第10話「サンドボックスの呼び声」
王都の冒険者ギルドに「Sランク緊急依頼」の掲示が出た——という情報は、午前中のうちに王城へ届いた。
アリアは一時間後に現れた。
ギルドの会議室に六名が集まった。蓮。ガルド・スタック。王宮魔法師が二名——エルと呼ばれる四十代の男と、カイという二十代の女性。ベテランの斥候がもう一名、フィリップという寡黙な中年男だ。
アリアが立った。
「調査隊の目的は、ループ遺跡内部の状況把握と、Aランクパーティの生存者捜索です。戦闘は可能な限り回避してください。情報収集を最優先とします」
魔法師のエルが「王女殿下、Gランクの方を調査隊に加えるのは——」と言いかけた。
「死にたくなければ全員、桐島蓮の指示に従ってください」
アリアが言い切った。
エルが口を閉じた。カイが俺を見た。フィリップが表情を変えずに壁を向いた。ガルドが「えらい言いようだな、王女様も」と笑った。
俺は少し居心地が悪かった。アリアがそこまで言い切るのは、ありがたいが重たい。
「……できる限りのことをします」俺は答えた。
---
ループ遺跡は、王都の城壁外——北西方向に三時間ほど歩いた場所にあった。
馬車で向かう途中、ガルドが隣に座って盾斧を磨いていた。
「あの72時間ってのは確かな情報か?」
「はい。世界のシステムログから読み取りました」
「システムログ」ガルドが反復した。「世界そのものが記録をつけてると?」
「この世界の裏側には、全ての出来事がログとして記録されていると思います。私にはそれが見える」
「便利なんだか怖いんだかわからん目だな」ガルドが斧の刃を磨きながら言った。
「私もたまにそう思います」
「ところで」ガルドが声を下げた。「王女様はなぜお前をそこまで信頼する?」
「廃村のデータ消失を最初に発見したのが私だったからだと思います。彼女の論理魔法では読み取れなかったものが、私には見えていた」
「そういうことか」ガルドが顎を撫でた。「なら俺はお前を信頼する理由がある。お前は俺のことを、俺が知ってることを知ったうえで言った。その誠実さは本物だ」
俺は答えなかった。ガルドが「ツレーな」と笑った。
---
ループ遺跡の入り口は——予想より静かだった。
石造りの門が半壊した状態で残っている。古代文字らしき文様が刻まれているが、石の劣化で判読できない。周囲の草木が、自然の範囲を超えて無秩序に茂っている。いや——無秩序ではなく、「秩序のパラメータが壊れている」のかもしれない。
入り口の手前で、蓮はデバッガーズ・アイLv.2を発動した。
視界に半透明のコード列が流れ始めた。
Lv.1の頃は「文字が見える」感覚だった。Lv.2は——「文字の意味まで読み取れる」感覚だ。コードが持つ意図が、直接頭に入ってくる。負荷は高いが、情報密度が段違いだ。
そして——気づいた。
「このダンジョン、大陸の源コードとは独立した名前空間で動いています」
「名前空間?」カイが聞いた。
「プログラミング用語で言うと——変数や関数の定義が適用される範囲のことです」俺は言葉を選んだ。「たとえば『重力』という定義が大陸全体に適用されているとします。でもこのダンジョン内部は、その『重力』の定義が適用されない独自の空間として実装されている」
「外部の物理法則から切り離されているということですか」アリアが言った。
「はい。『サンドボックス(隔離実行環境)』として実装されている——そう読めます」
「サンドボックス」とフィリップが、初めて口を開いた。「聞いたことがない単語だ」
「外側の世界とは別のルールが適用される隔離空間だと思ってください」俺は答えた。「外で何が起きても外には影響しない——だから誰かに都合がよかった」
誰かに。
その言葉が、空気に染みた。
「誰かが意図的に設計したものだと?」アリアが言った。
「このダンジョンが自然にできたとは考えにくい。自然発生で『外部の物理法則から独立した名前空間』が形成される可能性は、ほぼゼロです。誰かが意図して作った」
ガルドが盾斧を持ち直した。「面倒くさい話だな。でも前に進むしかないだろ」
「そうですね」
---
調査隊がダンジョンに踏み込んだ。
内部は——おかしかった。
デバッガーズ・アイを使わなくても、体が先に感じ取った。足を踏み出すたびに、床が微妙に「位置がずれている」気がする。踏んだ感触より数センチ低い。
天井が遠すぎる。目測で十メートル以上あるが、外から見た建物の高さと一致しない。内部空間が、外部の容積より大きい。空間の定義が、外部の物理法則から切り離されているという証拠だ。
壁の模様が繰り返されている——しかし非対称に繰り返されている。完全に同じ模様が二回ではなく、少しずつ「壊れた」形で繰り返されていた。これはバグだろうか、それとも意図的なデザインだろうか。
「魔法の……感触がおかしい」
エルが立ち止まって言った。「霊感探知を使おうとしたのですが——引っかかりがない」
「サンドボックス内は一部の魔法APIが制限されています」俺は言った。「外部の世界に接続する処理は使えないと思ってください。霊感探知は外部の感知網に繋がる仕組みですか?」
「……そうです。他の術師が張っている感知の網を共有する形で機能するのですが」
