盗み聞き
雪国へ訪れた旅人達が泊まる旅館の仲居の野風は、中庭に立つ提灯の光を反射させるほどにぴかぴかな長い渡り廊下をまっすぐ行ったところ、一番端の部屋へ向かっていた。
その部屋に宿泊しているお客様が、布団を1枚追加で持ってくるよう要求したのだ。
部屋の前に着くと、膝を曲げ着物の袖口を片手で抑えながら襖を軽くノックした。
「お客様 おられますでしょうか?
布団を1枚持って参りました」
襖の奥から「おーっ入っていいぞ」と中年男性の声で返事がきた。
ゆっくり襖を開け、両手を床につけ深く頭を下げた後、「布団、お持ちしましたので、こちらお使いくださいませ」と言った。
中年の小太りで浴衣姿が馴染むこのお客さんは、野風に優しい笑みを浮かべ、ありがとうと言った。
そして、続けて話した。「俺は昨日からここに泊まっているんだがな、昨日の夜隣の部屋の笑い声が大きくて眠れないんだよ、今日朝食を持ってきた中居にも言ったんだが、隣の部屋は使っていないって言われてな」
野風は言った。
「はい、隣の部屋は使っておりませんよ、なので笑い声は隣ではなく、そのまた隣の部屋かもしれないです。念の為、注意を促しておきます。この度は失礼しました」
野風は丁寧に謝ったが、お客さんの話し方は荒くなり、こう返してきた。
「いやいや、なわけないだろ、こんな近くから聞こえるんだ、話し声も、、、
今さっきも聞こえたんだぜ」お客さんは牙をはやした虎の描画が飾られた壁に目線を移した。
野風もつられる様に壁へ目線を移し、しばらくしーんと静まる。
しかし、壁の奥から何か聞こえる事はなく、野風はお客さんに目線を戻すと「では、また聞こえた際に、中居を呼んでいただけたら、部屋を再度部屋を確認致します。」
お客さんは「おー」と腑に落ちない様子で引き下がった。ほんとは部屋を変えてあげたいところだが、今は空きなどない。
11月になれば雪が降り積もる。今年はやけに冬が来るのが早かった、この地域は冬の景色とそれを眺めながら浸かる温泉こそが旅人たちのメインなのだ。
野風は襖を閉めると、襖を眺めたまま立ち上がり、隣の部屋に視線を移した。
この部屋は使われていない、噂としてはこの部屋が霊道になっていて、使っていた頃は宿泊客が不可解な体験をしたりなどで悪い噂が広まった。
以降、この部屋は使わなくなったという事だが、実際のところ女将しか知らない。部屋の襖の敷居の凹凸が歪んでいるのか、建て付けが悪いのか、開けづらくなっている。だが誰も無理に開けようとしない、部屋の中が気になっても無理に開けようとすれば軋む音が響く。
野風はこの部屋の前で止まると、襖に手をやって耳をつけた。なんの笑い声も音もない。
風の襖を突き抜ける音を人の笑い声だと勘違いしたのだろう、お客さんが泊まってるあの部屋に宿泊する人たちは、みんな同じクレームをしてくる。中居にとって日常茶飯事だ。
使われない部屋を通り過ぎたところ、「うふふふ」と数人の男性たちが笑う声が微かに聞こえ、野風は足を止めた。
しーんと静まる中、耳を澄ますと「ははは」とやはり笑い声が聞こえてきたのだ。
野風は唖然として、誰かいる?そんなわけが!と思いながらも好奇心で使われない部屋の前に戻り、再び襖に耳をつけた。
襖の奥から微かに話し声が聞こえてくるのだ。
「あの仲居はもうすぐおめでた」
「あの仲居って?おかっぱのさっきの女?」
「あの仲居じゃねぇよ、団子ヘアーの美人な方だ」
「あの子も可愛いけどなぁー」
「俺が言ってるのは団子結びの方だ、あいつのお腹には子供いる、まだ秘密にしてるけどな」
「相手は?」
「厨房でずっとマグロを捌いてる男だぜ」
数人の男達がいっせいに驚く声が聞こえる。そして会話は続いた。
「あの男、嫁いるよな?」
「あぁ、本妻を愛してるけど、遊び心ってところだな、女の方は本気で男に恋してる」
「はっはー、そんなイケメンじゃないのにあいつはなぜモテる?」
「目に見えない色気を纏ってんだよ」
会話はずっと続いている。襖から野風が盗み聞きをしている事を気付いてないようだ。
団子ヘアーの女、、、野風の頭に思い浮かんだのは、2つ先輩で松田 雪という中居だ。そして厨房のマグロを捌いてる男というのは、おそらく佐藤 庄司さんというシェフのこと、2人が関係を持っているのは初耳だ。
