表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
河内正則・栄光への道  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/14

懲罰交替

 練習試合の日。

 空は晴れているのに、グラウンドの空気だけが妙に重かった。


 正則はユニフォームを着てベンチにいた。

 肩は動く。痛みも前より少ない。

 でも――まだマウンドに上がる段階じゃない。


(今日は見る。今日も、勝たせる側に回る)


 有村恒一郎は、いつもより静かにマスクをつけた。

 亜由美はセカンドで、こまめに内野へ声を飛ばす。


 そしてマウンドに上がったのは、池永智雄だった。


 練習試合・1回表(タイタンズ守備)


 智雄の一球目は、速い。

 ミットが鳴り、周りが「おっ」となる。


 だが、二球目、三球目――球が暴れる。


 ボール。

 ボール。

 ストライクを取りにいくと高く浮く。


 打者は慣れる。

 そして振る。


 カキン。


 センター前。


 智雄の眉がぴくっと動く。


(なんでや)

(俺の球、速いのに)


 次の打者。

 智雄はさらに力む。

 さらに腕だけで投げる。


 四球。


 ノーアウト一、二塁。


 有村が立ち上がり、マウンドへ行った。

 声は低い。


「智雄、落ち着け。テンポ崩れてる。

 一回、低めでストライク先行しよ」


 智雄は笑いもせず、返す。


「低めばっかやと弱いって思われるやろ。

 俺は速さで押すんや」


「押すのはええ。でも、今のままやと“読まれる”」


 有村は言い方を変える。


「勝ちたいなら、打者見て投げろ。

 “自分の球”じゃなくて、“相手を抑える球”や」


 智雄は首を振った。


「うるさい。捕るだけ捕れ」


 その一言が、有村の中で何かを切った。


 1回表:崩れ


 智雄は投げる。

 高い。

 甘い。

 打たれる。


 右中間を破る二塁打。

 二者が還る。0-2。


 さらに内野の間を抜ける。0-3。


 守備は必死に動いている。

 亜由美が横っ飛びで止める。

 梶原が深い位置から投げる。

 外野が中継に返す。


 それでも点が止まらない。


 智雄は点を取られるたびに、味方を睨んだ。


「今の取れたやろ」

「なんで前に出てないん」


 その言葉が、守備の動きを固くする。

 固くなれば、もっとミスが出る。


 悪循環。


 有村は何度もサインで修正しようとした。

 間を置け。

 低め。

 テンポ。

 コースを散らせ。


 智雄は首を振り続ける。


 そして決定的に言った。


「サインいらん。俺の球でええ」


 有村は一瞬、ミットを構えたまま固まった。


(捕手を、ただの“壁”にする気か)


 有村、ついにキレる


 次の打者。

 有村はミットを構えた。


 智雄が投げる。


 だが――有村は、ミットを動かさなかった。


 ボールがミットに入らず、後ろへ逸れる。

 背後のバックネットに当たって転がる。


 球場がざわっとなる。


 智雄が振り返って叫ぶ。


「何してんねん!取れや!」


 有村はマスク越しに、低く言った。


「取らん」


 空気が凍った。


 智雄が目を見開く。


「は?」


 有村は、ゆっくりマスクを外した。

 怒鳴らない。

 でも声が、一番怖い種類の静けさだった。


「今のお前は、チームの投手じゃない。

 “自分だけの投手”や。

 俺は、そういう球は受けん」


 智雄が言い返そうとした瞬間――


 川原監督の笛が鳴った。


 ピッ、と短い音。

 それだけで全員が動きを止めた。


 川原監督はベンチから出て、ゆっくりマウンドへ向かった。


「池永、交代や」


 智雄が声を荒げる。


「なんでや!まだ――」


 川原監督は一言も言い訳を許さない。


「懲罰交代。以上」


 その言葉は、智雄の足元を切った。


 マウンドを降りる智雄


 智雄はマウンドから降りながら、何度も振り返った。


「俺の球、速いやろ!」

「打たれたんは守備のせいやろ!」

「有村がちゃんと捕ってたら――」


 そのたびに、ベンチの空気が冷える。


 星野が無言でマウンドへ向かい、試合を立て直しに入る。

 有村は何も言わずにしゃがむ。

 今度は、普通にミットを構えた。


 “捕手が捕るかどうか”で投手の価値が決まるわけじゃない。

 でも“捕手が捕りたいと思える球か”は、投手の姿勢そのものだった。


 正則はベンチで、それを見ていた。

 肩が痛むのとは別の痛みが、胸の奥にあった。


(チームが壊れる)


