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二十一 『サルスベリの下で蘇り、あの夏の午後をやり直す』4


 日差しがジリジリと肌を焼いている。気づくとまた坂道に立たされていた。スマホを見ると7/20の午後2時42分を示している。


(生き返ってしまった)

  

 解決方法も見つからないままに。

 店主を殺してくれと言っていたけれど、相手はどうやら人間じゃない。絶望的だ。

 

ーー謝ればよかった


 ゆっくりと坂を登って、喫茶店を目指していたら、恐怖に歪む高校生の顔と言葉を思い出してしまった。


(友だちと仲直りさせてやりたいな)


 夏休みだ。受験への焦りもあるのに、喧嘩にモヤモヤして手がつかなくて、気持ちの切り替えのために出かけて、それでも仲直りのことをつい考えて、都市伝説の噂のある場所に行ってみたりして。

 この高校生は、ただ、それだけだ。それなのに殺されるなんて。


(ーー友だち?)  


 恵太はふと気づいた。高校の友だち。それはつまり、若い男。 

 考えているうちに店の前に恵太はたどり着く。レトロなステンドグラスの扉には『OPEN』と書かれた木製プレートがかけられている。


(この喫茶店は、若い男が来た時だけ開く)


 じっとプレートを見つめた。暑さで全身から汗がわき出ている。


(そうか。友だちに助けてもらえばいいんだ)


 恵太はそっとプレートに手を伸ばし、ひっくり返して『closed』にした。


「あの」


 見計らったように、高校生らしき若い男は背後から声をかけてきた。恵太の口元には自然と笑みが浮かんでいた。そして、少しぎこちなく振り返る。

 

「もしかしてお休みですか?」


 高校生らしき若い男はclosedを見て困惑している。


「定休日みたいだね」


 恵太は嘘をついた。


「今日を逃したら土曜日まで来れないんですよ」  


 高校生は困ったように扉を睨みつけている。


「君、謝りたい人がいるよね」


 恵太はできる限り自然体で語りかけた。


「友だちと喧嘩しているでしょ?」


 高校生は目を丸くした。だんだん青ざめ、後退りをする姿に苦笑いが漏れる。「どうして知っているんだ、この他人」と、いう顔をしている。


「俺は少し先の未来から巻き戻ってきたんだ。都市伝説は本当なんだよ」


 あまりのことに声が出ない様子の高校生に、恵太は微笑みかける。血色のいい頬に、生気を帯びた瞳。恵太は、生きている彼を見るのがこんなにも嬉しいとは思わなかった。もう、罪のない誰かに目の前で死なれたくない。自分にこんな正義感があるとは、恵太自身も知らなかった。


「またおいで」


 恵太は戸惑う高校生に言った。


「大丈夫。時間は巻き戻る。だから、友だちの名前を教えて。名字だけでいい」


「ーーいしかわ」


 高校生はおずおずと答える。


「いしかわくんね」


 恵太はカバンの中からペンを取り出し、「土曜日午後、喫茶店へ。いしかわくん」と手のひらに書く。

 何があっても、ちゃんと思い出せるように。


「それじゃあ、またね」


 少し不服そうに去っていく高校生を見送ると、恵太は喫茶店の扉を見つめた。

 あまりの暑さに、背中は汗でシャツが張り付いている。それなのに、人の命を助けたからから、ちょっと爽やかな気分だった。


(行こう)


 大きく深呼吸をしてから、恵太は扉を開いた。

 クーラーの冷気が押し寄せる。

 店内に客は一人もいなかった。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの向こうでガタイのいい店主がほほ笑んでいる。


「お好きな席にお座りください」


 そう言われ、カウンター席に座った。高窓のステンドグラスが真夏の日差しを柔らかく受け止めている。


「綺麗ですね」


 小さな白い花のデザインされた美しいステンドグラスを褒め、恵太は店主を見つめた。この後どうなるか、店主が何をするか、すべて知っている。


「ありがとう」

 

 カウンターから出てきた店主が嬉しそうに言うと、恵太の前にお冷やを置く。


「お世辞でもうれしいよ」


「調べたんです」


 無駄話を遮るように、恵太は切り出した。


「過去のニュースを。この辺りの喫茶店で、女に下半身を切りつけられて亡くなった喫茶店の店主がいたらしいですね」


 店主の顔色が一瞬で変わった。営業スマイルは消え去り、死人のように無表情だった。


「理不尽に未来を奪われた。だから、若い男が恨めしいんですか? 俺らはあなたが失ったものを持っているから」


 口を固く閉じ、恵太の言葉をただ黙って聞いている。巻き戻されるたびに対面してきた店主の、見たことのない怒りの表情だった。


「……お前に何がわかる」

 

 恵太の体はすでに動かなくなっていた。店主の下半身が崩れ落ち、肌が赤黒く変化していく。


「僕の名前、恵太っていうんです。必ず戻るから、覚えていてくださいーーやり直してあげます」


 返事はなかった。そのかわりに恵太の首をギリギリと絞めていた。


 ★


ーーねえ。

ーーねえ、やり直したい?