だが今はそれどころじゃない、確かに部屋の中に誰かいるそれも少数だ、野風は襖を開けようとするも、やはり硬くてすぐに開かなかった。
襖の軋む音に紛れて、「やばいぞ!」「誰かいる!?」と慌てる声が聞こえてきた。何か引っかかってた部分を力づくで引くと、勢いよく両サイドにひらかれた。
壁におもいっきり当たる音と舞う埃が漂っていた。目の前には何一つ家具の置かれてないまっさらな和室が広がり、正面奥の床の間には5体のたぬきの置物が並べられ、その後ろには狐の親子が描かれた縦長の絵画が飾られていた。
しかし人は1人もいない、寝床をふさぐ襖などなく隠れる場所などない。野風は息をのみ、急いで襖を閉めた。
着物で大股に走れないが、小走りでスタッフルームへ急いだ。
スタッフルームの中は客室とそう変わらない室内となっている。部屋には同期の仲居の皐月だけが部屋でくつろいでいた。
野風は、周りに人がいないのを確認しながら座ってテーブルの真ん中に置かれたみかんを食べるさつきの元にスライドする様に座り込むと、肩を強引に揺らしながらさっき起こった話をした。
半眠状態の皐月は面倒な雰囲気を漂わせながら野風の話に耳を傾けた。
今にも閉じそうな目を、閉じかける度に目を大きく見開く。
「あんた、変な事を、、、んなわけないでしょ〜」
「わかってるけど、誰もいない部屋で話し声が聞こえたって!」
「あんた眠る時は耳を布でつつみなさい、冷やしすぎて幻聴聞こえてしまってんのよ」
「そんな分けないでしょ!!」
話を聞いてる時こそ、頷いて聞いてくれてたが話し終わったら、やはり否定された。野風はあれは幻聴だったのか?とあの時の状況を何度も頭でリプレイしながら、その日の業務を終えた。
次の日も、話し声が聞こえた使われてない部屋を通りかかる時は小走りで過ぎた。
しばらく声や音がその部屋から聞こえてくる事はなく、その隣の部屋に泊まるお客さんからもクレームはなく、あれは気のせいだったのかと思い始めた頃、雪さんが女将に妊娠していると打ち明けた。
女将は朝礼の時に旅館スタッフ達に、事情を説明し雪さんが退職すると話した。みんなはめでたい話だと思い、雪さんは祝福の言葉を浴びた。
雪さんは既にいい人ができて、その人のところへ行くと話だがその目は心ここにあらずといったところだ。
野風がおろしたての敷物を作業台で畳んでいる時、皐月が焦った様子で部屋に入ってきた。
そして、話し声のする使われてない部屋の話をした。
「ねぇ、ねぇ、前に雪さんの妊娠の話をしてたわよね?当たってるわ」
「そうよね!妊娠、、、当たってわね、なんでだろう?」
「雪さんからこっそり聞いてた?」
「いいえ、そんなわけ、、、」
女将が旅館スタッフ全員の前で雪さんの報告をした時から鳥肌が止まらなかった、しかし相手の事を知るはずもない私が、たまたま聞いたあの話し声で誰よりも先に知っていた。
雪さんがみんなに最後まで隠している事実も。
野風は、客室へ食事の準備を終えたところでその部屋を通りかかった。そのまま通り過ぎたが、あまりに気になって、もう一度その部屋の前に戻った。
そして、その部屋の襖に耳をつけ何か聞こえたりしないか?と試した。
すると、
「明日、ボーナスが入るぜ、仲居たちはいつもより張り切って仕事するだろうよ」
「まじで?!この旅館も儲かってるな」
「いや、でも明日大雪で一番端っこの物置部屋の屋根が崩落するぜ」
「えぇ、客室じゃなかっただけ助かるな」
「まぁな、でもいらない出費で女将はご機嫌ななめだろうよ、それにあのマグロ捌き男と団子ヘアーの女との関係は、スタッフの誰かが暴露してしまうのさ」
野風は唖然としながら聞いていた。その不可解さに自分の耳を疑う。
しばらく会話が続いたが、今回は前回のように襖を開けるのはやめて、ゆっくり耳を離し、数本後ろへ下がるとひたすら襖を見続けた。
やがて話し声は聞こえなくなったが、しばらくして自分の幻聴をまた疑った。会話の内容を思い出した、明日女将の耳に雪さんのお腹の子供の父親が庄司さんである事、ボーナスが入るが物置部屋の屋根に雪が積もり崩落すること、、、明日これらがほんとに起これば、これは幻聴ではない。
野風は明日にかけてみる事とした。
その日は大雪だった、男性スタッフ達が積もった雪を端へ追いやっている。屋根の上にも数名の男性スタッフ達見える、昨日の盗み聞きは幻聴か?
