第28話 古代の設計書
翌朝、俺は再び禁書の部屋に入った。
今度はメモリだけでなく、シェルも同行を許された。大公が「情報の扱いに長けた者なら構わん」と言ったからだ。シェルの出身地がこの公国であることも、理由の一つだろう。
禁書の部屋に入る直前、大公がシェルを一瞥した。
「クエリ家の末娘か」
シェルは手帳を見たまま答えなかった。大公もそれ以上は言わなかった。何かがあったのだと思った。だが今は——踏み込む場面ではない。
設計書——「源コード・リファレンス」は、分厚い書物だった。全部で三百ページ以上ある。すべてがプログラミング言語で記述されており、俺のデバッガーズ・アイが自動翻訳してくれなければ、ただの暗号文だ。
「読み上げるから、記録してくれ」
「了解です」シェルがペンを構えた。
俺はページをめくった。
設計書の構造は、まさにソフトウェアのリファレンスマニュアルだった。
最初の章はアーキテクチャ概要。世界の層構造が図示されている。
CODEX WORLD - Architecture Overview
Layer 5: Application (魔法、スキル、NPC行動)
Layer 4: Environment (自然法則、物理定数)
Layer 3: Kernel (世界の根幹ルール)
Layer 2: BIOS (起動・初期化プロセス)
Layer 1: Hardware (存在の基盤層 - アクセス不可)
「五層構造か」
俺はつぶやいた。一般的なOSのレイヤー構造に似ている。上の層ほどユーザーに近く、下の層ほどシステムの根幹に近い。
「俺が今アクセスできるのはLayer 5——アプリケーション層だ。メモリが言っていた環境変数はLayer 4。カーネルはLayer 3……」
「Layer 2のBIOSとは?」シェルが訊いた。
「Basic Input/Output System——起動と初期化を管理する層だ。コンピュータで言えば、電源を入れた時に最初に動くプログラム。世界で言えば——」
言葉が止まった。
世界の起動と初期化。
つまり——世界を「作り直す」機能が、ここにある。
「初期化プロセスが、BIOSに実装されている……」
シェルのペンが止まった。
「それは——世界を最初からやり直す機能が、設計段階から組み込まれているということですか」
「ああ」
俺は次のページをめくった。
第二章は「エンティティ管理」。世界に存在するすべての「もの」の定義方法が書かれていた。人間、モンスター、植物、鉱物——すべてがオブジェクトとして定義され、属性とメソッドを持つ。
第三章が、俺の手を止めた。
Chapter 3: Administrative Systems
3.1 Root Administrator
- Creator and maintainer of World-CODEX
- Full access to all layers (1-5)
- Authority: CREATE, READ, UPDATE, DELETE on all entities
3.2 Navigator Programs
- Auxiliary systems designed to assist Root Admin
- Count: 7 (seven navigators created)
- Access: Layer 5, partial Layer 4
- Purpose: Monitoring, maintenance, data collection
- Status: [VARIES]
「ナビゲーター・プログラムが……七体」
メモリが震えた。
「七体作られた——私は、その一体です」
「七体のナビゲーターが、世界の監視と保守を担当していた」俺は読み続けた。「それぞれに担当領域がある。メモリ、お前の担当は?」
メモリの瞳の奥で、光が明滅した。記憶が戻りかけている。
「……記憶管理です。世界の履歴データの保存と、過去のバージョンとの差分管理」
「だからメモリという名前なのか」
「はい。他のナビゲーターの名前は……まだ思い出せません。でも——七体いたことは確かです」
「残りの六体は?」俺は訊いた。
メモリが沈黙した。瞳の光が揺れて——消えかけた。
「……分かりません。バージョン1.0のアップデートで——何が起きたのかが」
六体のナビゲーター。生きているのか、消えたのか。それすら分からない。
第四章。ここで、設計書のトーンが変わった。
Chapter 4: Maintenance Protocol
4.1 Regular Maintenance
- Scheduled bug fixes and performance optimization
- Performed by: Root Admin + Navigator Programs
- Frequency: Continuous
4.2 Version Update Protocol
- Triggered when: Bug density exceeds critical threshold
- Process: Full system backup → Data migration →
