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河内正則・栄光への道  作者: リンダ


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16/33

負けた意味

 公式戦:終盤の緊迫


 点差は僅差。タイタンズは追う展開で、守りで踏ん張って流れを引き寄せたい場面だった。


 この日、正則は制限付きで先発し、予定通りの回数をきっちり投げ切った。

 球数も少なく、内容も良い。

 マウンドを降りる時、有村はミットを叩いて言った。


「よし。流れ、こっちに残したぞ」


 正則は頷く。


「あと頼む」


 ——その“流れ”を受け取ったのが、智雄だった。


 4回(または中盤の回):智雄、登板


 智雄はマウンドに上がる。

 呼吸は意識できている。

 初球ストライクも取れた。


(大丈夫)

(俺は準備してきた)

(今日は崩れない)


 一人目、セカンドゴロ。

 二人目、ファウルで粘られたが、最後は低めで詰まらせて浅いフライ。


 ツーアウト。


(よし、いける)


 ——そこで、事件が起きた。


 “たった一つ”のエラー


 三人目。

 内角を詰まらせた。

 弱いゴロ。ショート方向。


 梶原主将が前に出て、捕った。

 送球——一塁が少し逸れる。


 一塁の奈緒が伸びる。

 捕れそうだった。

 でも、グラブの先に当たって、ボールが後ろへ転がった。


 エラー。


 スタンドがざわつく。


 奈緒が顔を伏せる。

 梶原も歯を食いしばる。


 その瞬間、智雄の頭の中で何かが弾けた。


(またや)

(俺が抑えたのに)

(なんで…!)


 正則なら、ここで「いいよ、気にすんな」と言える。

 智雄もそれを“知っている”。


 ——でも、智雄の心はまだ“身についていない”。


 表情が硬くなる。

 呼吸が浅くなる。

 テンポが速くなる。


 有村がマウンドに歩きかける。

 でも、智雄の目が「来るな」と言っている。


(大丈夫、俺がなんとかする)

(俺が取り返す)


 その“俺が”が、また出た。


 崩壊の始まり:球が荒れる


 次の打者。


 初球、ボール。高い。

 二球目、ボール。外に抜ける。

 三球目、慌ててストライクを取りに行って甘く入る。


 カキン。


 打球が右中間へ。

 走者が一気に三塁へ。打者は二塁へ。


 ツーベース。


 ノーアウト二、三塁。


 智雄の顔から血の気が引く。


(やばい)

(また降ろされる)

(負ける)


 有村がマウンドへ走った。


「智雄!止まれ!呼吸!」


 智雄は頷くが、息が入らない。


 有村が短く言う。


「エラーはエラー。今は関係ない。

 次、ゴロで一点で止めろ」


 智雄は小さく頷く。


(ゴロ…ゴロ…)


 でも、体が言うことをきかない。


 次の球。

 高い。

 ボール。

 焦って腕で投げる。

 球が抜ける。


 四球。


 満塁。


 スタンドの音が遠くなる。

 智雄には、自分の心臓の音だけが聞こえた。


 失点:3点が一気に入る


 次の打者。

 智雄は「三振を取る」方向に思考が飛ぶ。


 力む。

 球が高い。

 甘い。


 打たれる。


 センター前。

 二人還る。


 2失点。


 まだアウトが取れない。

 満塁は続く。


 次の打者。

 今度は詰まらせる。

 セカンドへのゴロ——


 亜由美が捕った。

 ホームへ投げる。


 アウト。


 ようやく一つ取った。


 でも三塁走者がスタートを切っていた。

 送球は間に合わず、もう1点。


 合計3失点。


 智雄はマウンドの土を見つめた。


(……俺が壊した)

(エラーのせいにしたい)

(でも違う)

(俺が、エラーに飲まれた)