野風はいつも通り出勤、朝礼の時に女将からボーナスというワードが出てくるのを待っていたが、それはなかった。やっぱりあれは自分の頭がイカれているに違いない、そう確信へと向かっていった。
皐月は気だるそうに野風のところへ来て、背後から肩に頭を潜る。「あぁー、雪やばっ、退勤までに積もった雪が溶けてますように」
「それを祈る前に、雪が止んでます事をお願いしなさいよ」
皐月は顔を上げると鼻を摩った。鼻の先は赤くなっていた、旅館内は暖房が効き寒さこそないが、その分外に出る時の勇気は更に必要になる。
皐月は寒がりで、冬の間はまるで風邪でも引いてるかのように何度もくしゃみをしている。「こうちゃんから薬もらってこよー」そう言って、野風のそばを離れた。
こうちゃんは同期で、厨房の若手シェフだった。
ふと、野風の妄想でこうちゃんが庄司さんから本当の話を聞いて、女将も真実を聞いてると思い込んで口を滑らせてしまう。
「やばいかも、、、」庄司さんも一緒に厨房で働いてる、、、そう思った野風は、皐月を追いかけた。
こうちゃんは、厨房で目を尖らせながら包丁を研いでいた。
「こうちゃーん、風邪薬持ってない?」皐月と野風は厨房の入り口から顔を覗かせ、こうちゃんを呼んだ。
集中していたところを邪魔されたこうちゃんは、包丁から目を離さないがぼーっと相槌だけで反応する。
待つ事2分、皐月の顔も限界の表情へ崩れ始めた頃、やっと猫背の上半身を起こしこちらを振り向いた。
「お前風邪気味かよ」そう言って、厨房を出ると皐月と野風を追い越してロッカールームへいった。
2人もついていきロッカールームへ入った。こうちゃんがロッカーの中を探って長方形の箱を取り出すと、皐月はその中から錠剤を一つ取り「ありがとうー」と目を細め眉間に皺を寄せ、くしゃみする前にロッカールームを出た。
野風はこうちゃんと2人っきりになったタイミングで「ねぇ、雪さんの妊娠のこと聞いた?」とこうちゃんに聞いた。
「あっ!聞いた!」
こうちゃんは動きを止め、顔だけを野風に向けた。
「何か、、、聞いてる?」
「何が?あー誰に?」
こうちゃんの反応を見て、野風は「やっぱいいや!ありがとう」そう言ってロッカールームを出た。
そして確信した、こうちゃんは庄司さんと雪さんとの関係に気づいている。でなきゃ、何か聞いてる?と言って、「誰に?」と言う答えは出ないだろう、それは無意識の内に特定の人を指している気がする。
こうちゃんが女将にバラす前に、女将とこうちゃんが2人っきりになるところを避ければ、襖の向こうから聞こえた話は、また一つハズすことができる!
