第27話 知識の城塞
データベルグ公国の首都「アーカイブス」は、図書館が都市になったような場所だった。
建物の壁面に文字が刻まれている。装飾ではない——源コードだ。建築物そのものが情報の記録媒体として機能している。壁に刻まれたコードが建物の構造を定義し、同時にその建物の歴史を保存している。
「建物がデータベースを兼ねているのか」
「はい」シェルが答えた。声のトーンが、わずかに変わっていた。「公国では、あらゆる構造物が情報の保存と伝達のために設計されています。建物、道路、橋——全てがストレージです」
「お前の故郷だよな」ガルドが訊いた。
「出身地です。故郷という表現は——不正確です」
その言い方に、何かがあると思った。だが今は踏み込まなかった。
大公宮は、都市の中心にある巨大な塔だった。
螺旋状に上昇する構造。各階層に異なる分野の知識が分類・保管されている。歴史、地理、魔法理論、生物学、言語学——階を上がるごとに、扱う情報の抽象度が上がっていく。
途中の階を通り過ぎる時、壁面のコードがデバッガーズ・アイに飛び込んできた。索引の自動更新、記録石の参照カウンタ、検索クエリの最適化ログ——建物が生きているように情報を処理し続けている。図書館というより、稼働中のデータセンターだ。
最上階が大公の謁見室だった。
大公ストレージ卿は——老人だった。
白髪を後ろに撫でつけ、深い皺の刻まれた顔に、しかし鋭い目が光っている。学者の手——インクに染まった指先。書物に囲まれた玉座というより書斎の椅子に座り、俺たちを見下ろした。
「渡り鳥の調査団、か」
低く、落ち着いた声だった。
「ロジカ王の書状は読んだ。源コードの異常について調査する——結構。だが、我が公国も無傷ではない」
大公が手を振ると、壁面の文字列が動いた。コードが再配置され、公国内のバグ報告が一覧表示される。
[BUG REPORT - DATABERG DUCHY]
#4021: Ancient archive text auto-corruption (Ongoing)
#4022: Historical record contradiction detected (Critical)
#4023: Knowledge index cross-reference failure (High)
#4024: Memory stone data leakage to visual layer (Medium)
...
Total active bugs: 847
New bugs (last 30 days): 213
八百四十七件。しかも直近三十日で二百件以上が新規発生している。
「古文書の文字が勝手に書き換わる。歴史記録に矛盾が生じる。索引が壊れて、どの書物にどの知識が記録されているか分からなくなる」
大公の声に、抑えた怒りがあった。
「知識の国が——自国の知識を信用できなくなりつつある。これがどれほどの危機か、わかるかね」
「わかります」俺は答えた。「データベースの整合性が壊れている——一度壊れると、どのデータが正しくてどのデータが改竄されたのか、判別すること自体が困難になる」
大公の目が、俺を射抜いた。
「……ほう」
老人の表情が変わった。学者が、同じ言語を話す相手を見つけた時の表情だ。
「お前、データというものを理解しているな。ロジカ王国の騎士や魔法使いは、剣と魔法で世界を語る。だがお前は——情報の言葉で話している」
「元プログラマーなので」
「ぷろぐらまー?」
「この世界の言葉で言えば——源コードの設計者、です」
大公が立ち上がった。
「見せたいものがある」
大公は俺を別室に案内した。他のメンバーは待機を命じられた——大公が「この場所に入れるのは最小限にしたい」と言ったからだ。
メモリだけは、俺の肩から離れなかった。大公はメモリを見て少し考え、「ナビゲーター・プログラムか——構わん、入れ」と言った。
その一言に、俺とメモリは同時に反応した。
「ナビゲーター・プログラムを——ご存知なんですか」
「知っている。古い記録にある。この世界が設計された時、管理者を補助するために作られた存在だ」
メモリが小さく震えた。
部屋は——書庫だった。ただし、普通の書庫ではない。
壁面のコードが通常よりも密度が高く、室温が低い。空気そのものが情報を帯びているような圧迫感がある。中央に一冊の書物が置かれていた。分厚い革装丁。金属の留め具。表面に刻まれた文字は——プログラミング言語だった。
俺の知っている言語ではない。だがデバッガーズ・アイが自動翻訳を走らせた。
「この書に記された言語——あなたなら読めるはずだ」
大公が言った。
俺は書物に手を伸ばした。
留め具を外す。重い表紙を開く。
最初のページに書かれていた文字列を、俺は声に出して読んだ。
/*
CODEX WORLD - System Reference Manual
Version: 0.1 (Initial Draft)
Author: ROOT_ADMIN
This document defines the core architecture
of World-CODEX. All subsystems, entities, and
natural laws are derived from this specification.
