第2話「Hello, New World」
アリア一行が森の向こうに消えていくのを見送りながら、俺は考えていた。
「王都に来い」と言われた。来る理由がある、とも言われた。
確かにある。この世界のことを、何も知らない。魔法とは何か。スキルとは何か。「デバッガーズ・アイ」というスキルが、この世界でどういう意味を持つのか。情報が足りなすぎる——未知の仕様のままシステムを稼働させるのは、エンジニア的には最悪の判断だ。
ただ、すぐに王都に向かうのもリスクがある。右も左もわからないまま、見知らぬ大都市に飛び込む。リソースもなく、人脈もなく、土地勘もない。
まずは足場を固める。情報収集。環境の把握。それがプロの手順というものだ。
森を出て西に歩くと、一時間ほどで小さな集落が見えてきた。
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村の名前を聞いたとき、思わず繰り返してしまった。
「ログ村?」
「そうだよ、ログ村だ。なんか変か?」
案内してくれた農夫の男は、不思議そうな顔をした。変じゃない。むしろ——縁を感じた。プログラマーにとってログとは記録のことだ。この世界に流れ着いた先が「記録の村」というのは、悪くない滑り出しに思えた。
問題は、村の中心で腕を組んで立っていた老人だ。
白い髪。深く刻まれた皺。鋭い目——計算している目だ。俺を最初から最後まで、スキャンするような視線で見ていた。
「見かけん顔だな」
「旅人です。三日ほど、泊めてもらえないでしょうか」
「銭はあるか」
「……ないです」
老人は黙った。数秒。俺もデバッガーズ・アイで老人のステータスを走査していた。
```
NAME: ゴッド
CLASS: 村長 / 元農家
HP: 190/210
SKILL: 収穫の祈り Lv.3 / 土地読み Lv.2
TRAIT: 疑念 +3 / 義理堅さ +4
```
疑念が高い。だが義理堅さも高い。これは、実績を積めば動く人だ。数値で見ればわかる——根は悪い人間じゃない。ただ、証明されていない相手を信用しないだけだ。
「働きます」と俺は言った。「農作業でも、荷物運びでも、計算仕事でも。使えることがあれば」
老人——ゴッドは、もう三秒ほど俺を見てから、鼻を鳴らした。
「物置部屋なら空いとる。飯は村の共有から出す。働き次第で泊まれる期間を延ばしてやる」
「ありがとうございます」
「礼はいい。役立たずなら三日で追い出す。わかったか」
「わかりました」
ゴッドはそれだけ言って踵を返した。背中に、`義理堅さ +4`のパラメータがよく似合っていた。
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物置を改造した小部屋は、狭かったが清潔だった。藁の詰まったマットレス、木製のテーブル、ランプが一つ。それだけだったが、俺には十分だった。
寝る前に、まず仕様解析を始めた。
`Debugger's Eye Lv.1`の性能を、自分で把握する必要がある。できることとできないことを確認しないと、過信で死ぬ——これはどんな現場でも変わらない原則だ。
部屋の中のものを次々と走査した。
```
Straw_Mattress_01 / elasticity: 2.1 / durability: 340/400 / sleep_bonus: +3
Wooden_Table_B / material: cedar / age: 8yr / durability: 980/1000
Oil_Lamp_std / fuel: 74% / burn_rate: 2.1%/hr / light_radius: 3.2m
```
全部読める。石ころを拾って走査した。`stone_pebble_0x4A7F / weight: 0.3kg / hardness: 4 / material: limestone`。窓の外の木を走査した。木のデータが表示された。木の葉一枚を拾って走査した。葉のデータが表示された。
読み取り範囲は、視界内であればほぼ全域——少なくともこの部屋の中では確認できた。距離の制限は今のところ体感できない。ただ、データ量が多いものを走査しようとすると、わずかにラグがある。巨大なデータをフェッチするときの通信遅延に似た感覚だ。
制約も明確になった。ステータスは読めるが「書き換え」はできない。コードが見える。編集権限がない——いわばReadOnlyのデバッガーだ。
「見るだけなら無限にできる」
つぶやいた。それで何ができるか。
情報があれば、判断ができる。判断ができれば、動けるタイミングがある。まずはそこからだ。
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次の日から、農作業を手伝い始めた。
力仕事はあまり得意じゃない——ATK8のエンジニアに農業の戦力を期待するな、という話だ。ただ、デバッガーズ・アイがあれば別の形で役立てる。
作物のパラメータを見ながら、「この区画の土の保水率パラメータが低下しています」「あの苗は根の発育値に問題があります、移植するより土壌改善を先にした方が効率が良い」と、データに基づいて助言した。
村人たちは最初、半信半疑だった。でも俺の言った通りに対処すると、結果が出た。三日目には「あいつはなんかわかる人間だ」という評価になっていた。
ゴッドもその変化を見ていたらしく、四日目の夜、黙って飯の量を増やしてくれた。
言葉はなかった。ただ、茶碗が大きくなっていた。それがこの老人の感謝表現だと、俺は理解した。
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三日目の深夜、事件が起きた。
大きな音で目が覚めた。外が騒がしい。飛び起きて物置を出ると、松明を持った村人たちが走り回っていた。
「子どもが——マルが——木から落ちて——」
走った。
村の外れの大木の根元に、小さな子供が横たわっていた。七歳か八歳か——男の子だった。顔が青白い。呼吸はある、でも浅い。
デバッガーズ・アイが自動的に展開した。
```
NAME: マル
CLASS: 村人 / 子供
