第23話「インシデント・レポート」
翌日の昼前に、謁見の召集がかかった。
王宮の廊下を歩きながら、俺は頭の中でレポートを組み立てていた。
事実。証拠。推定。推定と断定の区別。言うべきことと、まだ言うべきではないこと。
前職で障害対応報告をまとめる時と同じだ。感情を排して、データを並べる。「なぜそうなったのか」より先に「何が起きたのか」を明確にする。原因の断定は証拠が揃ってからにする。
謁見室の扉が開く。
ロジカ八世——白髪が混じり始めているが背筋の伸びた王——が、玉座に座っていた。左右に侍従と騎士団長が並んでいる。ガルドとメモリは廊下で待機している。俺とアリア、シェルが前に立った。
「報告せよ」
国王の声は静かだった。
俺が口を開いた。
「まず事実から申し上げます。昨日早朝に発生した防衛結界のシャットダウンは、自然故障ではありません。コードの深層部に事前に仕込まれたバックドア——外部から特定のコマンドを送ることで結界を強制停止できる隠し入口——が存在しました」
俺は続けた。
「このバックドアが実装されたのは七ヶ月前です。コード管理システムのログから確認が取れています。外部からの侵入でこの場所にコードを追加することは、技術的に不可能です。つまり——」
「——内部犯行」
国王が、俺が言う前に言った。
俺は少し間を置いた。
驚き、ではない。「知っていた」に近い表情、と俺の目は読んだ。衝撃ではなく——確認、のような顔だ。
「その通りです。結界コードへのアクセス権限を持つ人物が、事前に実装しています。その人物リストの調査を推奨します」
謁見室の空気が変わった。
騎士団長が姿勢を正した。侍従たちが目を伏せた。
扉が開いた。
「遅れました、父上——」
ヴァリドが入ってきた。
整った顔立ちに、感情を遮断したような目。俺を見た瞬間——その目に、はっきりと鋭さが増した。
「お前か。また騒ぎを起こしたと聞いた」
「騒ぎを起こしたのは俺じゃない」
俺は返した。
「バックドアを仕込んだ者だ」
ヴァリドの顔が、わずかに強張った。一瞬の変化だったが——俺は見た。
「証拠を出します」
俺は持参したコードの複写をシェルに渡した。シェルがクエリ魔法で情報を展開する。
「`SELECT code_diff, author_signature, commit_time FROM barrier_logs WHERE module='core_security'`——」
空中に表が浮かぶ。コードの変更履歴、実装スタイル、コメント文の書き方。
「このバックドアの実装パターンを見てください」俺が言った。「インデントの使い方、変数名の命名規則、コメントの日本語と英数字の混在比率——この特徴は、過去六ヶ月のコードベースへの他の変更箇所と照合すると、同一人物による複数の改竄と一致する可能性があります」
「可能性があります、か」ヴァリドが立ち上がった。「断定できないものを持ってきたのか?」
「断定は調査の結果です。現時点では推定と証拠の提示です。調査をせず断定を急ぐことの方が危険です」
「貴様——!」ヴァリドの声が大きくなった。「王家のシステムに内部犯行者がいると——王家を侮辱するのか!」
声が謁見室に響いた。
俺は引かなかった。
「侮辱ではない。事実の報告です」
静かに、しかしはっきりと言った。
「バグは感情で消えない。見えないふりをしても、存在し続ける。それが今回の被害を招いた」
沈黙。
そこへアリアが一歩前に出た。
「兄上」
声は静かだった。しかし王族としての、女性としての、論理を愛する者としての——覚悟が込められた声だった。
「彼は王家を侮辱しているのではありません。王都を守るために事実を述べているのです。私も——同じ判断をします」
ヴァリドが、アリアを見た。
アリアが、ヴァリドを見返した。
兄妹の視線がぶつかった。謁見室の空気が、ぴんと張り詰める。二人の間に、言葉にならない何かが走った。
深い亀裂が、今確かに——走った。
国王がゆっくりと口を開いた。
「……報告、受け取った」
重い声だった。
「バックドアの証拠は正式に受理する。セキュリア要塞国の監察官に内部調査を依頼しよう」