/
「世界の……設計仕様書」
俺の声が震えていた。
大公が頷いた。
「我が公国に代々伝わる禁書だ。古代の管理者——ルート・アドミンが残した、世界の設計書。読める者は数百年現れなかった」
メモリが突然、強く光った。
「これ——見たことがあります」
メモリの声が、遠い場所から響くように変わった。
「この書物を——私は知っています。記憶の中に……この表紙の感触が……」
記憶がさらに回復している。
大公がメモリを見つめた。
「やはりな。お前は——古の管理者が作ったナビゲーターだ。この書に触れれば、封じられた記憶が動き出すのは道理」
俺は設計書のページをめくった。
世界の構造が——全て、ここに書かれている。
次のページを開く。
そして次の。
そして——
「デバッガーズ・アイ」
大公が俺の目を見て言った。
「源コードを見る力——それは、古の『管理者』だけが持っていた能力のはず。お前は——何者だ」
俺は答えに詰まった。
何者だ、と問われると——正直、自分でもまだ分からない。
ただの転生者だ。ただのプログラマーだ。たまたまコードが見えるスキルを持って生まれた、元IT社畜だ。
だが大公の目は、それ以上の何かを見ている気がした。
「管理者の伝承を、聞かせていただけますか」
俺はそう返した。
大公が頷いた。
「世界を創り、維持し——そして消えた存在。それが管理者だ。なぜ消えたのかは、誰も知らない。だが一つだけ確かなことがある」
大公が設計書の最初のページを指した。
「この書の著者は——世界を『完成品』として作ったのではない。設計書のバージョンが0.1だ。つまり——初期草稿。この世界は、最初から『未完成』として設計されている」
バージョン0.1。
初期草稿。
プログラマーなら知っている。バージョン0.1は「動くけど不完全」という意味だ。機能は最小限、バグは許容範囲、これから改善していく前提のリリース。
この世界は——最初から、完璧を目指して作られたわけではない。
未完成であることが、仕様だった。
謁見室に戻ると、待っていた四人がそれぞれの顔をしていた。
ガルドは暇を持て余してあくびをしていた。アリアは姿勢よく座っていたが、目が「早く報告しろ」と言っていた。シェルは手帳に何か書き続けていた——おそらく、待ち時間も無駄にしない性格だ。
「設計仕様書があった」
俺が言うと、全員の目が変わった。
「世界の設計書——ルート・アドミンが書いた、この世界の全仕様が記録された文書だ。読めるのは俺だけらしい」
「何が書いてあった?」ガルドが前のめりになった。
「まだ全部は読めていない。だが——分かったことがある」
俺は深呼吸した。
「この世界は、未完成品として設計されている。バージョン0.1——初期リリース。完璧に作る意図がなかった。改善を前提にした設計だ」
「それは——」アリアが眉を寄せた。「世界が不完全であることが、意図的だということですか」
「そうだ。バグが存在すること自体は——仕様通りだ」
シェルが顔を上げた。「ではバグを修正することは——」
「必要だ。未完成であることが仕様でも、メンテナンスを怠っていい理由にはならない。ソフトウェアは使い続ける限り、保守が必要だ。問題は——管理者がいなくなったことだ。メンテナンスする者がいない世界は、劣化する」
「メンテナンスされていない源コードが劣化する——それが今、起きていることか」ガルドが言った。
「一部はな。だが全てじゃない。ヴァイラスによる意図的な改竄もある。劣化と改竄——両方が同時に進行している」
沈黙が落ちた。
シェルが手帳にペンを走らせる音だけが聞こえた。
メモリが俺の袖を引いた。
「マスター」
小さな声だった。
「設計書の中に——私のことも、書いてあるのでしょうか」
俺はメモリを見た。
「明日、続きを読む。一緒に確認しよう」
メモリが頷いた。その頷きに、不安と期待が同居していた。
夜。大公宮の客室で、俺は天井を見つめていた。
世界の設計仕様書。管理者の伝承。未完成の世界。
情報が多い。整理が追いつかない。
だが一つ、確信に近いものがある。
この世界のバグは——偶然じゃない。設計上の脆弱性と、意図的な攻撃が重なっている。ヴァイラスは、世界が「未完成」であることを知っている。だから効率的にバグを仕込める。
「敵はソースコードを読んでいる」
プログラマーにとって、それは最悪のシナリオだ。
攻撃者がソースコードにアクセスできるなら、全ての脆弱性を突ける。防御側は常に後手に回る。
どうする。
どうすればいい。
——答えは出ない。でも、設計書がある。設計書を読めば、少なくとも防御すべきポイントが分かる。攻撃パターンも予測できるかもしれない。
明日。
設計書の続きを読む。
俺は目を閉じた。
次回、第28話「古代の設計書」——源コード・リファレンスが明かす、世界の構造。そしてメモリの中に眠る、もう一つの真実。*




