第07話「来訪者」
馬の蹄の音が、ログ村の石畳に響き始めたのは、昼過ぎのことだった。
一頭ではなく、複数だ。整然としたリズム——訓練された馬と騎士の行軍だとわかる。近隣の商人でも旅人でもない。俺は窓から顔を出した。
村の入り口に、騎士団の一行が停止していた。
先頭の騎士が長柄の旗を高く掲げると——ロジカ王国の紋章が、昼の風に広がった。盾を模した図案に、幾何学的な論理記号が刻まれた、青と金の旗だ。
村人が固まった。マルが「騎士団だ……!」と小さな声で言って、ゴッドが「騒ぐな」と制した。
白馬の先頭から降り立ったのは——銀髪の少女だった。
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アリア・フォン・ロジカ。
再会は、思ったよりずっと早かった。
彼女は周囲の視線を意に介さず、まっすぐこちらを見た。その視線は感情的でなく、計算的でなく——ただ、目的を持って動いている目だった。
「桐島蓮さん」静かな声が届いた。「無事でしたか」
淡々とした声だが——そこに、かすかに安堵の色があった。
デバッガーズ・アイが反射的に動いて、ステータスの端っこが視界に入った。
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RELIEF: 微量検出
STATUS: 平静(表層) / 安堵(内部)
```
思わず、ウィンドウを閉じた。
「……個人情報を勝手に見るのは悪い習慣だ」
自分に言い聞かせる。彼女は読まれることを知らない。知らないまま向けられたスキャンで、内面まで覗かれるのは——フェアじゃない。
「はい、おかげさまで」俺は答えた。「ご無事でしたか、王女殿下」
「問題ありません」アリアが一歩近づいてきた。「ゴブリンの件は、すでに耳に入っています。騎士団は援軍として向かいましたが——」
騎士団の後方を確認すると、二十名ほどの騎士が整列して停止していた。こちらの様子を窺っているが、全員が「すでに解決済み」という気配を悟り始めている。
「すでに解決済みと聞いて、一同が固まったわけですね」
アリアが小さく頷いた。「……はい。報告の内容が、あまりにも特異でしたので。源コードのバグを修正した、というのは——どういう意味ですか?」
眉根を寄せた顔が、「理解しようとしている」のは伝わった。拒絶でなく、困惑だ。
「世界の動作定義を書き換えました」
「……」
「ゴブリンのスポーン処理が無限ループになっていたので、終了条件を追加しました。あとはインターバルを修正して、上限値を設定しただけです」
「それは、魔法ですか?」
「魔法のような何かだと思います。私の前世での職業スキルが、この世界で別の形で機能している感じです」
アリアが少しの間だけ沈黙した。その間、彼女の瞳が動いていた——情報を整理している目だ。ゴッドのように感情で反応せず、バッシュのように体で判断するのでもなく、純粋に「論理として組み立てようとしている」目だ。
「理解の外ですが」アリアが答えた。「事実として受け入れます」
俺は少し驚いた。
「——論理的ですね」
「理解できないものを否定するのは、論理的ではありません。観察された事実は、事実として記録する。それだけのことです」
なるほど。この人は、自分が理解できないことを「存在しない」とは言わない。そういう思考の持ち主か。
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村長のゴッドが茶を出してくれた。アリアは一礼してから受け取り、馬車の側にいた副官に何か伝えた。騎士団の一行が、村の外周に野営の準備を始める。
俺はゴッドの家の縁側でアリアと向かい合った。騎士が二名、少し離れた場所に立っている。ゴッドは「邪魔しとるぞ」と言いながら、それでも縁側の端に腰を下ろして茶をすすっていた。
アリアのステータスが、視界の端に薄く見えている。
意識的に視線を外そうとして——でも、そこに書いてあるスキルの名前が気になって、結局ちらりと確認してしまった。
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アリア・フォン・ロジカ / Lv.31
HP: 290 / MP: 412
SKILL:
論理魔法 Lv.5(系統スキル)
条件分岐剣法「イフ・エルス・ブレード」Lv.4
論理解析 Lv.4
王族魔法 Lv.2
備考パラメータ:
正義感: MAX
柔軟性: LOW
```
最後の二行を見て——思わず「なるほど」と思った。
「条件分岐剣法」というスキルの定義を少しだけ覗くと、戦況の条件分岐を高速演算しながら最適な太刀筋を自動選択する実装になっていた。まさに`if-else`文を体現したスキルだ。「もし敵が右から来るなら、左の斬り込みが最適。そうでなければ体軸を反転させる」——その判断を、戦闘中にリアルタイムで処理する。
