投手交代
4回表(タイタンズ守備)つづき
交代宣告、智雄の崩れ
川原監督(川原正志)の「交代」の合図が出た瞬間、
球場の空気が一段、重くなった。
智雄はマウンド上で固まっていた。
ノーアウト一、二塁。
まだ勝負は終わっていない。
でも智雄の中では、“終わり”だった。
「……なんでや!!」
智雄の声が、グラウンドに響く。
「まだ俺、投げれる! 俺が抑えるって言うたやろ!」
川原監督はマウンドへ上がり、智雄の目をまっすぐ見た。
「約束した。3人で抑えられんかったら交代」
智雄は唇を歪める。
「さっきの打球、運やろ! 守備が…!」
その瞬間、内野の数人が顔をしかめた。
セカンドの亜由美が、ぎゅっとグラブを握り直す。
有村恒一郎はマスク越しに低い声で言った。
「智雄。守備のせいにしたら、もう終わりや」
智雄が振り返る。
「黙れや!」
一瞬、全員が固まる。
川原監督の声が、さらに低くなる。
「池永。今の言葉は、チームに言うたんか。有村に言うたんか。
どっちにしても、言っていい言葉ちゃう」
智雄は言い返そうとする。
でも、言葉が出ない。
出ない代わりに、グラブを強く叩いて、マウンドを降りた。
“降ろされた”という事実が、足取りに出ていた。
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星野がマウンドへ(火消し)
星野寛也(背番号18)がゆっくりマウンドへ向かう。
派手さはない。
でも、肩の力が抜けたフォームで、静かに準備を整える。
有村が星野に近づき、短く言う。
「まず一つ。落ち着いて、低め」
星野はうなずいた。
「任せて」
正則はベンチの端で、星野の背中を見つめる。
(今、俺が投げられたら…)
その思いが喉まで上がる。
でも、肩がズキンと鳴って、現実に引き戻される。
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4回表:勝負の中身
打者1人目(ノーアウト一、二塁)
星野は初球、低めにストライク。
二球目、さらに低め。ゴロ。
「セカンド!」
打球が亜由美の方へ来る。
亜由美は慌てない。
グラブの面を作って捕る。
二塁へ踏み替えて送球。
アウト1つ。
一塁へは送れない。
でも、最悪は止めた。
「ナイス!」
正則の声が、思わず出た。
肩に響いて顔をしかめるが、それでも言わずにいられなかった。
亜由美が一瞬だけベンチを見る。
正則と目が合う。
“ここから守る”という目だ。
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次の打者(ワンアウト二、三塁)
ここが一番危ない。
外野フライで一点。
内野の間を抜けても一点。
有村はマウンドでサインを出す手を少し変えた。
“丁寧に低め”の合図。
星野が投げる。
打者は引っかける。
三塁方向へ弱いゴロ。
「サード!!」
三塁手の江藤慎一が前に出て捕る。
本塁へ送るか、一塁か、一瞬迷う。
だが、捕った瞬間に分かった。
本塁は間に合わない。
江藤は一塁へ送る。
二つ目のアウト。
ランナーは還り、失点は1。
1-4。
でも、有村がすぐ星野に声をかける。
「OK。最小で止めた。次で切るぞ」
星野は頷く。
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次の打者(ツーアウト三塁)
あと一人。
星野は一球目を低め。
二球目も低め。
追い込む。
三球目。
打者が振る。
空振り。
スリーアウト。
タイタンズのベンチが、ようやく息を吐いた。
点は取られた。
でも、崩壊は止めた。
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ベンチ裏:智雄の“エース気取り”が剥がれる
ベンチに戻った星野に「ナイス」と声が飛ぶ中、
智雄は一人、荷物置き場の方でグラブをいじっていた。
誰の目も見ない。
有村が戻ってきて、智雄の横を通りかかる。
一瞬、立ち止まって言った。
「智雄。次は…捕手の言うこと聞け。
球速だけで勝てる相手ちゃう」
智雄は笑った。
笑ったけど、目が笑ってない。
「はいはい。正則先生みたいに言うなや」
有村が振り返る。
「正則は“先生”ちゃう。エースや。
エースってのは、勝ち方を知ってる奴のことや」
智雄の口元がぴくっと動く。
返す言葉がない。
だから、吐き捨てる。
「今、俺が投げてたらもっと抑えてたわ」
その瞬間、正則が立ち上がりかけた。
でも、肩が痛む。
悔しさが勝つのに、体が負ける。
亜由美がベンチの中から、正則の袖を軽く引いた。
「正則。今は、我慢。
明日じゃない。“今”じゃない」
正則は歯を食いしばって座り直す。
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4回裏(タイタンズ攻撃)
正則の視線が、チームを少しだけ変える
タイタンズは点を取り返したい。
でも相手投手も簡単には崩れない。
先頭打者が内野ゴロ。ワンアウト。
次が四球で出る。
ベンチがざわつく。
ここで、正則がベンチの柵越しに声を出した。
「焦るな! 相手、四球出したらテンポ落ちる!
次、甘い球来るぞ!」
“投げられないエース”の声。
その一言で、打者の目が変わる。
次の打者が、初球の甘い球を強く叩く。
外野の頭を越えそうな当たり。
だが――フェンス手前で捕られる。ツーアウト。
惜しい。
でも、ベンチはさっきより生きている。
最後の打者は粘って四球。
二死一、二塁。
亜由美が打席に立つ。
亜由美は一度だけ、ベンチの正則を見る。
正則は黙って頷く。
亜由美は、バットを短く持った。
“つなぐ”意思。
結果は――内野の頭を越える小さなライナー。
センター前。
一、二塁が進む。満塁。
球場がどよめく。
(ここで追いつける)
でも次の打者が三振。チェンジ。
スコアは1-4のまま。
それでもタイタンズのベンチには、さっきまでなかったものが生まれていた。
“諦めない形”。
そして正則の中には、別の決意が固く沈んでいく。
(俺は戻る)
(このまま奪われて終わらん)




