帰り道
了解。ではその流れを切らさず、会話 → 内省 → 練習 → データ提示まで一気に描くね。
⸻
グラウンド脇・試合後の静かな時間
智雄は、星野慎一のところへ歩み寄った。
さっきまでの試合の余韻が、まだ土の匂いとして残っている。
「なあ、星野。
どうやったら、あんな投球できるんや」
星野は一瞬だけ智雄を見る。
それから、視線をグラウンドの向こうに戻した。
「……正則も言ったやろ」
智雄が黙る。
「自分で見つけるしかない」
それだけ言って、星野はそれ以上続けなかった。
突き放すでもなく、優しく教えるでもない。
でも、その言葉には逃げ道がなかった。
⸻
智雄の内側
(結局、誰も答えはくれへん)
でも、それは「冷たい」わけじゃない。
むしろ逆だと、智雄はようやく分かり始めていた。
(正則は、怪我して投げられん時間があった)
(その間、何してた?)
数字が、頭に浮かぶ。
球数。
出塁率。
崩れない投球。
(球数管理……)
(感情が先に出たら、球は荒れる)
智雄は、自分の投球を思い返す。
抑えたい、目立ちたい、負けたくない。
全部、感情が先だった。
(メンタルのケア……)
(投げる前、投げた後、何もしてへんかった)
初めて、智雄は「技術」じゃない部分を
自分の中に落とし込もうとしていた。
⸻
ブルペン・ピッチング練習
一方で、正則はすでにブルペンに入っていた。
相手は、有村恒一郎。
有村がミットを構える。
「次、外角低めな」
正則は軽く頷く。
「分かった」
助走。
腕の振り。
迷いはない。
ボールは、有村のミットが構えたその真ん中に、
きれいな軌道を描いて吸い込まれた。
パンッ。
有村が即座に言う。
「今の、完璧」
正則は少しだけ口元を緩める。
「よし。
今日も調子ええな」
それは慢心じゃない。
自分の状態を、正確に把握している言葉だった。
⸻
スコアラー・真央のデータ提示(練習)
少し離れたところで、森下真央がタブレットを見ていた。
練習でも、彼女は記録を取る。
「正則、今日のブルペンデータ出てる」
呼ばれて、正則と有村、そして少し遅れて智雄も近づく。
⸻
◆ 河内正則・ブルペン投球データ(本日)
•投球数:45球
•ストライク:36球
•ボール:9球
•ストライク率:80%
コース別
•外角低め:18球中 16ストライク
•内角低め:10球中 8ストライク
•高め(見せ球):5球中 4ストライク
連続ストライク数
•最大:9球連続
真央が淡々と続ける。
「狙ったコースへの到達率が高い。
特に外角低めは、ほぼズレてません」
有村が頷く。
「そら、投げやすいわ。
ミット動かす必要ない」
⸻
智雄の視線
智雄は、その数字をじっと見ていた。
(いきなり真似しても、無理や)
(でも……)
正則がやっていたのは、
•球数を意識すること
•感情を切り離すこと
•投げた後に、必ず振り返ること
全部、今からでもできることだった。
智雄は、静かに息を吐く。
(まずは、投げる前に考えろ)
(投げた後に、振り返れ)
ようやく、
「追いつく」じゃなく、
「自分の投球を作る」スタートラインに立った。
⸻
練習が終わって、グラウンドの土の匂いが少しずつ夕方の空気に溶けていく。
ベンチの片付けも終わり、正則がボールケースを肩にかけたところで――
背中の方から、軽い足音が近づいてきた。
「正則〜」
振り向くと、亜由美が両手を腰に当てて、いかにも当然みたいな顔で立っている。
汗で前髪が少しだけ額に張りついて、頬が赤い。
だけど目は元気そのものだった。
「お腹すいた。帰りになんかおやつ買って帰ろ〜」
正則は一瞬、笑ってから肩をすくめた。
「いいよ。じゃあ今日は俺の奢りや」
亜由美の顔が一気に明るくなる。
「やった〜! じゃあミスドのフレンチクルーラー食べたい!」
「即決かい」
「即決。フレンチクルーラーは別腹やもん」
「別腹って、胃袋いくつあんねん」
「え、知らんの? 亜由美の胃袋、三段構えやで」
正則は吹き出しそうになりながらも、黙って歩き出した。
亜由美は当然のように隣に並ぶ。
⸻
ミスドのフードコーナー
店に入ると、甘い匂いが一気に鼻にくる。
練習後の体に、その匂いは反則だった。
トレーを持った亜由美が、ショーケースを覗き込む。
「フレンチクルーラー……あっ、ある。しかもきれいなやつ」
「きれいなやつって何やねん」
「あるやろ? 形が“勝ってる”フレンチクルーラー」
「ドーナツに勝ち負け持ち込むなよ」
亜由美はフレンチクルーラーを迷いなく取り、
ついでみたいにチョコ系も一つ指差す。
「あとこれも。練習頑張ったご褒美」
正則は苦笑いしながら、自分用にオールドファッションを取った。
飲み物は、亜由美がアイスココア、正則がアイスコーヒー。
会計を終えると、二人はフードコーナーの端の席に並んで座った。
⸻
亜由美は手を合わせるみたいにして言う。
「いただきまーす」
フレンチクルーラーを一口。
ふわっとした生地がほどけて、砂糖の甘さが広がる。
「……はぁ。生き返る」
「ドーナツで生き返るやつ初めて見た」
「運動した後のフレンチクルーラーは、ほぼ回復アイテム」
「RPGか」
亜由美はむしゃむしゃ食べながら、何気なく正則を見る。
「今日の投げ方、めっちゃ良かったな。ミットが全然動いてへんかった」
正則はアイスコーヒーを一口飲んで、氷をカランと鳴らした。
「まあ……有村が受けやすいとこ出してくれるしな」
「それもあるけどさ。正則、投げる時、落ち着いとるやん」
亜由美はストローをくるくる回しながら言う。
「智雄、最近ちょっと変わろうとしてるの分かる?