 有村がマウンドで智雄の目を見た。


「……まだ終わってない。

 ここで踏ん張ったら、次に繋がる」


 智雄は唇を噛み、頷いた。


 踏ん張り:智雄は“完全崩壊”を止める


 ここからが、智雄の成長だった。


「次、低め。ゴロ」


 智雄は自分で言って、呼吸を一回長く吐いた。

 真央が言っていたやり方。

 正則がいつもやっているやり方。


 低めに投げる。

 ゴロを打たせる。

 一塁アウト。


 ツーアウト。


 もう一人。

 テンポを落とす。

 力を抜く。


 外角低め。

 見逃しストライク。

 内角低め。

 ファウル。


 最後は——低めいっぱい。


 空振り三振。


 スリーアウト。


 3失点した。

 でも、これ以上は崩れなかった。


 ベンチに戻る時、智雄は奈緒を見た。

 奈緒はまだ悔しそうだった。


 智雄は喉まで言葉が出かかった。


「いいよ、気にすんな」


 でも言えなかった。

 言えば“格好つけ”になる気がした。


 だから智雄は、別の形で伝えた。


 奈緒の横を通るとき、ぽつりとだけ言った。


「……次、守ってくれ。頼む」


 奈緒が顔を上げて、短く頷いた。


「任せて」


 その一言が、智雄の胸を少しだけ救った。


 リリーフに託す


 次の回、川原監督が智雄のところへ来た。


「池永。交代や」


 智雄は反射的に言いかける。


「まだ……!」


 でも、すぐに飲み込む。


「……はい」


 監督が言う。


「今日は3失点した。

 でも、あの回を“それ以上にしなかった”のは評価する。

 次に繋げろ」


 智雄は深く頭を下げた。


「……すんません」


 マウンドを降りるとき、智雄はベンチを見た。


 正則がそこにいた。

 何も言わない。

 でも、目は見ている。


 責めてもいない。

 慰めてもいない。


 ただ、背中で言っている。


(お前の負けを、次の準備に変えろ)


 智雄はそれを感じ取って、グラブを握り直した。


 反撃、及ばず


 タイタンズは裏の攻撃で粘った。

 さくらがツーベースを打ち、奈緒が繋ぐ。

 亜由美も転がして走者を進める。


 一気に点差を縮められる雰囲気があった。


 でも、相手投手も必死だった。

 要所で低めに集められて、あと一本が出ない。


 最後の打者がセカンドゴロ。


 試合終了。


 スコアボードには、智雄の失点が重く残った。


 負け投手


 整列のあと、智雄はベンチ裏でうつむいた。

 負け投手の欄に、自分の名前が刻まれる。


「……俺のせいや」


 誰に言うでもなく、そう呟いた。


 有村が隣に座る。


「せや。お前の責任もある」


 智雄が顔を上げる。


 有村は続けた。


「でも、“責任がある”って分かったのは、前進や。

 前のお前は、誰かのせいにしてた。

 今日は、踏ん張った。

 最後に三振も取った。

 それを“なかったこと”にするな」


 智雄の目が揺れる。


「……でも、勝てなかった」


 有村は言う。


「勝つために、次の準備をするんや。

 正則がやってたこと、やっと分かったやろ」


 智雄は、ゆっくり頷いた。


 負けは痛い。

 でも、ただの屈辱じゃない。


 “自分が崩れる条件”が見えた。

 それがこの負けの意味だった。




正則は“感情がない”んじゃない


正則だって、マウンドでイラつく時はある。

打たれたら悔しいし、味方のミスが続けば腹も立つ。


でも正則は、出さない。


理由はシンプルだ。


(イラついても、起こった結果は変わらない)

(変えられるのは“次の一球”だけ)

(だったら、考えることは一つ)


「どう次につなげるか」


それだけ。


ピンチの場面:正則の“切り替え”が見える


例えば満塁、ツーアウト。

一球でも甘く入れば、逆転される。


普通なら顔が硬くなる。

目が泳ぐ。呼吸が浅くなる。


でも正則は、表情がほとんど変わらない。


有村がマウンドに来ても、会話は短い。


「狙いは?」


「低め外。ゴロ」


「OK」


それだけで終わる。


そして正則は、ボールを受け取ったあと必ずやる。


一度だけ深く息を吐く


グラブを軽く叩く(スイッチの合図)


キャッチャーのミットだけを見る


狙いを心の中で言う


それで“今”に戻る。


エラーが出ても、正則は反応しない


守備がミスをした時も同じ。


内心は「くそっ」と思っても、顔には出さない。

怒鳴らない。ため息もつかない。


代わりに言う。


「いいよ。次いこ」

「俺も四球出すし、お互い様」


これで守備の肩の力が抜ける。

そして、結果的に投手が助かる。


正則はそれを分かってる。


智雄はまだ「結果」に引っ張られる


一方、智雄は違う。


エラーが出た瞬間、頭がこうなる。


(なんで今やねん)

(俺が抑えてるのに)

(また崩れる)

(また降ろされる)