HP: 48/120
POISON: true (elapsed: 00:03:12 / max_duration: 14400sec)
STATUS_EFFECT: fracture_right_ankle / internal_bruise
RECOVERY_RATE: 0.8/min (normal: 2.4/min — SUPPRESSED by POISON)
```
HPが半分以下。毒が三分前から発症している。右足首骨折と内部打撲。回復速度が毒で三分の一に落ちている。
毒の発生源を確認した。傷口に、小さな刺し跡があった。夜行性の毒虫だ。木から落ちた拍子に刺されたらしい。
「医者は——」
「いない! 次の町まで二時間かかる!」
俺は計算した。HPが48。回復速度が0.8毎分。毒の持続が最大四時間。このままでは、二時間後には体力が大きく削られている。
「薬師さんはいますか」
「婆様がいる! でも材料が——」
「連れてきてください。あと、村の中の薬草類を全部持ってきて」
材料が集まった。デバッガーズ・アイで各植物のパラメータを走査した。
```
Herb_Brightleaf / anti-toxin: 0.2 / stimulant: 0.1
Herb_Darkfern / anti-toxin: 0.6 / sedative: 0.4
Berry_Redcap / anti-toxin: 0.1 / HP_regen: +0.3/min
Root_Ironbark / binding: 0.8 / anti-inflammation: 0.5
```
毒の強度に対して必要な解毒値を逆算する。`Darkfern`と`Redcap`の組み合わせなら、解毒係数が0.7を超える——足りるはずだ。
「婆様、ダークファーン草とレッドキャップの実を二対一の割合で磨り潰して。それを傷口に塗布してください」
薬師の老婆が、驚いた顔でこちらを見た。
「……本当に効くのか」
「試してみるしかないです。でも計算上は効きます」
婆様は黙って手を動かした。薬を作る速度が、さすがに速かった。
塗布した。待った。
俺はずっと、視界の隅でマルのステータスを見続けていた。HPの数値が、ゆっくりと動いている。
午前三時頃、マルの体から熱が引き始めた。
```
POISON: false
HP: 51/120 → 52 → 53...
RECOVERY_RATE: 2.4/min (normal値に復帰)
```
`POISON: false`——毒フラグが、falseに反転した。
その瞬間、視界の隅に小さな通知が出た。
```
経験値を取得しました (+120 EXP)
スキル【Debugger's Eye】に習熟度 +1
```
「……この世界、プログラムで動いているのか」
確信が言葉になった瞬間だった。毒が`boolean`フラグで処理されている。HPが`int型`で管理されている。経験値が「行動に応じて」加算される。これは——データだ。世界そのものが、動いているプログラムだ。
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夜明け。
婆様と村人たちがマルの世話をしている。俺はひとり、村の外れで空を見ていた。
東の空が白んでいる。それも、パラメータで表示される。`sky_color: #FFD8B0 / sunrise_progress: 0.73`。全部、数値で定義されている。
後ろで足音がした。
「よくわからんが……ありがとな」
ゴッドだった。白髪の老人が、湯のみを二つ持って立っていた。一つを俺に差し出す。
素直な感謝の言葉が、なぜか胸に刺さった。
東京で、最後に「ありがとう」と言われたのはいつだっただろう。
ゼロワン・テクノロジーズで三年間働いた。何百というバグを直した。何十というシステムを設計した。誰にも気づかれない深夜のクリティカルなバグを潰したことが、何度もある。でも「ありがとう」と言われた記憶が、正直あまりない。「当然のこと」として処理されていた。俺もそれを「当然のこと」として受け入れていた。
「……いえ」と俺は答えた。「子どもが助かってよかったです」
ゴッドは鼻を鳴らして、隣に立った。二人で、白んでいく空を見た。
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その日の夜、俺は日記をつけ始めた。
村の文具屋で紙とインクを借りた。代わりに村の帳簿の計算を手伝った——暗算が得意なのはエンジニアの癖だ。
表紙に書いた。
「仕様解析ノート vol.1」
最初のページに今日確認できたことをまとめた。`Debugger's Eye Lv.1`の仕様。読み取り範囲。ラグの特性。書き換え制限。この世界の魔法とスキルの関係——魔法は関数呼び出し、スキルはアクセス権限、という理解が今のところ一番しっくりくる。
そして最後のページの隅に、一文を書き加えた。
「コードが見えるだけで、書き換えられない。今の自分にできることは、観察と分析と、正確な情報を人に伝えることだけだ。それでも——コードが読めるエンジニアが最も強い局面というのは、必ずある」
ランプの灯りの中で、ペンを置いた。
窓の外、夜の村が静かに息をしていた。木々のパラメータが、風に揺れるたびに数値を微妙に変えている。空の星が`star_magnitude: 2.3`のデータを持っている。
こんな世界に、来てしまったんだな、と思った。
戻れるかどうかもわからない。元の世界の自分は、たぶんもう死んでいる。三十六時間労働の末に、誰にも看取られずに床で死んでいる。
それを悔やむ気持ちが——あまりない、というのが正直なところだった。
あの会社に戻りたいか? 戻りたくない。あの生活に戻りたいか? 戻りたくない。
でも——プログラムを書くことは、好きだった。コードと向き合うことは、好きだった。
この世界は、コードでできている。
全部が自分の専門領域だ。
「やれることはある」と俺は思った。
ノートを閉じた。
次回、第03話「変数と村人たち」——石ころにもIDがある村での日常、そして森の奥で見つけた、あってはならないエラー。