「なら、ここでは動かない。外部ネットワークへの接続がサンドボックスによって遮断されているはずです」
エルが渋い顔をした。「では私の主力魔法が使えないと?」
「外部依存していない魔法は使えるはずです。完全にローカルで処理が完結するもの」
「炎魔法や衝撃魔法は……」
「おそらく機能します。空気と熱は、このダンジョン内部にも存在する」
---
第一層の通路を進む間、俺は壁面を流れるコードを読み続けた。
ループ遺跡の内部構造は——通常のダンジョンとは根本的に異なっていた。通常のダンジョンは「モンスターのスポーンポイントと地形データの定義」が主体だ。しかしここは、ダンジョンそのものが「プロセスとして動いている」感覚があった。
壁のコードが「生きている」。変化している。俺が歩くたびに、壁の定義が微細に書き換わっている。まるでダンジョンが、侵入者を観察しているようだった。
「フィリップさん」俺は斥候に声をかけた。「前のパーティが消えた方向はわかりますか」
「第二層への降り口が通常より三十メートル南にあった——という記録があります。しかし今の俺の感覚では、南に向かうほど空間が圧縮されている感じがある。距離の感覚が信頼できない」
「空間圧縮。確認します」
走査すると——フィリップの感覚は正しかった。南方向の空間定義が、通常の0.7倍に圧縮されている。つまり、南に向かって歩く距離感は実際より遠く感じるが、実際の移動距離は少ない。逆も然りで、戻るときは遠く感じても早く戻れる。
「南に向かうと距離感が狂います。実際の距離より三割短い。戻るときは逆に、思ったより早く出口に着くはずです」
「距離感が違うのか……」カイが呟いた。「Aランクパーティが迷ったとしたら——」
「距離感の狂いを知らずに奥に進んで、戻れると思ったら実際には出口がずっと遠くなっていた、という可能性があります」
アリアが「救援優先ルートの確保を」と副官に通信魔法で伝えていた。
---
第一層の突き当たりに差し掛かった頃、俺の視線が一点で止まった。
通路の行き止まり——苔に半分覆われた石壁だ。
しかしその石壁に刻まれているのは、古代文字ではなかった。
現代語だ。
しかも——刻まれた年代が古い。石の劣化具合から、少なくとも数百年は経っている。なのに、文字は現代語だ。
「……」
俺は近づいた。
ガルドが「何かあったか」と声をかけてきた。アリアも歩み寄ってきた。
石壁に刻まれた文字を、ゆっくりと読む。
一行だけ。
---
「——ようこそ、観察者よ。あなたは正しい目を持っている」
---
俺は声に出して読んだ。
フロア全体が静まり返った。
「観察者」という言葉が、このダンジョンの空間に響いて消えた。
ガルドが「何だこれは」と低い声で言った。アリアが「古代の文字ではない。現代語が、何百年も前に刻まれた」と静かに言った。エルが「呪術の可能性は——」と言いかけて、止まった。カイが壁に手を触れようとしたので「待ってください」と止めた。
俺はデバッガーズ・アイでその文字を走査した。
文字には——コードが付随していた。情報タグのような形で、文字列のメタデータが記録されている。
```
[inscription_metadata]
記録者: 不明
記録日時: 推定420〜450年前
対象条件: この刻文が表示されるのは
「Debugger's Eye またはこれに準ずるスキルを持つ者」
のみ
付記: このメッセージは、あなたのために残した
```
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
この刻文が「見える」のは、俺だけだ。
デバッガーズ・アイを持つ者——またはそれに準ずるスキルを持つ者だけに、この文字が見えるように実装されている。フィリップも、エルも、カイも、ガルドも——そして、おそらくアリアの論理魔法でも——この文字は見えていない。石壁の模様として認識されているだけだ。
「皆さんには見えていますか、この文字」
「……壁の模様しか見えない」ガルドが言った。
「見えない」アリアが静かに言った。
「俺だけに見えているんですね」
これはダンジョンの自然生成ではない。
誰かが——四百年以上前に——俺のような目を持つ人間がここに来ることを知って、この文字を残した。
「あなたのために残した」と書いてある。
---
俺はゆっくりと振り返った。
「このダンジョンは、誰かが意図的に作った——そして、その誰かは、私がここに来ることを知っていた」
フロアが静かだった。
ガルドが「随分と重たい話になってきたな」と言った。重さに似合わない明るい声で。でも俺は感謝した。あの声がなければ、空気が壊れていたかもしれない。
アリアが俺を見た。その目が、何かを考えている。
「続きはあるのですか」
「ないようです。一行だけです」
「……それで十分です」アリアが言った。「このダンジョンに、あなたを待っていた存在がいる。それは確かなことです」
俺は仕様解析ノートを開いた。
書き留める手が、わずかに震えていた。
震えの理由が、恐怖なのか興奮なのか——自分でも判断がつかなかった。
次回、第11話「デッドロック・フロア」——第二層で調査隊は行き止まりに直面する。脱出不可能なループ構造に囚われた蓮が、この世界の「設計者」が残した最初のヒントを発見する。




