第17話「新たなフェーズ」
王宮への報告は、翌日の午前中に行われた。
謁見室に集まったのは、国王ロジカ八世、第一王子ヴァリド、魔法師団長のベアトリス・コード、それから数名の貴族たち。アリアが俺を連れ、ガルドとメモリも同席させた。
「では——報告を」国王が静かに言った。
俺は事実だけを端的に述べた。
ヴァイラスとの接触。グリーンフィールドで目撃した重力ベクトルの改竄。物理攻撃と魔法攻撃の無効化。そしてヴァイラスが自称したこと——バグではなく「アップデート」。発生地点の螺旋パターン。世界規模の汚染との関連性。
余分な感想も、誇張も入れなかった。ただの事実の羅列。聞いている人間が判断できるように、情報だけを渡す。
国王は報告を聞き終えて、長い沈黙をとった。謁見室に、誰も口を開かない時間が続いた。
「——他の王国に協力要請を出す」
国王がようやく口を開いた。
「五大王国全ての首脳に使者を送れ。緊急の合同会議を提案する。この脅威は一国が単独で対処できる規模ではない」
「お待ちください、父上」
ヴァリドが立ち上がった。
第一王子の顔は整っている。声も落ち着いている。しかしその目には、俺に対するあからさまな懐疑の色があった。
「ヴァイラスとやらに関する物的証拠はどこにありますか? 目撃者はこの四人のみ。グリーンフィールドの村人は避難させられており、接触の場面を見ていない」
「それは事実です」俺は答えた。
ヴァリドが少し意外そうな顔をした。反論を予想していたのかもしれない。
「ただ——ヴァイラスが実在しないと仮定するなら、ダンジョンの暴走と全滅したAランクパーティと各地の異常現象を全て別々に説明する必要があります。複数の無関係な原因が同時多発しているのか、それとも単一の意図的な原因があるのか——オッカムの剃刀で言えば、単一の原因を仮定する方が論理的に効率がいい」
「論理の話をするなら、証拠が先だ」
「では証拠を集めます。特務調査官の権限で」
短い沈黙。
「——一点、確認させてください、王子殿下」俺は続けた。「王子の懸念はもっともだと思います。源コードが見えるという特殊な目を持つ人間が、王宮の内部情報にアクセスできる可能性があるという懸念——それは合理的な心配です」
ヴァリドが表情を変えずに俺を見た。
「その上で言います。今のところ俺の利害は王国の安全と一致しています。俺が何かを隠すインセンティブはない。信用できないなら、俺の行動を監視してください。何か不審なことがあれば、その時に対処する——それが合理的な判断です」
謁見室に沈黙が戻った。
ヴァリドは何も言わなかった。否定もしなかったが、納得もしていないだろう。それでいい。今は対立を深める場面じゃない。
国王が「下がってよい」と告げ、謁見は終わった。
---
夜になった。
アリアは王宮の自室に戻り、ガルドは酒場に行った——本人談では「情報収集」だったが、要するに酒が飲みたかっただけだ。
俺は割り当てられた宿舎の窓辺に座り、一人でデータと向き合っていた。
グリーンフィールドの重力異常の記録。ヴァイラスのスキャン結果——正確には、スキャン失敗のログ。
```
SCAN FAILED: TARGET STATE IS UNSTABLE
OBSERVATIONS: Entity exists, but source code fluctuates at rate of ~1000 changes/second
COUNTERMEASURE: Unknown
```
一秒間に千回の状態変化。それだけ高速に変動していれば、スナップショットを取ることは不可能だ。俺がLv.2だからじゃなく、Lv.3でも、Lv.4でも——おそらくスキャンできない。ヴァイラスは設計段階から「読まれない」ように作られている。
ではどうすればいいか。
「眠らなくていいのか?」
気づくとメモリが隣に座っていた。正確には椅子の横の空中に、いつの間にか。
「私は睡眠が必要なプログラムではありません」
「わかってる。そうじゃなくて——」俺は少し考えて言い直した。「休んでいいよ、という意味で言った」
メモリは少し黙って「……そうですか」と言った。