 それが怖かった。


 試合後:監督の命令


 練習試合が終わる。

 整列。挨拶。片付け。


 川原監督は全員を集めた。

 声は大きくない。けれど、全員に届く。


「今日の件は、全員に関係ある。

 ただし、今は池永に言う」


 智雄は腕を組んで、ふてくされた顔をしている。


 川原監督は智雄の前で止まり、はっきり言った。


「池永。お前は明日までに、紙一枚でええ。

 “なんでマウンドを下されたのか”

 自分の言葉で書いて提出しろ」


 智雄が鼻で笑う。


「……俺が悪いって言いたいんか」


 川原監督は首を振らない。

 頷きもしない。

 ただ、“指導者”の目で言った。


「悪いかどうかを決めるのは俺や。

 でも、まずはお前が“自分で分かる”必要がある」


 智雄が黙る。


 川原監督は続ける。


「書けんのなら、書けん理由を書け。

 それも“今のお前”や」


 最後に、監督は全員へ言った。


「タイタンズは、勝つチームや。

 でもな、勝つ前に“チーム”であることが先や」


 その言葉で、みんなの背筋が伸びた。


 ベンチの端:正則と亜由美、有村


 片付けのあと。

 有村はマスクを持ったまま、少しだけ手が震えていた。


 怒りじゃない。

 “我慢の限界”を越えたあとに来る、静かな疲れ。


 正則が言った。


「恒一郎……ありがとう」


 有村は首を振る。


「ありがとう言われることちゃう。

 でも、今日は…言わな止まらんかった」


 亜由美が、正則の肩を見て言う。


「正則、今日、投げられんでも…

 ベンチにおるだけで、みんな落ち着いた」


 正則は小さく笑った。


「早く戻りたい」


 有村が短く返す。


「戻れ。

 でも“昔の正則”じゃなくて、今の正則のまま戻れ。

 その方が強い」


 正則はうなずいた。


 その時、遠くで智雄が一人、グラブを投げるようにバッグへ入れていた。

 背中が、やけに小さかった。


 でもその小ささは、“反省”じゃない。

 “悔しさの行き場がない”小ささだった。


 そしてそれが、この先もっと面倒な形で出てくることを、

 正則も有村も、亜由美も――薄々感じていた。




 翌日:白紙の提出


 練習前、川原監督(川原正志)は智雄を呼んだ。

 グラウンドの端。ベンチの陰。


「池永。持ってきたか」


 智雄はランドセルの中から、折り目のついた紙を出した。

 監督の前に置く。


 川原監督が開く。


 ――白紙。


 そこにあるのは、何も書かれていない“答え”だった。


 監督は、しばらく黙って紙を見たまま、智雄に言った。


「書けんかったんか」


 智雄は腕を組んで、ふてぶてしく言う。


「……分からんから書けん。

 俺、何が悪いんか分からん」


 その言い方が、余計に空気を冷やした。


 監督は怒鳴らない。

 怒鳴ると、智雄は“敵”を作って終わると分かっている。


 川原監督は淡々と言った。


「分からんなら、“分からん理由”を書けと言うた。

 それもできんのなら……今のままじゃ、マウンドには立たせられん」


 智雄の眉が動く。


「なんでや。速い球投げたら抑えられるやろ」


 川原監督は、そこで初めて言葉を切った。


「池永。野球はな、一人でするもんじゃない」


 智雄は黙る。

 黙るけど、納得の黙りじゃない。


 監督は白紙を折りたたんで返した。


「今日は練習には参加しろ。

 ただし投手練習は無し。

 あと――今夜、親御さんに連絡する。面談する」


 智雄が反発しかけた。


「親、関係ないやろ」


 監督は目を逸らさない。


「関係ある。

 お前を守るためでもあるし、チームを守るためでもある」


 その夜:両親との面談


 会議室みたいな小さな部屋。

 椅子が四つ。


 智雄の父・池永 恒一こういちと、母・池永 由美ゆみが来た。

 二人とも、まず頭を下げた。


「ご迷惑をおかけして……」