その日、野風は女将とこうちゃんを見張りながら仕事をした。客室へお呼びがかかった時も、早々と仕事を終え裏に戻っていった。
しかし、とうとう女将から怪しまれ「野風!何を企んでるの?、何か聞きたいことでもある?」と聞かれた。
「いいえ、何も女将さん、、、」野風の目は泳いでいた。その反応を見据え、「誰からか聞いたの?」と女将は微笑んで聞いた。
「いいや、、、何をですか?」野風が聞き返すと、質問を質問で返す癖はやめなさいといつも言っているんだけどね、、、と不満を漏らしながらも女将の好機嫌な表情は変わらず、続けて言った。
「誰にも言わないでよー」そう言って、数十枚の茶封筒の束をテーブルの下から取り出し、中から一枚取ると畳に残りを置いた。
そして、遠くにいる野風に手招きした。
「野風、お疲れ様。ボーナスです」
「えぇ!!ボーナス」思わず声を張り上げると、女将は慌てて人差し指を口に当てた。「サプライズよ、内はあまりボーナスとやらがないと思われてるからね、皆さんのおかげでこの旅館も運営できてます。ありがとうね」と言った。野風は微笑み返し、スタッフルームを出た後、すぐさまあの使ってない部屋へ駆け出した。
部屋の前で息を整えると、息を殺しもう一度、襖に耳をつけた。何も聞こえない、しばらく待っていれば聞こえてくるはず、、、そう思っていると、
ドーン!と大きな音がした。野風は自然と襖から耳を離し、来た方向へ顔を向けた。廊下はスタッフ達の走る音と振動が強く伝わり、隣の部屋に宿泊していた女性客が「何事?」と言って襖から顔を覗かせている。
その女性客に一言も返さず、野風も音のした方へ走って行った。
足を滑らせ、バランスを崩しかけるもギリギリのところで転ばずに踏みとどまった。
そして、目先から凍えるほどに寒い風が吹き抜け、粉雪が部屋を漂った。
「雪が積もったんだ!屋根が崩落した!女将を呼べ」
男性スタッフの焦った怒鳴り声と、中居たちの驚く声やこそこそと話す声が聞こえてきた。野風は目を大きく見開いてその風景を見ていた。
背後から皐月が走ってやってきた。「野風!?何があっ?、、、大丈夫?」皐月も野風と一緒の目の前の光景に唖然とした。
しかし、野風は我に戻り後ろの皐月に気づくと、彼女を引っ張り廊下を駆けた。
誰もいない、廊下の曲がり角で止まると、昨日聞いたあの使われてない部屋から聞こえた会話の内容を話した。
「んなわけあるか!なわけないでしょ」
「信じないの?雪さんが妊娠してる事も発表される前から知ってたのよ!」
「えぇー本当にあるわけ、、、、」
「これから後一つ起こる事があるの!」
「んんー何?」皐月はだるそうに両手で頭をかきむしりな聞いた。
「雪さんの子供、お父さんが庄司さんなの誰かの口で女将さんにバレてしまう」
野風がそう言うと、皐月の頭を掻きむしる両手は止まった。そして言った。
「えぇーー、もしかしたら、それ私かも」
「は?何を言ってるの?」
「いや、今さっきスタッフルームでみかん食べに行こうとしたら、女将さんに呼び止められて、、、」
「それで?」
皐月は少し動揺しながら続けて言った。
「ボーナスもらってー、で、ゆきさんの話になって、その時に相手って庄司さんですよねーって」
しばらく沈黙が続いた。そして野風がお大声で怒鳴るように言った。
「お前かい!」
「なんで言った?」
「えぇ、だって女将、知ってるのかと、だって誰かから庄司さんって言ってた気がしたから」
「それ私!私が言ったの!」
「あーあんただった、どおりで話が全く通じなかったわけか」
「その後、女将は?どんな反応?」
「雪さんを呼び出そうとしていたところ、、、崩落があって助かったわね」皐月は冗談混じりにそう言った。
「あの襖に誰かいるのよ!絶対!」
「えー預言者?」
「わからないわ!相手は透明人間だもの」
野風がそう言うと、2人は息ぴったりにその部屋へ向かった。
部屋の前に来るともう一度耳を襖に当てた。皐月も真似するように耳を取り澄ました。最初は何も聞こえないが、襖の向こうに集中するとどんどん聞こえてきた。
「屋根の上の雪はあの若いシェフのせいだな、屋根の上から落とした積もりが全部物置のところに落ちてたんだよ、そりゃー屋根が崩落するわ」
「あの若いシェフか、あの馬鹿そうな」
皐月はこの話し声が聞こえた瞬間、野風の目を合わせた。本当だと言わんばかりに目を合わせたまま耳を取り澄ました。
「あの女気づいてるな」
「何が?」少数の男の声で聞き返された。
「俺たちの存在を、、、、」
少し間が空いた。
「どうしました?親方?」
「ん!んーーー?誰かが聞いてるぞ」
「ええ!またですか!」
この声が聞こえた瞬間、野風は思いっきり襖を開けた。襖の建て付けの悪さも知っていたため、最初よりもスムーズに開ける事ができた。
襖が壁に強く当たる音が響いた。
だが誰もいない。たださらに不可解だ。部屋の真ん中にたぬきの置物5体が輪を作って置かれていた。
その中の一体は焦って倒れたかのようだ、ついさっきまで動いてたかのように左右に揺れていた、、、、、