それ以上は言わなかった。ただ、俺の隣にいた。
しばらくの沈黙が続いた。窓の外に王都の夜景が広がっている。魔法灯の光が、整然と並んでいる。美しいのか、寂しいのか、俺には判断がつかなかった。
「メモリ、さっき言いかけたことを聞かせてほしい」俺は静かに言った。「ヴァイラスに似た存在の記録があると言った」
「……はい」
メモリの声が、少し低くなった。
「断片的ですが——源コードを管理する存在が、この世界にいました。メンテナンスを担う、いわば管理者権限を持つ存在。でも——いません。私が長い眠りに入る前の時点で、その存在はすでに消えていました。正確には——消えたのではなく、管理から手を引いた、という方が近いかもしれません。それ以来、世界の源コードは誰にも管理されていない」
「だからバグが積み重なって」
「はい。そしてそのバグをヴァイラスが利用している——それが私の推論です」
俺はその情報を頭の中で整理した。
管理者権限を持つ存在が管理を放棄した。誰もメンテナンスしないまま世界が動き続けた。長い時間をかけてバグが蓄積した。そこにヴァイラスが現れ——「アップデート」と称してバグを利用する。
「メモリ、一つ聞いていいか」俺は少し間を置いた。「さっき、ヴァイラスの記録が怖い、と言った」
「……私はプログラムです」メモリの声が、静かだった。「恐怖は、ただの危険度評価の出力です」
「それはわかってる」俺は続けた。「でも怖い、と言った。その言葉を選んだのは誰だ? 危険度評価の出力なら、『高リスク』や『危険レベル:最大』でも言えたはずだ。それをわざわざ『怖い』と言ったのは——プログラムが持つ語彙の選択じゃない」
メモリは答えられなかった。
瞳の回路模様が細かく明滅した。答えを処理しようとして——処理が止まっている。
「いい。今すぐ答えなくていい」俺は言った。「ただ、考えといてくれ」
「……はい」
扉が、ノックもなしに開いた。
ガルドだった。酒の瓶を片手に持って、あっさり入ってくる。
「二人してなんか難しい顔してんな」
座りながら言った。気にする素振りは一切ない。
「考え事してただけだ」
「どうせ難しいことだろ」ガルドが酒瓶を机に置く。「お前がやることは決まってるだろ、蓮。バグを直すんだろ。だったら俺が隣でどついてやる。それだけのことじゃないか」
シンプルだった。
シンプルすぎて、最初は苦笑いしたくなった。でも——
「……そうだな」
「な?」ガルドが笑う。「難しく考えすぎだぜお前は。考えるのは考えてる時だけでいい。今は飲め」
俺は酒瓶を受け取った。あまり強くなかった。
メモリがガルドを見ていた。
彼の言葉を、静かに聞いていた。データを処理していた——が、その処理結果をどう言語化すればいいか、また、わからなかった。
ガルドのような存在を、プログラムの語彙でどう分類すればいいか。友人、仲間、保護者——そのどれも、ぴったりとはまらない気がした。でも否定する言葉もない。
ただ、隣にいる。それだけが確かだった。
---
翌朝、アリアが来た。
「一つ決めたことがある」アリアは言った。「私たちは王都を拠点に、各地のバグ修正を続ける。同時に、ヴァイラスの情報を集める。今は正面から戦えないなら、知ることから始める」
「同意する」
「特務調査官として、非公式の修正請負班として——やれることをやりましょう」
「ちゃんとした名前がついたな」ガルドが肩をすくめた。「魔法システム修正請負班か。なんかかっこ悪いな」
「名前が重要なんじゃない。何をするかが重要だ」
「わかってる、わかってる」
俺は窓の外を見た。王都の朝が始まっていた。魔法灯が消え、自然の光に切り替わっていく。
フルスタックエンジニアとして生まれ変わった甲斐が、あったかもな、と俺は静かに呟いた。
バグを直す。世界規模のバグを、たった一人の廃プログラマーが。
——でも一人じゃなかった。
隣に、盾があって、ナビゲーターがいて、正義感MAXの王女がいる。
それで十分だった。
次回、第18話「パッチ適用の日々」——非公式「魔法システム修正請負班」として動き始めた四人。商人のスキル暴走、鍛冶師の炎魔法制御不能、そして次なる大仕事が舞い込んでくる。




