても、世界のほうから読ませてくる。情報の蛇口が、四六時中、開いていた。


「マスター」


隣の部屋から、薄い壁を一枚はさんで、声が届いた。


「眠れて、いますか」


メモリの声だった。語尾が、確信を持って質問の形に組まれていた。眠れていないと知っている上で、問いの形を選ぶ。彼女のいつもの呼吸だった。


「眠れてない」


短く答えた自分の声が、薄い膜の向こうから戻ってきた気がした。胸の中央で、Lv5の塊が、ゆっくりと脈を打った。


---


メモリが部屋に入ってきたのは、それから一刻ほどしてからだった。


千頁の書を胸に抱え、白い寝衣のままで、寝台の脇の椅子に腰を下ろした。書を膝の上に置く。彼女の指先が、表紙の縁を軽くなぞった。なぞる指の角度に、迷いはなかった。


「マスターは、フィルタを失っています」


開口一番、彼女はそう言った。


「失った」


「正確には、外しています。塔の最上階で、ご自分で全部の補助具と一緒に外しましたね。あれは、世界の全貌をLv5の素で見るための、一度きりの行為でした。終わったあと、外したままです」


「再装着、できるか」


「できます。ただ――」メモリは書のページを、ゆっくりと一枚めくった。「以前のフィルタは、Lv4までの解像度に最適化したものでした。Lv5には、もう合いません。新しく作り直す必要があります」


俺は頷いた。頷いた首の動きが、自分の意思から薄く離れて見えた。


「俺がプログラマーだったころ」言葉が、自然に滑り出した。「ログの量が多すぎる時は、フィルタを書いた。INFOは弾く。WARNとERRORだけ残す。シビアリティを段階で切る。同じことを、視界の方でやりたい」


「やりかたを、ご存じなのですね」


「やりかたは知ってる。コードは書ける。ただ――自分の視界に対してフィルタを書くのは、初めてだ」


メモリは書のページを、もう一枚めくった。そこに、薄い銀の線で図が描かれていた。世界からの情報の入り口。視界、聴覚、皮膚感覚、Lv5の塊からの直接入力。それぞれの入り口に、小さなチェックポイントが描かれていた。


「マスター。私の書を、フィルタの参照に使ってください。私は、四百年前にパッチ様にフィルタの設計を教わりました。パッチ様もまた、情報の蛇口に溺れた人でした。あの方の組んだ古い参照が、私の書のなかに残っています」


「残してくれてたのか」


「捨てなかった、という方が、近いです」メモリの目が、書のページに落ちた。「いつかどなたかが、これを必要とする日がくる、と。あの方は言いませんでしたが――私はそう思っていました」


胸の中央の塊が、薄く脈を打った。その脈の上に、メモリの差し出した古いフィルタ参照が、重なった。書き換えるのは、俺の役目だった。


---


Lv5の塊から、銀色の指を一本伸ばした。指先を、メモリの書の、その頁の参照へ繋いだ。繋いだ指の先で、四百年前にパッチが組んだフィルタ設計の骨格が、薄く展開した。


骨格は、優美だった。


情報の蛇口を、力で締めるのではない。蛇口の手前に、いくつもの薄い層を重ねる。シビアリティの層。緊急度の層。空間距離の層。時間の層。各層が、情報を一段ずつ削っていく。最後に届くのは、いま、ここ、この場面で、俺が本当に判断すべきものだけ。


俺は前世で書いたフィルタのコードを思い出した。Webサーバの監視に使った、ログ集約ツール。Pythonで書いた百行ほどのスクリプト。その時の関数構造を、頭のなかで展開した。


