第21話「クエリを走らせろ」
扉を叩く音は、三回。
それも妙に均等な間隔で——まるでタイマーで計ったみたいに正確な三回だ。
「どうぞ」と言う前に、ドアが開いた。
「失礼します。桐島蓮様、ですね。確認させてください——あなたがデバッガーズ・アイの保持者で、この三ヶ月で王都近郊の異常を七件修正した人物、という認識で合っていますか?」
入ってきたのは、十九歳くらいの少女だった。
銀縁の眼鏡。几帳面に整理された手帳を胸に抱えている。透き通ったグレーの髪が肩のところで切り揃えられていて、眼鏡の奥の瞳は——感情の起伏が薄い。計算しているというより、ずっと観察しているような目だ。データを収集している機械のような、でもどこか人間的な温度が滲んでいる、不思議な目だった。
「……七件、正確には八件だ。最後の一件は未登録案件だった」
「ありがとうございます。訂正します」
彼女はすぐに手帳にペンを走らせた。
俺は思わず眉を上げる。ファクトチェックを即座に手帳に記録する。それは正しい仕事のやり方だ。
「シェル・クエリといいます。データベルグ公国、情報省データ管理局所属。データ司書の資格を持ちます——最年少取得記録です。付け加える必要はないかもしれませんが、参考情報として」
「付け加えるじゃないか」
「自己評価の正確な提示は情報の一部です」
ガルドが後ろで小声で言った。
「なんか……冷たい奴だな」
シェルが振り返らずに答えた。
「聞こえています。冷たいのではなく、無駄な愛想を省いているだけです」
「……やっぱり冷たい」ガルドがまた小声で続ける。
「ガルド、お前もそんなに愛想があるタイプじゃないだろ」
俺がそう突っ込むと、ガルドが「俺は別に——」と言いかけてから口を閉じた。たしかに、ガルドの愛想のなさは業界最高レベルなので、他人のことは言えない。
「座ってください。話を聞きます」
俺はシェルに椅子を勧めた。
アリアがシェルの荷物——革製の大きな書類鞄——に目を向ける。「ずいぶんたくさんの資料をお持ちで」
「全て必要なデータです。不要なものは持ち歩きません」
シェルが椅子に座り、手帳を開いた。
「来訪の目的は二つです。一つ目——データベルグ公国において、過去四ヶ月で異常現象が十三件発生しています。その情報を共有しに来ました。二つ目——」
少しだけ間があった。人が言葉を選ぶ時間ではなく、優先順位を確認する時間のように見えた。
「あなたのデバッグ能力に興味があります。協力関係を結びたいと考えています」
直球だった。
外交的な前置きもなく、婉曲表現もなく。情報を整理してから、要件を述べる。俺の好きなやり方だ。
「分かった。まず情報共有から聞こう」
シェルが立ち上がった。
そして、静かに詠唱を始めた。
「——`SELECT * FROM world_events WHERE type='anomaly' ORDER BY timestamp DESC`」
俺の目の前の空気が揺れた。
光の粒が集まり、構造化された。縦と横の線が走り、枠が形成されて——表が浮かんだ。何もないはずの空間に、データが表形式で現れた。timestamp、location、severity、event_type。ヘッダーまである。グリッドが整然と並んでいる。
俺は固まった。
「……SQLだ」
「ご存じですか?」
「知ってる。すごく知ってる」
アリアが不思議そうな顔をした。「蓮様、何がすごいんですか? 情報魔法の一種ではないのですか?」
「情報魔法より、もっと構造的だ」俺は空中の表を指さした。「これは——データを質問文で引き出す魔法だ。`WHERE type='anomaly'`で異常タイプだけを絞り込んでいる。`ORDER BY timestamp DESC`で新しい順に並び替えている。これは本来、俺がいた世界のシステム言語の、別の方言だ」
「方言、という表現は的確ですね」シェルが言った。「このクエリ魔法はデータベルグで独自に発展した魔法体系です。根底にある言語構造はおそらく——この世界の源コードと同じ文法を持っています」
「源コード——お前も知ってるのか?」
「知識として。実際に見たことはありません」
シェルがもう一度手帳に目を落として、それから俺を見た。眼鏡の奥で、何かが変わった気がした。計算ではない——確認、だろうか。
「……あなたは本当に、この世界の外から来た人間なのですね」
「確認してたのか?」
「データを取る前に動くのは怖いですから」
俺は笑った。
それは本当に自然に出た笑いだった。
「同意する」
二人の間に、他の三人には理解できないやり取りが成立した。共通の言語を持つ者同士の、短くて密度の高い共鳴だ。ガルドが「何が面白いんだ?」と首をひねっている。アリアが「私も分かりかねます」と眉を寄せた。メモリだけが、少し面白そうに俺とシェルを交互に見ていた。
「データの分析に移ります」
シェルが表を展開したまま、解説を始めた。