Core rebuild → Entity restoration
- WARNING: Incomplete migration may result in data loss
4.3 Emergency Protocol - Full Reset
- Triggered when: System integrity falls below recoverable level
- Process: Complete data wipe → Fresh installation
- WARNING: ALL CURRENT DATA WILL BE DESTROYED
- Authorization required: Root Admin ONLY
俺は声に出して読んだ。
シェルのペンが、ゆっくりと止まった。
「バージョンアップデートと、フルリセット——二つのプロトコルがある」
「バージョンアップデートは、データを移行しつつ世界を更新する。フルリセットは——全データ消去からの再インストール」
「その二つの違いは」シェルが訊いた。
「バグの密度だ。バグ密度が閾値を超えたらバージョンアップデート。システムの整合性が回復不可能なレベルに落ちたらフルリセット」
「どちらにせよ」シェルが言った。「現在のデータが——」
「危険にさらされる。バージョンアップデートでもデータ移行が不完全なら損失が出る。フルリセットなら——全消去だ」
沈黙が落ちた。
メモリが小さく言った。
「……前のバージョンアップデートの時。移行は——不完全でした」
俺はメモリを見た。
メモリの瞳に涙はない——AIに涙腺はないだろう。だが、表情には確かに「悲しみ」に近い何かがあった。
「不完全——どのくらい」
「大部分のデータが……初期化されました」
つまり——前のバージョンの住民は、ほとんど消えた。
第五章以降は技術仕様の詳細だった。魔法システムのAPI定義、モンスターの生成アルゴリズム、ダンジョンのサンドボックス実装——有用な情報だが、今すぐ必要なものではない。
俺は最後のページまでめくった。
そして——末尾に、一行だけ記述があった。
// KERNEL ACCESS POINT: Sealed within the heart of the fortress
// Authorization: Root Admin credentials required
// Note: Do NOT expose this location to unauthorized entities
「カーネルアクセスポイント——要塞の心臓部に封印」
俺は読み上げた。
「要塞——セキュリア要塞国のことですか」シェルが言った。
「おそらく。セキュリア要塞国の前身が、世界の最深部への唯一の入口を守る役割を持っていた——そう読める」
シェルが手帳に走り書きした。
俺は設計書を閉じた。そしてもう一つ——読み取っている間に気づいたことがあった。
「シェル」
「はい」
「設計書のコードスタイル——変数の命名規則、インデントの幅、コメントの書き方——記録してあるか」
「はい、パターンとして記録しています」
「じゃあ、これと比較してくれ」
俺はデバッガーズ・アイを起動し、記憶の中からヴァイラスの改竄コードのパターンを呼び出した。王都での防衛戦、道中で修正したバグ——ヴァイラスの手による改竄のコードスタイル。
シェルが二つのパターンを並べて、目を見開いた。
「……似ている」
「ああ」
俺はうなずいた。
「ヴァイラスのコードの書き方——設計書のスタイルに似ている。変数の命名規則が同じ。インデント幅が同じ。コメントの癖まで似ている」
「つまり——」
「ヴァイラスは、設計書を読んだことがある。あるいは——」
俺は言葉を選んだ。
「ヴァイラスも、元はアドミンが作ったプログラムなのかもしれない」
部屋の空気が凍りついた。
その時だった。
メモリが突然、体を折り曲げた。
「メモリ!」
俺が叫んだ。メモリの全身の回路模様が激しく明滅している。データの大量流入——記憶の急速な回復が起きている。
「マスター——思い出しました——」
メモリの声が、途切れ途切れになった。
「ヴァイラスは——かつて——」
光が一段と強くなった。部屋全体がメモリの発する光で白く染まる。
「——英雄と呼ばれた存在でした」
光が収まった。
メモリが膝をつき、荒い呼吸をしている——いや、AIに呼吸は不要のはずだが、負荷回復のためのクーリングプロセスが、呼吸のように見える動作を生んでいた。
「英雄……?」
俺はメモリの肩を支えた。
「はい。遠い昔——世界がまだ若かった頃——英雄と呼ばれた存在がいました。でも——それ以上は——」
メモリの瞳が揺れた。
「名前が……思い出せません。顔も。声も。ただ——英雄だったということだけが……」
記憶はそこで途切れていた。
名前も、末路も、まだ見えない。
だが一つだけ、確かなことがある。
ヴァイラスは——最初から悪ではなかった。
次回、第29話「英雄の残像」——断片的な記憶が語る、もう一つの世界。ヴァイラスが英雄だった時代。




