第13話「メモリの起動」
全員で球体を囲んだ。
直径一メートルほどの金属製の球体は、光源がないのに内側から淡く輝いていた。表面を覆う回路の文様が、見ているうちにゆっくりと変化する——止まっているようで、微かに動いている。生きているか死んでいるかで言えば、生きていた。
「何だ、これは」とガルドが眉を寄せる。
「ストレージユニット」俺は答えた。「データを長期保存するためのシステムです。コンピュータで言えばハードディスクみたいなもの——情報を保持して、必要なときに取り出す」
「中に何が入ってる?」
デバッガーズ・アイで内部構造を展開する。
```
[STORAGE: Ancient Unit Type-IX]
容量: 使用中
格納プロセス: 1件
├ 名称: "メモリ"
├ 種別: system_navigator (システム・ナビゲーター)
├ 状態: HIBERNATING (休止中)
├ 整合性: 正常
├ 作成者: root_admin
└ 最終起動: 不明(記録なし)
起動プロトコル: 利用可能
認証: 要(管理者クラス)
```
「プロセスが一件格納されている。休止しているだけで、破損はしていない」
「プロセス——生き物ではないのか?」
アリアが慎重に問うてくる。
「生き物かどうかは起動してから判断します」
俺はインターフェースを探した。表面の文様のどこかが——起動コマンドを受け付けるはずだ。デバッガーズ・アイで走査すると、球体の北半球に相当する部分に認証プロトコルへのアクセスポイントが見えた。
起動する前に、悪意のあるコードが含まれていないかを確認した。一行ずつ精査する。敵対的なフラグはない。自己防衛機構も最小限だ。作成者の `root_admin` という識別子が気になるが——少なくとも今確認できる範囲では、問題ない。
「起動します」
俺が宣言すると、ガルドが反射的に盾斧を構えた。
「何が出てくる?」
「落ち着いてください。敵対的なプロセスではないと判断しています」
「……まあお前がそう言うなら」
ガルドは盾斧を構えたまま、ただし少し力を抜いた。
俺は認証プロトコルに、デバッガーズ・アイの権限情報を提示した。管理者レベルの認証には届かないかもしれない——それでも試す価値はある。
認証が通った。
球体全体が、白い光を放ち始めた。
じわじわと、ではなく——突然点灯したように、強く。ガルドが思わず一歩下がる。魔法師の一人が杖を構えた。でも光はそれだけだった。攻撃的な何かではない、ただ純粋に明るい光だ。
光が収束し始めた。球体の表面から離れ、その上方に——形が生まれる。
最初は輪郭だけだった。人型の輪郭。次に髪の色が現れた。水色だ。光の残滓を纏いながら、ゆっくりと広がる水色の髪。続いて肌の色、衣服の白さ、小さな体の輪郭——
少女が立っていた。
外見は十四歳ほど。身長は俺よりずいぶん低い。肌は透き通るように白く、白いワンピース状の衣服をまとっている。水色の髪は肩よりわずかに長く、重力に従って落ちていた。
そして両目が、ゆっくりと開いた。
深い藍色の瞳の中に——回路のような幾何学模様が走った。見ているこちらが吸い込まれそうな、不思議な奥行きを持った目だった。
「……起動完了」
声は静かで、どこか反響するような不思議な質感を持っていた。
「システム・ナビゲーター、識別子【メモリ】、オンラインです」
しばらく、誰も何も言えなかった。
少女——メモリは周囲をゆっくりと見回した。石造りの広間、散らばった石の破片、大勢の人間。その全てを淡々と認識しているような目だった。そして俺を見て、止まった。
「マスター認証プロトコルを開始します。起動を実行された方、識別子を提示してください」
俺はデバッガーズ・アイで自分の識別子を提示した。
メモリの瞳の回路模様が一瞬激しく動いた。データを高速で照合している。
「……確認。桐島蓮。源コードの読み取り・改変権限を有する観察者クラス。管理者相当として認証します——マスターとして登録完了」
少女が俺に向かって、短くお辞儀をした。
「よろしくお願いします、マスター」