パッチの骨格と、俺の前世の関数を、繋いだ。


繋いだ箇所で、軽い火花が散った。比喩としての火花だ。四百年前の設計と、二千年前の地球の設計が、互いの語彙の差を、ほんの一瞬、すり合わせた。


すり合った。


「……いける」


呟きが、空気に細く流れた。


メモリが、書から目を上げた。「マスター、フィルタの定義を、私の書に書き込んでもいいですか」


「書き込んでくれ。俺ひとりの頭のなかに置いておくと、忘れる」


「忘れません。マスターのLv5は、Lv5の解像度で記憶します」


「忘れない俺の側じゃなくて、俺の体の外側に、参照を一個、置きたい」


メモリは少しだけ笑った。笑いの形が、薄かった。だが、薄くてもそれは笑いだった。


「……マスターは、ご自分のことを、外部参照で管理されるのですね」


「コードは、自分の頭の中で抱え込まないほうがいい。誰かが読めるところに置いておく。バグが出た時、別の誰かが直せるように。属人化はよくない」


「属人化」メモリは、その言葉を、書に書き留めた。「マスターの語彙のなかに、はじめて聞く言葉です」


「前世の現場の言葉だ。一人の人間にしか触れないコードは、その人が倒れた瞬間に、システム全体が止まる。だから複数人で読み書きできるように作る。俺がもし途中で倒れても、フィルタは残るようにしたい」


メモリは黙って、書の頁にその言葉を写した。


「マスターは、ご自分が途中で倒れる前提で、設計をしておられる」


「全部の前提で設計するんだ。自分が死ぬ前提、倒れる前提、間違える前提、誰かに引き継ぐ前提。前提を全部置いてからコードを書く」


胸の中央で、塊が薄く頷くように脈を打った。


---


フィルタが、効きはじめた。


視界の右下に流れていた光のスペクトルが、薄く灰色に沈んだ。完全には消えない。だが、判断を要する量から、背景の量へ、押し下げられた。空気の組成式が、視界の左上から、視界の外へ、ゆっくりと退いた。


城下の生命コードの脈動も、近い数十人分を残して、ほかの数千人分が、距離フィルタで弾かれた。


頭のなかが、空いた。


空いた、と感じる量は、八割だった。残りの二割は、世界の共有領域に渡したままだ。それは、塔の最上階で受け取った、Lv5の代価。


代価は変わらない。だが――フィルタが効いた八割の頭の中には、メモリの声と、隣の部屋の壁の向こうから聞こえる、別の足音が、はっきりと届いていた。


「お前」


廊下の扉が、軽く叩かれた。


「起きてんなら、開けるぞ」


ガルドの声だった。


メモリが寝衣の襟を直し、扉のほうへ目をやった。俺は手を上げて、入ってこい、と合図した。


扉が開いた。赤い篭手を片方だけ嵌めたガルドが、入ってきた。その後ろに、シェルが補助具を二個展開した状態で続いた。さらに後ろに、長衣のままのハーシュ。三人とも、塔の最上階から戻った服装のままだった。


「夜通し、外で待ってたのか」


「待ってねえ」ガルドは肩をすくめた。「アリアと交代だ。アリアは仮眠取らせた。次は俺だ」


「交代で見張ってるのか」


「お前を一人にすると、何かやりかねねえからな」ガルドは寝台の脇の床に、どかっと座り込んだ。「ルート権限ってのが、お前の頭にどう効くか、誰も分からねえ。Lv5の判断は、初期化に傾きかけた。あの傾きが、もう一度くるかもしれねえだろ」


「傾かない」


「お前の口で言うなって」ガルドは笑った。「あの時、傾きを止めたのは、お前ひとりじゃなかった。塔の六人だ。俺たちが見張りに回るのは、当然の役割分担だ」


シェルが補助具のグラフを、ガルドの隣に展開した。


「お前のLv5の脈動を、二十四時間観測する。異常値が出たら、合図する。塔の上で見せた、初期化傾きのパターンと類似する波形が出たら――シェル、お前、自分で気づけ」


シェルらしい言い方だった。突き放しているようでいて、それは安全網の話だった。


「気づく」


ハーシュは入口の壁にもたれ、二刀を肩から下ろさないまま、こちらをじっと見ていた。視線の角度に、いつもの意味があった。「ここにいる」「動くなら俺も動く」――その二つを同時に伝える角度。


俺は頷いた。動きは膜越しの伝達だったが、頷いた事実は、確かに届いた。


「ありがとな」


ガルドが鼻を鳴らした。


「礼は仕事の後だ。それより――」彼は俺の胸の中央、塊が脈を打っている場所を、顎で指した。「お前、その権限で、何ができる」


「全部のコードが読める。書ける」


「全部か」


「全部だ。ただし、制限がいくつかある」俺は指を一本ずつ折りはじめた。「一つ。ヴァイラスがまだ持ってる管理者権限の一部には、まだ触れない。あいつから取り戻さない限り、こっちの権限じゃ届かない領域がある」