 智雄は椅子に深く座り、目を合わせない。


 川原監督は静かに、事実を伝えた。


 捕手のサインを拒否して投げ続けたこと


 守備や捕手のせいにする言葉が増えたこと


 そして「なぜ降ろされたか」を白紙で提出したこと


 言われるたびに、智雄の肩が少しずつ上がっていく。


 父の恒一が、息を吐いた。

 怒鳴らない。

 でも、声が硬い。


「智雄。お前、勝ちたいんやろ」


 智雄は小さく言う。


「当たり前や」


 母の由美が、目を細めて言った。


「勝ちたいって気持ちは大事。

 でもね、勝ちたいなら――まず“味方”を大事にせんと」


 智雄が言い返す。


「俺、別に味方のこと嫌いちゃうし」


 父が、そこで真っ直ぐ言った。


「嫌いとか好きとかの話ちゃう。

 信頼の話や」


 智雄が黙る。


 川原監督が言う。


「捕手が受けたい球を投げられん投手は、試合で孤立する。

 孤立した投手は、結局、負ける」


 父の恒一が続けた。


「お前は“エース番号”が欲しかったんやろ。

 でもな、番号は“結果”で付くもんや。

 先に要求するもんちゃう」


 母の由美が、少し優しく言う。


「智雄。正則くんに勝ちたい気持ちは分かる。

 でも、正則くんを潰したら勝ちじゃない。

 逃げ道を塞いだら、野球そのものが嫌いになる」


 智雄の口元が歪んだ。

 でも涙は出ない。

 強がりで固めている。


 最後に、川原監督が言った。


「池永。

 明日から、投手練習は段階的に戻す。

 ただし条件がある」


 智雄が顔を上げる。


「捕手のサインを基本は受ける。

 首を振るなら“理由が説明できる時だけ”。

 それができないなら――投手は任せられない」


 智雄は不服そうに頷いた。


「……分かった」


 “反省した”じゃない。

 “条件を飲んだ”だけの頷き。


 でも、それでも一歩だと、監督も両親も分かっていた。


 それでも、信頼は戻らない


 翌週。

 智雄は確かに変わった。


 有村のサインに首を振る回数は減った。

 無茶な力みも少し減った。

 守備への文句も、露骨には言わなくなった。


 ただ――ベンチの空気はもう元に戻らない。


 捕手の有村は、表面上は普通に受ける。

 でも、サインを出す手が以前より慎重になっている。


(また“自分の投球”に戻るかもしれん)


 その警戒が消えない。


 内野も同じだ。

 智雄がマウンドにいると、声が少し硬い。

 “ミスしたら責められる”という怖さが残っている。


 切れた信頼は、瞬間で切れるのに、

 戻すのは時間がかかる。


 その間に:正則の復帰日が決まる


 病院の診察日。

 医師が正則の肩の動きを確認し、言った。


「いいですね。

 キャッチボールも段階通りできてる。

 次は、ブルペンで軽めの投球練習に入っていい」


 正則の喉が鳴った。


「……マウンド、いつ…」


 医師はカレンダーを見て、はっきり言った。


「来月の公式戦を目標にしましょう。

 その試合で“短いイニング”から。

 ただし、無理は絶対しない」


 正則は、何度も頷いた。

 嬉しい。

 でも怖い。

 怖いからこそ、嬉しい。


 帰り道、亜由美が自転車を押して並ぶ。


「復帰、決まったね」


 正則は小さく笑って言った。


「……決まった。

 でも、怖い」


 亜由美は当然みたいに言う。


「怖いでいい。

 怖いまま戻って、勝ったらええ」


 正則は空を見上げた。

 風が冷たい。

 でも胸の中に、確かな火がある。


(戻る)

(今度は、勝つ投球をする)


 その時、正則は思った。


 智雄の信頼が戻らない時間は、

 正則にとって“戻る準備の時間”でもある。


 そして近い未来、マウンドには――

 “速さだけの投手”じゃない河内正則が戻ってくる

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