第37話 裏切りのプロトコル
事後処理は、戦闘より消耗する。
帝国の衛兵と役人が現場に入り、俺たちは証言を求められた。何が起きたか、どう対処したか——それを説明する作業は、源コードを解析する作業より遥かに面倒だった。
「つまり貴方は、幻影の魔法関数を書き換えたということですか」
帝国の記録官が羽根ペンを止めた。
「そう言ってる」
「それは——帝国の源コードに、外部者が直接介入したということになりますが」
「バグを直した、と理解してほしい」
アリアが助け舟を出した。「桐島蓮は渡り鳥調査団の特務調査官です。全権委任状を提示します」
書類が出た。記録官が一段深くお辞儀をした。
そういうことになった。
問題はそこからだった。
幻影の発生源となった魔法陣——それは芸術地区にある「色彩工房」という施設の地下に設置されていた。工房は帝国公認の芸術家集団が使う施設で、通常は厳重に管理されている。
「外部者が忍び込んだ痕跡は?」
「ありません」シェルが言った。「侵入記録、ゼロ。扉の施錠も正常。警備術式も正常稼働していた」
「つまり内部の人間が設置した」
「論理的な結論です」
「どうやってウイルスコードを手に入れた。一般の芸術家が書けるレベルのコードじゃない」
シェルがクエリ魔法を走らせた。
SELECT accessor.name, accessor.role, access_log.timestamp
FROM imperial_sourcecode_log
WHERE access_log.type = 'WRITE'
AND access_log.zone = 'arts_district_NE'
AND access_log.timestamp BETWEEN '30_days_ago' AND 'now'
ORDER BY access_log.timestamp DESC
空中に表が浮かんだ。名前が並んでいる——その中に一つ、浮き上がる行があった。
名前: ヴィルデ・ア・フォルク
役職: 帝国宮廷魔法師 第三席
アクセス日時: 六日前
操作内容: arts_district_NE :: render_function :: WRITE
「宮廷魔法師」
俺は呟いた。
「帝国の内部者だ」
ヴィルデ・ア・フォルクは、すぐには見つからなかった。
帝国衛兵が彼の居室に向かったが、すでに空だった。逃げている——ということは、自分が何をしたか分かっている。
ヴィルデの研究室に残された記録を、シェルが解析した。
大量のメモ。計算式。それから——一枚の手紙の下書き。
シェルが淡々と読み上げた。
「『リミッターなど、芸術にとって邪魔なものでしかない。私は三十年間、制約の中で魔法を書き続けた。才能はあった。力はあった。しかし帝国の規則が、私の表現を縛り続けた。あの存在は教えてくれた——リミッターを外せば、芸術は本当の力を発揮できると。世界そのものを塗り替えることができると』」
読み終えて、シェルが手帳を閉じた。
「——感情的な文章です」
「リミッターを外した方が芸術はもっと素晴らしくなる」俺は繰り返した。「ヴァイラスの言葉だ」
俺は腕を組んだ。
「ヴァイラスはヴィルデに接触した。才能があるのに認められない。制約が邪魔をしていると感じている。そういう人間に、ヴァイラスは語りかける。『リミッターを外せ。俺が方法を教える』と——アクセス権と引き替えに」
「ソーシャルエンジニアリングだ」ガルドが言った。
「どこで覚えた、その言葉」
「蓮が前に説明してたやつを覚えた」
「……そうか」
ガルドの記憶力は、時々侮れない。
「ヴァイラスはヴィルデに源コードへのアクセス方法を教えた。ヴィルデはその知識で幻影魔法を改竄した。でも——ヴィルデはウイルスコード本体を書いたわけじゃない。ヴァイラスが用意したコードを、指示通りに設置しただけだ」
パターンが見えた。
[PATTERN ANALYSIS]
事例1: ロジカ王国 / バックドア設置 / 内部協力者の疑い
事例2: ビジュアル帝国 / 幻影魔法改竄 / ヴィルデ・ア・フォルク
共通点:
- 内部者が源コードへのアクセスを提供
