第25話「Commit & Push」
旅立ちの朝は、快晴だった。
王都ロジカリスの東門。日が昇りきるより少し前の光の中に、五人が集まっていた。それぞれが旅の支度を終えた状態で、重い荷物よりも「これから起きること」の重さを背負っていた。
俺は出発に先立って、この一巻を通じて集まった情報を整理した。声に出しながら確認するのは、SIerで働いていた頃の習慣だ。喋ることで自分の思考を外から聞く。
「分かっていること」
俺が言うと、他の四人が静かに聞いた。
「源コードには意図的にバグが仕込まれ続けている。犯人はヴァイラスと呼ばれる存在——しかし目的は破壊ではなく、『テスト』と観察のようだ。世界は北から南にスキャンされ、各地点でシステムの応答パターンを収集している。次の大規模異常は五大王国のどこかで起きる。世界を作ったルート・アドミンは——消えた。そして内部に協力者がいる可能性がある。王都の防衛結界のバックドアがその証拠だ」
シェルが手帳を見ながら補足した。
「判明していないこと、の方が多いですね」
「そうだな」
俺は答えた。
「だからこれは調査の旅だ。答えを持って行くんじゃない——答えを取りに行く」
「格好いい言い方ですが」シェルが言った。「本質的には手探り調査ですね」
「同じことだ」
「語感が違います」
「シェル、それは揚げ足取りだ」
「データの正確な記述です」
「……分かった、手探りでいい」
アリアがくすりと笑った。朝の光の中で、その笑い声は妙に澄んでいた。
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国王からの正式な辞令が、使いによって届けられた。
「調査団への全権委任状——五大王国に対し調査協力を要請する権利、および源コードへの緊急アクセス権を付与する」
俺はその書状を受け取った。
重かった。
紙一枚の物理的な重さではなく、これが示す意味の重さだ。権限と責任は比例する。これを持つということは——失敗した時の責任も、全てこちらにある、ということだ。
「……大きいな」
つぶやくと、ガルドが「何が?」と聞いてきた。
「責任の重さ」
「お前らしくない」
「たまにはそういう日もある」
ガルドが肩を叩いた。「気にすんな。俺がいる限り、肉体的な問題は全部引き受ける」
「そこが問題になることはあまりないと思うが」
「なる! 絶対なる! そういう旅だろ、これ!」
なるのかもしれない。
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見送りに来た者たちがいた。
商業区のポロス商人——丸々とした体型の中年男——が駆けつけてきた。「絶対帰ってきてくださいよ! 帰ってきたら宴会です!」と俺の手を両手で握った。
鍛冶師のドワンが、鍛えた腕を組んで仁王立ちで言った。「いい仕事してこい」
それだけだった。でもその言葉に、俺は「ありがとう」と返した。
ネットワーク連合の担当官コネクタからは書状が届いていた。
「ポート・ハブのゲートは守ります。あなた方が戻る時に使えるよう」
短い文章だった。でも確かな約束だった。
「仲間が増えたな」
俺はつぶやいた。
王都だけじゃない。世界各地に、同じ方向を向いている人間がいる。
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アリアが俺の隣に並んだ。
「護衛兼外交使節として、公式に同行させていただきます」
改まった口調で言った。
俺が何か返す前に、アリアが少し小さな声で続けた。
「——怖いですか?」
俺は少し驚いた。
王族として育ったアリアが、朝の光の中でそんな問いを俺に向けている。その率直さが——少しだけ俺の防壁を崩した。
「怖くはない」
「嘘です」アリアが静かに言った。「少しくらい怖いはずです。あなたは——全てを論理で処理できると思っていない。それを知っています」
俺は少し間を置いた。
「……少しだけ、な」
アリアがほっとしたように笑った。
「私もです」
その笑顔が、朝の光に馴染んでいた。
「怖いけど——行く。それでいいと思います」
「そうだな」
俺は前を向いた。
「それでいい」
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ガルドが巨大な荷物をどかんと背負った。音がした。地面が少し凹んだかもしれない。
「行くか! 俺がいる限り、お前ら絶対死なせないからな!」
高らかに宣言した。