つまり、“起きた結果”を抱えたまま次の球を投げる。


だから呼吸が変わる。テンポが乱れる。球が荒れる。


智雄は技術が足りないんじゃない。

切り替えの技術がまだ足りない。


有村の言葉(刺さるけど優しい)


試合後、ベンチ裏で有村は智雄に言う。


「智雄。お前な、結果に腹立てるのは普通や。

でも、マウンドは“普通”で勝てる場所ちゃう」


智雄が悔しそうに黙る。


有村は続ける。


「正則はな、感情がないんやない。

感情を使う場所を知ってる」


「使う場所…?」


「うん。

イラつくのは試合の後でええ。

その時に反省して、次の準備に使え。

試合中に出したら、相手に点を渡すだけや」


智雄は唇を噛む。


悔しい。

でも、分かる気がする。


正則の背中が教えること


正則は、ピンチでも淡々としている。

それは強がりじゃない。


「今、変えられるのは次の一球だけ」

という考えが体に染みてるから。


智雄には、それがまだ染みていない。


だからこそ、この物語は面白くなる。



練習が終わって、グラウンドに夕日が落ちる頃。

有村恒一郎は、いつもより少し遅くまで残っていた。


マスクを外して、ミットを叩く。

音を確かめるように。


その姿を見ながら、正則はふと思う。


(こいつ、なんであんなに落ち着いてるんやろ)


智雄も同じことを思っていた。

マウンドで崩れた自分と違って、有村はピンチでも声がぶれない。

怒鳴らない。焦らない。

それでいて、言葉が刺さる。


真央がぽつりと言った。


「有村くんって、そういえば…」


亜由美が首をかしげる。


「何?」


真央は、さらっと言う。


「お父さん、バッファローズの一軍キャッチャーですよね」


空気が少し変わった。


「え、マジで?」

「プロの?」

誰かが驚く。


有村は面倒くさそうに肩をすくめた。


「まぁ、そうやけど」


でも、その言い方は“隠したい”じゃなくて、

“それだけで自分が上になるわけじゃない”って知ってる人の言い方だった。


有村の“捕手の目”は、家で育った


有村の父は、一軍でマスクをかぶる現役捕手。

試合の映像が家にある。

試合の話が食卓にある。

配球の意図、投手の癖、ピンチの間合い。


幼い頃から、有村は父のキャッチングを間近で見てきた。


捕る音。

ミットの角度。

体の流れ。

そして何より——


ピンチの投手の呼吸が変わる瞬間。


有村はそれを“知識”じゃなく“体感”で知っている。


真央が言う。


「だから、池永くんが崩れる瞬間も分かるんですね」


有村は短く頷いた。


「分かるよ。

呼吸が変わる。テンポが速くなる。

目が打者に吸い込まれる。

その瞬間、投手は“今”から外れる」


智雄が思わず言う。


「……俺、そんな顔してたんか」


有村ははっきり言った。


「してた。

だから止めに行った。

でも止めるのは捕手の仕事で、戻るのは投手の仕事や」


言い方は厳しい。

でも、突き放してはいない。


有村の父から聞いた「捕手の真理」


有村はふっと遠くを見る。

父親がよく言っていた言葉が、頭の中にある。


「ピッチャーは、点を取られた瞬間に一番焦る。

でも本当に危ないのは、“点を取られた後の1球目”や」


有村はそれを智雄に言い換える。


「崩れた後の一球で、試合が決まることが多い。

だから、“崩れた後に戻れる投手”が強い」


智雄は唇を噛んだ。


正則は、その会話を黙って聞いている。

正則はすでにそれを知っている。

有村の言葉は、確認みたいに胸に落ちていく。


有村の強み:投手の心を“読む”だけじゃない


言葉で戻すことができる


有村は、投手の心理が分かる。

だから投手を責めない。

でも甘やかしもしない。


「イラついても結果は変わらん。

変えられるのは次の一球だけ」


それを言えるのは、

ピンチの投手を何人も見てきたから。

そして——父親が“プロの現場”でそれを実証しているから。


智雄に刺さる一言


智雄がぽつりと言う。


「……正則みたいに、感情出さん投げ方、俺もできるかな」


有村は答える。


「できる。

でもな、正則の真似はするな。

お前はお前の戻り方を作れ」


智雄が顔を上げる。


「戻り方…?」


有村はミットを叩いた。


「次、エラーが出たら——

お前が“戻る合図”を作れ。

呼吸でも、言葉でも、グラブ叩くでもええ。

それができたら、試合で崩れにくくなる」


智雄は、やっと前を向いた。

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