 土の匂いと一緒にどこかで声がする。

 もう聞き慣れてきた声。

 全身に草と外の感触があるものの、もう自分の生気が暗がりに落ちていく絶望のほうが、あまりに全身の皮膚という皮膚に強く迫っている。


ーーやり直してくれないかな。

ーーそして、店主を殺して。僕らのかわりに


 聞きながら恵太は意識が遠のいていくのを必死でこらえた。


「……やり直さない」


 絞り出すように言った。

  

「…やり直さないで……あいつを倒す」


ーーやり直さない?


 恵太はまだやり直さない。

 それを伝えないといけない


「幽霊なら、あいつを倒せる。きっと」


 店主だって下半身のない幽霊なのだから。

 しかし、確証のないことだ。都市伝説を信じることと大差ないではないか、と恵太は少し笑いそうになった。でも、そんな力も残っていない。


ーーやり直さない?

ーー幽霊なら倒せる?


 声がざわめき始めた。

 そんなことを言い出した被害者は初めてだったのかもしれない。

 もう恵太も気づいていた。きっと声の主たちは店主に殺された若い男たちだ。

 あまりの無念に崖の下で声だけ残っているのだろう。恵太は勝手にそう思うことにしたけれど、ほぼ確信していた。

 それは自分も同じものーー被害者になりつつあるからだと、自分では気づいていない。


「幽霊しかないんだ。人間じゃ無理だったから。だから、幽霊の俺を、あいつの友だちのところへ連れて行ってくれ!」


 恵太は振り絞って叫ぶ。いや、叫んだつもりだった。本当の声はちゃんと出ていたかもわからない。でも、きっともう、これが最後の肉声だった。


ーーわかった

 

 あの声たちの答えを聞いて、全身の力が抜けていく。

 安堵と、不安と、悲しみが入り混じる。


(俺、生き返れなくなったかな)


 息だけの情けない笑いが漏れ出た。幽霊になることを自ら選ぶなんて。恵太は思いもしなかった。


(馬鹿だな。他人を助けるために命をかけるなんて)


 サルスベリの花の色は見えない。土の匂いもしない。

 それなのに、不思議と怖くない。


(彼女と花火見たかったな)


 仲直りして、二人並んでーー



石川くんへ


 もし、生き返ることができたら、俺は7月26日にあの崖の上へ行く。

 もし。生き返ることができたなら。


 この後どうなるか、作者である俺もわからない。

 伊藤くんと仲直りして、何もかも上手くいったら、坂の上に会いに来てほしい。

 生きている俺を見つけてほしい。

 でも、もし、もしもいなかったら、俺が死んでいたなら、この物語の続きを石川くんに書いて欲しい。

 たくさん本を読んで、たくさん書けば、きっと書けるようになる。 

 俺は生きていた、という証拠を石川くんに残してほしい。

 でもーー下ネタはダメだからね



 もらったクリアファイルに物語をしまい、

僕は部屋を飛び出した。


(いかなくちゃ)


 なりふり構わず玄関へと突進する。


「ご飯は? こんな時間にどこ行くの?」


 母親が僕の奇行に驚いて台所から慌てて出てきた。


「すぐ帰る」


 それだけ告げて、僕は外へと走り出した。

 遅い時間なのに駅前は浴衣の女性や家族連れが多く、いかにも花火見物の帰りの混雑、といった光景だった。

 駅を越え、僕は再びあの坂を登る。

 さっきは人なんて誰ひとりいなかったのに、花火を見終わったのであろう浮かれた人たちとすれ違う。

 

(もしかして、巻き戻ったの?)


 誰かが時間を巻き戻し、何かが変わったのかもしれない。

 心臓の高鳴りは期待交じりに変わっていく。


 丘の上には花火の見学客がまだ大勢残っていた。

 どうやら予約制の花火見物席になっているらしく、スタッフらしき人が赤く光る棒をもって帰る客たちを誘導している。

 人ごみの奥に、サルスベリが咲いているのが見える。

 そのサルスベリの木の下に、小柄な見知らぬ女性と、どこかで見たことのあるような黒髪、黒眼鏡の男が立っていた。

 白装束じゃないから一瞬、わからなかった。

 僕は名前を叫びたかったけれど、もし違ったら? もし覚えていなかったら? そう思うとできなかった。

 でも、何もしないで帰るなんてできない。

 静かにサルスベリの下へ歩み寄り、僕は黒眼鏡の男の背中に投げかけた。

 

「綺麗ですね」


 黒眼鏡の男は振り返る。

 そして、しばらく僕を見つめた。

 それから、少し首を傾げて、


「ーーそれ、下ネタですか?」


 そう言って、照れくさそうに笑った。

 



 

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