「よろしく、メモリ」
メモリが再び俺を見た。感情があるのかないのか、判断がつきかねる目だった。処理しているのか感じているのか——その境目が、見ている側からは見えない。
「——よろしく、マスター」
もう一度、今度は少しだけ間を置いて、言った。
「待ちなさい」
アリアが一歩前に出た。
目が鋭い。これは彼女の「疑っている」目だ。正義感が強いということは、同時に警戒心も強いということだ。
「この存在の目的は何? 管理主体は? 王国に対して危害を加える可能性は?」
矢継ぎ早に問い、答えを求める視線をメモリに向けた。
メモリはアリアを見た。感情の読めない目で、しかし真正面から。
「目的:世界の源コードの管理補助。管理主体:現在はマスター認証者。危害:加えません」
一拍。
「——ただし、それを証明する手段が現時点で私には存在しません」
正直な回答だった。嘘をつく気も、誤魔化す気もない——そもそもその概念が搭載されていないのかもしれない。
アリアが俺を見た。
「……保証できるか?」
「彼女を保証します。同行を」
「根拠は?」
「コードを全部確認しました。敵対的なフラグは一切ない」
アリアは三秒ほど黙った。三秒間、完全に無言で考えていた。
「——わかりました。ただし何か異常があれば即座に」
「ええ」
「わかりました、アリア様」とメモリが言った。「監視は合理的な判断です」
アリアがわずかに眉を動かした。「監視は合理的」という言葉を肯定されたことに、少し面食らったのかもしれない。
その瞬間、ガルドが動いた。
大きな体が、ゆっくりとメモリの前に立った。腰に下げていた携行食を一つ取り出して、メモリに差し出す。
「なんだかよくわかんねえけど」とガルドは言った。「お前も生きてるんだから、飯食えよ」
メモリはその携行食を見た。
二秒。三秒。
何か処理しているような間があった。
「……私は、食事を摂取する必要があるプログラムではありません」
答えながら——手が、携行食に向かって伸びていた。
受け取った。
両手でそれを持ち、じっと見る。皮膜に包まれた乾燥した携行食を、まるで未知の物体を解析するような目で。口元に近づけて、小さくかじった。
「ただ、この行為が……なぜか——」
メモリは小さく止まった。
「——心地よいと判定されています」
その一言が、石室の空気を変えた。
「心地よい、か」俺は思わず笑った。「データ的な判定として、そういう処理が起きているということですか?」
メモリが俺を見た。
「……これはデータです」
やや速く言った。
「私はデータを処理しているだけです。快・不快の値を出力しているに過ぎません。感情とは異なります。全て数値的な処理の結果です」
自分に言い聞かせているような——わずかに急いた口調だった。
「まあ美味いならよかったじゃないか」
ガルドが何も考えていない顔で言った。
メモリはその言葉に、何も返せなかった。
美味い——その判定は、確かに出ていた。データとして。〇・七八の高スコアで。
俺はその光景を黙って見ていた。
人工精霊が携行食をかじっている。Bランク冒険者がそれを満足そうに見ている。第二王女が複雑な表情で腕を組んでいる。ダンジョンの最深部で、なんとも言えない時間が流れていた。
装置のあった場所を離れる前に、メモリが低い声で言った。
「マスター、一つ報告しなければなりません」
「何?」
「この世界の源コード——」
メモリは少し間を置いた。
「私が眠る前よりも、ずっと汚染されています」
「汚染」
「はい。外部から意図的に注入された異質なコードが、広範囲にわたって世界の基幹コードに混入しています。私が眠る以前から劣化は進んでいましたが——今はそれよりもずっと、複雑に、深く」
石室が静まりかえった。
俺は「汚染」という言葉を頭の中で転がした。
単なるダンジョンの暴走ではない。世界そのものが、少しずつ、侵されている。
次回、第14話「汚染されたコード」——最深部のホールで発見された真実。ダンジョンの暴走の根本原因は、意図的に仕込まれたウイルスコードだった。そして汚染は、ダンジョンだけではなかった。