「異常発生地点を時系列でプロットすると——`SELECT location, timestamp FROM world_events WHERE type='anomaly' ORDER BY timestamp ASC`——」空中の表が更新された。行が並び替わり、新しい列が加わる。「北端のセキュリア要塞国を起点として、ネットワーク連合を経由し、ビジュアル帝国の北部を通過して南下しています。ランダムではなく、明確な方向性があります」
「まるで——何かが世界を走査しているように、か」
「その通りです。私もその表現を使いました」
俺の頭の中で、先日の記憶が繋がった。
`TEST_CASE_07: BARRIER_SYSTEM`
あの謎めいたコードの断片。
「スキャン——それが`TEST_CASE`の意味だ」俺はつぶやいた。「バグを仕込むだけじゃない。世界の『現在の状態』を読み取っている。正常系と異常系を確認して——何かを評価している」
「評価? 誰が?」ガルドが腕を組む。
「それがまだ分からない」
アリアが前に出た。「次のスキャン対象はどこですか?」
シェルがクエリを更新した。少し時間がかかった。データが整合する音でも聞こえるかのように、空中の表がゆっくりと書き換わっていく。
シェルの表情が——一瞬だけ、動いた。
「計算上——ここ、ロジカ王都が次のターゲットになります」
静かな声で、シェルは言った。
「これまでの事例の中で最大規模の障害が発生する可能性があります」
部屋が静まり返った。
「最大の——障害」アリアが息をのんだ。
ガルドが腕組みをより深くした。メモリの光がわずかに揺れた。俺は空中の表を見つめた。数字は嘘をつかない。
「逃げるか、迎え撃つか」ガルドが低い声で言った。
俺は即答した。
「迎え撃つ」
「理由は?」
「逃げてもスキャンは続く。次の都市が被害を受けるだけだ。止めたいなら——直接対処するしかない」
ガルドがゆっくりうなずいた。それ以上は言わなかった。
シェルが手帳を閉じた。それから、眼鏡を少し押し上げて、真剣な目で俺を見た。
「私を——このパーティに加えてください」
「分かった」
俺はシェルの言葉を、途中で遮った。遮ってから言った。
「ようこそ、シェル」
シェルが少し目を開く。「……即決ですか?」
「データの精度が信頼できる。それで十分だ。ただし——条件がある」
「聞きます」
「俺の判断より自分のデータを優先するなら帰ってくれ。現場では情報より判断が速いことがある。データが揃うのを待っている余裕がない場面は必ず来る」
シェルは少し考えた。
真剣な沈黙だった。条件反射で答えるのではなく、本当に考えている。
「……条件を呑みます。ただし——判断の根拠は毎回、後で説明してください。それがないと次のデータ収集に活かせません」
「それで構わない」
握手はなかった。
でもそれで成立した。
ガルドが「まあ、よろしく」と無愛想に言った。アリアが「ご縁を嬉しく思います」と丁寧に頭を下げた。
メモリがシェルに近づいた。シェルの顔を下から覗き込むように、そっと見る。
「あなたも——たくさんのデータを持っているのですね」
シェルが少し驚いた様子で、メモリを見下ろした。光の粒子が浮かぶ人工精霊を、どう分類するか考えているような顔だった。
「……人工精霊が、情緒的な言い方をするのですね」
「学んでいますから」
「……面白い」
シェルがつぶやいた。
それは分析的な評価ではなかった。純粋な感想だった。おそらく本人も気づいていない、無防備な一言だった。
これで五人。
俺は改めてメンバーを見渡した。
元冒険者にして現・壁役のガルド。論理魔法の第二王女アリア。人工精霊メモリ。データ司書シェル。そして元システムエンジニアの俺。
なかなか奇妙な編成だが——少なくとも、バグを追うのには向いている。
---
夜になった。
アリアたちが先に休んで、俺は一人でシェルから受け取ったデータのコピーを眺めていた。
デバッガーズ・アイで見ると——情報の層が透けて見える。表面のデータだけじゃない。データがどこから来たのか。どのルートを通ったのか。どの段階で、誰が触れたのか。
そこで俺は、小さな違和感を見つけた。
異常の発生タイミングと、その後の「記録の更新」タイミングが——微妙にずれている。
異常が起きる。被害が確認される。記録が更新される。
ここまでは普通だ。
しかし「記録の更新」の後、ほんの数秒だけ——別の何かが動いている痕跡がある。記録が更新されたことを確認した後に、外部への通信のようなものが走っている。
まるで、データを観察している「誰か」が、記録の更新を待っていたかのように。
「ヴァイラスはバグへの『反応』を見ている」
俺はつぶやいた。
そして、その反応データを——どこかに、送っている。
スキャンして。反応を観察して。データを集めて。送信する。
送信先は——
俺の視線が硬くなった。
「……ルート・アドミン」
消えたはずの管理者。
システムを作った神。
「お前は本当に——消えているのか?」
答えるものはいなかった。
夜の王都が、静かに眠っている。三日後の嵐を知らないまま。
次回、第22話「キングダム・クラッシュ」——予測は、三日後に現実になる。