- 動機: 不満 / 欲望 / 理念
- ヴァイラスによる直接接触の痕跡
結論: ヴァイラスは技術的攻撃とソーシャルエンジニアリングを併用
ロジカ王国でのバックドア事件。俺はヴァリド王子が関与していると疑っていた。確証はない。だが同じパターンが繰り返されている。
「蓮さんは確証があるのですか」アリアが静かに問うた。
「ない。あくまで可能性だ。だが——同じパターンが繰り返されているなら、疑うべき候補は限られてくる」
アリアが静かに頷いた。
自分の兄を疑われている。それでも感情的にならない。アリアの強さは——こういうところにある。
帝国宮殿での報告は——重かった。
女帝レンダリア三世は、報告を聞き終えた後、長い沈黙を置いた。
「ヴィルデが」
女帝がゆっくり言った。
「三十年の臣下が」
「徹底した調査を」女帝は言った。「宮廷魔法師全員の、過去六ヶ月の行動記録。源コードへのアクセス履歴。外部との接触記録。全て洗い出せ」
粛清の始まりだ。
女帝が俺を見た。
「特務調査官。この件について、何か提言はあるか」
俺は少し考えてから言った。
「技術的なセキュリティ強化は当然として——人の問題も同時に対処する必要があります。宮廷魔法師の中で、不満を抱えている者、才能が正しく使われていないと感じている者——そういう人材の状況を確認することをお勧めします」
「——それは、人事の問題だ」
「セキュリティの問題でもあります。ヴァイラスは技術を使いますが——人間を通して動く。技術を強化するだけでは、同じ問題が繰り返されます」
女帝が俺を見た。
「参考にしよう」
それだけだった。でも——却下ではなかった。
宮殿を出た後、俺は夜の石畳を歩きながら考えた。
セキュリティの問題は、技術だけでは解決しない。
前の世界でも学んだことだ。どれだけ強固な暗号化を施しても、内部の人間が「扉を開ける」なら意味がない。ファイアウォールは外からの攻撃には強い。しかし内側からの行動には——根本的に弱い。
「ヴァイラスは賢い」俺は呟いた。「技術で直接攻撃してくる部分は、俺が対処できる。でも——人の心に忍び込む部分は、俺には対処できない」
「対処できないことに気づいた、というのは前進です」シェルが隣を歩きながら言った。「できないことを認識するのは——データを持っていることと同義です」
「お前は時々、的確なことを言うな」
「常に的確です。感情ノイズがないので」
「それ、自慢してるのか謙遜してるのか分からないな」
シェルが少しだけ間を置いた。
「……自分でも、判断できていません」
それは——前なら出なかった答えだ、と思った。
宿に戻ると、メモリが玄関で待っていた。
少し緊張した顔をしていた。
「マスター。報告があります」
「何だ」
「ヴァイラスの活動に、もう一つパターンがあります」
全員が足を止めた。
「各国の源コードに——暗号化された『カウンター』が仕込まれています」
「カウンター?」
「バグ密度モニターとは別の何かを数えている——いえ、同じものかもしれません。各国の源コード断片から、その存在は確認できました。でも——」
メモリが少し俯いた。
「現在値は——読めない。解析が必要です。暗号化のアルゴリズムが私の知っているものと一致しない」
俺は考えた。
ヴァイラスが各国に仕込んでいるカウンター。バグ密度を計測しているのか、それとも別の何かか。
「優先事項が増えた、暗号解析——できるか、シェル」
「単独では困難です。でも——メモリのナビゲーター権限と組み合わせれば、可能性は上がります」
「やろう。今夜のうちに解析を始める」
シェルが手帳を開いた。
「現在値は読めない。解析が必要だ——これだけは確かです」
カウンターは動いている。何かを数えている。それが何を意味するのか——まだ分からない。
だが俺は——知らないまま進むことに、もう慣れていた。知らないまま動く。動きながら解析する。答えが出たら対処する。
「今夜は解析に集中する」俺は言った。「明日からまた動く」
次回、第38話「カウントダウン」——カウンターの正体。その数字が示す意味は、蓮たちの想像を超えていた。そして世界の通信が——途絶える。