でも、焦りが顔に出るねん。投げる前から負けそうな顔する時ある」
正則はすぐには答えず、ドーナツをちぎって口に運ぶ。
噛んで、飲み込んでから、ぽつりと。
「……変わろうとしてるだけ、前よりマシやろ」
「うん。マシ。だからこそ、ちゃんと変われたらええなって思う」
亜由美は言い終わると、最後のひとかけらを食べて、満足そうに頷いた。
「よし。糖分補給完了。これで明日も動ける」
「ほんまにRPGやん」
「せやで。正則はエース、私はセカンド、役割分担な」
正則は笑って、紙ナプキンで手を拭いた。
「ほな帰ろか」
「うん。……あ、奢りありがと!」
「はいはい」
二人はトレーを返して、店の外に出る。
夕方の風が少し冷たくて、でも心地よかった。
亜由美は歩きながら、何でもないように言う。
「次はさ、試合勝った日、ミスドじゃなくて、たこ焼きにしよ」
「いきなり大阪魂出すな」
「そら出るよ。うちら大阪やもん」
正則は笑って、少しだけ歩幅を合わせた。
⸻
ミスドを出ると、空はもう夕方の色になっていた。
昼の熱が少しだけ落ちて、風が自転車のハンドルを撫でる。
「ほな帰ろか」
正則が自転車のカギを回すと、亜由美も自分の自転車にまたがった。
「よーし、帰り道レースな」
「アホ、ここ車通るねん」
「冗談冗談。安全運行でいきまーす」
二人並んでペダルを踏む。
タイヤがアスファルトをこする音が、一定のリズムで続く。
練習の疲れがあるはずなのに、不思議と足は軽かった。
⸻
河内家の前
河内家の前まで来ると、玄関灯がついていた。
正則が自転車を止めると、ちょうど玄関の扉が開く。
「おかえり」
出てきたのは姉の一香だった。
制服じゃない。部活帰りみたいにラフな格好で、手には冷えたペットボトルのお茶。
そして亜由美を見ると、ぱっと表情が柔らかくなる。
「亜由美ちゃん、暑いやろ。
冷たいお茶あるさかい、飲んで帰り」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」
亜由美は遠慮しつつも、喉の渇きには勝てない。
玄関先の涼しい影に入って、ペットボトルを受け取った。
正則も自分の自転車を壁際に寄せて、一緒に立つ。
お茶の冷たさが、練習後の体にじわっと染みる。
「はぁ〜……生き返る……」
「さっきも生き返ってなかった?」
「今のは“第二形態”」
一香がくすっと笑った。
「相変わらずやな、亜由美ちゃん」
亜由美は照れたように笑って、もう一口飲む。
⸻
そのとき、家の中から父・恒一の声がした。
「一香、誰や?」
一香が玄関の奥へ向かって返す。
「亜由美ちゃんやで。
練習帰りに寄っただけ〜」
少し間があって、恒一が玄関まで顔を出した。
作業着のまま、腕を軽く拭いながら二人を見る。
「おう、加藤さんとこの亜由美ちゃんか。暑いなぁ」
「はい、めっちゃ暑かったです」
恒一は頷いてから、正則に目を向ける。
「正則。亜由美ちゃん送ってき」
正則は間髪入れずに返す。
「分かった」
亜由美は慌てて手を振る。
「えっ、いいですって! 私、一人で帰れますし…!」
一香が即ツッコむ。
「なに言うてんの。
この暑さやし、暗なるのも早い。送ってもらい」
「…う、うん。じゃあ……お願いしよかな」
亜由美はペットボトルを両手で持って、ちょこんと頭を下げた。
「ありがとうございます」
正則は照れ隠しみたいに前輪を軽く回して言う。
「ほな行こか。
…そのお茶、飲み終わったら返してな」
「返す返す! 大事に返す!」
「なんで“借り物感”そんな強いねん」
⸻
再び自転車で
二人は並んで自転車にまたがる。
亜由美はまだ冷たいお茶を少し残したまま、ペダルを踏み出した。
「正則んち、やっぱ優しいな」
「まあ…姉ちゃんが世話焼きなだけ」
「一香さん、めっちゃしっかりしとる。
私が姉やったら、弟にジュース奢らせるもん」
「最低やん」
「冗談やって!」
笑いながら走る自転車の音が、夕方の住宅街に溶けていく。
さっきまで“野球”でいっぱいだった一日が、
こういう普通の時間で静かに締まっていく。
正則は横目で亜由美を見て、何でもない声で言った。
「…明日も練習やで」
亜由美は前を見たまま、元気よく返す。
「知っとる。
せやから今日、甘いもんでチャージしたんやん」
「ほんま都合ええ体やな」
「うらやましい? ほな、正則も第二形態なり」
「ならんわ」
二人の自転車は、夕暮れの道を並んで進んだ。
⸻