シェルが即座に言った。「統計的に根拠のない発言ですが——」
「黙れ、場が冷める」
「失礼しました」
「素直に従うのか」
「反論する意義がないと判断しました」
「……結局、認めてないな」
ガルドが苦笑した。シェルがわずかに眼鏡を押し上げた。
メモリが俺の肩に降り立った。
「マスター、ナビゲーション準備完了です。最短ルート、最安全ルート、最情報量ルート——どれを選びますか?」
「最情報量ルートで」
シェルが「それは私も同意します」とすかさず言った。
「事前にコンセンサスを取っておくべきでした」とメモリが言った。
「次からそうする」
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門を出た。
王都の石畳から、街道に変わった瞬間——振り返りたい気持ちが来た。
俺はしばらく歩いてから、一度だけ振り返った。
王都が後ろに遠ざかっている。
高い城壁と、その向こうに見える塔の先端。この場所から始まった。何も分からなかった、転生直後の自分が最初に辿り着いた都市。
今は仲間がいる。
それだけで全然違う。
「行くか」
俺は前を向いた。
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旅の最初の目的地はデータベルグ公国と決まった。シェルの故郷。情報の国と呼ばれる場所。
「ルート・アドミンの痕跡がアーカイブにあるかもしれない」
シェルが淡々と言った。でも——その目の奥に、わずかに光るものがある気がした。故郷への複雑な感情か、それとも情報への純粋な期待か。どちらかは、まだ分からない。
「公国のデータアーカイブには、理論上、何百年分もの記録が保存されています」
「理論上?」
「完全なデータはどこにもないので」
「まあそうだな」
歩きながら、五人がそれぞれのことを話した。
他愛ない会話だった。
ガルドが「そういやお前ら、旅行って好きか?」と唐突に聞いた。
「嫌いじゃない」と俺が答えた。
「私は好き嫌いより目的で判断します」とシェルが答えた。
「……私は初めてです」とメモリが答えた。
「俺も異世界は初めてだけどな」と俺が言った。
一瞬の間があって——笑いが起きた。
全員で笑った。
そういうことは、今まであまりなかった。全員が同時に笑う、ということが。ガルドが一番大きく笑って、シェルが一番小さく笑って、アリアが「ふふ」と声を出して、メモリが光を揺らした。
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俺の内面で、転生してからの日々が走馬灯のように浮かんだ——いや、走馬灯は大げさだ。ただ、少し遠くから見るような感覚で、記憶が整理された。
最初は「バグを直すだけ」だった。
スキルがあって、異常があって、直せる。それだけの話だった。できることをする、それだけだと思っていた。
でも違った。
仲間ができた。目的が明確になった。世界の秘密に手が届くかもしれないという感覚がある。
「前の世界では——コードを書いても誰も見てくれなかった」
声に出さずに、俺はそう思った。
深夜に書いたコードが、翌朝には「仕様変更で不要になった」と言われる。バグを報告しても「優先度低」でチケットが積まれる。直した問題を報告しても「それで?」と言われる。
消耗していた。
確かに消耗していた。
「でも——この世界のバグを直すことは、確かに誰かを救っている」
ポロスの商人が無事だったのは、俺たちが結界を直したからだ。王都の市民が生き残ったのは、あの夜の仕事の結果だ。
誰かが見ている。誰かが感謝している。それが前の世界との違いだ。
仲間が一緒にいる。それが二番目の違いだ。
この二つで——十分すぎる。
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道は続いていた。
地平線に向かって、五人が歩いていた。
ガルドが先頭で歩いて、アリアが隣に続いて、シェルが手帳をめくりながら歩いて、メモリが俺の肩の上で空を見ていた。
風が吹いた。
街道の両側の草が揺れた。
「さあ」
俺はつぶやいた。
「次のイテレーション(繰り返し、試行)を始めよう」
地平線は遠い。
謎は深い。
でも手の中には、仲間と権限と——デバッガーズ・アイがある。
「このコーデクスのバグを——全部、直してやる」
【第1章 完】
お読みいただき本当にありがとうございます。
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