第1話「三十六時間目のブルースクリーン」
目を開けた瞬間、俺はすべてを理解した。
理解した——というより、目が「読んだ」と言ったほうが正確か。
空がある。木がある。地面がある。草がある。風が吹いて、木の葉が一枚、くるくると舞い落ちている。
全部、文字列だった。
空の青は、`background_color: #87CEEB / opacity: 0.94 / cloud_coverage: 0.23`というパラメータの塊だった。
幹に粗い質感を持つ古木は、`Object: OakTree_A / mesh_lod: 3 / age: 142yr / durability: 8400/9000`と定義されていた。
くるくると舞い落ちる葉一枚一枚にまで——`Leaf_Instance #7741 / fall_velocity: -0.8m/s / rotation: 23.4deg / material: dry_autumn`と、律儀にパラメータが書かれていた。
「……なんだ、これは」
声を出そうとしたら、掠れた音が出た。喉が渇いている。体が痛い。地面——というより、なんらかの草の上——に横たわっていたらしく、背中に土の感触がある。
プログラマーとしての本能が、先に動いた。
酸素より先にコードが目に入った。これは——職業病か、それとも別の何かか。脳が「これはオブジェクト定義だ」「あれはループ処理だ」「この構造はデータベースのスキーマに似ている」と、起動したばかりのコンパイラよろしく自動解析を始めていた。
言語は見たことがない。プログラミング言語として分類するなら、どこかCに似ていて、どこかSQLに似ていて、でも根本的に別物だ。なのに読める。意味が入ってくる。翻訳機能ごと、この目に最初から組み込まれているような感覚だった。
視界の右隅に、赤いアラートが点滅している。
```
[WARNING] Entity in danger detected
Distance: 84m / Direction: NE
HP threshold below 60%
```
走査する暇もなかった。
轟音が、悲鳴とともに耳を叩いた。
---
飛び起きた——正確には、ふらつきながら立ち上がった——時、最初に目に入ったのは少女の輝く銀髪だった。
森の中だった。鬱蒼とした木々の合間に、人影が複数。少女を中心に、鎧を着た騎士たちが輪を作っていた。その外側に——緑色の、小さな、しかし凶暴そうな生き物が、十数体。
ゴブリンだ。
知っている。本でしか知らないが——あれが、ゴブリンだ。
デバッガーズ・アイ、とでも呼べばいいのか、その感覚が自動的に動き始めた。少女の頭上に、情報が展開される。
```
NAME: アリア・フォン・ロジカ
CLASS: 王族 / 第二王女
HP: 380/400
MP: 290/320
SKILL: 論理魔法 Lv.4 / 精霊言語 Lv.2
WARNING: 現在パーティに命の危険が迫っています
```
ステータスが、丸見えだ。
次の瞬間、意識がゴブリンたちへ向かった。個体ごとに情報が展開される。
```
Goblin_Scout #01: HP 42/42 / ATK 18 / speed: 4.2m/s
→ collision_left_foot: delay 0.3s [ANOMALY]
Goblin_Warrior #03: HP 68/68 / ATK 31 / speed: 3.1m/s
→ hate_management: [LOOSE] (前衛注視率: 61%)
Goblin_Scout #07: HP 39/42 / ATK 18 / speed: 4.2m/s
→ current_target: [SWITCHING] (不安定)
```
全部、数値で定義されている。
右端の個体は左足のコリジョン判定が〇・三秒遅延している——つまり、左から斬られたとき、回避が遅れる。真ん中の個体はヘイト管理が甘く、前衛から目を離す癖がある——つまり、後衛が動けば、それに引っ張られる。
デバッグリポートを読むような速度で、俺は全個体のパターンを把握していた。
気づいたときには、叫んでいた。
「右の騎士! 今すぐ左に一歩踏み込んで斬れ! 右側から来てる個体の足に遅延がある!」
騎士が振り返った——一瞬の判断が光った——次の瞬間、右端のゴブリンが脚を断ち切られて倒れた。
「中央の個体に後衛が動いて意識を引け! ヘイトが散る! 前衛が一斉に叩ける!」
「何者だ、お前は!」騎士長らしき人物が怒鳴った。
「説明は後で! 今は動いてください!」
指示が通る。
ゴブリンの動作パターンをリアルタイムで読み続けた。各個体の次の行動が、コードとして見えている。どこに動くか。どのタイミングで攻撃判定が発生するか。どこに死角があるか。
「六番と七番が連携攻撃を組もうとしている! 間に割り込んで分断しろ!」
