第40話 インサイダー
ロジカ王都に着いたのは、翌日の昼だった。
王都は——表面上、静かだった。
街並みはいつも通りだ。大通りには商人が並び、衛兵が交差点に立ち、市民が行き交っている。論理と秩序の国らしく、整然とした街だ。
だが——変わっている。
空気が違う。衛兵の配置が微妙にずれている。王宮に向かう通りの検問が増えている。市民の歩く速さが、心なしか早い。
「緊張している」シェルが小声で言った。「何か——起きています」
「俺もそう思う」
馬を降りて、俺は念のため周囲の源コードを走査した。
[Debugger's Eye Lv.2: Environmental Scan]
Location: Logica Royal Capital, Central District
Normal Processes: 84%
Anomalous Signatures: 16% ↑
Warning: Localized Code Distortion Detected
└─ Source: Northeast Sector (Royal Palace Vicinity)
└─ Type: PERMISSION_OVERRIDE / UNKNOWN
十六パーセントの異常。
第1巻の調査時に来たときは、バックドアが仕込まれているとはいえ、表面上のノイズは数パーセント程度だった。今は三倍以上に跳ね上がっている。
「何かが——始まっている」
俺は呟いた。
王宮に入ると、アリアが「兄上に挨拶をしてきます」と言って足を速めた。
俺はガルドとシェルに「周囲の情報を集めておいてくれ」と伝え、アリアの後を追った。
止めるつもりではなかった。ただ——一人で行かせるのは、直感が嫌だと言っていた。
謁見の間の前。アリアがヴァリドを呼ぶよう侍女に頼んでいた。数分後、廊下の奥から——ヴァリドが現れた。
第一王子、ヴァリド・フォン・ロジカ。
銀髪。切れ長の目。整った顔立ち。アリアと面影が似ているが、より鋭い。
前に会ったときより——表情が違う。
あのときは冷静だった。俺たちを「道具」として扱う、計算された冷たさがあった。それが——今は違う。どこか、削れている。目の奥に、落ち着かない光がある。焦燥だ。論理的で冷静だったはずのヴァリドが——焦っている。
「アリア」ヴァリドが言った。「戻ったか」
「はい、兄上」アリアが一歩進んだ。「兄上——顔色が優れません。何があったのですか?」
ヴァリドの目が、俺に向いた。
一瞬、硬直した。
「——何もない」
声は平静を保っていた。だが——微妙に、遅かった。答えが出るまでに、コンマ数秒のラグがある。
「お前こそ、外部の冒険者と連んで何をしているんだ」
アリアに向けた言葉だが、視線は俺から離れなかった。拒絶の色。それだけじゃない。警戒だ。
「調査の報告です、兄上。ネットワーク連合へのDDoS攻撃の発信源を——」
「報告は父上にしろ。俺には関係ない」
ヴァリドは言い切った。
そして——踵を返した。
「兄上」
アリアの声が、低くなった。
ヴァリドの足が止まった。
「——兄上が、変わってしまった」
その言葉に、廊下が静かになった。
「以前の兄上は、論理的な判断を誰より大切にしていた方でした。感情に流されることなく、事実を積み上げて——それが兄上の強さだと、私はずっと尊敬していました」
ヴァリドは振り返らなかった。
「今の兄上は——話を聞こうとしない。事実から目を逸らしている。それが——怖い」
長い沈黙があった。
ヴァリドが——ゆっくりと、廊下の奥へ消えた。
足音が遠ざかっていく。
アリアは、その背中を見ていた。
俺は何も言わなかった。
今は——何も言えなかった。
宿に戻った俺たちを、シェルが待っていた。
「収集した情報を報告します」
シェルは手帳を開いた。
「王宮の内部で、第一王子派の近衛兵が主要な通路を封鎖しています。国王陛下の行動が三日間制限されている——というのが、王宮の給仕から得た証言です」
「三日前から」俺は繰り返した。
「はい。ネットワーク連合へのDDoS攻撃は——五日前に発生しています」
俺は頭の中で数字を並べた。五日前にDDoS攻撃。三日前からクーデター的な動き。
「DDoSは——牽制だ」
俺は言った。「他国からの干渉を遮断するために。通信を落として、王都を孤立させてから——内部を固めた」
「計画的ですね」シェルが言った。
「ああ。だが——ヴァリドの様子は計画的じゃなかった。焦っている。追い詰められている。計画があるなら、もっと落ち着いているはずだ」
「つまり——」
「計画はヴァリドのものじゃない。誰かに——操られている可能性がある」
部屋が静まった。
夜。
俺は一人で王宮の外壁沿いを歩いた。
デバッガーズ・アイを起動したまま、王宮全体の源コードをスキャンする。
大半は——既存のバグによる自然なノイズだ。建物の構造コードに古い記述が残っていたり、魔法的な照明システムの処理が非効率だったりする、普通の「技術的負債」。
だが——一点だけ、違う。
王宮の東棟。ヴァリドが消えた方向。そこから、微かな——異質なコードの気配がする。
自然なノイズとは違う。パターンが違う。まるで——
[Debugger's Eye Lv.2: Anomaly Detection]
Signature Type: EXTERNAL_CODE_INJECTION
Origin: East Wing, Royal Palace
Detected on: HUMAN_CLASS_ENTITY
Warning: Target entity may have been subject to CODE_REWRITE
└─ Confidence: 61%
└─ Affected parameters: [REDACTED - Access Denied]
アクセス拒否。
見えない。詳細が読めない。だが——「HUMAN_CLASS_ENTITY」に対する「CODE_REWRITE」。
人間のコードが——書き換えられている。
俺は立ち止まった。外壁に背を預け、夜空を見上げた。
ヴァリドの周辺から、異質なコードの気配がする。
まるで——誰かに書き換えられたような。
ビジュアル帝国の宮廷魔法師。データベルグ公国への攻撃。ネットワーク連合のDDoS。そして——ロジカ王国の第一王子。
ヴァイラスは各地で協力者を作っている。人々の欲望を利用して。
ヴァリドの欲望は何だ。
——国を守りたい。王族として、自分の手で。
その願いが——利用された。
「明日」
俺は呟いた。
「明日、全部はっきりさせる」
夜風が吹いた。王宮の塔に灯る魔法灯が、一つだけ——点滅していた。
次回、第41話「クーデター」——王宮の奥で真実が暴かれる。ヴァリドが選んだ道は、誰かに選ばされた道だったのか。そして——アリアが初めて、兄に向かって怒鳴った。