柔軟性がLOWというのも——論理と正義感が飛び抜けて高い分、それ以外のパラメータが相対的に低く見えるということだろう。
閉じた。読みすぎは失礼だ。
「各地で同様の異常が報告されています」アリアが茶碗を置いて言った。「源コードの乱れ、モンスターの異常発生、説明のつかない自然現象——それらが、複数の国で確認されている」
「共通のバグが、分散して発現している可能性がありますね」
「そのように判断しています。しかし、論理魔法での解析が——十分に機能しない事例が、複数ある」
アリアの声が、わずかに低くなった。
「一緒に調べましょう」俺は言った。「あなたの論理魔法と私のデバッガーズ・アイは、おそらく得意分野が違います」
「……どういう意味ですか」
「あなたの魔法は『構造の解析』が得意なんだと思います。理があるものを、理で読み解く。私のは——コードそのものを直接読む。アプローチが根本から違う。だから補い合えるはずです」
アリアが俺を見た。計算する目が、一瞬だけ——少し柔らかくなった気がした。
「……合意します」
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「一つだけ聞かせてください」
俺は言った。どうしても確認しておきたいことがあった。
「廃村のことを知っていますか。クウォレン村——データが消えたように、建物がピクセル崩壊していた場所です」
アリアの表情が、かすかに変わった。
変わった——確かに変わった。淡々とした表情の水面が、一瞬だけ揺れた。
「……私も、論理魔法で調べたことがあります。あの廃村跡地を」
静かな声だった。
「しかし——何も読み取れませんでした」
「何も、とは?」
「論理魔法は、対象の情報を構造的に解析する魔法です。どんな複雑な術式でも、原理さえあれば読み解けます。因果を持つものに、必ず答えは返ってくる」
アリアが目を伏せた。
「でも——あの場所は、何もなかった。読み取る情報が存在しないというより……情報そのものが消えていた」
その言葉が、静かに落ちた。
ゴッドがお茶をすする音だけが響いた。
「私の目には見えました」俺は答えた。「データ消失のエラーログが残っていた」
「……あなたの目に見えて、私の魔法には見えなかった」
アリアが目を伏せた。そこに——珍しいものが見えた。困惑だ。正義感MAXのパラメータを持つこの人が、理解できない事象の前で、静かに困惑している。
「論理で処理できないものが、この世界にある——ということですね」
「あるいは——論理魔法が処理できない種類の情報、という可能性もあります」
「……違いを教えてください」
「前者は、情報そのものが消えた。後者は、あなたの魔法が対応していない形式で情報が残っている。私のデバッガーズ・アイは——後者だったかもしれない」
アリアが、しばらく黙った。
「……つまり、私には読めなかった情報が、あなたには読めた。それは私の魔法の限界ということですか」
「限界ではなく——仕様の違い、だと思います」
俺は言った。「魔法とスキルにも、実装の得意不得意がある。あなたの論理魔法は正規の構造を読むのが得意で、私のデバッガーズ・アイはエラーや欠落を読むのが得意なのかもしれない」
アリアが俺を見た。
「……デバッガーという職業は、欠陥を見つける専門家、ということですか」
「そうです」
「なら——あなたがこの世界に来たのは」
そこでアリアは言葉を切った。何かを言いかけて、止めた。
俺は続きを促さなかった。
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馬車の準備が整う頃、日が西に傾いていた。
ロジカリスへ向かうのは翌朝になるという。騎士団の野営の準備が整い、マルが「王女様の近くで寝られる!」とはしゃいでいた。
アリアが立ち上がる前に、小さな声で言った。
「桐島蓮さん。一つ、伝えておくべきことがあります」
「はい」
「王都でも——説明のつかない現象が起きているのです。それも、論理魔法では何も読み取れない」
俺は静かに聞いた。
「場所は王城の北翼、周辺です。建物の一角が、ほんの少しずつ——色を失っていくように見えます。住民は誰も気づいていない。しかし私の目には、確かに」
廃村の「ピクセル崩壊」——それが、王都で始まっている。
窓の外、地平線の彼方に王都ロジカリスの輪郭が霞んで見えた。まだ遠い。しかし確かに、そこにある。
俺は仕様解析ノートを胸に抱えた。
バグは、すでに王都まで届いている。
次回、第08話「ロード・トゥ・キャピタル」——馬車の中の二日間。アリアが語る五大国の情勢と、旅の途中で起きた戦闘——デバッガーズ・アイが見た条件分岐剣法の「美しさ」。そして王都に到着した瞬間、蓮が目にしたものとは。