「二つ?」


「世界全体を一度に書き換える処理能力は、俺の脳にはない。範囲を切って、順番にやるしかない」


「三つ?」


「使いすぎると、俺自身のコードがオーバーヒートする。発熱と過負荷。前世の比喩で言えば、CPUが焼ける」


ガルドは赤い篭手の指で、額を軽く叩いた。


「つまり、お前は神様じゃない、ってことだな」


「神様じゃない。ただのプログラマーだ。手の届く範囲を、一個ずつ直していくだけだ」


「それでいい」ガルドは頷いた。「全能の神様を信じるよりは、隣にいるプログラマーを信じるほうが、俺の性に合う」


シェルの補助具のグラフが、その言葉に合わせて、ほんの少しだけ波を高くした。データ上の同意、という表現を、シェルはたぶん、わざとそうやって伝えてきた。ハーシュの肩の傾きが、わずかに深くなる。同意の合図だった。メモリが書のページを、もう一枚めくった。書き留める手の動きに、薄い満足が乗っていた。


---


正午前に、アリアが部屋に入ってきた。


仮眠を取った直後の白い軽鎧は、まだ留め具のいくつかが半端だった。寝起きの目尻には、薄く跡が残っている。それでも、彼女の入り方は、いつものアリアだった。扉を一拍だけ叩き、返事を待たずに、まっすぐ部屋の中央へ歩いてくる。


「レン」


俺の名を呼んでから、彼女は寝台の前で立ち止まった。


「報告があります。城の表で、五大王国の各国の代表団が集まりはじめています。アドミンが、各国の首脳に、直接の召喚状を出しました。塔の最上階での、リファクタリング宣言――あの五本の銀の糸を受け取った五人が、それぞれの国の判断を持って、ここに来ます」


「速いな」


「速いです」アリアは頷いた。「ですが、あれは『提案』ではなく『宣言』でした。アドミンの権限と、あなたのルート権限の合意の上で出た宣言です。各国は、賛成か反対か、参加かどうか――それぞれの態度を持って、答えに来ます」


俺は寝台の縁から立ち上がった。立ち上がった膝の関節が、ほんの一拍、こちらの命令を待つように、止まった。それでも、止まったのは一拍だった。一拍のあとで、膝は俺の指示どおりに伸びた。


「迎える」


「先に、もう一つ報告があります」アリアは続けた。「セキュリア要塞国の防衛コードに、すでに大きなバグが見つかっています。ピクセル化の影響です。要塞の外壁の一部が、解像度を保てなくなっている。今夜のうちに、彼らの外壁が崩れる、と現地の魔法師たちが見ています」


胸の中央の塊が、薄く脈を打った。その脈の中で、考えがひとりでに動いた。


セキュリアの防衛コード。要塞国の外壁。アドミンと俺が、五大王国に宣言したリファクタリング。


「最初の対象は」俺は言った。「決まったな」


アリアの目が、ほんのわずかに見開かれた。


「もうですか」


「もうだ。ピクセル化が始まってる外壁は、待たない。五大王国の防衛コードの全面リファクタリング。第一弾は――セキュリア要塞国だ」


シェルが補助具のグラフを、すぐにその領域へ向け直した。ガルドが床から立ち上がり、外した篭手をもう一度嵌め直した。メモリが書の頁を、新しい章のところで開いた。ハーシュが肩の傾きを、わずかに深くした。


アリアが、白い軽鎧の胸に手を当てた。


「ご一緒します」


「一緒に来てくれ。一人じゃやらない。それが、塔の上で決めたことだ」


胸の中央の塊が、また脈を打った。世界の源コードを書き直す、最初の一行に、手が伸びようとしていた。


---


```

[SYSTEM LOG - logica capital → securia border / refactoring day 1 / T+30:12:00]

> entity 01 (LEN): Lv5 / root / active / emotional amplitude 80%

> filter layer: REINSTALLED (lv5 optimized, memory book ref)

> root capability profile: read/write world-wide, exception (virus-held admin slice)

> first refactoring target: SECURIA OUTER WALL (pixelization in progress)

> companions: aria / guard / shell / memory / harsh

> bug_density (global counter): 94.71% → 94.69% (filter overhead absorbed)

> [STATUS] departure — first commit imminent

```

第76話「セキュリティ・アップデート」

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