「あの大きいやつ——三番——HP高めだが、ヘイト管理が最悪だ! 一人が派手に動き回れば、他の騎士が背後から叩ける!」
「今! 左後方の二体が視野外に出る! 今なら安全に個別撃破できる!」
数分後。
ゴブリンの群れは散り散りに撤退していた。
---
静寂が戻った森の中で、少女がこちらを向いた。
銀髪が風に揺れている。整った顔立ちだが、それより目が印象的だった。灰色がかった青の目。感情を表に出しているわけじゃない。でも——観察している。計算している。こちらを、データとして処理しようとしている目だ。
「……あなたは、何者ですか?」
声は静かだった。驚愕でも、恐怖でも、感謝でもなく——純粋な情報収集としての問いだった。
同族だ、と思った。論理で動くタイプの人間だ。
「桐島蓮です。蓮、でいいです。正直、自分でも何者なのかよくわかっていませんが」
騎士長が割り込んだ。「このお方のステータスを確認しましたが——戦闘スキルが一つもございません。『デバッガーズ・アイ』という見慣れないものが一つあるだけで……」
「存じています」
アリアが静かに言った。視線は俺から外れない。
「存じています——と言っても、今確認したわけですが。スキル一つ、戦闘系ゼロ。それで十数体のゴブリンを相手にあの指示を出せた。……興味深い」
論理的な目だった。不信と好奇が混在した、計算する目だった。
---
ここで、記憶が滑り込んできた。
桐島蓮、二十八歳、東京。
画面の前に倒れていた。床の冷たさが頬に触れていた。三十六時間の連続勤務の末、心臓が止まった瞬間——走馬灯の代わりに、視界に浮かんだのはコンソール画面だった。
```
System.TransferSoul()
新しいランタイムへの魂の移送を実行しますか?
Target: World-CODEX v1.7
[Y/N]
```
思考が半分機能不全の状態で、俺は習慣的に「Y」を叩いた。エンジニアの性だ。「確認ダイアログが出たら、とりあえず処理を進める」という癖がついていた。
それが——ここに来た理由だ。
転生、というやつか。ファンタジーの話でしか聞いたことがなかったが、まさか自分が経験するとは。
しかも目が覚めたら、世界がコードで見えていた。
---
「王都にいらしてください」
アリアが言った。護衛の騎士たちが、わずかに空気を変えた。
「あなたの目——この国には必要なものかもしれません」
「必要……どういう意味ですか」
「そのスキルで、世界のコードが見えているのでしょう?」
俺は黙った。
「いくつか確認を。あのゴブリンたちの弱点を、あなたはどうやって把握しましたか」
「……ステータスというか、パラメータが見えました。行動パターンが数値で定義されているのが——」
「やはり」アリアは頷いた。「あなたのスキルは、世界の定義情報を直接読み取るものだ。そういうスキルの存在は、古い記録にあります。非常に稀少な——」
「王女様」騎士長が遮った。「移動を急がねば日が暮れます」
「わかりました」アリアはこちらに向き直った。「詳しい話は王都で。必ず来てください。強制はしませんが——あなたにとっても、来る理由があるはずです」
銀髪が翻った。一行は移動を始めた。
---
ひとり残された俺は、改めて自分のステータスウィンドウを開いた。
意識を向けると、ふわりとウィンドウが展開する感覚があった。そこに並んでいるのは——
```
NAME: 桐島蓮
CLASS: ???
HP: 220/220
MP: 180/180
ATK: 8
DEF: 5
SKILL:
Debugger's Eye Lv.1 — READ_ONLY
```
スキル欄に、一行だけ。
`Debugger's Eye Lv.1 — READ_ONLY`
チートスキルが一つもない——さっきの騎士長の言葉が、耳に残っていた。戦闘スキル、生活スキル、魔法スキル。何もない。あるのはこれだけだ。しかも`READ_ONLY`。書き換えはできない。ただ読めるだけ。
俺は苦笑した。
転生したら無双スキルが手に入る——そういう話じゃなかったのか、と思わないでもない。でも——
視界の中で、風が揺らす草がパラメータを持っていた。遠くを飛ぶ鳥に`bird_sparrow_A / speed: 12.4m/s / stamina: 84/90`と表示された。地面の石ころ一つにまでIDが割り振られている。
使えるところから使う。
それが、エンジニアの基本だ。
書き換えができなくても、読めれば、分析できる。分析できれば、最適な判断ができる。今日だって——戦闘スキルが一つもなかったのに、あの群れを散らせた。
世界がコードで見えるなら——俺はまず、この世界の仕様を把握する。
コードを読めるエンジニアが最強になれる局面というのは、必ずある。
次回、第02話「Hello, New World」——辺境の村「ログ村」、疑り深い老村長、そして三日後に起きた小さな奇跡。