それだけだった。
ヴァリドへの言及はなかった。
俺は深く礼をして、謁見室を出た。
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廊下でガルドとメモリが待っていた。
ガルドが俺の顔を見て、肩を叩いた。
「お前、ビビらなかったな。王子に怒鳴られても」
「事実を言っただけだ」
「そうじゃなくてな」ガルドが少し笑った。「俺が言いたいのは——お前は間違ってないよ、ってことだ。バグは放っておけないんだろ。それだけのことだ」
俺は少し間を置いてから、返した。
「……ありがとな」
珍しく素直な言葉が出た。自分でも少し驚いた。
ガルドが目を丸くした。「お、珍しい」
「うるさい」
「いや、いいもの見た」
ガルドが嬉しそうに笑った。それにつられて、俺も少し笑った。
シェルが後ろから「無駄な感情交換です」と言った。
「お前もうるさい」
「そうですか」
シェルが手帳に何かを書いた。たぶん「感情交換の実例」とか記録したんだと思う。
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夜になって、俺は宿の屋根に上がった。
メモリがすでにそこにいた。星を見ている——いや、星の向こうの何かを見ているような顔をしていた。
「起きてたのか」
「私は眠れませんから」
「そうだったな」
俺は屋根の縁に腰を下ろして、王都の夜景を眺めた。昨日の侵攻の傷跡が、いくつかの建物の形の歪みに残っている。
しばらく沈黙が続いた。
「マスター」
メモリが言った。
「前の世界でも、こういうことがありましたか。バグを報告しても——誰も動かなかった、ということが」
俺は少し考えた。
「そうだな」俺は答えた。「前の世界でもそうだった。バグを報告しても誰も動かなかった。上の人間が都合が悪いことは見えないふりをする——ここも同じだ」
「それでも、報告し続けたのですか?」
「……そうしないと、俺が俺でなくなる気がして」
正直な答えだった。
コードの前に立って、バグを見つけて、黙っていることが——俺にはできなかった。知って、見て、無視するのは、自分の核心を裏切ることに思えた。
「今は?」
「今は——仲間がいる」
それだけで変わるものがある。
前の世界では一人だった。上司に報告して、却下されて、また別のバグを見つけて、また報告して。その繰り返しの中で、俺は少しずつ消耗していた。
今は違う。
アリアが一緒に立つ。ガルドが「お前は間違ってない」と言う。シェルがデータで支える。
「それだけで変わるものがある」
メモリが小さく光った。
「私も、います」
俺はメモリを見た。
光の粒子でできた、小さな存在。感情と機能の境界で揺れている、人工精霊。
「ああ」
俺は言った。
「お前もいる」
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翌朝、ドアを激しく叩く音で目が覚めた。
「蓮さん! 緊急です!」
シェルだった。
声のトーンが違う。あの淡々としたシェルが——声のレイヤーに焦りが滲んでいる。
俺はすぐに起き上がった。
扉を開けると、シェルが息を整えながら手帳を開いた。眼鏡が少し曲がっている。走ってきたんだろう。
「新しいクエリを走らせました」シェルが言った。「`SELECT * FROM anomaly_events WHERE severity='CRITICAL' ORDER BY estimated_time ASC LIMIT 1`——」
空中にデータが浮かんだ。
俺の目が細くなった。
「……次の異常、もう予兆が始まっている」
「はい」
「しかも場所が——」
「王都じゃない」
シェルが静かに言った。
「スキャンが移動しています。次のターゲットは——まだ特定できていませんが、王都より規模が大きい可能性があります」
俺は地図を頭の中に展開した。
ヴァイラスは動いている。
こちらも——動かなければならない。
次回、第24話「スリープ・モード」——嵐の前夜、五人それぞれの静寂。




